アーランマナチェタナ・パカッパナ・アヌサヤで始まる縁起

祇園精舎で
相応部ニダーナヴァッガ 16巻79頁147項

 比丘のみなさん。人が当然何かを考え、当然何かを思い、当然何かに心を埋めれば、それは当然識が存在する感情でであり、感情があれば当然識の開始があり、識が開始して成長すれば当然名形に進むことがあります。

 名形が縁で六処があり、

 六処が縁で触があり、

 触が縁で受があり、

 受が縁で欲があり、

 欲が縁で取があり、

 取が縁で有があり、

 有が縁で生があり、

 生が縁で老死・悲しみ・嘆き・苦・憂い・すべての悩みが揃って生じます。すべての苦の発生はこのような様相であります。



 比丘のみなさん。人が当然何かを考えず、当然何かを思いませんが、当然何かに心を埋めれば、それは当然、識が開始する感情であり、感情があれば識の開始が当然あり、その識が開始して成長すれば、名形に進むことが当然あります。

 名形が縁で六処があり、

 六処が縁で触があり、

 触が縁で受があり、

 受が縁で欲があり、

 欲が縁で取があり、

 取が縁で有があり、

 有が縁で生があり、

 生が縁で老死・悲しみ・嘆き・苦・憂い・すべての悩みが揃って生じます。すべての苦の発生は、当然このような様相であります。



 比丘のみなさん。人が当然何かについて考えず、当然何かを思わず、当然何かに心を埋めなければ、それは当然、識が開始する感情ではありません。感情がなければ、当然識の開始はありません。その識が開始せず成長しなければ、当然名形に進むことはありません。

 名形が消滅することで六処が消滅し、 

 六処が消滅することで触が消滅し、

 触が消滅することで受が消滅し、

 受が消滅することで欲が消滅し、

 欲が消滅することで取が消滅し、

 取が消滅することで有が消滅し、

 有が消滅することで生が消滅し、

 生が消滅することで老死・悲しみ・嘆き・苦・憂い・すべての悩みが揃って消滅します。すべての苦の消滅は、当然このような様相であります。





最高に簡略に話した縁起・生起形

相応部サラーヤタナヴァッガ 18巻106頁154項他

 比丘のみなさん。苦の山が揃って生じるのはどのようにでしょうか。

 目と形に依存して眼識が生じ、三つのダンマ(目+形+眼識)の会合が触です。触が縁で受が生じ、受が縁で欲が生じます。これが苦の爆発的な発生です。

 耳と声に依存して耳識が生じ、三つのダンマ(耳+声+耳識)の会合が触です。触が縁で受が生じ、受が縁で欲が生じます。これが苦の爆発的な発生です。

 鼻と臭いに依存して鼻識が生じ、三つのダンマ(鼻+臭い+鼻識)の会合が触です。触が縁で受が生じ、受が縁で欲が生じます。これが苦の爆発的発生です。

 舌と味に依存して舌識が生じ、三つのダンマ(舌+味+舌識)の会合が触です。触が縁で受が生じ、受が縁で欲が生じます。これが苦の爆発的な発生です。

 体と接触に依存して身識が生じ、三つのダンマ(体+接触+身識)の会合が触です。触が縁で受が生じ、受が縁で欲が生じます。これが苦の爆発的な発生です。

 心と想念に依存して意識が生じ、三つのダンマ(心+想念+意識)の会合が触です。触が縁で受が生じ、受が縁で欲が生じます。これが苦の爆発的な発生です。

 比丘のみなさん。これが、苦の爆発的な発生です。





最高に簡略に話した縁起・生と滅

プンノヴァーダスッタ
中部ウパリパンナーサ 18巻441頁755項

 プンナさん。願望の住処であり、欲情の基盤であり、誘惑して愛させる物であり、可愛らしく満足すべき物である、望ましい目で見る形があります。比丘がその形に夢中になり、褒めちぎって平伏せば、比丘がその形に夢中になり褒めちぎって平伏している時、当然ナンディが生じます。プンナさん。私は「苦の発生はナンディの発生によってある」と言います。

