第二十章 涅槃





 この時ブッダは、世界の動物に教えて歩く旅は、終わりに近いと感じました。去って行く前に、ブッダが直接忠告できない先の時代の戒告にするために、比丘たちに最後の言葉として忠告を与えたいと思いました。そこでブッダは、ラージャガハに近いある場所に比丘全員を召集するよう、アーナンダに言いました。(417)

 「みなさんが時々集まって一致団結していれば、その間中、サンガは繁栄し磐石です。比丘のみなさんが心を一つにして私が述べた教えと指示に従い、反する規律を規定しなければ、その間中、サンガは衰えることも消滅することもありません」。(418)

 「みなさん、サンガの中の年老いたテーラ(長老)を敬い、その方々の忠告を喜んで受け入れなさい。みなさん不注意にならないよう、自分を忘れて悪の威力下に落ちて、後で気づくことにならないよう注意しなさい。群れてはいけません。いつも一人離れていなさい。

 余所から比丘が来た時は心をこめて迎え、その人が求めることが得られるよう支援しなさい。比丘の誰かが病気になった時は、他の比丘たちが心を込めて治療し、看病しなさい。病気の比丘を看病する人は、私を看病するのと同じです。自分の自慢をしたり他人を見下したり、自分を忘れて無駄話に興じる人ではいけません。

 悪人との交際を避け、善人とだけ交際しなさい。すべての物は永遠ではなく、本気で掌握する人を苦しめること、そしてそれらには実体はないという真実を熟慮し、常に明らかに見ていなさい」。(419)

 「比丘のみなさん。みなさんが私が教えたように行動し振舞えば、それだけ人々から尊敬され、信頼され、サンガも繁栄して磐石です。みなさんは転落し堕落する心配もなく、出家として不適切なことは何一つなく、損失もありません」。(420)

 この後ブッダはナーランダー村へ行き、パーダリカーマ村へ行きました。そこで人々に次のように言われました。

 「みなさん、十善戒で行動しない人、あるいは正しい行動に関わる細心の注意に欠ける人は、社会で評判を落とします。その人の幸福も次第に衰え、最後には消滅します。自分に自信や確信がなくなり、憂鬱で不幸になり、そして悲しみと苦しみの中で死んでいきます」。(421)

 「しかし十善戒で厳格に行動し、何事にも不注意にならず、迂闊でない人は、人々に好かれ尊敬されます。その人は健康な体と財産と、望ましい物すべてが得られ、王子にも官吏にも、哲学者にも、どこへ行っても歓迎されます。その人の心は明るく、躊躇いも焦燥も心配もなく、勇敢に穏やかに死んでいきます。死後も引く続き幸福な身分になります」。(422)

 ブッダは八十歳になり、老いに達しました。45年間、どのような乗り物にも乗ることなく、当時のインドの大小の国々を徒歩で旅をし、命ある間ダンマを説いて仏教を広めました。雨季でも、一日も休むことなく教えを説かれました。気力は昔と変わらなくても、体力の衰えを感じ、自分の命は長くは持たないと感じ、若い頃から良く知っている、北のヒマラヤの麓に行く決意をしました。

 ブッダはそこで涅槃に入ろうと思い、クシナラーという小さな街に向かって、衰えた体で歩いて行きました。途中、現在はパッタナと呼んでいるパータリープッタへ行き、それからまた北の、以前に住んだことがあり、その街の王子たちと遊女との間で、寄進競争が行なわれた結果、アンパバリーという遊女から寄進された精舎があるヴェーサリーへ行きました。(423)

 ブッダはヴェールヴァガマという村に到着すると、比丘たちに、各自好きな場所で雨季を過ごすよう命じ、ブッダは世話人であるアーナンダと一緒にその村に滞在しました。しかし雨季が明けて間もなく病状が重くなりました。ブッダは、梵行をする忍耐努力のために、もう一度褒めて激励し説明なさるために、比丘たちに会いたいと望まれ、ヴェールヴァカマ村を出ると、病から生じる苦受に耐えながら、全力で旅をなさいました。(424)

