仏教は科学

 

 科学について話すと、自分の問題ではない他の分野の人のことと見て、興味のない人もいます。これらの人の気持ちも察しますが、この言葉を言わない訳にはいきません。なぜなら、これからお話しするように、今問題に直面しているからです。科学とは物質のこと、世界のこと、新しいこと、人工の物、人をだますために偽物を作ることとだけ理解されています。科学という言葉はこのように理解されてしまい、そして何も分からずに話されています。

本当の科学とは、真実であるものを呼ぶ時に使う言葉であり、そしてその真実は見ることができ、検証でき、思索に依存する必要がない、試して見ることができる、鵜呑みに信じる必要のない、夢中になって執着する必要のない真実です。今回の一連の講義の題を、「科学であるタンマ」としたのは、タンマが科学であることは事実だからです。この真実を知らないから理解できないで急に止まってしまいます。あるいはタンマを科学のように使うことができません。

現代、非常に満足して夢中になっている科学でないもの、つまり哲学がたくさんあり、現代社会は哲学に熱狂する世界のようです。哲学への熱狂は世界中に蔓延するので、私も防衛しなければなりません。

つまり仏教を守るため、あるいは哲学の熱病が仏教を覆わないよう、仏教を科学のように学び科学のように実践するために、仏教が哲学と袂を別って科学の形であるよう、仏教を護らなければならないので、仏教は科学と見えるように説明する努力をしています。そして更に、ここで言うタンマとは何か、という理解を明確にします。ここで言うタンマとは、私たちが宗教と呼ぶものを指しています。

これについては、昔、特にブッダの時代、当時の人々は、現代人が宗教と呼んでいるものをタンマと呼んだと、何度もお話しました。たとえば現代、「あなたは何の宗教を信じていますか」と訊く時、昔は、「あなたは何のタンマを、どの項目のタンマを、誰のタンマを信じますか」と言いました。だから宗教とはタンマのことです。そして今日取り上げて話すタンマというのは、仏教体系を意味し、仏教体系全体を、タンマという短い言葉で呼びます。

そしてタンマと呼ばれるものは科学であり、哲学ではないと知ってほしいと思います。哲学はタンマでも宗教でもないので、滅苦はできません。滅苦に関係のないタンマ、勉強するためだけ、知るためだけ、論争するためだけのタンマです。だからみなさんに関心を持っていただきたいのは、ここでタンマについて話すのは、実践でき、そして実践すれば滅苦ができる、宗教であるタンマです。

 今は至る所に問題が山積されています。つまり今、宗教、あるいはここでタンマと呼んでいるものに関して論争をする人たちがいて、その中には、仏教は哲学であり宗教ではないと反論する人もいます。その人は宗教という言葉の意味を知らないか、あるいは違うものと思っています。私は、宗教は科学でなければならないと、何度も繰り返し言っています。仏教なら、哲学の形でなく、科学の形をしていなければなりません。これからはっきりと分かるように説明します。

 今論争に夢中になるばかりで、仏教は哲学であって宗教ではないと言う人もあり、仏教は科学と矛盾すると言う人もいます。現代人にとって「科学と矛盾する」と言うことは、彼らは「宗教は使い物にならない。科学の原理と矛盾すれば真実ではない」と見なしているということです。

 彼らは、仏教は科学に反すと非難します。私は「そうではなく、仏教は科学」と言います。中には「仏教は宗教ではない」という人さえいます。その人は仏教を哲学にすることに夢中になっているので、仏教を哲学の形でしか勉強しないので、滅苦ができません。

どうぞ、「仏教を哲学の形で学んだのでは滅苦はできない」と私が主張していることに興味を持ってください。それは滅苦ではありません。私たちは仏教を、科学である宗教の形で勉強しなければなりません。そうすれば、本当に苦を根絶させるまで実践することができます。

仏教は哲学ではなく、仏教は心理学でもなく、仏教は論理学でもなく、仏教は鵜呑みに信じる(信仰する)教義でもなく、仏教は滅苦のために、自然の法則で実践するための、科学と呼ぶような自然の真実です。

だからみなさん、科学である仏教を正しく知ってください。そうすれば今世界に蔓延し、全世界を支配している哲学狂を防ぐことができます。哲学狂はいま非常に蔓延して、世界中が病気になりつつあるので、仏教を学んで利益を得ることができません。

だからこの問題を最後まで理解していただく機会を、頂戴したいと思います。みなさんの中には、自分のことと無関係なので、退屈に感じる方もいると思いますが、冒頭で、この問題は話す必要があると申し上げたように、段階的に順に明解に説明して、十分になるまでこの問題を話す機会をください。

要するに、一部の方には面白くない話題ですが、どうぞ我慢して聞いてください、とお願いするようなものです。しかし他の一部の人には、もしかしたら非常に聞きたくなる話かもしれません。どうしようか考えると、真実のために、真実を知らせるために、そして仏教の利益があるように使うために、話さなければなりません。そうすれば仏教を流行り病の危険から、つまり哲学熱狂病から護り、科学として振り返って見ることができます。


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