第二章

出家してから知識の探求、苦行、大悟まで







アーラーラ仙人を訪ねる

ボーディラーチャクマラスッタ・サカーラワスッタ
パーサラーシスッタ
中部マッジマパンナーサ 13巻443頁489項他

 「そのように出家して何が善かを探求し、素晴らしいもの、比類なく素晴らしいものだけを探求し、カーラーマ氏族のアーラーラ仙人を訪ねました。住まいに到着すると「アーラーラ仙人! ここのダンマとヴィナヤの梵行を実践させてください」と言いました。王子。私がそのように言うと、カーラーマ氏のアーラーラ仙人は、「そうなされ。このダンマがどのようなものか理解できた人は、間もなく素晴らしい智慧で、自分の師の教義のすべてを明らかになさるじゃろう」と答えました。

 王子。私がそのダンマを学ぶのは早く、さほど時間は掛かりませんでした。王子。私はニャーナワーダ(智論)とテーラワーダ(長老説)のどちらも、暗唱することも問答に答えることもできました。私も他の弟子たちも「私は理解している」と、このように宣言することができました。

 王子、私に「カーラーマ氏のアーラーラ仙人が、私のことを素晴らしい智慧でダンマを明らかにしたと他人に明言したのだから、カーラーマ氏のアーラーラ仙人が知っているダンマ、見ているダンマはこれに違いない」という考えが生じました。

 王子。その時私は、カーラーマ氏のアーラーラ仙人の住まいを訪ねて、「カーラーマ仙人。あなたはこのダンマを素晴らしい智慧で明らかになさって、それをどれだけ開示できるのですか」と、このように尋ねると、カーラーマ氏のアーラーラ仙人は無所有処を開示して教えました。

 王子。私に「信仰、精進、サティ、サマーディ、智慧はカーラーマ氏のアーラーラ仙人だけのものではない。私の信仰、精進、サティ、サマーディ、智慧もある。いずれにしても何としてもアーラーラ仙人が開示したダンマを明かにし、素晴らしい智慧で到達し、そして常にその感覚の中にいると言えるように努力しなければならない」という考えが生じました。

 王子。それから間もなく、素晴らしい智慧でダンマを明らかに理解するに至りました。王子、私はカーラーマ氏のアーラーラ仙人の住まいを尋ね、「あなたが素晴らしい智慧で明らかにされ、他人に開示されたのはこれだけですか」と尋ねました。

 「これだけじゃ。私が素晴らしい智慧で到達し、他人に開示しているのは」。

 「カーラーマ仙人。私もそれだけすべてを明らかにしました」。

 王子。カーラーマ氏のアーラーラ仙人が私に言いました。「私は幸運じゃ。そなたのように素晴らしい智慧で明らかにできれば、みんなと一緒に無駄に労力を費やす必要はない。私が明らかにしたダンマは、そなたが明らかにしたダンマと同じものじゃ。私が知ったダンマはそなたが知ったダンマで、そなたが知ったダンマは、私が知ったダンマじゃ。私はそなたと同じで、そなたは私と同じ。さあ、これから二人で力を合わせて、この教団を維持していこう」。

 王子。私の師であるカーラーマ氏のアーラーラ仙人は、弟子である私を対等に扱い、非常な敬意で私を尊敬させました。(私が師と対等に扱われ、最高に尊重されていた時)、私に「このダンマは倦怠のため、欲情の弛緩のため、鎮まるため、最高に知るため、悟り、涅槃のためにならず、無所有処界(註1)になるためだけだ」という考えが生じました。王子。七つのサマーパティ(註2)の害が見えた時、如行(ブッダの一人称。そのように行ったという意味。漢訳は如行)はそのダンマに満足せず離れていきました。

註1: 無所有処界とは無形梵天の三番目。

註2: ここでの七つのサマーパティとは、四つの形禅定と、三つの無形禅定のこと。





ウダカ仙人を訪ねる 

ボーディラーチャクマラスッタ
中部マッジマパンナーサ 13巻446頁490項

 王子。私は何が善かを探求し、それ以上の物がない、平安な類の最高に素晴らしい物だけを探して、ラーマの子であるウダカ仙人の住まいを訪ね「ラーマさん。私はこちらのダンマヴィナヤの梵行を実践したいです」と言いました。王子、私がこのように言うと、ラーマの子、ウダカ仙人は「そうなされ。ここのダンマはこのようだが、これを理解できれば間もなく素晴らしい智慧で自分の師の教義をすべて明らかにできましょう」と答えました。