 病状が小康状態になったある時、ブッダはある精舎の陰にアーナンダが用意した台座に座しておられました。そこでアーナンダが申し上げました。

 「スガタ様。スガタ様が昔のようにお元気になられたのを拝見して、喜びに堪えません。先日ように世尊の病が重いと、私の心は真っ暗で、ほとんど気を失いそうでしたが、世尊亡き後、比丘たちが実践規範にするために、最高に重要な教えと忠告をなさるまで、まだ世尊が涅槃に入られることはないに違いないと、私は考えていました」。(425)

 ブッダは言われました。

 「アーナンダ。比丘たちはこれ以上私に何を望むのですか。私はダンマヴィナヤのすべてを、残らず話しました。涅槃に到達するために比丘が知らなければならない実践項目は、一つも隠していません。私は比丘たちに対して完璧な善意の人であり、苦の終わりのために比丘が知らなければならないすべてを教えてきました。

 アーナンダ。将来ずっと、サンガを自分の権力で管理したい人は、将来も管理し続けるために何か規定するかもしれませんが、私はそのように自分の権力で永遠にサンガを管理したいと思わないので、サンガを管理することについて何も残しません。将来サンガは自分たちで管理しなければなりません。

 今私はすでに老い、力も衰え、私の時間も終わりに近い。私はもう八十歳です。みんなに言いたいことは一つだけです。誰でも、自分自身の明かりを持ちなさい。誰でも、自分自身を拠り所になさい。他人や他の物を自分の明かり、拠り所にしてはいけません。アーナンダ。私がいなくなったら、自分自身を自分の明かりとし、拠り所にし、他の人や他の物を自分の明かりや拠り所にしない比丘は、いつでも『本当の私の弟子』と言います。そして正しい道を行く者です」。(426)

 翌朝ブッダは気分が良く、ヴェーサリーまで托鉢に行けるほどでした。夕方、ブッダのお話しがあるので、ヴェーサリー周辺に滞在している比丘全員を召集するよう、アーナンダに命じました。比丘たち全員が揃うと、ブッダは、庶民のことを考え、善のため、梵行を手本にしたいと望むすべての庶民の支援、利益のために、すべての比丘たちが、ブッダが教えた正しい道に従って厳格に行動しするよう、非常に重要な忠告の言葉を、去って行く者の真実の望みとして話されました。

 ブッダは言われました。「世俗の範囲にある物はすべて不変ではなく、すぐに変化します。困難に負けず前進するために立ち向かい、正しい道を歩き、自分の心を近くで注意深く見守りなさい。そのようにすれば、みなさんは輪廻から脱して、本当の解脱に到ります」。(427)

 ブッダは翌朝クシナラーへ向かって出発しました。途中のバーヴァーという小さな村で、ジュンダという鍛冶屋の男から托鉢食事の招待を受けました。スーカラマッタヴァという料理で、猪の好物であるキノコを使うので、そのような名前がついています。

 ブッダがジュンダから供された料理を食べると、ヴェールヴァカマに居たときのような症状が戻ってしまいました。今度の症状は初回の時よりも重症で、ほとんど忍耐の限界を超えていましたが、ブッダはクシナラーへ向かって必死で歩き続けました。そしてその辺りの王族たちが遊びに来る公園である、街の郊外の沙羅の森までやって来ました。(428)

 その森に近づいた時、ブッダはこれ以上歩けないと感じ、「アーナンダ。その二本の沙羅の木の間に、横になって休む所を作っておくれ。私は非常に疲れた」とアーナンダに言いました。アーナンダはブッダの大衣(防寒用の僧衣)を四角にたたみ、沙羅の大木の間の地面に敷きました。ブッダはアーナンダが用意した敷物の上に、頭を北にして体を横たえましたが、眠りはせず、病と疲れを癒すため休まれました。