 願望の住処であり、欲情の基盤であり、誘惑して愛させる物であり、可愛らしく満足すべき物である、望ましい耳で聞くすべての声があります。比丘がその声に夢中になり、褒めちぎって平伏せば、比丘がその形に夢中になり、褒めちぎって平伏している時、当然ナンディが生じます。プンナさん。私は「苦の発生はナンディの発生によってある」と言います。

 願望の住処であり、欲情の基盤であり、誘惑して愛させる物であり、可愛らしく満足すべき物である、望ましい鼻で嗅ぐすべての臭いがあります。比丘がその臭いに夢中になり、褒めちぎって平伏せば、比丘がその臭いに夢中になり、褒めちぎって平伏している時、当然ナンディが生じます。プンナさん。私は「苦の発生はナンディの発生によってある」と言います。

 願望の住処であり、欲情の基盤であり、誘惑して愛させる物であり、可愛らしく満足すべき物である望ましい舌で味わうすべての味があります。比丘がその味に夢中になり、褒めちぎって平伏せば、比丘がその味に夢中になり、褒めちぎって平伏している時、当然ナンディが生じます。プンナさん。私は「苦の発生はナンディの発生によってある」と言います。

 願望の住処であり、欲情の基盤であり、誘惑して愛させる物であり、可愛らしく満足すべき物である望ましい体で感じるすべての接触があります。比丘がその接触に夢中になり、褒めちぎって平伏せば、比丘がその接触に夢中になり、褒めちぎって平伏している時、当然ナンディが生じます。プンナさん。私は「苦の発生はナンディの発生によってある」と言います。

 願望の住処であり、欲情の基盤であり、誘惑して愛させる物であり、可愛らしく満足すべき物である望ましい心で感じるすべての想念があります。比丘がその想念に夢中になり、褒めちぎって平伏せば、比丘がその想念に夢中になり、褒めちぎって平伏している時、当然ナンディが生じます。プンナさん。私は「苦の発生はナンディの発生によってある」と言います。



 プンナさん。願望の住処であり、欲情の基盤であり、誘惑して愛させる物であり、可愛らしく満足すべき物である望ましい目で見るすべての形があっても、比丘がその形に夢中にならず褒めちぎって平伏しなければ、比丘がその形に夢中にならず、褒めちぎって平伏していない時、当然ナンディは消滅します。プンナさん。私は「苦の消滅はナンディの消滅によってある」と言います。

 願望の住処であり、欲情の基盤であり、誘惑して愛させる物であり、可愛らしく満足すべき物である望ましい耳で聞くすべての声があっても、比丘がその声に夢中にならず褒めちぎって平伏しなければ、比丘がその形に夢中にならず、褒めちぎって平伏していない時、当然ナンディは消滅します。プンナさん。私は「苦の消滅はナンディの消滅によってある」と言います。

 願望の住処であり、欲情の基盤であり、誘惑して愛させる物であり、可愛らしく満足すべき物である望ましい鼻で嗅ぐすべての臭いがあっても、比丘がその臭いに夢中にならず褒めちぎって平伏しなければ、比丘がその臭いに夢中にならず、褒めちぎって平伏していない時、当然ナンディは消滅します。プンナさん。私は「苦の消滅はナンディの消滅によってある」と言います。

 願望の住処であり、欲情の基盤であり、誘惑して愛させる物であり、可愛らしく満足すべき物である望ましい舌で味わうすべての味があっても、比丘がその味に夢中にならず褒めちぎって平伏しなければ、比丘がその味に夢中にならず、褒めちぎって平伏していない時、ナンディは当然消滅します。プンナさん。私は「苦の消滅はナンディの消滅によってある」と言います。

 願望の住処であり、欲情の基盤であり、誘惑して愛させる物であり、可愛らしく満足すべき物である望ましい体で感じるすべての接触があっても、比丘がその接触に夢中にならず褒めちぎって平伏しなければ、比丘がその接触に夢中にならず、褒めちぎって平伏していない時、当然ナンディは消滅します。プンナさん。私は「苦の消滅はナンディの消滅によってある」と言います。

 願望の住処であり、欲情の基盤であり、誘惑して愛させる物であり、可愛らしく満足すべき物である望ましい心で感じるすべての想念があっても、比丘がその想念に夢中にならず褒めちぎって平伏しなければ、比丘がその想念に夢中にならず、褒めちぎって平伏していない時、当然ナンディは消滅します。プンナさん。私は「苦の消滅は、ナンディの消滅によってある」と言います。





