第六章 世を捨てる





 ラフラ王子が生まれてから、シッダッタ王子を享楽の中に閉じ込めておく必用がなくなったので、、スッドーダナ王は王子が望み通りいろんな場所へ外出することを許しました。王子は近くにある幾つもの都に出かけ、いろんな物を見、見たことすべてについて熟慮しました。そして考えたとおりにしなければならないと決意する努力をしました。(128)

 ある日シッダッタ王子が外出から戻ると、自分の居室へ行く前に、王女たちの住まいである屋敷へ行きました。キサーゴータミという王女が、たまたま窓のそばにいて、王子がやって来るのを見掛けました。王女は、王子の優雅さと上品な紳士ぶりに感動して、「もしなれるなら王子の母でもいい、父でもいい、妻でもいい。どんなに穏やかでどんなに幸福で、どんなに満足かしら」と、思わず洩らしててしまいました。(129)

 キサーゴータミ王女が思わず洩らした声は大きく、全部王子の耳に入りました。しかしその時、王子は出家の生活と出家することばかり考えていたので、それを聞いて別の意味に取りました。「確かに母も、父も、妻も、そのような子供や夫を持てば、穏やかな幸福と満足があるに違いない。しかし本当の穏やかさ、幸福、そして満足とは何だろう」と考えました。

 これまでに王子が体験したいろんな物が、常に王子の心に詰まっていて、他のことを考える余地がなかったので、その時の王子の心は世界の喜びより高くなってしまいました。(130)

 王子は「本当の幸福は、貪りと怒りと愚かさという病気が完全に治療できれば得ることができる。傲慢とすべての煩悩の火がすっかり鎮火されれば、その時が本当の穏やかさ、本当の幸福、本当の満足だ。それこそが自分とすべての人が求める物だ。それこそ、今私が探しに行かなければならない物だ。私はこれ以上この宮殿で、浮かれて暮らすことに耐えられない。

 私は今行かなければならない。私は探求に探求を重ね、自分と他の人々を老いと病気と死の威力を超えさせることができる、本当の幸福を探し出す。この王女は私に良い課題を教えてくれた。あなたは私の最高の教師だ。私はあなたに教授料を差し上げなければならない」と独り言を言いました。(131)

 そう言うと王子は、身に着けていた真珠の首飾りを外して、タンマを教えてくれたキサーゴータミ王女に与えしました。王女は王子の従者から首飾りを受け取ると、王子への礼の言葉を言付けました。そして王子が首飾りをくれたのは、王女を妃にしたい愛情と理解しました。(132)

 しかし王子の心はその種の問題と遠く隔たっていることを、王も妃もよく知っていました。王子の周囲の人々には、最近の王子は、すっかり様子が変わったことが、見ただけで明らかでした。都へ外出して戻った時から、以前より生真面目になり、更に深く考え込むようになりました。

 しかし王は、手をこまねいて成り行きに任せることができないので、最後の手段として、領内で最も美しく賢い歌姫と舞姫を呼んで、王子の城内に常住するように命じました。それらの娘たちは、王子の心を虜にするために、王命で非常に美しく魅惑的な歌と踊りを王子に献上しました。(133)

 初めは王子も目をやり、王の気分を損ねない程度に聴いていましたが、王子が目を少し開けて、それらの美しく魅惑的なものを見たのは半分だけで、心は覚めることが無いように、ある事に没頭してしまいました。王子は、それだけが考えるに値することだとでも言うように、つまりどうしたら自分と他のすべての人達が老病死から完全に逃れられるか、ということばかり考えていました。(134)

 王子は休みなく考えすぎて疲れてしまい、魅惑的な音楽と踊りの賑わいの中にいながら眠ってしまいました。そういう娯楽が、王子の心を楽しませることはなかったからです。歌姫と舞姫たちは、歌や踊りが少しも王子の心を惹かなかったので、王子がこのように寝てしまったのを見て歌と踊りを止め、自分たちも休もうとそこに横になりました。

 王子が目を覚ましたら再び演奏をするつもりでしたが、娘たちも王子と同じように疲れていたので、部屋にはまだ明かりが煌々と灯っているにも関わらず、横になると同時にウトウトし始めました。(135)

