第15章 パチャバディー王女





 ある時父スッドーダナ王が重体になりました。ブッダは、出家して比丘になっている腹違いの弟ナンダと従兄弟のアーナンダ、サーリーブッダとモッカラーナを伴って、カビラバスツに見舞いに行かれました。初めは最愛の息子に再会できたので、王の病状は小康状態になりました。

 誰もが王の病気は治るに違いないと考えましたが、小康状態は一時的なものでした。王は病気に抵抗するには老いすぎていたので、二、三日後には再び危篤になり、人々の悲しみの中で息を引き取りました。(337)

 主君である王が亡くなると、ブッダを実の子のように育てた養母であるパチャバディー王女は、その後在家で居たくないと思いました。主君である王の死を悼み、梵行をすることに満足を感じたので、ブッダの近くで教えを聞くために出家したいと望みました。王女は、王女と離れたがらずどこへでも付いていく数人の侍女を連れてブッダに会いに行き、「どうぞ哀れみをもって、他の比丘と同じように女性が出家することを認め、傍で教えを聞くことを許してください」とお願いしました。

 王女は三度、女性が出家してブッダと一緒に住むめるよう懇願しましたが、ブッダはその度「そのような願いをしないでください」と言って断りました。パチャバディー王女はブッダの拒絶を非常に悲しみ、王女と侍女たちは揃って泣き嘆きました。(338)

 スッドーダナ王の火葬が済むと、ブッダはまたいろんな地方へ向かって旅に出ました。そしてある時ヴェーサリー国のマハーワンという森に到着しました。パチャバディー王女は髪を落とし出家の衣をまとい、侍女を伴って、ゆっくりと少しずつ歩みを進め、ヴェーサリーの近くの、ブッダが滞在しているマハーワンの森へ到着しました。(339)

 長旅をしたので足の裏は水脹れでむくみ、全身は埃をかぶって痩せ細り、疲れてお寺の外に立って泣いていました。応対に出たアーナンダは、そのように哀れな様子で立っている王女を見て、なぜそのような格好で泣いているのか尋ねました。(340)

 王女は答えました。「アーナンダさん。世尊は女性が家を捨てて出家し、ダンマヴィナヤの下で出家として暮らすことを許してくださいません。私は出家以外に望みはないので、泣いています」。(341)

 アーナンダは答えました。「ゴータマ族の王女様。そのようなお話なら、私が世尊に、女性が出家することを許して、他の比丘たちと同じように世尊の下でタンマヴィナヤの行動ができるよう、お願いして差し上げます」。アーナンダはパチャバディー王女と約束したようにに努力し、ブッダの所へ行くと、慈悲で女性たちを、男性と同じに出家する許可をしてくれるように、非常に身を低くして懇願しました。(342)

 その時のアーナンダに対する答えは次のようです。「止めなさい、アーナンダ。止めなさい。私にそのようなことを頼まないでください」。アーナンダは引くことも諦めることもせず、二度、三度同じお願いを繰り返し、そのたびブッダは同じように拒否なさいました。(343)

 アーナンダは「直接お願いしたのでは許可してくださらないが、他の方法ですれば許可してくださるかもしれない」と考えました。そこでアーナンダは世尊に尋ねました。「スガタ様。もし女性が家を捨てて出家し、厳格に世尊のダンマヴィナヤの梵行をしたら、女性たちは涅槃に至るための八正道で、四段階の素晴らしいダンマに到達できるでしょうか」。(344)

 「アーナンダ。もし女性が家を捨ててタンマヴィナヤの下に出家すれば、同じように現世で阿羅漢になり、涅槃に到達することができます」と、ブッダはお答えになりました。(345)

 アーナンダは言いました。「もしそうなら世尊。家を捨てたゴータマ族のパチャバディー王女様と、お付きの女性たちが男性のように出家して、世尊がすべての人類を救うために公開された最高のタンマに到達するために、タンマヴィナヤの下で梵行をすることを許して差し上げてください。

 王女様は世尊の母上の妹君であり、母上様が亡くなった日から、母上様に代わって世尊に乳を与え、非常に大事に慈しみ深くお育てくださった、世尊にとって最も恩のあるお方です」。(346)

 世尊は言われました。「分かった。ゴータマ族のパチャバディー王女が、望んで八項目の鋭い規律を厳格に受け入れるなら、それをもって王女の具足戒とします」。それから世尊は、アーナンダに八項目の規則を言いました。

 「出家した女性は、いくら出家後の年月が長くても、出家して一日しかたっていない比丘を敬わなければならない。

 比丘のいない所には住まない。

 一か月のうち半分は、サンガから教育を任されている比丘の教えを聞かなければならない。

 バヴァラーナーの日には、比丘と比丘尼の双方から忠告や勧告を受け入れる機会としなければならない。

 粗い破戒を犯せば罰を審議され、比丘、比丘尼双方のサンガの破戒から出なければならない。

 比丘尼として出家する前に、最低二年間、試験期間としてシッカマーナ(タンマを学ぶ女性)として行動しなければならない。

 比丘に、いかなる粗暴な言葉も言ってはならない。

 比丘に忠告する人とならず、比丘の忠告を受ける人とならなければならない。

 アーナンダ。ゴータマ族のパチャバディー王女が、八項目の鋭い規則を望んで受け入れ、生涯厳格に守るなら、王女を完璧な比丘尼と見なします」。世尊は最後にはそのように言われました。(347)

 アーナンダはブッダの許可を貰うと、パチャバディー王女のところへ行って、世尊が言われた項目をすべて告げました。王女は非常に喜び、胸を躍らせて言いました。

 「アーナンダ様。若いおしゃれな男女が体と髪を綺麗にして、色とりどりの香りの良い花で作った花輪を、体のどこよりも大事なところである頭上に、両手で注意深く載せるように、私はこの八項目を頭上に置き、同じように注意深く扱い、生涯これを犯すことは致しません」。(348)

 アーナンダは世尊の所へ行き、世尊に奏上しました。

 「ゴータマ王族のパチャバディー王女は、世尊が王女に対して厳しく定められた八項目を受け入れられ、世尊の叔母様は望み通り比丘尼になられました」。(349)

 しかし世尊は言われました。

 「アーナンダ。女性が持して実践する私のタンマは長続きしないのです。女ばかり多くて男が少ない家系は、盗賊などの襲撃に耐えられないように、私のタンマを女性が実践しても、長く続きません。害虫がついてしまった麦畑やサトウキビ畑のように、長く美しく繁茂することはありません」。

 その後の経過は、すべて世尊が予言したようになり、パチャバディー王女を最初とする比丘尼の出家は、それから約五百年続いて消滅しました。(350)




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