四食の縁起

祇園精舎で
マハータンハーサンカヤースッタ
中部ムーラパンナーサ 12巻479頁446項

 比丘のみなさん。この四つの食べ物は何が原因で、何が生じさせる物で、何が生まれさせる物で、何が発生源でしょうか。比丘のみなさん。この四つの食べ物は、欲望が原因で、欲望が生じさせる物で、欲望が生まれさせる物で、欲望が発生源です。

 比丘のみなさん。欲望は何が原因で、何が生じさせる物で、何が生まれさせる物で、何が発生源でしょうか。比丘のみなさん。欲望は受が原因で、受が生じさせる物で、受が生まれさせる物で、受が発生源です。

 比丘のみなさん。受は何が原因で、何が生じさせる物で、何が生まれさせる物で、何が発生源でしょうか。比丘のみなさん。受は触が原因で、触が生じさせる物で、触が生まれさせる物で、触が発生源です。

 比丘のみなさん。触は何が原因で、何が生じさせる物で、何が生まれさせる物で、何が発生源でしょうか。比丘のみなさん。触は六処が原因で、六処が生じさせる物で、六処が生まれさせる物で、六処が発生源です。

 比丘のみなさん。六処は何が原因で、何が生じさせる物で、何が生まれさせる物で、何が発生源でしょうか。比丘のみなさん。六処は名形が原因で、名形が生じさせる物で、名形が生まれさせる物で、名形が発生源です。

 比丘のみなさん。名形は何が原因で、何が生じさせる物で、何が生まれさせる物で、何が発生源でしょうか。比丘のみなさん。名形は識が原因で、識が生じさせる物で、識が生まれさせる物で、識が発生源です。

 比丘のみなさん。識は何が原因で、何が生じさせる物で、何が生まれさせる物で、何が発生源でしょうか。比丘のみなさん。識は行が原因で、行が生じさせる物で、行が生まれさせる物で、行が発生源です。

 比丘のみなさん。すべての行は何が原因で、何が生じさせる物で、何が生まれさせる物で、何が発生源でしょうか。比丘のみなさん。すべての行は無明が原因で、無明が生じさせる物で、無明が生まれさせる物で、無明が発生源です。




動物と、生まれる場所を探している動物のための四食の縁起

祇園精舎で
相応部ニダーナヴァッガ 16巻14頁28項

 比丘のみなさん。これら四つの食べ物は当然すべての動物が生存するため、あるいはすべての生まれる場所を探している動物を支援するためにあります。四食はどのようでしょうか。四種類とは、①下等でも上等でも段食(ご飯)、②触、③意、④識です。比丘のみなさん。これらの食べ物は、当然すべての動物が維持するため、あるいは生まれる場所を探しているすべての動物を支援するためにあります。

 比丘のみなさん。これらの食べ物は何が原因で、何が生じさせる物で、何が生まれさせる物で、何が発生源でしょうか。比丘のみなさん。この四食は欲望が原因で、欲望が生じさせる物で、欲望が生まれさせる物で、欲望が発生源です。

 比丘のみなさん。欲は何が原因で、何が生じさせる物で、何が生まれさせる物で、何が発生源でしょうか。比丘のみなさん。欲は受が原因で、受が生じさせる物で、受が生まれさせる物で、受が発生源です。

 比丘のみなさん。受は何が原因で、何が生じさせる物で、何が生まれさせる物で、何が発生源でしょうか。比丘のみなさん。受は触が原因で、触が生じさせる物で、触が生まれさせる物で、触が発生源です。

 比丘のみなさん。触は何が原因で、何が生じさせる物で、何が生まれさせる物で、何が発生源でしょうか。比丘のみなさん。触は六処が原因で、六処が生じさせる物で、六処が生まれさせる物で、六処発生源です。

 比丘のみなさん。六処は何が原因で、何が生じさせる物で、何が生まれさせる物で、何が発生源でしょうか。比丘のみなさん。六処は名形が原因で、名形が生じさせる物で、名形が生まれさせる物で、名形が発生源です。

