第十二章 道徳のためにヒト語を暗示する縁起






      因果の法則:縁起の要旨

  これがあれば、これが当然ある。

  これが生じたから、これが生じた。


  これがなければ、これは当然無い。

  これが消滅したから、これが消滅する。

中部マッジマバンナーサ 13巻355頁371項
相応部ニダーナヴァッガ 16巻84頁154項







奇妙な縁起の解説

カンマーサダンマニガマで
マハーニダーナスッタ
長部マハーヴァーラヴァッガ 10巻67頁58項

 アーナンダ。「老死は縁、つまり生によってある」というこのような言葉は、私が述べた言葉です。アーナンダ。あなたは「老死は、縁である生によってある」という題目と一致する説明を知らなければなりません。

 アーナンダ。どこの誰でも、どんな種類どんな状況でも生がなければ、つまりすべての天人群の天人になるため、すべてのガンダッパ群のガンダッパになるため、すべての鬼群の鬼になるため、すべての動物群の動物になるため、すべての人間群の人間になるため、すべての四足の動物群の四足の動物になるため、すべての翼がある動物群の翼がある生動物になるため、すべての這う動物群の這う動物になるためでも、

アーナンダ。それらの動物にそのようになるための生がなければ、生がすべて消滅して生がなければ、老死が生じて(姿を)見せることはあるでしょうか。

 「それはありません、猊下」。

 アーナンダ。だから老死の原因、起源、集、縁は生です。アーナンダ。


 「生は縁、つまり有によってある」というこのような言葉は私が述べた言葉です。アーナンダ。あなたは「生は縁、つまり有ゆえにある」という題目と一致する形の説明を知らなければなりません。

 アーナンダ。どこの誰にでも、どんな種類どんな状況でも有がなければ、つまり欲界でも形界でも無形界でも、すべての有が消滅して有がなければ、生が現れて見えることはあるでしょうか。

 「それはありません、猊下」。

 だからこれは、アーナンダ。生の原因、起源、集、縁は有です。

 アーナンダ。「有は縁、つまり取ゆえにある」というこのような言葉は私が述べた言葉です。アーナンダ。あなたは「有は縁、つまり取ゆえにある」という題目と一致する形の説明を知らなければなりません。

 アーナンダ。どこの誰にでも、どんな種類どんな状況でも、つまり欲取でも見取でも戒禁取でも、我語取でも取がなければ有が現れて見えることはあるでしょうか。

 「それはありません、猊下」。

 アーナンダ。だから有の原因、起源、集、縁は取です。


 アーナンダ。「取は、縁つまり欲ゆえにある」というこのような言葉は、私が述べた言葉です。アーナンダ。あなたは「取は縁、つまり欲ゆえにある」という題目と一致する形式の説明を知らなければなりません。

 アーナンダ。どこの誰にでも、どんな種類どんな状況でも、つまり形欲でも声欲でも香欲でも、味欲でも触欲でも法欲でも、欲がなければ取が現れて見えることはあるでしょうか。

 「それはありません、猊下」。

 アーナンダ。だから取の原因、起源、集、縁は欲です。


 アーナンダ。「欲は縁、つまり受ゆえにある」というこのような言葉は私が述べた言葉です。アーナンダ。あなたは「欲は縁、つまり受ゆえにある」という題目と一致する様式の説明を知らなければなりません。

 アーナンダ。どこの誰にでも、どんな種類どんな状況でも、つまり眼触受でも耳触受でも、鼻触受でも舌触受でも、身触受でも意触受でも、受がなければ欲が現れて見えることはあるでしょうか。

 「それはありません、猊下」。

 アーナンダ。だから欲の原因、起源、集、縁は受です。

 アーナンダ。このような様相で、

 受に依存して欲があり、

 欲に依存して探求(註1)があり、

 探求に依存して獲得があり、

 獲得に依存して愛す決意があり、

 愛す決意に依存して満足による欲情があり、

 満足による欲情に依存して惑溺があり、

 惑溺に依存して心を奪われることがあり、

 心を奪われることに依存して吝嗇があり、

 吝嗇に依存して惜しんで妨害することがあり、

 惜しんで妨害することに依存して、惜しんで妨害することから生じる話、つまり刃のない武器の使用、刃のある武器の使用、争い、奪い合い、仲違い、貴様、テメエという乱暴な物言い、告げ口、すべての嘘など、各種の罪悪であるダンマが、このように揃って生じます。このような内容は私が述べた内容です。

