タンマと私たち

 

「商業‐会計」19477月号

  編集長さんから、「義務と、そしてタンマに対して実践する方法」について書くように言われました。タンマという言葉は、綴りは一種類ですが、意味としてはいろんなレベルの何種類もあるので、どのタンマについて書いてほしいのか分からず、確信が掴めないでいる時、すべての種類を知るために、最初のレベルについて書く方が良いという考えが生まれました。編集長さんが気にいったものを選ばれたら、後でそのタンマについて詳しく書く時間もあるので、そうすれば目的に適うと思います。

 タンマという言葉は、言語的には、「それ自身で存在しているもの」という意味で、意味としては「すべてのもの」です。変化するものも、変化しないものも、タンマと呼ばないものは何もありません。変化するすべてのものは、変化によって存在し、あるいは真実では、変化が「そのもの」で、変化しないものは、変化しないことで存在し、あるいは変化しないことが「そのもの」です。

この二種類はどちらも安定しているので「ダルマ」あるいは「ダンマ」と言います。パーリ語かサンスクリット語かによります。タイ語のタンマは、言語的には、「もの」という純タイ語に相当し、普通名詞で、すべてのものを意味します。そして冒頭で述べたように、それとして存在する状態があります。それに対して私たちが行なわなければならない義務は、「無視すること」以外にはありません。自ら志願して背負いこみ、代わりに存在しないでください。

これがタンマという言葉を集約した意味、そして最も平均的な意味です。しかしこのタンマという言葉は、大きさも種類も目的も違って使われるのではっきりしません。だから後者の場合は、一種類ずつ検討しなければなりません。

 例えば「タンマの行動をする人が悪趣に行くことはない」という文中のタンマは、道徳全般を意味します。一般の人が行なわなければならない義務は、みんなで行動するように自分を律すことです。多くの人が道徳を守らないのは、知らないからではなく、誰もが踏みつけにしているからです。みなさん、これからはみんなでバ踏みつけにするのを止めてください。

「学識者は黒いタンマを捨て、白いタンマを発展させるべきだ」という文中のタンマという言葉は、行動という意味があり、もっとはっきり言えば、「学識者は黒い行動を捨て、白い行動を発展させるべきだ」になります。タンマという言葉が行動( action )に相当する場合はこのように中立の意味があるので、善いことだけをする義務があります。

「ワンプラ(菩薩日)毎に説法を聞いても、彼は天と地のようにタンマから離れている」という文中のタンマという言葉は、ブッダが規定したタンマのレベルにふさわしい状態、あるいはあるレベルの state で、これに関わる私たちの義務は、自分の名誉にふさわしく、急いで自分のレベルを上げることです。

「すべてのサンカーラ(行)に発生と消滅があるのはタンマである」という文中のタンマという言葉は、自然( nature )という言葉に相当します。私たちの義務は、あるものは学んで精いっぱい観察するべきであり、あるものは独自にするしかありません。

「ブッダはサッチャダンマ(真理)を開示するために世界に誕生した」という文中のタンマという言葉は、自然の法則( low of nature )を意味し、たとえば「苦はそれから生じ、滅苦はそれによってある」というような、あるいは「すべてのものはこうこうでなければならない」といったようなもので、私たちの義務は、自分をその法則に合わせなければならないこと、その法則を有益に使うことを知ることなどです。(ここで言う真理という言葉は、タンマという言葉と入れ替えて使うことができます)。

「身体の器官を購うために財産を使い、命のためには身体の器官を犠牲にし、タンマのためにはすべてを犠牲にする」という文中のタンマという言葉は、「正義」あるいは righteousness を意味し、私たちの義務は正しい方向のものを、自由に選ぶことです。

「タンマでない判決、タンマでない告訴」という文中のタンマという言葉は、公正( justice of justness )という意味であり、私たちの義務は公正になるように注意することです。

死者に唱える「すべての善のタンマ、すべての悪のタンマ、ブッダが善とも悪とも規定しなかったタンマ」という文中のタンマという言葉は、「もの」という言葉に相当する中立の言葉で、私たちの義務は、どの意味か決っていないので、実践面で、それは何かと言うことができません。これは、パーリ語のタンマという言葉は、どれほど広いかということを説明するためで、形容詞がついていなければ、このようなタンマには「もの」以上の意味はありません。「もの」は thing と同じです。

「すべてのタンマが抜き取られれば、すべての主義、見解も抜き取られる」という文中のタンマという言葉は、生き物の執着の輪の中のいろんなものを意味しますが、執着する類のものだけで、執着しないもの全般ではないので、上の項目より少し狭いです。この例はお金、金銀、子供、妻、持ち物、アヒル、鶏、牛、水牛等々です。