 ブッダの心音は少しの乱れもなく、静かに強く打っていました。ブッダの心臓はいつでもそうでした。ブッダはずっと昔、元気だった時に、サーリープッダに話したことがあります。年老いて力が衰え、自分で歩くことができなくなり、誰かに輿で担いでもらうようになっても、私の心臓は穏やかに澄んで、非常に賢いバラモンや学徒が質問に来れば、いつでも深遠なダンマを説き、質問に答えることができる。ブッダの心臓の曇りや疲れなどあり得ないと。(429)

 アーナンダは、ブッダが自分から去ろうとしていると感じ、耐えられないほど悲しくて、離れた所へ行って隠れて泣きました。「私はまだ他の比丘のようになっていない。まだ阿羅漢に到達してはいないので、まだ学ばなければならない。私の教祖は私を一人残して去って行かれようとしている。長い間私を慈しんでくださった教祖のいない私を」。アーナンダの顔には、涙が幾筋も流れていました。(430)

 ブッダが目を開けると、いつもいるアーナンダがいないので、近くに座っている比丘たちに、アーナンダはどこへ行ったのか尋ねました。比丘たちが「アーナンダさんはどこかへ泣きに行きました。私はまだ阿羅漢に到達していないので、まだ学ばなければならない、私をいつも慈しんでくださった教祖さまがいま亡くなろうとしている、と言いながら泣いています」と申し上げると、ブッダは「比丘。教祖が呼んでいると、アーナンダに言いなさい」と言いました。(431)

 その比丘がアーナンダにブッダの望みを伝え、アーナンダがブッダの傍に来て座ると、ブッダが言われました。

 「もう十分ではないかアーナンダ。悲しまないで。泣かないで。人はいつかは愛するもの、気に入っているものと別れなければならないと、何度も何度もアーナンダに言ってきたではないですか。アーナンダ。死は確実にくるもので、防いだり避けたりすることはできません。生じた物が消えないなどと言うことはありません。そのような願いは無理なのです。

 アーナンダ。アーナンダが可能なかぎり一生懸命仕えてくれた期間は長く、行動も言葉使いも、気持も、計ることができないほどの愛と好意と忠誠に満ちていました。私に忠実に尽くすことで、アーナンダは非常に多くの善を十分に積んできました。これからは奮闘努力して、阿羅漢に到達するのを阻んでいるものを攻撃なさい。アーナンダはもうすぐその成功に到達します」。(432)

 それからブッダは、すべての比丘に言いました。

 「これまでのブッダのみなさんは、どなたも素晴らしい奉仕者がいましたが、今のアーナンダの素晴らしさには敵いません。これから現れるブッダのみなさんもきっと素晴らしい奉仕者がいるでしょうが、今のアーナンダの素晴らしさには敵いません。アーナンダは私にとって素晴らしい奉仕者であり、智慧者でした。アーナンダは、客が私を訪ねて来るのに良い時間を知っていました。

 アーナンダはそれらの客を言葉と態度で歓迎し、いつでも客は、アーナンダの態度に深く満足しました。アーナンダが何かの話しをすると、アーナンダが話したがるというよりは、客たちが非常に聞きたがりました。アーナンダはこのように、私の素晴らしい奉仕者でした」。(433)

 アーナンダがブッダに言いました。

 「世尊。このように不似合いな、山の中の小さな田舎街で涅槃に入られないでください。ラージャガハやサヴァッディやヴェーサリーや、他にもある大きな街で、これらの中のどこかへで涅槃することに満足なさってください。これらの街には、世尊の弟子である長者や権力者がたくさんいます。その人たちは世尊にふさわしい火葬を執り行ってくれます」。(434)

 ブッダはアーナンダに言われました。

 「アーナンダ。そのように言ってはいけません。この街を田舎と言ってはいけません。ずっと昔、この街は豊かな都で、皇帝が住む都でした。アーナンダ。クシナラーの領主と人々に、今夜、今宵の終りに、如行はこの森で涅槃に入るので、涅槃に入る前に会いに来るべきですと言ってきなさい」。(435)