註1: ここでの探求とは、欲による探求を意味し、明による探求、あるいは如実智見による探求ではありません。

 アーナンダ。あなたは「刃のない武器の使用、刃のある武器の使用、争い、奪い合い、仲違い、貴様、テメエという乱暴な物言い、告げ口、すべての嘘など、各種の罪悪であるダンマは、当然惜しんで妨害することから生じる話によってに生じる」という題目と一致する説明を知らなければなりません。

 アーナンダ。どこの誰にでも、どんな種類どんな状況でも、惜しんで妨害することが消滅して惜しんで妨害することがなければ、刃のない武器の使用、刃のある武器の使用、争い、奪い合い、仲違い、貴様、テメエという乱暴な言葉使い、告げ口、すべての嘘など、各種の罪悪であるダンマが現れて見えることはあるでしょうか。

 「それはありません、猊下」。

 アーナンダ。だから刃のない武器の使用、刃のある武器の使用、争い、奪い合い、仲違い、貴様、テメエという乱暴な言葉使い、告げ口、すべての嘘など、各種の罪悪であるダンマが揃って生じることの原因、起源、集、縁は惜しんで妨害することです。

 アーナンダ。「吝嗇に依存して、惜しんで妨害することある」というこのような言葉は私が述べた言葉です。アーナンダ。あなたは「吝嗇に依存して、惜しんで妨害することがある」という題目と一致する説明を知らなければなりません。

 アーナンダ。どこの誰にでも、どんな種類どんな状況でも、吝嗇がすべて消滅したことで吝嗇がなければ、惜しんで妨害することが現れて見えることはあるでしょうか。

 「それはありません、猊下」。

 アーナンダ。だから惜しんで妨害することの原因、起源、集、縁は吝嗇です。

 アーナンダ。「心を奪われることによって吝嗇がある」というこのような言葉は私が述べた言葉です。アーナンダ。あなたは「心を奪われることによって吝嗇がある」という題目と一致する形の説明を知らなければなりません。

 アーナンダ。どこの誰にでも、どんな種類どんな状況でも、心を奪われることがすべて消滅して心を奪われることがなければ、吝嗇が現れて見えることはあるでしょうか。

 「それはありません、猊下」。

 アーナンダ。だから吝嗇の原因、起源、集、縁は心を奪われることです。

 アーナンダ。「陶酔に依存して心を奪われることがある」というこのような言葉は私が述べた言葉です。アーナンダ。あなたは「陶酔に依存して心を奪われることがある」という題目と一致する説明を知らなければなりません。

 アーナンダ。どこの誰にでも、どんな種類どんな状況でも、陶酔がすべて消滅して陶酔することがなければ、心が奪われることが現れて見えることはあるでしょうか。

 「それはありません、猊下」。

 アーナンダ。だから心を奪われることの原因、起源、集、縁は平伏して陶酔することです。

 アーナンダ。「満足による欲情に依存して陶酔がある」というこのような言葉は、私が述べた言葉です。アーナンダ。あなたは「満足による欲情に依存して陶酔がある」という題目と一致する説明を知らなければなりません。

 アーナンダ。どこの誰にでも、どんな種類どんな状況でも、欲情がすべて消滅して欲情することがなければ、陶酔が現れて見えることはあるでしょうか。

 「それはありません、猊下」。

 アーナンダ。だから陶酔の原因、起源、集、縁は欲情です。

 アーナンダ。「愛す決意に依存して満足による欲情がある」というこのような言葉は私が述べた言葉です。アーナンダ。あなたは「愛す決意に依存して満足による欲情がある」という題目と一致する説明を知らなければなりません。

 アーナンダ。どこの誰にでもどんな種類、どんな状況でも、愛すことがすべて消滅して愛す決意をすることがなければ、欲情が現れて見えることはあるでしょうか。

 「それはありません、猊下」。

 アーナンダ。だから欲情することの原因、起源、集、縁は愛すことです。

 アーナンダ。「得ることに依存して愛す決意がある」というこのような言葉は私が述べた言葉です。アーナンダ。あなたは「得ることに依存して愛すことがある」という題目と一致する説明を知らなければなりません。

 アーナンダ。どこの誰にでも、どんな種類どんな状況でも、獲得がすべて消滅して獲得がなければ、愛す決意が現れて見えることはあるでしょうか。

 「それはありません、猊下」。

 アーナンダ。だから愛すことの原因、起源、集、縁は得ることです。

 アーナンダ。「探求に依存して獲得がある」というこのような言葉は私が述べた言葉です。アーナンダ。あなたは「探求に依存して獲得がある」という題目と一致する説明を知らなければなりません。