 王子。私がそのダンマを習得するのは早く、王子。間もなく私はニャーナワーダ(智論)とテーラワーダ(長老説)のどちらも暗唱することも問答に答えることもできました。更に私も他の弟子たちも、自分はこのように理解していると宣言することができました。

 王子。私に「ラーマの子、ウダカ仙人が、私のことを素晴らしい智慧でダンマを明らかにしたと他人に公開したのは、信頼だけでそう見ているのではあるまい。ラーマプッタのウダカ仙人は、このようにダンマを見て、このように理解しているに違いない」という考えが生じました。

 王子。その時私はラーマの子、ウダカ仙人の住まいを訪ねて、「ラーマ仙人、あなたはこのダンマを素晴らしい智慧で明らかになさって、それをどれだけ公開できるのですか」と尋ねると、ラーマプッタのウダカ仙人は非想非非想処を開示して教えました。

 王子。私に「信仰、精進、サティ、サマーディ、智慧はラーマプッタ、ウダカ仙人だけのものではない。私の信仰、精進、サティ、サマーディ、智慧もある。いずれにしてもウダカ仙人が開示したダンマを明らかにし、素晴らしい智慧で到達したと言えるまで努力しなければならない」という考えが生じました。王子。それから間もなく、私は素晴らしい智慧でダンマを明らかに理解しました。

 王子、私はラーマプッタであるウダカ仙人の住まいを尋ね、「あなたが素晴らしい智慧で明らかになさり、開示されているのはこれだけですか」と質問しました。

 「これだけじゃ。私が素晴らしい智家で到達し、人に開示しているのは」。

 「ラーマさん。私も明らかに知ることに到達しました」。

 ラーマの子であるウダカ仙人は私に、「私は幸運じゃ。あなたのように素晴らしい智慧で明らかにできれば、みんなと一緒に無駄な労力を費やす必要はない。ラーマが明らかにしたダンマは、あなたが明らかにしたダンマと同じです。ラーマが知ったダンマはあなたが知ったダンマであり、あなたが知ったダンマは、ラーマが知ったダンマです。さあ、これから二人で力を合わせて、この教団を維持していきましょう」と言いました。

 王子。私の師であるウダカ・ラーマプッタは弟子である私を師と同等に扱い、最高の敬意で私を尊敬させました。(私が師と同等に扱われ、非常に崇拝されていた時)私に「このダンマは、倦怠のため、欲望の弛緩のため、静かさのため、静寂のため、最高の知識のため、悟り、涅槃のためにならず、非想非非想処有を生じさせるためだけだ」という考えが生じました。王子。如行は(八つのサマーパティ=禅定の害が見えたので)、そのダンマに満足せず、そのダンマから離れました。

註: 八つの禅定とは、四つの形禅定と四つの無形禅定。





ウルヴェーラーセーナーニガマへ

ボーディラーチャクマラスッタ・サカーラワスッタ
パーサラーシスッタ・マハーサッチャカスッタ
中部マッジマパンナーサ 13巻448頁491項

 王子。私はラーマの子、ウダカの住まいを去ってから何が善かを探求し、至高の素晴らしいものを探してマガタ国の村々を遊行し、ウルヴェーラーセーナーニガマに至り、そこに滞在しました。そこで鬱蒼とした涼しい森と冷たく澄みきった川がある美しい場所を見つけました。

 水はゆるやかに流れ、桟橋の所は平坦で気持ちが良く、周りにはゴーチャラにする(いつも托鉢する)ための家がありました。

 王子。それを見て私は「この辺は本当に気持ちの良い場所だ。涼しい密林があり、水が非常に冷たく澄んだ川があり、桟橋の所は平坦で気持ちが良く、周囲にはゴーチャラ(牛が草を食みに行く場所。つまり餌場)もある。ここは私が精進するにふさわしい場所だ」という考えが生まれました。王子。努力するにふさわしい場所だと考え、その村に滞在しました。





