第八章 大悟前の努力





 当時のインドも現代と同じように、自分の弟子たちに教義を教えるいろんな教団があり、多数の教祖が存在し、その中にアーラーラ カーラマという教祖がいました。シッダッタ王子は、教義を教えてもらうために住まいを訪ねました。王子はアーラーラ カーラマの下で学び、努力の末、師が知っていること、実践できることのすべてを、学んで実践できるようになりました。(171)

 アーラーラ カーラマ師は王子の才能を喜び、ある日こう言いました。「あなたは私が知っていることはすべて知ってしまった。あなたは私と同じようにこの教義を教えることができる。私が考えるようにあなたは考え、あなたが考えるように私は考える。私とあなたの二人には、少しの違いもない。ここに留まって一緒に弟子たちを教えられるが良い」。(172)

 王子は尋ねました。「先生はもう私に教えることが無いのですか。先生は、生・病・死を超える力を得る方法を教えられないのですか」。アーラーラ カーラマ師は「何もない。私は生きること死ぬことを超える方法を知らないので、あなたに教えることはできない。この世界の誰も、知っている人はいないと確信する」と言いました。(173)

 アーラーラ カーラマ師は知っていることすべてをシッダッタ王子に教えました。つまり心を高くして、この世界にも、どの世界にも「何もない(空無辺処)」と感じるまで心を鎮め、その静けさに満足することでした。しかしそれは、人間を生老病死から脱出させる方法ではありません。まだ生老病死の苦の中を、際限なく輪廻しなければなりません。だから王子はその教義に満足せず、アーラーラ カーラマ師より高い物を教える師を探して、旅をしました。(174)

 次に王子は、ウダカ ラーマプッタという教祖は非常に高い精神的知識と特別な徳があると聞いて、その人の住まいを訪ねました。そして弟子になり、弛まぬ強い努力で学んで実践した結果、終に先生と同じ知識があり、同じことができるようになりました。ウダカ ラーマプッタ師もアーラーラ カーラマ師と同じでした。シッダッタ王子の賢さと能力を非常に喜び、そこに残って一緒に弟子たちの指導に当たって欲しいと言いました。(175)

 シッダッタ王子はウダカ ラーマプッタ師に、ア-ラーラ カーラマ師に聞いたのと同じように聞き返し、同じ返事を受け取りました。王子は、何の感覚もなくなり、生きているのでもなく死んでいるのでもない(非想非非想処)と呼ぶところまで心を静める、この先生の教義に満足しませんでした。そこでその住まいに別れを告げ、いろんな教祖から知識を求めるのを止める決意をし、自分の努力と知性だけで探求することにしました。(176)

 当時のインドも現代のインドと同じように、食事制限やいろんな苦行をすれば永遠に天界の幸福が得られると考えて、家を捨てて修行する出家者が数多く存在しました。彼らは、この世で苦しめば苦しむほど、来世で幸福になれると信じています。そのように信じる人々が厳格な実践を継承し、今日まで続いています。(177)

 苦行者のグループの中には、口にする食事の量を少しずつ減らしていって、最後にはほとんど口にしなくなり、体は骨を包んでいる皮だけになるグループもあります。またあるグループは片足だけで立ち、もう片方の足は壊死してしまいます。手を上げて天を指差したまま、腕が壊死しているグループもあります。

 血液が十分に循環しないからです。またあるグループは手を握ったまま開かないで、爪が伸びて手の甲まで突き抜けている人もいます。棘の上に寝たり、鋭い金属の先を上に向けて並べた板の上に寝たりする人たちもいます。(178)

 シッダッタ王子は、探し求める物を見つけたいと望んで、様々な方法で自分を苦しめました。それらの人たちより甘い結果にならないように、どんなに激しい痛みも、痛みと感じませんでした。王子は、体を苦しめる修行が十分なレベルに達すれば、王子が求める知識に出会えるに違いないと考えました。(179)

 次の項目は、王子のその時の行動について、後のブッダの最高の弟子、サーリプッタいう大長老に話したものです。

 「サーリプッタ。私は、耳の中に轟音がするほど息を我慢しました。すると頭に、鞭で打たれたか剣で突き刺されたような痛みが生じ、体は、体中の肉を削ぎ、皮を剥がれたような、あるいは燃えている炭の山の中に投げつけられたような痛みを感じました」。(180)

 「サーリプッタ。それから私は一人きりで行動をしました。新月と満月の夜、寂しい場所、死人を埋葬した場所や大木の林へ一人で出かけ、一晩中そこで過しました。風が吹いたり鳥が飛んできて木に停まったりして木の葉が落ちる度、あるいは他の動物が通る度に、暗闇の中で何が起こっているのか分からないので、体中の毛が逆立ちましたが、私は逃げ出しませんでした。我慢してそこに居つづけ、勝利するまで恐怖と驚愕に立ち向かいました」。(181)

