煩悩とは「憂鬱な物、あるいは曇らす物」という意味で、三つ意味があります。汚れや曇りを生じさせる物が一つ。明るくない、暗さを生じさせる物が一つ。イライラそわそわして落ち着かなくするのが一つで、分かりやすくするために、ブッダは煩悩を三段階に分けています。
繊細なレベル、あるいは内側の物、中間の物、そして粗雑あるいは外側の物です。内側というのは、本性の中で眠っているという意味で、触れてくる感情があると、心を包囲する中間の煩悩になり、あるいは粗雑な煩悩になって、突き抜けていろんな外面の悪い行動として現れます。
アクサラムーラ(悪の根源。三毒)と呼ばれる内面の繊細な煩悩は三種類あります。貪-貪り、瞋-恨み、怒りで攻撃したい気持ち、痴-迷いです。あるいは別の様々な呼び方がありますが、意味としては、感情が関わってくるまで、強烈な願望が生じて心を妨害し、願望で煮えたぎるまで、あるいは憎悪や復讐心で煮えたぎるまで、あるいは愚かな疑念でいらいらと煮えたぎるまでは、内面で静かにしている煩悩です。
中間レベルの煩悩を蓋(がい)と言い、愛欲蓋・憤怒蓋・睡眠蓋・散漫蓋・疑法蓋の五種類あります。
それに止まらなければ性的な過ちや殺人を犯すこと、いじめや嘘などから飲酒などまで、意図のある言葉や行動として外へ表出します。それを荒い煩悩と言います。
別の熟慮をすると、本当の煩悩は内面、あるいは繊細な煩悩のことで、他の二つの段階の煩悩は、煩悩その物と言うより、むしろ内側の煩悩の行動として現れたにすぎません。しかしブッダは「曇りと闇と静かでないこと」に注目したので、この二つのレベルの煩悩の行動も、直接煩悩としました。
欲貪や復讐心と呼ぶ物も心を曇らせ、性的な過ちを犯し、嘘を言う煩悩は体と心を憂鬱にし、内側の煩悩と同じように、本性や心の奥深くを憂鬱にするので、次のような対になります。
1.繊細な煩悩は本性を憂鬱にする
2.中間の煩悩は心を憂鬱にする
3.荒い煩悩は言葉と体を憂鬱にする。
アクサラムーラ(三毒)と呼ぶ繊細な煩悩は、ここでは三種類しかありませんが、他では別の呼び方をしたり、三種類以上に分けたりします。たとえば貪・瞋・痴でなく、カーマラーガ(貪欲)・パティカ(瞋恚)・ディッティ(謬見)・ヴィチキッチャー(疑)・マーナ(慢)・バヴァラーガ(有貪)・アヴィチャー(無明)に分類し、全部で七種類あり、アヌサヤ(本性の中に潜在している煩悩。隋眠)と呼びます。
しかし愛欲の欲情であるカーマラーガ(貪欲)、そして何かになりたい欲情であるバヴァラーガ(有貪)は、ここでは貪、あるいはラーガに、パティカ(瞋恚)はここでは憤怒に、ディティ(謬見)とヴィチキッチャー(疑)、マーナ(慢)、アヴィチャー(無明)の四つは、痴にまとめることができるので、貪・瞋・痴の三つが残ります。
十種類あるサンヨージャナ(十結)のように細かく分類しても、まとめれば今述べた三つになります。しかし学び始めたばかりの方にはふさわしくないので、ここでは述べません。
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