アッタキラマターヌヨーガ(苦行耽溺)

大獅子吼経
中部マッジマパンナーサ 121巻155頁177項

 サーリプッタ。私は自分で実践した四つの梵行だけを知っています。タパシーヴァッタ(苦行)は、私は徹底して実践しました。ルーカヴァッタ(不快行)も徹底的に実践し、チェーグッチヴァッタ(断行)も徹底して実践し、パヴィヴィッタヴァタ(遠離行)も徹底して実践しました。

 この四つが私のタパッシーヴァッタ(苦行)です。つまり衣服を全て脱ぎ捨て行儀作法を放棄してしまい、自分の大便を手で拭う振る舞いの人で、村人から「発展した方、どうぞお立ち寄りください」と誘われても、食事の接待を受けない人と見なされ、食事の招待を受けず、献じられた食事を喜ばず、自分のために特別に作られた食事を喜ばず、招待された食事も喜びません。

 鍋にある料理、食器に盛られた料理を食べず、敷居に腰掛けて食事をせず、丸太に座って食事をせず、杵に腰掛けて食事をしません。食べる人が二人いる料理は食べず、妊婦の料理は食べず、子に乳をやっている女性の料理は食べず、男出入りのある女性の料理は食べず、大勢で作った料理は食べず、番犬が見守っている時は食べず、ハエの群れが飛んでいるのを見たら食べません。

 魚は食べず、肉も食べず、蒸留酒を飲まず、醸造酒も飲まず。籾殻を浸してある水は飲みません。一軒の家で一口食べ、二件の家で二口食べ、三件の家で三口食べ、(途中同文)、七件の家で七口食べたりしました。小さな食器一皿だけで身を養い、小さな食器二皿だけで身を養い、(途中同文)、小さな食器七皿で身を養いました。作って一日たった料理を食べ、二日たった料理を食べ、(途中同文)、七日たった料理を食べました。

 このような食に関する修行を半月続けました。食べ物として野菜がある時もあれば、草の芯とヒカゲノカズラの時もあり、ハトムギを食べたり木の皮を食べたり、藻を食べたり糠を食べたり、お粥がある時もあれば粉米の飯の時もあり、草も食べ牛の餌も食べ、木の実や木の根も食べ、自然に落ちた果物を食べて命を養ったこともあります。

 私は麻布をまとったり混合布を纏ったり、死体を包んで捨てた布を纏ったり埃まみれの布を纏ったり、木の皮を纏ったり動物の皮を纏ったり、爪が着いたままの皮を纏ったこともあり、漉いたススキを纏ったこともあり、人毛で織った布を纏ったこともあり、動物の毛で作った布を纏ったことも、鳥の羽を纏ったこともあります。(奇妙なことに「織った布」という言葉がありません)。

 私は髪と髭を切るのを行として髪と髭を切る努力をしました。爪先立ちで歩いて座らない行もしました。刺の上に立ったり歩いたりする行をして、刺で作った寝床で眠るのにも成功し、寒い時期に三回水に入る努力もしました。このような方法で、自分の体の中にある煩悩を干からびさせる努力をしました。サーリプッタ。これが私の苦行です。

 サーリプッタ。私の四つの行の中のルーカヴァッタ(不快行)は、身体中に埃や垢がこびりついて、年の暮れにはかさぶたのようになりました。タコーの木が年を経ると切り株が鱗状に剥がれるように、体にこびりついた垢や汚れが年の瀬には鱗状になりました。サーリプッタ。「そうだ、手でこのように撫でて落とそう」という考えはありませんでした。あるいは他の修行者は手で撫で落としているに違いないと考えても、私はそうしませんでした。サーリプッタ。これが私の苦行です。

 サーリプッタ。私の四つの苦行の中のチェーグッチ行(嫌う人の行)は、サーリプッタ。それは、私に生じる優しさの限りの様子で足を出すサティ足を戻すサティがあり、一滴の水でも行く場所が同じでない小動物を苦しめないようにするサティがありました。サーリプッタ。これが私の嫌う人の行です。

