人生の道





 私たちの人生は、本当は苦に満ちた所から、自分が通過してきた苦が尽きる所までの、一種の旅です。その人が知っても知らなくても、感じても感じなくても、人生は常に旅です。知らずに歩けば、当然苦しい旅の連続で、打身だらけ、傷だらけになります。

 この旅は足で歩く旅ではないので、人生の道は足で歩ける道ではありません。昔の智者の多くは、心を向上させる物、物質面、あるいは身体面より、比較にならないほど高くすることができる物として「人生の道」に非常に関心を持っていました。

 道と呼ばれる物が一本しかないことは事実ですが、普通は幾つも恩恵である物があります。一か月の徒歩の旅は、橋や途中で休む木陰や、道中の安全管理や食事などがなければならないように、人生の道は一本道で、滅苦に向かうのは事実ですが、歩く道のようないろんな物がなければなりません。

 宗教は、植物をいつも美しく繁茂させる涵養水のように、この人生を爽やかに穏やかにし、何とか火のように苦でなく生きられるようにする、重要な恩恵があります。

 哲学は、宗教や他の義務を実践する原動力である、理想を生じさせる恩恵があり、くじけたり、ためらったり、後退したりするのを防ぐに十分な、重要な力である信仰や努力や、その他の徳行を生じさせます。要するに哲学者にさせ、あるいは自分が目指す目的に到達するまで自分を動かす智慧があるようにします。

 科学は、この人生を何も知らずに愚かに突き進めば到達しないか、到達したとしても遅く、満足の出来る結果にはならないので、猪突猛進しないよう道理を知る人、道理を使うことを知る人にし、道理の威力内で生きる人にします。

 美術、特に人生管理の美術、あるいは自己管理の美術は、人生を明るく澄みきって気持の良い、愛らしい物に見せ、初めも中間も終わりも、知識と美しい行動で向上することに喜びを感じさせます。

 仏性はその人に沁み込んでいるタンマの財産、あるいは身についている善・真実・公正は、周囲の人にとって尊敬でき、信頼でき、交際したくなる人格にし、崇拝するべき人物にし、自分自身の拠り所であり、すべての人の拠り所である人にします。

 知識は良く考え、さまざまな物を広く調査判断し、探求し、試し、障害を克服する能力を与え、生活や交際、そして必要なすべてに完璧な結果を生じさせます。

 知性は知識の傾向に従って人生の仕事を成功させる能力を生じさせ、それによってどんな仕事も簡単に、迅速に、完璧に、そして安全になります。

 衛生は気力の基礎である体力を生じさせ、熟練と軽快と勇敢と明朗と、暮らしの簡便さがあります。体は飼い主が最高に良く世話をしている馬のように、主人を目的地に運ぶ乗り物になります。

 この八項目を合わせた力が私の一本の道で、生老病死の友に「この八項目の恩恵がある道を歩いてみませんか」と提唱したくなるほど、私の人生を非常に満足できるものにしてくれました。

 世俗的な結果である財産、名誉、友情でも、来生の結果である天国も、そして最高の結果である、すべての世界から脱出である涅槃も、疑うまでもなく何でも期待できます。

 この八項目の恩恵は、バランスよく揃わなければなりません。そしていつでも互いに支援し合うよう融合していなければなりません。そうすればいつでも旅する道になり、後退はありません。

 今日の世界は動物を抑圧し、焼き炙り、物質の奴隷にする物が多過ぎて、ほんの少し油断をするだけで、抜け出すことができない熾き火に転げ落ち、最後はその火の中で死んでしまいます。

 だからすべての動物は、望み通り純潔・清明・静寂穏に向かい、みんなと一緒に輪廻を繰り返して、生まれて来たこの生を無駄にしないために、安全な道を探す必要があります。あるいはそういう道があるべきです。

 今日の世界は非常に危険な障害が多すぎるので、この命もその分だけ防具であり、危険を解決する徳行と能力がなければなりません。だから人々には、少なくとも今述べた八項目の恩恵がある道が必要です。

 その人の心、あるいは精神の人生の道は素晴らしく進歩し、物質、あるいは身体面の発達と並行することができます。進歩している現代の物質世界は過剰で、ちょうど良い程度を越え、バランスを崩して完璧でないので、世界は毎日混乱しています。

 現代の命の道は、昔よりでこぼこし、上がったり下がったりしていて、昔のように簡単で楽ではありません。八項目の徳行で何でも対処できる、八項目のいろんな物を全部供与してくれる非常に素晴らしい仏教があることは、私たち仏教教団員の幸運と見なすことができます。私たちの仏教は、どの面に注目するか次第で、何でも、どんな面でも見せてくれます。

 宗教であり、哲学であり、科学であり、生きる美学であり、人間が望むべきダンマの見識、十全な知識であり、円熟した知性です。そして心身両面の衛生である仏教は、どの面でも八項目の徳行と捉え、一つに溶け合って道になり、述べたようにそれ自体が旅になります。

 私はすべての生老病死の友を、銘々の苦の終りへ傾いている一級道に関心を持つようお誘いします。みんなで心を合わせて、この道がすべての動物の道として開放され続けるために、あらゆる方法で闘うことをお勧めします。

 私はすべての朋友が、自分とすべての動物の脱出の道として、人類のために普遍的な真実を公開なさったブッダの名において、永遠に、尽きることなく、この道を守るためには命さえ犠牲にするようお勧めします。

佛教新聞(季刊)1942年9月1日号


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