 比丘のみなさん。名形は何が原因で、何が生じさせる物で、何が生まれさせる物で、何が発生源でしょうか。比丘のみなさん。名形は識が原因で、識が生じさせる物で、識が生まれさせる物で、識が発生源です。

 比丘のみなさん。識は何が原因で、何が生じさせる物で、何が生まれさせる物で、何が発生源でしょうか。比丘のみなさん。識は行が原因で、行が生じさせる物で、行が生まれさせる物で、行が発生源です。

 比丘のみなさん。行は何が原因で、何が生じさせる物で、何が生まれさせる物で、何が発生源でしょうか。比丘のみなさん。行は無明が原因で、無明が生じさせる物で、無明が生まれさせる物で、無明が発生源です。

 比丘のみなさん。このように無明が縁ですべての行があり、行が縁で識があり、識が縁で名形があり、名形が縁で六処があり、六処が縁で触があり、触が縁で受があり、受が縁で欲があり、欲が縁で取があり、取が縁で有があり、有が縁で生があり、生が縁で老死・悲しみ・嘆き・苦・憂い・すべての悩みが一つ残らず生じます。すべての苦の群れの発生は当然このような形であります。

 無明が残らず消滅することですべての行が消滅し、行が消滅することで識が消滅し、識が消滅することで名形が消滅し、名形が消滅することで触が消滅し、触が消滅することで受が消滅し、受が消滅することで取が消滅し、取が消滅することで欲が消滅し、欲が消滅することで有が消滅し、有が消滅することで生が消滅し、生が消滅することで老死・悲しみ・嘆き・苦・憂い・すべての悩みが消滅。苦の山のすべての消滅は当然このようにしてあります。

註: 同じ食べ物の話でマハータンハーサンカヤースッタ:中部ムーラパンナーサ 12巻479頁446項は、最後の分部に別の話を挿入し、それから滅型の縁起を話されています。





悪死の縁起

増支部ティカニパータ 20巻335頁549項

 長者さん。心が護られなければ身業・口業・意業も護られず、

 身業・口業・意業が護られなければ身業・口業・意業も濡れ、

 身業・口業・意業が濡れれば身業・口業・意業も腐り、

 身業・口業・意業が腐れば、美しくない死、綺麗でない死があります。

 葺き方が悪い尖った屋根の家は当然屋根が保護されず、屋根の骨組みも保護されず、家の壁も保護されません。そのようなら棟木も濡れ、屋根の骨組みも濡れ、家の壁も濡れ、棟木も腐り、屋根の骨組みも腐るのと同じです。

 (この後は、反対の心について話されています。学習者は、すべての流れ全体を反対の意味、つまり維持されている、濡れていない、美しい死の身業・口業・意業で知らなければなりません)。





