第十四章 ブッダの日課





 ブッダは四十五年の間、大衆に説法を説き続けました。その間中、インドの北部、現在のウーダ地方とベンガル北部を旅していて、雨季以外は、一ヶ所に二、三日以上留まることはありませんでした。雨安居をする雨季には、ピンピサラ王が献上したラージャガハ近郊の竹林精舎か、アナータビンディカ長者が建造して寄進したサ-ワッディ近郊の祇園精舎で過しました。(313)

 その間、ブッダは次のような日課を果たしました。朝明るくなる前に目を覚まして体を清めると、その日誰にタンマを説くのがふさわしいか、期が熟しているかを洞察し、その人の救済に出掛けました。(314)

 夜が明けると、ブッダは手に鉢を持って、滞在している場所の近くの集落に托鉢に出掛け、地面に視線を投げ、この家、あの家から、ブッダの鉢に食べ物を入れてくれる心有る人だけから貰いました。ブッダ一人で行くこともあり、比丘たちと行くこともあり、整然と一列になって並び、それぞれが鉢を持ち、誰もが同じように静かで明るく澄んでいました。時々ブッダを家に招いて食事を献じる人もいました。

 そのような招待を受けるにふさわしい時は、彼らが用意した席に着座し、彼らがブッダから鉢を預かって行き、上等な料理を入れて持って来た鉢から食べます。食べ終わって手を洗うと、ブッダはそこにいる人達に、この世界でも、どこの世界でも、幸福と不幸になる善と苦を教えて会話し、それらの人が勇敢に実践するよう勧め、それから寺である住まいに戻りました。(315)

 精舎の近くにある木陰の休憩所に座って休み、そこでブッダと一緒に住んでいる比丘たち全員が托鉢した食事から戻ってくるのを待ち、それから自身の住まいへ戻って、そこで足を洗って少し休まれます。

 比丘たちが話し合うために集会堂に集まると、ブッダが行って何かその会合にふさわしいこと、あるいは比丘たちがその時話し合っていることについて話します。ブッダはいつでも、比丘たちが一生懸命学んで、タンマとヴィナヤを実践し、現世で最終目標、つまり涅槃に到達するよう鼓舞しました。(316)

 ブッダが話し終わると、たいていは比丘の誰かが、自分の目標に到達するために自分に合ったタンマを教えてくださいとお願いし、ブッダはその比丘の能力がどの程度か、どこまで達成しているかを考慮し、その度合いに合ったタンマを説いて聞かせました。比丘たちは適当な時刻になると解散して、各自ブッダから教えられたタンマの項目を達成するために、静かな場所、木の根元や森や廃屋へ行き、ブッダは自身の居所へ戻られました。(317)

 雨季ならブッダは、どこか一ヶ所に十分と感じるまで滞在しました。その間は、近くの村や県の人々が、夕方ブッダを訪ねてきました。何か寄進するために物を持ってくる人達もいれば、説教を聞きにくる人たちもいました。ブッダは金持ちも貧民も、知識のある人も無い人も、そこにいる誰もが知識と理解を得られるような話し方と、非常に尊敬したくなるような態度でタンマを説きました。

 そこにいる人達はいつでも、ブッダが自分たちのためだけに答えてくれる項目と感じ、他の人たちに教える別のタンマがあるとは、少しも考えませんでした。聞き終わると誰もが満足し、喜びに打ち震えて説法を賛美し、自分は生涯仏教を信奉し、厳格に実践することを、ブッダの前で表明しました。人々が家に帰る時、心にはその日聞いたすべてのタンマが満ちていました。(318)

 その人たちが帰ると、お寺のどこかへ水浴しに行きました。近くに水浴できる池や沼があれば、そこへ行って夕方の水浴をしました。それから何らかのサマーディで、しばらく休憩しました。(319)

 夕方遅くなると、一緒に住んでいない比丘、余所からブッダを訪ねてきた比丘や説法を聞きにきた比丘に、説法をしました。ブッダはそれらの比丘を親しみをもって迎え、彼らが難しいタンマを理解し、明るく満ち足りて帰れるようになるまで、教え説明しました。(320)

