如意足とは成功の脚と訳し、望みどおりに成功させる功徳のある物を意味します。何かを成功させたいと望む人は、如意足と呼ばれる四項目で自らを完璧にしなければなりません。
1.欲(チャンダ) それに満足して愛すこと
2.進(ヴィリヤ) その努力すること
3.心(チッタ) 本気でそれに関心を持つこと
4.思惟(ヴィマンサー) それの道理をひたすら広く調査し熟考すること
この四つのタンマは当然関連があり、それぞれの義務があります。
チャンダは、自分が「人間が得るべき最高に善い物」と信じる物として満足することです。この項目は、後のすべての項目が功徳を生じさせる、最初の気力になります。
ヴィリヤ(精進)は努力で、成功するまで長く途切れることのない連続した行為を意味します。この言葉は、一部に勇敢という意味が含まれています。
チッタは自分の気持ちからそれを放り出さないで、いつでも心の中で、その目的をはっきりさせておくという意味です。この言葉には、サマーディという言葉の意味が十分に含まれています。
ヴィマンサーはその成功の原因と結果を、いつでもどんどん深く調べて熟慮することを意味します。この言葉は智慧という言葉の意味を十分に含んでいます。
この四つの徳行がある人は、人間にとって不可能ではないことに成功します。率直に言えば涅槃と呼ぶ完璧な滅苦で、それ以外の部分は特別なことと見なします。
そして普通でないこと、たとえば四如意足で一劫(世界が一回終わるまでの時間)も長生きできるなどという話には問題が多いので、際限のないこととします。
これは、如意足でそれほど長生きができるかどうかに矛盾があると言っているのではありません。それより、私達がそれほど如意足に励むことができるかどうか、ということが問題です。
だから如意足の教えはこうだと決めずに、文字通りの意味があると捉えます。要するに自分の能力で如意足に励めば励むだけ、その人は当然、一部の人が不可能と見なしている涅槃に到達することなども、如意足の威力のめいっぱいの結果を受け取ります。
またある所でブッダは、これらの語尾にアティパディッヤという言葉を足して、チャンターティッパダヤ、ヴィリヤーティッパダヤ、ヴィマンサーティッパダヤとしているのもあります。チャンタは重要という意味です。
本当は同じ如意足ですが、何かをする時はチャンタ等々が重要、あるいは成功の主役と明らかに分かるような言葉を使って、如意足にもっと興味をもつよう誘っています。
ブッダがアヌッタラサンマーサンボーディニャーナ(阿耨多羅三藐三菩提智。最高に素晴らしい正しい智慧)を悟ったのは、四如意足によってであると主張しているブッダバーシタ(ブッダの言葉)が各所にあります。だから、どんなことを成功させるにも、欠かすことができない物と見なします。苦を絶滅させる実践をする人は、特に関心を持たなければなりません。
世俗的な利益のための仕事も、この教えを使えば上手くでき、同様に悪事や罪を犯すにも、この教えを使えば望みどおりに成功させることができるので、ブッダは菩提分(三十七道品)の中の重要な教えの一つとしています。 これは実践が、最初から最後まで障害なく進行するようにする道具としています。
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