人間の弱さの縁起

増支部チャトゥカニパータ 21巻98頁70項

 比丘のみなさん。すべての王が公正な態度を維持しない時代はすべての役人も公正な態度を維持せず、

 すべての役人が公正な態度を維持しなければすべてのバラモンと長者も公正な態度を維持せず、

 すべての役人とバラモンと長者が公正な態度を維持しなければすべての町の人と田舎の人も公正な態度を維持しません。

 すべての町の人と田舎の人が公正でなければ、月と太陽の循環も不規則になり、

 月と太陽の循環が不規則になれば、星座とすべての星の循環も不規則になり、

 星座とすべての星の循環が不規則になれば、夜と昼の循環も不規則になり、

 夜と昼の循環が不規則なら、月と旬の循環も不規則になり、

 月と旬の循環が不規則ならば、季節と年の循環も不規則になり、

 季節と年の循環が不規則になれば、各種の風も不規則になり、

 各種の風が不規則に吹けば、正常な風の秩序も変わり、 

 正常な風の規則が変化すれば、すべての天人も四散し、

 すべての天人が混乱すれば、雨も適度に降らず、

 雨が適度に降らなければ、すべての穀物も平均して熟しません。

 比丘のみなさん。すべての人間が熟していない穀物を食べると寿命が短くなり、皮膚の異常、衰弱、そして病気が多くなります。



 比丘のみなさん。すべての王が公正な態度を維持している時代は、すべての役人も公正な態度を維持し、

 すべての役人が公正な態度を維持すればすべてのバラモンと長者も公正な態度を維持し、

 すべての役人とバラモンと長者が公正な態度を維持すれば、すべての町の人と田舎の人も公正な態度を維持します。

 すべての町の人と田舎の人が公正な態度を維持すれば月と太陽の循環も安定し、

 月と太陽の循環が安定すれば、星座とすべての星の循環も安定し、

 星座とすべての星の循環が安定すれば、夜と昼も安定し、 

 夜と昼が一定ならば、月と旬も一定で、

 月と旬が一定ならば、季節と年も一定で、

 季節と年が安定すれば、各種の風も安定し、

 各種の風が規則的に吹けば、正常な風の秩序があり、

 正しい風の規則があれば、すべての天人も四散せず、

 すべての天人が四散しなければ、雨も適度に降り、

 雨が適度に降れば、すべての穀物も安定して熟します。

 比丘のみなさん。すべての人間が良く熟した穀物を食べれば寿命が長くなり、皮膚に艶があり、丈夫でそして病気が少なくなります。





ミガサンジサッタンタラカッパの縁起

マガタ地方で
チャッカヴァティスッタ
長部パーティヴァッガ 11巻70頁39項

 比丘のみなさん。(煩悩の望みと人間の暮らし振りの例えで、世尊が人間の寿命が八万年あったと言われる時代の、支配階級であった)王は保護と支援になる行動をするだけで、すべての財産のない人に財産を生じさせる行動にならなかったので、貧困が著しく増大しました。

 貧困が著しく拡大したので窃盗も最高に増大し、窃盗が著しく広がったのでいろんな方法による武器の使用も最高に盛んになり、いろんな方法の武器の使用が著しく盛んになったので殺生も最高に盛んになり、殺生が最高に盛んになったので虚言(不正や欺瞞)も著しく盛んになり、(この時代に人間の寿命は、四万年まで減少しました)

 虚言が著しく盛んになったので(集団の団結を破壊し仲違いさせるための)告げ口も最高に盛んになり、(この時代に人間の寿命は二万年まで減少しました)

 告げ口が最高に盛んになったので邪淫(間男をする。他人が愛しているものを犯す)も最高に盛んになり、(この時代に人間の寿命は一万年に減少しました)

 邪淫が最高に盛んになったので乱暴な言葉と愉しみのために際限なく話すことも最高に盛んになり、(この時代に人間の寿命は五千年に減少しました)

 乱暴な言葉と饒舌が最高に旺盛になったので貪りと復讐心も著しく旺盛になり、(この時代に人間の寿命は二千五百年から二千年に減少しました)

 貪りと復讐心が著しく盛んになったので誤った見解も最高に盛んになり、(この時代に人間の寿命は千年に減少しました)

 邪見が最高に盛んになったので、三つの悪、つまりダンマでない喜び、際限ない貪り、煩悩の威力による振る舞いも最高に盛んになり、(この時代に人間の寿命は五百年に減少しました)

 三つの悪、つまりダンマでない喜び、際限ない貪り、煩悩の威力による振る舞いが最高に盛んになったので、すべての悪、つまり両親、サマナ・バラモンに対して正しい行動をしないことと目上の人を敬わないことも最高になり、(この時代に人間の寿命は二百五十年、二百年、百年と減少しました)

 その後人間の寿命がたった十年になる時代になり(言われているようないろんな物の退廃があり)、五歳の女にも男があり、五つの味、つまり透明なバター、濃いバター、油、蜂蜜、サトウキビの味、そして塩味も現れず、

 すべての人間は米の代わりにクダルサカ(一般にイワヒバ科の一種と訳されている)という草を食べ、善は跡形もなく消えて、悪が最高に盛んになり、人間集団に善という言葉がないので善を行うこともなく、

 その時代の人間は、現代の人間がしているように母を敬って援けること、父を敬って援けること、サマナを敬って援けること、そしてバラモンを敬って援けることを称賛せず、

 「母さん、叔父さん、叔母さん、父さん、伯母さん、伯父さん、小父さん、先生、先生の奥さん」という言葉もなく、世界の動物は羊や山羊、鶏、豚、犬、狐のように(目上も目下もなく)混じり合い、母と子、子と母、父と子、子と父、兄弟同士も、猟師が鹿に感じるような敵意、復讐、加害心、殺意を強く抱きます。