動物、人、自分、私、私たち、彼、私たちのもの、彼らのもの、という執着を抜いてしまうことができれば、みな同じサンカーラ(作られた物)に見え、その人にとってそれらの名詞は意味がなくなります。このタンマという言葉は、「執着されるもの」、つまり執着のある取蘊で、この種のタンマの私たちの義務は、執着をせず、抜き取ることを考えて鎮まり、それらのタンマに振り回されなくなることです。

「発生源のあるタンマは何でも、如来様はそれらのタンマの原因を説明なさる」という文中のタンマという言葉は、作り上げる原因があり、そしてその原因の威力で経過するよう支配した「結果であるもの」あるいは phenomena  という意味で、これらの結果であるものへの私たちの義務は、その原因が見つかるまで探し、そしてするべき処置をすることです。たとえば苦は、集める欲望の結果なので、願望する力を、智慧方の感じる力に変えることで、したいという気持ちで何かをしないで、「正しい」「するべき」という気持ちですれば苦も減り、最後には無になります。

「涅槃はヨーガ(繋ぐこと)から脱したタンマで、それ以上のタンマはない」という文中のタンマという言葉は、すべてのものの中の何らかのものという意味です。一般名詞なので、他のものと同じように実践上の何らかの意味を探すことはできません。タイ語の「もの」、あるいは英語の thing と同じように、この文のタンマに関して義務は生じません。

「彼は見返りであるディッタタンマ(動物がすでに見たタンマという意味)の利益を受け取る」という文中のタンマという言葉は、時間に相当し、時間という意味です。「ディッタタンマの」とは、自分が見ることができる時間の中で、つまり来世を待たずに現世で、という意味です。このように時間という意味の場合は、前の項目と同じで、まだ何の義務も生じさせません。

「具足戒を授かって出家した人は、メートゥナ(淫欲)タンマを嗜むべきではない」という文中のタンマという言葉は、行動という意味です。「学識者は黒いタンマを捨て、白いタンマを育てるべきである」という文章以上に中立な言葉で、善や悪の方向を示さない普通の行動( doing )で、普通名詞の一つで、世俗面の意味、タンマ(宗教)の面の意味は何もなく、他の言葉と組み合わされた時、何らかの方向の意味が生まれます。

例えばメートゥナタンマという語になると、異性、つまり男女の行動という意味になります。ここで言うタンマという言葉は、前のニつの例と同じで、義務を生じさせる意味はありません。(パーリ語のタンマという言葉を、ブッダがどんなに多様な使い方をしたかが分かるように例を挙げました)。

「彼は自分のタンマを純潔と言い、他人のタンマを欠陥があると言った」という文中のタンマという言葉は、教義という言葉に当たり、よりはっきり言えば、「私の教義は正しく何でも揃っていて、彼の教義は不完全だ」となり、現代の宗教家が自分の宗教を自慢して、何でも揃っているので、世界の普遍的な宗教として取り上げるにふわさしいと見せる言葉のように、タンマという言葉は教義( dogma )に相当します。このような場合も義務を生じさせません。しかし義務を生じさせたら、教義を良く選ぶよう気をつけてください。

「比丘のみなさん、この宗教の比丘は、当然敬意をもってタンマを聞き、敬意をもってタンマを学ぶ」という文中のタンマという言葉は、三蔵の勉強や、ナックタム(僧試験)の勉強、パーリ語の勉強などのタンマの学習を意味し、何でも教科書や経典で勉強することです。この意味のタンマに関わる義務は、努力して学び、努力して聞き、考える努力をし、憶える努力をし、努めて質問することです。

「タンマはタンマの行動をする人を護る」という文中のタンマという言葉は、勉強という意味ばかりでなく、タンマの行動、あるいはタンマの実践のことです。この種のタンマの義務は、実践することで、知るだけでは十分ではありません。あるいは俗世につきものの、タンマの神聖な威力を寝て待っているだけでなく、本当に実践しなければならず、急いでわき目も振らずに実践すれば、脱出できます。

「タンマを喜ぶ人は、当然幸福である」という文のタンマという言葉は、パティヴェーダタンマ(結果)、つまり実践した結果という意味、つまり自分が到達したマッガ(向)です。簡単に言えば実践の結果で、タンマから生じる喜びは、自分が到達し、自分で見えたタンマからしか生じません。どんなに小さくても、自分で到達して見えたタンマでなければ、喜びは生じないので、ここでのタンマは、行動した結果という意味です。私たちの直接的、間接的な義務は、古臭いものと考えず、味見をして見ることです。