 王子は少しまどろんだだけで、すぐに目を覚まして辺りを見まわすと、非常におぞましい奇妙な気持になりました。国内で一番美しいとされる娘たちが、今は、誰もこれほどまでとは考えないようなあられもない姿で、床一面にごろ寝をしていました。ある娘は豚のように寝ていました。ある娘は口を開けて寝ていました。ある娘は口角から涎を垂らして衣服がべとべとしていました。ある娘は怒った悪霊のように犬歯をむき出していて、誰も、なぜ今までこれらの娘たちに満足できたのだろうと思いたくなるほど、吐き気を催すくらい厭わしい情景でした。(136)

 一時は愛しいと感じた娘たちの様子は、今ではすっかり嫌らしい恐ろしい物、そして王子が生涯で見た一番おぞましい物になり変わりました。(137)

 その時王子は、今すぐ、心を妨害するこれらの物を退け、この恐ろしい物を静めることができる、本当の幸福を探しに出かけようと、固い決意をしました。王子は娘たちを起こさないように静かに立ち上がって、密かに部屋を出ると、チャンナに、愛馬カンダカを準備するよう命じました。(138)

 チャンナが馬の準備を整えている間に、シッダッタ王子は、出掛ける前に生まれたばかりの我子を見に行くべきだと考えました。妃と赤子が寝ている部屋へ行くと、妃が王子の子供をしっかりと抱き寄せて眠っているのが見えました。

 王子は「妃の手を取れば、妃は目を覚まし、妃が目を覚ませば、私の出発を妨害するだろう。私は今行かなければならない。私が探究している物を見つけたら、幼い我が子とその母を訪ねて来る」と一人呟きました。(139)

 王子は、主人の心情を察してまったく声を立てないカンダカの背に乗り、チャンナを後ろに乗せ、誰にも知られることなく、真夜中にひっそりと宮殿を出ました。都の城門は、誰にも妨害されずに無事に通過することができました。誰も王子に忠誠心があるので、逃げた馬を追いながら門を離れて行ってしまったからです。(140)

 しばらく行くと、王子は馬の首を返して立ち止まり、月明かりのカビラバスツの都を振り返りました。その時人々は、自分の国の王子が、いつ戻るかも分からないまま去って行くことも知らずに、深い眠りに落ちていました。(141)

 この都は自分の父の都であり、最愛の妃のいる都であり、最愛の息子もいますが、それでも出家する決心を曲げさせることはできず、都に引き返す考えは少しも生じませんでした。心には国を出て行く強い覚悟がありました。馬の向きを変えて馬を走らせ、アノマー川のほとりに到着しました。

 そこで王子は馬から降りて砂の上に立つと、身につけていた装身具をすべて外してチャンナに渡し、「この装身具とカンダカを連れて国へ帰りなさい。今私は世を捨てる時だ」と言いました。(142)

 チャンナは「王子様。そのようにお一人で行かないでください。私もご一緒にお連れくださいまし」と叫びました。王子が行く所どこへでも追いて行きたいと、チャンナがどんなに懇願しても、王子は頑として聞き入れませんでした。(143)

 王子はチャンナに言いました。

「お前にとってはまだ世を捨てる時ではない。今すぐ国に戻って、父上と母上に、私はまだ元気だと伝えなさい」と言って、チャンナに装身具とカンダカと一緒に国へ戻るよう、厳しく命じました。(144)

 チャンナは打ち萎れ嘆き悲しんでいましたが、主人の命令に背くこともできず、仕方なく都に戻って行きました。王子の衣服を持ってカンダカの手綱を引いて都に到着すると、「愛するご主人であり、誰もが大切にお護りしてきた王子様は、今、両親と妃と子と領地をお捨てになって、住む家も何もない修行者になられる」と人々に触れました。(145)

 髪も黒々として力も漲っているまだ二十九歳の若さのシッダッタ王子は、王子とすべての人々を、病と悲しみと困難に勝利させる道を探求するべく、このように家を出て家のない人になりました。(146)




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