 その時代には七日間サッタンタラカッパ(休まず武器を使用すること)があり、それらの動物はすべてお互いを鹿(獲物)のように考え、手に手に武器を持って魚や鹿を殺すように互いの命を奪い合います。

 (恐怖で武器の使用に加わらない多くの人間は、七日間身を隠せる場所に隠れていて、それから戻って来て「助かって良かった」と抱き合って喜び、そして新たにダンマの行動を始めることで合意し、その後人間の命は五十年まで伸び、段々に再び八万年まで伸び、メッテヤヤサンマーサンブッダの仏教の時代になります)。





六つの感情を得ることの縁起

祇園精舎で
相応部ニダーナヴァッガ 16巻175頁344項

 比丘のみなさん。

 いろんな種類のダートゥに依存していろんな考えが生じ、

 いろんな種類の想に依存していろんな触が生じ、

 いろんな種類の触に依存していろんな受が生じ、

 いろんな種類の受に依存していろんな満足が生じ、

 いろんな種類の満足に依存していろんな焦燥が生じ、

 いろんな種類の焦燥に依存していろんな探求が生じ、

 いろんな種類の探求に依存していろんな獲得が生じます。

 比丘のみなさん。いろんな種類のダートゥはどのようでしょうか。いろんな種類のダートゥとは、形・声・香・味・触・考えです。比丘のみなさん。私はこれをいろんな種類のダートゥと言います。

 比丘のみなさん。どのようにいろんなダートゥに依存していろんな想が生じ、いろんな想に依存していろんな考えが生じ、いろんな考えに依存していろんな触が生じ、いろんな触に依存していろんな受が生じ、いろんな受に依存していろんな満足が生じ、いろんな満足に依存していろんな焦燥が生じ、いろんな焦燥に依存していろんな探求が生じ、いろんな探求に依存していろんな獲得が生じるのでしょうか。

 比丘のみなさん。形に依存して形想が生じ、形想に依存して形思が生じ、形思に依存して形触が生じ、形触に依存して形触受が生じ、形触受に依存して形満足が生じ、形満足に依存して形焦燥が生じ、形焦燥に依存して形探求が生じ、形探求に依存して形獲得が生じます。

 比丘のみなさん。声に依存して声想が生じ、声想に依存して声思が生じ、声思に依存して声触が生じ、声触に依存して声触受が生じ、声触受に依存して声満足が生じ、声満足に依存して声焦燥が生じ、声焦燥に依存して声探求が生じ、声探求に依存して声獲得が生じます。

 比丘のみなさん。臭いに依存して香想が生じ、香想に依存して香思が生じ、香思に依存して香触が生じ、香触に依存して香触受が生じ、香触受に依存して香満足が生じ、香満足に依存して香焦燥が生じ、香焦燥に依存して香探求が生じ、香探求に依存して香獲得が生じます。

 比丘のみなさん。味に依存して味想が生じ、味想に依存して味思が生じ、味思に依存して味触が生じ、味触に依存して味触受が生じ、味触受に依存して味満足が生じ、味満足に依存して味焦燥が生じ、味焦燥に依存して味探求が生じ、味探求に依存して味獲得が生じます。

 比丘のみなさん。接触に依存して接触想が生じ、接触想に依存して接触思が生じ、接触思に依存して接触触が生じ、接触触に依存して接触触受が生じ、接触触受に依存して接触満足が生じ、接触満足に依存して接触焦燥が生じ、接触焦燥に依存して接触探求が生じ、接触探求に依存して接触獲得が生じます。

 比丘のみなさん。考えに依存して法想が生じ、法想に依存して法思が生じ、法思に依存して法触が生じ、法触に依存して法触受が生じ、法触受に依存して法満足が生じ、法満足に依存して法焦燥が生じ、法焦燥に依存して法探求が生じ、法探求に依存して法獲得が生じます。

 比丘のみなさん。いろんなダートゥに依存していろんな想が生じ、いろんな想に依存していろんな考えが生じ、いろんな考えに依存していろんな触が生じ、いろんな触に依存していろんな受が生じ、いろんな受に依存していろんな満足が生じ、いろんな満足に依存して、いろんな焦燥が生じ、いろんな焦燥に依存して、いろんな探求が生じ、いろんな探求に依存していろんな獲得が生じる(と私が言う)のはこのようです。