 アーナンダ。どこの誰にでも、どんな種類どんな状況でも、探求がすべて消滅して探求することがなければ、獲得が現れて見えることはあるでしょうか。

 「それはありません、猊下」。

 アーナンダ。だから得ることの原因、起源、集、縁は探求です。

 アーナンダ。「欲に依存して探求がある」というこのような言葉は私が述べた言葉です。アーナンダ。あなたは「欲に依存して探求がある」という題目と一致する説明を知らなければなりません。

 アーナンダ。どこの誰にでも、どんな種類どんな状況でも、つまり愛欲・有欲・無有欲がなければ、探求が現れて見えることはあるでしょうか。

 「それはありません、猊下」。

 アーナンダ。だから探求する原因、起源、集、縁は欲です。

 アーナンダ。このような状況から、この二つのダンマ(註2)は同じ受に原因があるダンマなので、二つの欲を生じさせる根源と言うことができます。

註2: ここでの二つのダンマとは、「受が縁で欲がある」というのが一つ、もう一つは「感情または感情の陶酔を探求する義務がある欲」です。

 アーナンダ。「触が縁で受がある」というこのような言葉は私が述べた言葉です。アーナンダ。あなたは「触が縁で受がある」という題目と一致する様式の説明を知らなければなりません。

 アーナンダ。どこの誰にでも、どんな種類どんな状況でも、つまり眼触、耳触、鼻触、舌触、身触、意触がなければ、受が現れて見えることはあるでしょうか。

 「それはありません、猊下」。

 アーナンダ。だから受の原因、起源、集、縁は触です。

 アーナンダ。「名形が縁で触がある」というこのような言葉は私が述べた言葉です。アーナンダ。あなたは「名形が縁で触がある(註3)」という題目と一致する説明を知らなければなりません。

註3: 名形-識で終わる形の縁起は、行と無明まで行かないと観察しなければなりません。この経では、他の経のように六処はありません。

 アーナンダ。名の群れを規定することは、当然基礎であるリンガ(相)、ニミッタ(相)、ウッデーサ(説明)の状態に依存することであります。これらのリンガ、ニミッタ、ウッデーサの状態がなければ、形身に関わる場合の名前を呼ぶことで触が現れて見えるでしょうか。

 「それはありません、猊下」。

 アーナンダ。形の群れを規定することは、当然基本としてリンガ、ニミッタ、ウッデーサの状態に依存して生じ、すべての状態、リンガ、ニミッタ、ウッデーサの状態がなければ、形身に関わる刺激による触が、現れて見えるでしょうか。

 「それはありません。猊下」。

 アーナンダ。形の群れでも、名の群れでも規定することは当然基本としてリンガ、ニミッタ、ウッデーサに依存して生じます。それらの状態、リンガ、ニミッタ、ウッデーサの状態がなければ、名を呼ぶことの触でも、触れることの触でも、現れて見えるでしょうか。

 「それはありません。猊下」。

 アーナンダ。名形を規定することは、当然基本としてリンガ、ニミッタ、ウッデーサに依存して生じます。リンガ、ニミッタ、ウッデーサの状態がなければ、触が現れて見えるでしょうか。

 「それはありません。猊下」。

 アーナンダ。だから触の原因、起源、集、縁は名形です。

 アーナンダ。「識が縁で名形がある」というこのような言葉は私が述べた言葉です。アーナンダ。あなたは「識が縁で名形がある」という題目と一致する説明を知らなければなりません。アーナンダ。識が母の胎内に下りて行かなければ(註4)、母の胎内で名形が作られることがあるでしょうか。

 「それはありません、猊下」。

 アーナンダ。識が母の胎内に下りて行かなければ、崩壊してしまえば、このようになるために名形が生じるでしょうか。

 「それはありません。猊下」。

 アーナンダ。息子でも娘でも、赤ん坊に識がなければ、名形は発育、成長、発展するでしょうか。

 「それはありません、猊下」。

 アーナンダ。だから名形の原因、起源、集、縁は識です。

 アーナンダ。「名形が縁で識がある」というこのような言葉は私が述べた言葉です。アーナンダ。あなたは「名形が縁で識がある」という題目と一致する説明を知らなければなりません。