 ブッダはこれらの日課を、すべての比丘に対して、四十四年間毎日休むことなく、哀れみと忍耐で、喜んで行ないました。ややこしい質問に答えて説明なさる時、その質問を不満に思うこともなく、友好的な質問も、敵意のある質問も、誰の質問にも腹を立てることはありませんでした。そして質問されて答えられない問題もありませんでした。(321)

 ブッダに拝謁しに来るあらゆるタイプの人に対して、知りたくて、理解したくて質問する人にも、ブッダを遣り込めるために来るた人でも、常に適切な言葉で答える準備があり、いろんな深いタンマを知って、理解したくて質問する人には、その人の利益になる非常に満足できる回答をしました。

 またブッダの力を試したり挑戦に来る人もしょっちゅういましたが、ブッダの能力に完敗して、ブッダの言葉を認め、出家して生涯ブッダに忠誠を尽くす弟子になりました。(322)

 夕方、一日中座って足が疲れれば、体の凝りや疲れをほぐすために、精舎の中を歩いて元通りの元気を回復させました。心ゆくまで歩行をすると、比丘たちとの宵の会話の準備が整います。(323)

 深夜近くは、都の王など身分の高い人たちが、自分が知りたい問題について話すためにやって来る時で、ブッダがこれらの自由な人の問題解決について納得が行くまで答えると、適当な時刻に帰って行きました。(324)

 それからブッダは「獅子が薬を掬い上げる」と呼ばれる姿勢、つまり右側を下に寝て、足を重ね、手は体に添って上に載せ、もう片方の手は折って頭をのせる寝相、一般に見られる涅槃像の寝相で、目覚めるべき時刻に目覚めるようサティを定めて寝に就かれました。ブッダは夜明け前の午前三時頃に目覚め、集中して熟慮し、夜が明けたら誰にタンマを説くべきか、動物の状況を調べ、ブッダの仕事を続けられました。(325)

 ブッダの説教の四十五年間は、旅の間を除いては、毎日毎日このような日課を果たされ、ご自身の時間のすべてを、教えることに使われました。宗教のタンマばかりでなく、世界の人の生き方に関わる問題にも答え、アドバイスしました。必用があれば、ブッダの周到で鋭い智慧で、人々の中へ出掛けて行かれることもありました。(326)

 この例としては、ブッダがサーヴァディの国に近いジェッダワン(祇園精舎)に滞在されている時、カビラバスツの人々とゴーリヤの人々が、田んぼに引く水のことで争っていました。時は乾季で、雨が長いこと降らないので、カビラバスツとゴーリヤの人々の田んぼに流れ込む川が干上がってしまい、水は僅かしか残っていませんでした。どちらも、相手側に水を分けてやらないで、全部自分たちのものにしたいと考えたので争いになり、水を手に入れるために殺し合うまでなりました。(327)

 カビラバスツの人はブッダの親戚や自国の人なので、これらの人々が僅かな水が原因でゴーリヤを攻め滅ぼすこと、あるいは自らが滅びてしまうのは哀れだと思われ、人々が手に手に武器を持って殺し合おうとしている現場に足を運びばれました。そこでブッダは次のような会話をされました。(328)

 「サーカヤの長と兵士たちよ。私に真実を答えなさい。あなた方は何のことで殺し合う準備をしているのですか」。(329) 「私たちは自分の田んぼに水を引くために、この川の水のことで争っています」。川の両側から返事がありました。(330)

 「良い。しかし私に本当のことを答えなさい。僅かばかりの川の水と血管の中の多量の血、特に王子や兵士たちの血と、どちらが価値がありますか」。(331)

 「王子や兵士たちの体の中の血の方が、川の水よりずっと価値があります」。(332)

 「ならば非常に価値のある血を、僅かしか価値のない水のために失うのは、正しいことでしょうか。そうすべきでしょうか」。(333)

 「スガタ様。ちっぽけな価値しか無いもののために価値あるものを失うのは割りに合いません。正しくないことです」。(334)

 「本当にそうならみなさん。みなさん、自分自身の怒りと戦って勝ちなさい。殺戮するための武器を置き、自分の怒りを殺すことができた人々で、合意しなさい」。(335)

 カビラバスツとゴーリヤの人々は、ブッダに教えられて、自分たちの善悪を弁えない愚かさを恥じ、ブッダの提案に従い、水を平等に分けることで合意し、その後も平和に暮らしました。(336)




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