 サーリプッタ。私の四つの苦行の中の、パヴィヴィッタヴァッタ(遠離行)はこれです。サーリプッタ。私はどこの森に住んでも、牛を飼っている人、家畜を飼っている人、草を刈っている人、木を切りに来た人、あるいは森で働いている人影を見ると急いでそこを引き払い、この森からあの森へ、この密林からあの密林へ、この湿原からあの湿原へ、この丘からあの丘へ「それらの人に見られたくない。そして自分もそれらの人を見たくない」と考えて回避しました。

 サーリプッタ。森のホシジカが人の姿を見つけると、こっちの森からあっちの森へ逃げるように、私も牛を飼っている人、家畜を飼っている人、草を刈っている人、木を切りに来た人、あるいは森で働いている人を見ると、この森からあの森へ、この密林からあの密林へ、この湿原からあの湿原へ、この丘からあの丘へ、その人達に自分の姿を見られないよう、そして自分も他人の姿を見たくないと願って、急いで移動しました。サーリプッタ。これが私の遠離行です。

 サーリプッタ。柵の外に牛の群がいて、牛飼いの姿が見えなかったら、私はそこへ這って行って、まだ乳を飲んでいる子牛の糞を食事として食べました。サーリプッタ。自分の便や尿がある間は、自分の便や尿を食事として食べました。サーリプッタ。これが、私がしたマハーヴィカタポーチャナ(大不浄食)行です。

 サーリプッタ。私は恐ろしい密林に入ってそこにいました。その密林の恐ろしい様子に、まだ欲望のある人は大抵鳥肌が立ってしまいますが、サーリプッタ。私は冬の八日間、その時は冷たい雪が降っていましたが、夜は野天にいて昼は密林の中にいました。夏の終わりには昼は野天にいて夜は森の中にいました。

 サーリプッタ。「私は乾いて(暑くて)も一人。濡れても一人。恐ろしい森の中でも一人。一糸纏わず焚き火も焚かぬ。純潔を探究するムニー(修行者)」と、今まで聞いたこともない不思議な呪文が聞こえて来ました。

 サーリプッタ。私は、墓場のたくさんの死体の骨の上で眠りました。牛飼いの子供たちが揶揄して叫んだり、小便をかけたり、埃を投げつけたり、小枝で耳をつ突いたりしました。サーリプッタ。私はその牛飼いの子供たちに対して罪な心を感じたり、考えたりすることはありませんでした。サーリプッタ。これが私のウペッカー(捨)の行です。

 サーリプッタ。サマナ・バラモンの中には「食事で純潔になります。みなさん、イヌナツメの実で命を養いましょう」と言う人がいます。それらのサマナ・バラモンは、当然イヌナツメの実を食べ、粉にして食べ、絞った汁を飲み、いろいろ珍しい加工をしてイヌナツメを食べます。

 サーリプッタ。私もイヌナツメの実を食事として食べました。サーリプッタ。その時のイヌナツメの実は非常に大きかったという噂を、あなたも聞いているかも知れません。これはそう思わないでください。その実はこれくらい大きさ、これと同じくらいです。

 サーリプッタ。その実しか食べなかったので、体は極度に痩せ衰え、私の体はタオワンアーシーティッカバッバやタオカーラバッバ(訳注・名前から、二つとも蔦の一種と推測します)のようになりました。食べる物が少なかったからです。足跡も、座った尻の跡も痩せ細りました。背骨の一節一節がタオワッタナオワリー(蔦の一種)のように見え、肋骨は古い東屋の垂木のようにデコボコして邪魔でした。食べる物が少なかったからです。

 深い井戸の水に写っていた星は私の目玉で、眼窩の奥の目玉も、井戸に写った星のようでした。食べる物が少なかったからです。食べる物が少なかったので、若いうちに収穫した瓢箪を風と日光に晒すと乾いてしわくちゃになるように、頭皮はしわだらけでした。サーリプッタ。腹を撫でようとすると背骨に手が触れ、背骨を触ろうとすると腹に手が触れ、サーリプッタ。腹の皮と背骨がピッタリとくっついていました。

 食べる物が少なかったからです。サーリプッタ。大便や小便をしようと考えた時、そこに倒れ込んでしまいました。食べる物が少なかったからです。サーリプッタ。体を労わるために掌で撫でると、毛根の腐った体毛が皮膚から抜け落ちました。食べる物が少なかったからです。