 アーナンダ。識が、名形に住む場所がなければ、苦、つまりその後生老死が揃って生じることが現れて見えるでしょうか。

 「それはありません、猊下」。

 アーナンダ。だから識の原因、起源、集、縁は名形です。

 アーナンダ。これだけの理由で世界の動物は生まれたり、老いたり、死んだり、移動したり、発生したりします。呼ぶこと(名前をつけて規定する)の流れはこれだけ、話すことの流れもこれだけ、規定の流れもこれだけ、智慧で知らなければならないこともこれだけ、輪廻もこれだけです。名形と識はこのようであると規定するためにあります。

註4: これはヒト語、あるいは道徳の言葉での縁起の状態がありますが、これは例えにすぎず、例えとしてのダンマ語の話と見なすことができます。でなければ道徳だけの話と見なします。





三界は縁起が生起する基盤

アーナンダに
小部ティカニパータ 20巻287頁516項

 「猊下。有(三界のこと)、有という言葉は、当然どれほどの理由であるのですか」。

 アーナンダ。報いとしてカーマダートゥ(欲界)があるカンマがなければ、欲界は現れて見えるでしょか。

 「それはありません。猊下」。

 アーナンダ。だからカンマは田と呼ばれ、識は種と呼ばれ、欲は種の樹液と呼ばれます。無明があるすべての動物の識が遮る物であり、欲が繋ぐ物であり、このように低い界を維持していれば、次の界(有)に生まれることは当然このようにあります。

 アーナンダ。報いとしてルーパダートゥ(形界)があるカンマがなければ、形界が現れて見えることはあるでしょうか。

 「それはありません、猊下」。

 アーナンダ。カンマは田と呼ばれ、識は種と呼ばれ、欲は種の樹液と呼ばれます。無明がある動物の識が遮る物であり、欲が繋ぐ物であり、このように中程度の界を維持していれば、その後新しい界に生まれることは当然このような様相であります。

 アーナンダ。報いとしてアルーパダートゥ(無形界)があるカンマがなければ、無形界が現れて見えることはあるでしょうか。

 「それはありません、猊下」。

 アーナンダ。カンマは田と呼ばれ、識は種と呼ばれ、欲は種の樹液と呼ばれます。無明がある動物の識が遮る物であり、欲が繋ぐ物であり、このように緻密な界を維持していれば、その後新しい界に生まれることは当然このような様相であります。アーナンダ。有は当然このような様相であります。

 ※

(以下は、同じ教えである別の経:増支部ティカニパータ 20巻288頁517項の内容です)。

 「猊下。有という言葉は、当然どれほどの理由であるのですか」。

 アーナンダ。報いとして欲界があるカンマがなければ、欲界は現れるでしょか。

 「それはありません。猊下」。

 アーナンダ。だからカンマは田と呼ばれ、識は種と呼ばれ、欲は種の樹液と呼ばれます。遮る物である無明があるすべての動物の意図でも願いでも、このように低い界を維持していれば、次の有に生まれることは当然このようにあります。

 アーナンダ。報いとして形界があるカンマがなければ、形界が現れて見えることはあるでしょうか。

 「それはありません、猊下」。

 アーナンダ。だからカンマは田と呼ばれ、識は種と呼ばれ、欲は種の樹液と呼ばれます。無明があるすべての動物の意図でも願いでも、それが遮る物としてあり、欲が繋ぐ物としてあり、このように中程度の界で維持していれば、その後新しい界に生まれることが当然このような様相であります。

 アーナンダ。報いとして無形界があるカンマがなければ、無形界が現れて見えることはあるでしょうか。

 「それはありません、猊下」。

 アーナンダ。だからカンマは田と呼ばれ、識は種と呼ばれ、欲は種の樹液と呼ばれます。無明がある動物の意図でも願いでも、それが遮る物としてあり、欲が繋ぐ物としてあり、このように緻密な界を維持していれば、その後新しい界に生まれることは当然このような様相であります。

 アーナンダ。その後の有は当然このような様相であります。アーナンダ。有は当然このような様相であります。

註: 学習者は、ここでの「次の界の発生」は無明と欲望がある動物の取の威力で界または有が生じる、という意味と観察して見なければなりません。

 それぞれの縁起の流れは欲界になったり、形界になったり、無形界になったりと、欲望の感情によって違いがあります。だからまだ三つの界があれば、どれか一つだけでも、その縁起の流れの中に新しい有が生じることで、続きがあります。




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