(別の経は上の経と同じ形態ですが、概略で話しています。つまりいろんな触受といろんな受、そして最後のいろんな獲得を除外し、パリイェサナナーナッタだけ話されています。相応部ニダーナヴァッガ 16巻173頁344項)





三門(身・口・意)の間違った実践の縁起

祇園精舎で
相応部ニダーナヴァッガ 16巻181頁355項

 比丘のみなさん。愛欲の考え(カーマヴィタッカ)は原因があるダンマであり、原因のないダンマではありません。比丘のみなさん。これはどのようでしょうか。

 比丘のみなさん。愛欲のダートゥ(愛欲の感覚の基盤であるダートゥ)に依存して愛欲想(愛欲の期待)が生じ、愛欲想に依存して、愛欲の考えが生じ、愛欲の考えに依存して愛欲の満足が生じ、愛欲の満足に依存して愛欲の焦燥が生じ、愛欲の焦燥に依存して、愛欲の探求が生じます。

 比丘のみなさん。聞いたことがない凡夫が愛欲を探求すると、当然三つの条件、つまり体と言葉と心での間違った実践になります。

 比丘のみなさん。復讐の考えは原因があるダンマであり、原因のないダンマではありません。比丘のみなさん。これはどのようでしょうか。

 比丘のみなさん。復讐のダートゥに依存して復讐想が生じ、復讐想に依存して、復讐の考えが生じ、復讐の考えに依存して復讐の満足が生じ、復讐の満足に依存して復讐の焦燥が生じ、復讐の焦燥に依存して復讐の探求が生じます。

 比丘のみなさん。聞いたことがない凡夫が復讐を探求すると、当然三つ、つまり体と言葉と心での間違った実践になります。

 比丘のみなさん。加害の考えは原因があるダンマであり、原因のないダンマではありません。比丘のみなさん。これはどのようでしょうか。

 比丘のみなさん。加害のダートゥに依存して加害想が生じ、加害想に依存して加害の考えが生じ、加害の考えに依存して加害の満足が生じ、加害の満足に依存して加害の焦燥が生じ、加害の焦燥に依存して加害の探求が生じます。

 比丘のみなさん。聞いたことがない凡夫が加害を探求すると、当然三つの条件、つまり体と言葉と心での間違った実践になります。





身・口・意で正しい実践の縁起

祇園精舎で
相応部ニダーナヴァッガ 16巻182頁358項

 比丘のみなさん。愛欲から出る考えは原因があるダンマであり、原因のないダンマではありません。比丘のみなさん。これはどのようでしょうか。

 比丘のみなさん。離欲のダートゥに依存して離欲想が生じ、離欲想に依存して、離欲の考えが生じ、離欲の考えに依存して離欲の満足が生じ、離欲の満足に依存して離欲の焦燥が生じ、離欲の焦燥に依存して離欲の探求が生じます。

 比丘のみなさん。聞いたことがある聖なる弟子が離欲を探求すると、当然三つの条件、つまり体と言葉と心での正しい実践になります。

 比丘のみなさん。復讐しないことのダートゥに依存して不復讐想が生じ、不復讐想に依存して、復讐しない考えが生じ、復讐しない考えに依存して復讐しない満足が生じ、復讐しない満足に依存して復讐しない焦燥が生じ、復讐しない焦燥に依存して復讐しない探求が生じます。

 比丘のみなさん。聞いたことがある聖なる弟子が離欲を探求すると、当然三つ、つまり体と言葉と心での正しい実践になります。

 比丘のみなさん。加害しないことのダートゥとに依存して不加害想が生じ、不加害想に依存して、加害しない考えが生じ、加害しない考えに依存して加害しない満足が生じ、加害しない満足に依存して加害しない焦燥が生じ、加害しない焦燥に依存して加害しない探求が生じます。

 比丘のみなさん。聞いたことがある聖なる弟子が離欲を探求すると、当然三つの条件、つまり体と言葉と心での正しい実践になります。

 (この後、アッバヤパーダヴィタカとアヴィヒンサーヴィタカについて同じように話されています)。




縁起目次へ ホームページへ 次へ