 「サーリプッタ。私は食事を徐々に減らし、初めは一日一度にして、それから二日に一度にし、三日に一度にし、だんだんに減らしていって、最後には十五日に一度にしました。草だけを食べた時もあり、乾いた草の根だけを食べた時もあり、木の実、木の根、野草、きのこ、草の実だけを食べたこともありました。時には座った場所の周りで取れる物だけしか食べなかったこともありました。

 墓場に捨てられていた布切れやゴミの中の布を身にまとい、野原で死んでいた動物の毛皮をまとったこともあり、その辺に散らばっている鳥の羽や草を編んだ物を身にまとったこともあります」。(182)

 「サーリプッタ。寂しい森の中に一人で暮らし、何ヶ月も人間の姿を見ませんでした。厳しい寒さの冬の夜更けに、火にも当たらずに外にいて、陽射しのある昼間は冷たい深い茂みの中にいて、灼熱の夏は、一日中陽射しの中に居て、夜は深い密林の中にいました」。(183)

 「サーリプッタ。私は「純潔になる食事」と呼ばれる修行をした。豆の他は何も食べず、また別の時は菜種の他は何も食べず、また別の時は、米の他は何も食べませんでした。そして食べる分量を毎日減らして、最後には一日に豆一粒か、菜種一粒、米一粒までにしました」。(184)

 「サーリプッタ。私がこのように僅かしか食べなかった頃、体は恐ろしく痩せ細って衰弱し、足は葦のように、座っている私の尻は駱駝の脚のように、背骨は縄のようになりました。脇腹は、捨てられた家のカンヌキのように肋骨が浮き出て、目は深い井戸の底に写った星のように眼窩の奥にあり、頭皮は日向に捨てられた湯葉のように干乾びてしわだらけになりました。多少は快いかと思って腕や脚をそっと撫でると、体毛が毛根から抜けて掌に貼りつきました」。(185)

 「サーリプッタ。火傷に唐辛子を擦りこむような苦痛を味わっても、私はまだ望んでいる知識を得ることができませんでした。真実を洞察する知識は、そのような行動からは生じず、反対に内面を熟慮することと、世界の人のような振る舞いをすべて捨てることで生じさせることができるからです」。(186)

 シッダッタ王子は、十分に苦行をすれば悟れるだろうと考えて、あちこちを移動し、六年が過ぎ、最後に、再びマガタ周辺の地域に戻って来ました。一年中清流の流れる川に近い静かな竹林で、便利な舟の渡し場もあり、乞食しやすい人里から遠くないところにありました。王子は「ここは、私のような修行者が住んで努力するには最高の場所だ。私はここに住むことにしよう」と喜びました。(187)

 シッダッタ王子は、ウルヴェーラー村を居所と定め、そうすることで求めている真実を知ることができると確信して、心を専一にして他の厳しい苦行をしました。(188)

 その時王子の厳格な行動に敬意を感じ、表敬のために拝謁する人がいました。その人たちは五比丘と呼ばれ、王子のように勇猛果敢に木の下で苦行をする人は、ただ者ではないに違いないと信じ、王子に仕えました。彼らは、このように忍耐と犠牲のある人は、かならず目指す目的を達成するに違いなく、そして目的を達成した暁には、悟ったことを弟子たちに教えるだろうと信じていました。(189)

 ある日偶発的な出来事が起きました。王子が木の下に一人で座っていると、厳しい食事制限と苦行で体が衰弱していた上に、長く座って集中しすぎたので、王子は完全に意識を失って倒れてしまいました。体はピクリとも動かず、自分で命を吹き返すことができないほど衰弱していました。(190)

 幸運なことに、その辺りの羊飼いが倒れている王子の傍を通り掛かり、この聖人は何日も食べ物を食べていないことをその辺の人は誰でも知っていたので、死にかけているのだと思い、急いで羊の群れの中の乳羊を連れて来て、乳を搾って、少し開いていた王子の口に直接垂らしました。誰もが聖人と呼んでいる人の体に、羊飼いである自分が手を触れることは恐れ多かったからです。(191)

 餓死寸前だった王子にとって、その時の羊乳は非常に効果がありました。間もなく起き上がって座ると、王子はそれまでより快く感じました。王子はなぜ意識を失って倒れ、なぜ今、体も心も快いのだろうと思い、そして順々に考えました。(192)

 「ああ、私は何てバカだったのだろう。妻を捨て家族を捨て、家とすべてのものを捨てて出家し、人生に関する真実と、最高に素晴らしい生き方に到達する実践法を知りたくて、家を持たない修行者になった。しかしその深遠な知識はこのように得ることが難しい。専心して熟慮するために、可能な限り強い心と頭が必要なのに、結果的に絶食と行きすぎた行為で、普通の仕事ができないほど体を衰弱させてしまった。病的に疲れ切ってしまった体で、爽快で強い心を持つことなど、どうしてできよう」。(193)