「タンマが見える人は如来(ブッダの一人称)が見える。タンマが見えない人は、私の僧衣の隅を引き寄せてどこかへ一緒に行っても、私を見た人とは言わない」という文にあるタンマという言葉は、煩悩がない純潔を意味し、一部でも全部でも、タンマの行動をし終わった時にある素晴らしさです。純潔な人、すべてを明らかに知る人、このように穏やかな幸福がある人と、ハッキリ見えれば「阿羅漢が普通の人と違うのはこの点だ」と見えます。

だからここで「タンマが見えると言われる」と言う時のタンマという言葉は、阿羅漢であること、あるいはブッダであることという意味で、これに関する私たちの義務は、ブッダが知ったように知らなければならないこと、ブッダが脱したように、善と悪から脱すこと、特に、その知識の結果を自分の心で味わうまで、四聖諦を知ることです。

「タンマは世尊が良く説かれたもの。私たちはそのタンマに敬意を表明させていただく」という文のタンマという言葉は、衆生を苦から解脱させる教えだけを意味し、「苦の軽減する道を指すこと、素晴らしい幸福寂滅を指すことと、悲しみや別れや危険から脱す涅槃を指す」ことだけで、前の項目のようにすべてのものを意味しません。ここでの私たちの義務は、説かれたタンマが(二足す三は五のように)本当に検証に耐えるかどうか深く熟慮し、ブッダは本当に良く説いている、つまり間違っていないと見て尊敬すること、自分で発見したもののように見習って、自然に結果を生じさせることです。

「すべてのブッダは誰を尊敬したかは、タンマを尊敬した」という文中のタンマという言葉は、自分と他人に対して行動すべき規律を意味します。自分はその規則を守ることから得られる結果を望んでいなくても、世界の教えであるその規則を守ることを尊重しました。自分は徳や罪から脱し、二度と徳や罪に塗れない人になっても、この規則が、一般社会の重要なな原則として維持されるように、罪を捨て徳を積む教えを守ることを尊重し、そして自分は苦を脱しても、滅苦のために実践する規則を尊重しました。

ブッダは、尊敬するものがない生活は適当でないと見ましたが、ブッダ同士にも尊敬する人を見つけることはできなかったので、タンマ、つまり永遠に世界にある真実の秩序( truth system )を尊敬しました。「ブッダ自身でさえ尊敬した」という場合のタンマに対する私たちの義務は、尊敬すること、「善があるように維持している」と感じることができる自分を尊敬することです。そしてそれを育てて最高に善くし、少しも不注意のない、検証に耐えるタンマの秩序を尊重します。

子供の規則を軽視する大人は、その規則を守ることに関わる子供の気力を失わせます。それは、その大人が、「規則には大人と子供がある」と考えるほど愚かすぎるからで、すべての規則は同じと見、実行する人に大人も子供も無ければ、規則を尊敬したブッダのように、十分規則を尊重する人です。

「少ししかタンマを聞かなくても、名身(心身)でタンマを見れば、その人はタンマのある人と呼ばれる」という文中の三つのタンマという言葉は、三つとも違い、初めのタンマは「教え」という意味で、二番目はその人が生じさせた「タンマの実践の結果」という意味で、三番目は、その人の体にある「タンマの実践」という意味です。この文章は全部義務を生じさせます。

たくさん勉強したかどうかは重要ではないので、少なくともタンマの味を知っていただくようお願いするだけです。そうすれば幸福になり、タンマの行動をする人、あるいはタンマのある人と称賛されます。三蔵の勉強が終わってもタンマが見えなければ、タンマのある人と呼ばれる術はなく、本の虫、あるいはニッパ椰子(昔経典を刻んだ椰子の葉)を背負う人です。

 みなさんが選べるよう十分書きました。本当に全部書いたら、みなさんは読み切れず、目移りがして選べないので、どれか一つの面のタンマを見て、それがあなたの目に入ったら、その角度からじっくり良く見てください。そうすれば自然に他の面にも通じ、完璧になります。タンマに出合ったらどう対処するかは、問題は、どのタンマ、あるいは何を意味するかという所にあります。

みなさんは出発点がみな違うので、一人一人に合ったものを選ばなければなりません。現代社会はタンマを考える時間がなく、あるいは読む時間も、聞く時間も無いので、その人たちがタンマを有益に使うのは困難です。その上、いずれかの意味のタンマという意味で、タンマを求めるかどうかも分かりません。

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