 アーナンダは比丘を数人連れてクシナラーへ行き、領主たちと人々に、ブッダが言ったことを伝えました。アーナンダの知らせを聞いた人々は誰も嘆き悲しみ、「世尊が涅槃に入られるのは早過ぎる。世界の島が消えるのは早すぎる」と言いました。クシナラーの人は男も女も子供も、一斉に嘆き悲しみ、拝んで別れを告げるために、ブッダがおられる沙羅の森に駈け付けました。人々は何人かずつに別れて、それぞれに代表を決め、順々に世尊に目通りし、一人ずつ別れの言葉を述べました。(436)

 その時スパッダという流浪の修行者がクシナラーにいて、ブッダが涅槃に入ろうとしていると聞いて突然決意し、その時頭を悩ませている問題について質問するために、ブッダを訪ねてきました。彼は、ブッダだけはこの問題を明確に解くことができると信じていたので、沙羅の森へ行き、涅槃の前にブッダに会って問題について質問する許しをアーナンダに求めました。(437)

 アーナンダは「止めてください。スパッダさん、止めてください。世尊は今非常にお疲れでいらっしゃいます。問題の質問などして、妨害なさらないでください」と言いましたが、スパッダは非常に焦っていて、アーナンダが断るのも聞かず、何としても世尊に目通りする許可を得ようと、執拗に繰り返し懇願しました。アーナンダは、世尊は今重篤で、誰からも妨害されるべきでないと、繰り返し断りました。(438)

 二人の遣り取りを聞かれていたブッダは、スパッダの望みを知って、アーナンダを呼んで言われました。「アーナンダ。スパッダが来ないように止めてはいけません。彼の望み通り通しなさい。彼が質問することは、私のダンマヴィナヤの良い教育になり、何の利益もない妨害ではありません。彼は非常に理解が早く、私が言うことを即座に理解します」。アーナンダはスパッダがブッダに拝謁するのを承認しました。

 スパッダはブッダに挨拶をして少し言葉を交した後、ブッダの面前で問題にを質問しました。「ゴータマ様。あなた様以外のサマナバラモンや有名な指導者たちは、彼ら自身が言っているように本当に真理に到達したのでしょうか。それとも彼らが言っているようには到達していないのでしょうか。それとも到達した人もいれば到達していない人もいるのでしょうか」。(439)

 ブッダは言われました。

 「お止めなさい、スパッダさん。そういう問題を考えてはいけません。お聞きなさい。私が今、私のダンマを分かるように説明しますから良くお聞きなさい。どの教祖のダンマヴィナヤも、八つの正しい道であるダンマがなければ、そのダンマヴィナヤの下には、ソターパティ(預流)、サカターガミ(一来)、アナーガミ(不還)、阿羅漢はいません。どんなダンマヴィナヤも、八つの正しい道であるダンマがあれば、そのダンマヴィナヤの下には、当然ソターパティ、サカターガミ、アナーガミ、阿羅漢がいます。

 スパッダさん。私のダンマヴィナヤは、今言った八つの正しい道であるダンマがあり、このダンマの下では、当然ソターパティ、サカターガミ、アナーガミ、阿羅漢がいます。スパッダさん。私の弟子である比丘が、八つの正しい道であるダンマを実践していれば、その分だけ世界から阿羅漢が消えることはありません」。(440)

 スパッダは、ダッダのダンマヴィナヤの下で出家して比丘になる許しを求めました。ブッダはスパッダに出家の機会を与え、アーナンダに具足戒を与えてやるよう命じました。スパッダはイシパタナの森でダンマを聞き、具足戒を受けた最初の比丘ゴーンダンニャのように、ブッダの面前で具足戒を受けた最後の比丘です。出家したスパッダは非常にダンマヴィナヤに精進して、その後間もなく、阿羅漢果に到達しました。(441)