 「ああ、高度な修行で得られる力が欲しかったのに、自らの体を苦しめた私は非常に愚かだった。修行をするためにすべてを捨てて出家したのに。これからは体を元の状態に戻すために、体の要求にしたがって何でも食べよう。頭がぼうーとして眠くなって集中できなくなるから、適量を越えるまい。いつか望んでいる真実を知ることができる澄んで明るい心を持つために必要なだけ、適度な体力をつけるために食べる」。(194)

 王子はこのように考え、傍に膝まずいている羊飼いの方を振り向いて、乳を飲んだら体の状態が非常に良くなったので、もう一杯乳が欲しいと頼みました。羊飼いは、「わ、わたしはそのようなことはできません。私は身分の低い羊飼いで、王子様は素晴らしい聖人でいらっしゃいます。私が使っている物を通して王子さまに触れたら、大きな罰が当たります」。(195)

 王子は答えました。「坊や、私は家柄や血統に関係あるものを求めているのではない。乳を貰いたいだけだ。私たち二人の間には、何も違いはない。お前が羊飼いで私が仙人でも、二人の体の血は同じように流れている。盗賊が二人の体を切れば、同じように赤い血が流れる。

 もし出血が止まらなければ二人とも同じように死ななければならない。私たちは善いことをすれば善人で素晴らしく、悪いことをすれば悪人で良くない。それが本当の血統であり家柄だ。お前は、今にも餓死しそうだった私に乳を与えるという善い行いをした。だから坊やは、私に乳を一杯くれるには十分善い血統と家柄だ」。(196)

 羊飼いは、非常に気高い仙人の聞きなれない言葉を聞くと、身分の卑しい羊飼いを追い払いもせず、乳が欲しいと言い、自分が毎日使っている器で喜んで飲むというので、言いようもないほど嬉しく清々しく思いました。

 羊飼いは走って行って器いっぱい羊乳を持って来ると、乳を差し上げるには十分な血統と家柄だという言葉の喜びを噛みしめながら差出しました。少年は空になった器を受け取り、深く頭を垂れて祝福をすると、たとえようもない喜びで羊の群れの方へ走り去りました。(197)

 〔羊飼いの少年が羊乳を献じたという話は、タイのブッダの伝記にはなく、外国の本にだけあります。タイにある話では、天人が特別な食べ物を持って来て、王子が回復するまで口に挿入したとなっています〕。

 王子は羊乳を飲んで体力を回復したので、木の根元に座って集中し始めると、それまでより良い効果がありました。王子がそこに座っていると、夕陽が沈み掛けた時、歌姫と踊い姫の一団が街で仕事をするために通り掛かり、王子の近くを通る時、次のような意味の唄を歌っていました。

    琴糸も弛みすぎれば耳障り

    強く張りすぎれば切れて音はなし

    琴糸を弛めすぎても、強く張りすぎてもならぬ

    弛めず締めず良く張れば、それが真に妙なる音色 (198)

 (タイの話は娘たちでなく、インドラ神が降りてきて琴を聞かせます)。

 王子は娘たちの唄を聴いて、内心で「娘たちの唄のとおりだ。娘たちに非常に教えられた。今まで私は、哀れなほど命の糸を張り詰めすぎ、切れてしまうほど張りすぎた。もしも今日羊飼いに助けてもらわなければ、死んでいたかも知れない。それで何が真実を探求した結果だ。これですべてが終わってしまっていた。

 私とすべての人間が、私の探求から受け取るべきものは、減食に関する誤解で反故になってしまうところだった。このように体を苦しめる修行法は、真実の探求には正しい方法ではない。今から私は、体を苦しめる修行を一切止め、注意深く配慮して、可能な限り適度な修行をしよう」と考えました。(199)

 それから王子は、毎朝托鉢に出掛け、毎日貰った食べ物を食べ、元通りの元気を取り戻し、かつて王宮に住んでいた頃のように艶のある金色の肌になりました。王子には、体を厳しく傷めつけることは、空気を結んで繋ぐこと、あるいは砂で紐を作るのと同じ結果と、まったく同じと明確に見えるのに、五人は王子と同じような考えがなく、宗教の真実は、体を苦しめることでしか知り得ないと考えていました。(200)

 五人は、それまで自分たちが先生と崇めてきた人物が絶食といろんな苦行を止め、このように普通に食べ物を摂って体を養うのを見て、「ゴータマ サーキヤのサマナは欲望の人になってしまった。苦闘と努力を投げ出してしまい、楽しい生き方に転向してしまった」と口々に言い合いました。五人は、いろんな努力を止めた、つまり苦行を止めてしまった先生のところにいても何の得もないと考え、王子を見限って去って行きました。(201)

 五人は、苦行をしない出家が宗教の最高のタンマを悟ることはないと確信していたので、どれだけ間違っているか、どれだけ愚かな修行をしているか、間もなくその真実が明かされようとしていました。今彼らの先生は、決して真実から背を向けた訳ではなく、求める成功に確実に近づいていました。(202)




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