(この後、イヌナツメの実の時と同じように一種類だけの食べ物で純潔を得る修行の話が続きます。違うのはイヌナツメノが、緑豆、ゴマ、米になるだけです。ブッダは次々にいろいろな物を試され、アッタキラマターヌヨーガ(自虐。苦行耽溺)と呼ばれる異教の行で、後に避けるよう教えている過激な行を経験されたということです。

 これらの行は、二人の仙人を訪ねた後と推測されます。後だとすれば五比丘と一緒に行動する前でなければなりません。何が正しいかは、修行期間が六年という長期なので、判断次第です。そして理由が分かったら、公表して聞かせてください)。





明らかに現れた例え

ボーディラーチャクマラスッタ・サカーラワスッタ
中部マッジマパンナーサ 13巻448頁492項

 王子。私に、不思議な今まで聞いたことがない、三つの例えが明らかになりました。

1.王子。樹液で湿っている生木を切り倒して水に浸けておき、その木と願をかけた火付け木を擦って火を点けようと決意したら、王子、あなたはこれをどう思いますか。その男は願をかけた木で火が点けられると思いますか。

 「猊下。出来ません。湿った生木を、更に水に浸けておいたのですから、その男が幾ら擦っても大変なだけです」。

 王子。同じように体がまだすべての愛欲の物から離れられず、心もまだすべての愛欲の物質に満足、愛着、惑溺、欲望、焦燥する煩悩と混じっているサマナ・バラモンたちは、それらの愛欲煩悩を捨てることができず、抑えることができません。

 そのサマナ・バラモンたちは、努力をすることで熾烈な苦受を味わっても、味わわなくても、それ以上の物がない最高の知る智慧、見る智慧を生じさせるにふさわしくありません。王子。これが私に明らかになった、今まで聞いたことがない不思議な例えの初めです。

2.今まで聞いたことのない不思議な例えの二つ目は、王子。湿った生木を地面の上に置いて、その木と願をかけた火付け木を擦って火を点けようと決意したら、王子、あなたはこれをどう考えますか。願をかけた木と火付け木を擦って火が興せると思いますか。

 「猊下。それは湿った生木なのでできません。地面に置いておいても、どんなに長く擦っても、その間中大変なだけです」。

 王子、同じように体が快楽をもたらす物から離れられても、心がまだすべての愛欲の物質に満足、愛着、惑溺、欲望、焦燥する煩悩と混じっている出家やバラモンたちは、まだそれらの煩悩を捨てること、抑えることはできません。

 そのような出家やバラモンは、努力をすることで熾烈な苦受を味わっても、味わわなくても、それ以上の物がない、最高の知る智慧、見る智慧を生じさせるにふさわしくありません。王子。これが私に明らかになった、今まで聞いたことがない不思議な例えの二つ目です。

3.王子。今まで聞いたことのない不思議な例えの三つめは、王子。良く乾いた木を水から離れた所に置いておき、願をかけた火付け木でその木を擦って火を点けようと決意したら、王子、あなたはどう考えますか。男は願をかけた火付け木でその木を擦って火がつけられると思いますか。

 「猊下、それならできます。その木がカラカラに乾いた木で、更に湿気のない所に置いてあったのですから」。

 王子。同じように体が心を喜ばせる物から離れ、心がすべての愛欲の物質に満足、愛着、惑溺、欲望、焦燥させる煩悩と混じらない出家やバラモンたちは、その煩悩を捨て、抑えることができるので、努力をすることで熾烈な苦受を味わっても、味わわなくても、それ以上の物がない最高の知る智慧、見る智慧を生じさせるにふさわしいです。王子。これが、私に明らかになった、今まで聞いたことがない不思議な例えです。





苦行

ボーディラーチャクマラスッタ・サカーラワスッタ
中部マッジマパンナーサ 13巻452頁495項

【一回目】 王子。それなら歯で歯を、舌で上蓋を、心で心を熱くなるほど強く圧迫してみようという考えが生じました。王子。そのように考えた時、歯で歯を、舌で上蓋を、心で心を熱くなるほど強く圧迫すると、両脇から汗が流れ出ました。