 ブッダは続けてアーナンダに言われました。

 「アーナンダ。もしかしたら、もう二度と教祖の忠告を聞くことは無い、自分は教祖をなくしたと考える比丘がいるかもしれません。しかしアーナンダ。そう考えてはいけません。私がすべての比丘のために規定したダンマとヴィナヤ、そのダンマとヴィナヤが、私亡き後、すべての比丘の教祖です。

 それからもう一つ、今は比丘たちは誰でも「アーウッソー(友に近い意味)」と挨拶しているが、私がいなくなったら、年長の比丘は今までとおり「アーウッソー」と呼び、年少の比丘は年長者に対して「パンテー(尊敬するお方という意味)」と呼ぶべきです。アーナンダ。私がいなくなったら、サンガが望むなら、事情に合わせて小さな規定は廃しても良い」。(442)

 それからブッダはすべての比丘に言いました。(442)

 「比丘のみなさん。私に対して、あるいは私のダンマとヴィナヤに関して、あるいはサンガについて、あるいは実践方法の正誤に関してでも、みなさんの中に疑問や気掛かり、あるいは疑念がある人がいるなら、今その疑問や疑念を言ってしまいなさい。教祖が生きている間にこの気持を言う機会がなかったと、後で後悔しないように」。ブッダのこの言葉に、誰もが黙したままで、問題を口にする比丘は一人もいませんでした。ブッダ、ダンマ、サンガに関して疑問や疑念のある比丘は誰一人いませんでした。(443)

 ブッダは二度三度、同じように機会を与えましたが、誰も何も言う比丘はいませんでした。アーナンダは「世尊。これは信じられない不可思議なことです。私は、この巨大なサンガには、ブッダ、ダンマ、僧に関して疑問や疑念を抱くものは一人もいないと、真実信じます」。(444)

 ブッダは言いわれました。「アーナンダ。あなたは私への信頼と信仰でそう言います。しかし私はこのサンガに、ブッダ、ダンマ、サンガに対して疑問や疑念を抱く人が一人もいないことを良く知っています。なぜだと思いますか、アーナンダ。ここにいる比丘は、最も徳行の少ない比丘でも預流であり、涅槃に到達することが確実で、普通に戻ることはないからです」。(445)

 ブッダはそこに集まっている比丘たちに挨拶をし、ブッダがこの世の人間に話す最後の言葉を言われました。

 「比丘のみなさん。これがみなさんに伝える最後の言葉です。すべての行(原因によって作られたもの。この場合は心身)には終りがあり、当たり前に衰えて行きます。みなさん、不注意でないことでで解脱を最高に完璧になさい」。(446)

 それからブッダはサマーパッティ(深いサマーディの呼び名。無形禅定は定と呼ばず、サマーパティと呼ぶ)に入り、次第に深まって九番目のサマーパティまで行き、それからまた、次第に浅いサマーパティに引き返して、しばらくの間一旦サマーパティから出て、再びサマーパティに入って四禅まで行き、五番目のサマーパティを出た時は蘊が滅して、この世界にも、どこの世界にも、再び生まれる物は何も残っていませんでした。このようにしてブッダは涅槃に行かれました。(447)



 シッダッタ王子が大悟してサンマーサンブッダになられ、インドのクシナラー郊外で涅槃に入られてから、二十五世紀という時間が流れました。しかしブッダの素晴らしい教えは涅槃と共に滅びた訳ではありません。それらの教えは、世界の多くの動物を脱出させ、命より価値がある物に至らせる道具として、いまでも維持されています。(448)

 ブッダが涅槃に入られた後、阿羅漢も阿羅漢でない弟子たちも力を合わせて、ブッダヴァチャナをインド中に布教し、弟子たちは国境を越え、西はエジプト、東はチベット・中国・日本まで、北はラップランド・北極地方、そして南はジャワと小さな島々まで、ブッダの教えを広めました。

 二千五百年が過ぎた現在、世界人口の三分の一の人々が、ブッダは阿羅漢でありサンマーサンブッダであり、人間と天人に涅槃と涅槃への道を説いた教祖であると、深い尊敬を込めてブッダの名前を口にしています。(449)




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