人としてどう生きれば黒字か





 私は人間同朋のみなさんに、みなさんが彼らのような人でなく、私たちのようなら、私たちはどうすれば赤字にならないか、という問題を考えていただきたいと思います。毎日人として生きるのにも投資しなければならないの? と聞き返す人がいるかもしれません。一般に見られるのは教育への投資、商売への投資、あるいはそのような物への投資ばかりで、人であることに投資する人は見たことがありません。

 私は、人のすべての動きは、行動も、行動の結果を受け取ることも、すべて人であることへの投資だという考えがあることを、お詫びしなければなりません。私たちは労力を投資して輪廻を駆け回わり、投資して人に生まれ、生きるために投資しています。

 笑って泣いて、満腹し、空腹になり、愛し、悲しみ、夢中になり、無気力になり、風呂場へ行き、トイレへ行き、病気になり、快癒して、最後に再び生まれるために死ぬまで、これらのすべては、知るために学び、そしてその後は、今までのように輪廻を駆け回わることに懲りて、恐れを感じるための投資です。

 私は行為も、行為の結果を受け取ることも、善いことも悪いことも、すべては私たちがそうするよう、そうなるよう、自然に強制されていると見ます。これらの法則より上に行くこと、つまり涅槃に行くことができる人になるために学ぶ投資です。「人間」になってみることで投資しなければ、際限なく「人」(あるいは動物)でいければならないことから抜け出す知識はありません。私たちは学んで知り、試験をして、その後人でなくても良い段階に到達するために、人であることに耐えることを投資します。

 すべて学習課程を満たした人でない限り、つまり赤字でない、儲けのある人でない限り、再び生まれなければならないので、死はこの項目にとって何の救いにもなりません。別の言い方をすれば、自分が人であることを超えられるまで、十分人であることを体験することで、人であることを学びます。

 私たちは、どんな事態が生じても苦を知らない人になることで、日常的に儲けのある人になります。そして最終的に、二度と苦が生じない境域に到達することで、圧倒的な儲けがあります。

 生まれて来て働いて、成功して豊かになり、名誉と財産で幸福を増やして、それでも人として赤字と言うのかと、質問する人がいます。私は、豊かな幸福は投資の一つ、あるいは人であることの投資の一部分にすぎないと答えます。

 つまりそれらも苦の行動と同じように仮の物であると学んで知るための投資で、それを正しく知れば人間であることが増え、純潔と明るさと穏やかな幸福の、あらゆる面で完璧な人になります。

 だからて豊かな幸福はまだ投資でしかなく、結果である儲け、人であることの儲けではないので、元手を儲けのように使ってしまえば財布はスッカラカンになってしまい、そして地に伏して泣かなければなりません。信じない人は豊かな幸福を、人生の儲けとして使って、あなたの「人であること」をどんどん取引して見れば、自分で見えます。


法施図書室にて
1943年3月19日

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