 王子。強い人が弱い人を捕まえて頭や首を熱くなるまで押しつけるように、王子、私は始めた努力を弱めることなく、サティが混乱することもありませんでした。王子。しかし非常に耐え難い努力の力に突き刺されたので、体が動揺して静まらないだけでした。

【二回目】 王子。それなら呼吸を止めた状態を感情として集中してみようという考えが生じました。王子。そう考えた時、鼻と口での呼吸を我慢すると、両方の耳の穴から空気が出る鍛冶屋のフイゴのような音が、非常に大きく聞こえました。

 王子。しかし私は始めた努力を弱めることもなく、サティが混乱することもありませんでした。ただ非常に耐え難い努力の力に突き刺されたので、体が動揺して静まらないだけでした。

【三回目】 王子。それなら(もっと)呼吸を止めた状態を集中してみようという考えが生じました。(奇妙なことに、二回目と同じ言葉が使われています)。王子。そう考えて鼻と口と耳での呼吸を我慢すると、非常に強い風が脳天を突き刺してえぐりました。

 頑健な男に刃物で脳天を切り付けられたようでした。王子。しかし私は始めた努力を弱めることなく、サティが混乱することもありませんでした。ただ非常に耐え難い努力の力に突き刺されたので、体が動揺して静まらないだけでした。

【四回目】 王子。それなら(もっと)呼吸を止めた状態を感情として集中して見てみようという考えが生じました。王子。そう考えると私は鼻と口と耳で息を吸うのを我慢しました。すると、頑健な男に紐で頭を縛り上げられたように、頭全体に痛みを感じました。

 王子。しかし私は始めた努力を弱めることなく、サティが混乱することもありませんでした。王子。ただ非常に耐え難い努力の力に刺されるので、体が動揺して静まらないだけでした。

【五回目】 王子。それならもっと呼吸を止めた状態を感情として集中してみようという考えが生じました。王子。そう考えて鼻と口と耳での息を吸うのを我慢すると、非常に強い風が下に吹いて腹の底を突き刺しました。牛の屠殺人かその賢い弟子に腹の底をえぐられたようでした。

 王子。しかし私は始めた努力を弱めることなく、サティが混乱することもありませんでした。ただ非常に耐え難い努力に突き刺されたので、体は動揺して静まりませんでした。

【六回目】 王子。それなら(もっと)呼吸を止めた状態を感情として集中してみようという考えが生じました。王子。そう考えると鼻と口と耳での息を吸うのを我慢しました。すると力の強い男二人に脇を掴まれて炭火の上に投げられて焼かれているように、体中が熱く感じました。

 王子。しかし私は始めた努力を弱めることなく、サティが混乱することもありませんでした。ただ非常に耐え難い努力の力に刺されたので、体が動揺して静まらないだけでした。

 ああ、王子。それを見た天人は揃って「ゴータマサマナは死んでしまった」と言い、「いや、今まさに死につつある」と言う人も、「ゴータマサマナは死んでしまったと言うのも、今死につつあると言うのも正しくない。ゴータマサマナは阿羅漢である。そのような生き方が阿羅漢の生き方だ」と言う天人もいました。

【七回目】 王子。それなら食べ物を一切口にしない実践をするべきだという考えが生じました。王子。すると天人がやって来て「無苦の方。食べ物を一切口にしない修行はお止めなさい。あなたが一切の食べ物を絶てば、私たちは天の滋養をあなたの毛穴からしみ込ませ、あなたはそれによって命を繋ぐことができます」と言いました。

 王子。私が一切の食べ物を口にしないと誓願して、天人たちが毛穴からしみ込ませた天の滋養で命を養ったら、それは自分を偽ることになるという考えが生じ、天人たちに「止めてください」と言って禁止しました。

 王子。それなら、一日に掌一杯だけ、緑豆の薄皮だけ、シカク豆の薄皮だけ、黒豆の薄皮だけ、蓮の実の薄皮だけというように、口にする物を少なくしようという考えが生まれました。

 王子。私が、一日に掌に載るだけ、緑豆の薄皮だけ、シカク豆の薄皮だけ、黒豆の薄皮だけ、蓮の実の薄皮だけというように口にする物を少なくすると、王子、私の体は極端に痩せ細りました。

 食べる物が少ない害で、私の体の部分はごつごつした蔓のようで、座っている尻の肉はラクダのようで、背骨の一節一節はワッタタナワリの蔓のようで、肋骨は古いお堂の垂木のようにまばらに見え、眼窩の奥に引っ込んだ目玉は深い井戸の底に映った星のようで、頭皮は乾燥して皺になり、生湯葉を引き上げて干したようにしわくちゃでした。

 王子。腹を触ろうと思って触ると背骨に当たり、背骨に触ろうとすると腹の底に触れました。王子。如行が大便や小便をしようとすると、よろけてそこに倒れてしまいました。王子。少し体が楽になるかと考えて、掌で体を撫でると、毛根が腐った体毛が体から抜け落ちました。

 ああ、王子。それを見た人間達は「ゴータマサマナは黒く見える」と言い、「ゴータマサマナは黒いのではない、黒っぽく見えるだけだ」という人も、「ゴータマサマナは黒いのでも黒っぽいのでもない。青ざめているだけだ」という人もいました。王子。かつて清潔清浄だった如行の皮膚は、食べ物が少ないことで害されていました。





苦行をすることでは大悟できないと確信なさる

大獅子吼経
中部ムーラパンナーサ 12巻162頁186項

 サーリプッタ。この種のイリヤー(敵から離れる道具)、この種のパティパダー(道)、この種の苦行で、私が人間の通常より素晴らしいアラマリヤニャーナダッサナ(至聖智見)に到達できなかったのはなぜでしょうか。それは実践者を正しい苦の終わりに導く、到達すれば素晴らしいニッヤーニカダンマ(出離)になるアリヤパンニャー(聖人の智慧)である智慧に至っていなかったからです。

解説: これらは悟りの道ではないと見られたので止められ、その後心の努力をなさるために荒い食べ物を摂るよう心を変えられた、各種の苦行をなさった後に生じた感想を説かれています。編者





再び食事を摂られる

ボーディラーチャクマラスッタ・サカーラワスッタ
マハーサッチャカスッタ・パーサラーシスッタ
中部マッジマパンナーサ 13巻458頁504項

 王子。私に「遠い過去でも、遠い未来でも、そして現在でも、私が究極の努力で味わった苦受以上に苛酷な苦受を味わったサマナあるいはバラモンはいない。しかし私は極めて熾烈な苦受を味わうことで、人間の最高のダンマ、あるいはアラマリヤニャーナダッサナ(至聖智見)に達することはできなかった。悟りの道は他にあるのかもしれない」という考えが生じました。

 王子。「父が行った始耕式の日に涼しいフトモモの木陰に座っている時、愛欲とすべての悪が静まって、心にヴィタカとヴィチャーラ(考えること。尋と伺)があり、離れて一人でいることから生じた喜悦と幸福がある初禅に達していた。もしかしたらあれが悟りへの道かも知れない」という記憶が甦ってきました。王子。私に「愛欲や悪から離れていることから生じる類の幸福を恐れるべきなのか」という疑問が生じ王ました。

 王子。「愛欲や悪から離れることから生じる類の幸福を恐れるべきではない」という確信が生まれました。王子。続いて私に「この種の幸福に、体が異常に飢えた人が到達するのは難しい。それならご飯や生菓子のような粗い食物を摂るべきだ」という考えが生じました。王子。そして私は粗い食物、つまりご飯と生菓子を食べました。





五比丘が去る

ボーディラーチャクマラスッタ・サカーラワスッタ
マハーサッチャカスッタ
中部マッジマパンナーサ 13巻458頁505項

 王子。私は粗い食物である、ご飯と生菓子を口にしました。王子。その時、「ゴータマサマナがダンマに到達したらそのダンマを教えてもらおう」と期待して私を支援していた五人の比丘は、王子、如行が粗い食べ物であるご飯と生菓子を口にしたのを見ると、五人は揃って「ゴータマサマナは野心のある人だ。努力が緩んで貪欲になってしまった」と考えて、私に嫌気が差し、離れて行きました。




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