五蓋

 

中間レベルの煩悩として作られる繊細な煩悩を「五蓋」と呼び、心の門を妨害していて、このように学ぶべき話があります。蓋とは止める、あるいは妨害するという意味ですが、ここでは、心が更に高いタンマに到達するのを妨害するものを意味します。

通常私たちは誰でも、俗人の常として何らかの蓋と呼ばれる感覚があります。だから俗人の心は、蓋で高いタンマに到達するのを妨害されているということです。繊細な煩悩が作られるたびに、胸がいっぱいになり、心が乱れ、内面が静まらなくなります。

自分の望みどおりに心を五蓋のない空にできる人は、特別な俗人、あるいは美徳のある俗人と見なします。つまり、何らかの方法で心を高めて落ち着かせることで、これらの蓋を剥ぎとることができる人です。

 

欲情蓋とは、愛欲に満足することですが、意味は、愛欲の欲情で心がいっぱいになり、真っ暗で明朗でなく、タンマを真実のままに見ることができないという意味です。ブッダはこれを「透明だが、いろんな色が混入されているので、透き通って見えない水」に譬えています。

憤怒蓋とは、不満や恨み、憎悪などで胸が詰まっているという意味で、真っ暗な状態で、ブッダは「透明だが、ぐらぐら沸騰しているので水底にある物が見えない状態」に譬えています。

睡眠蓋とは、心が凋んでぼんやりし、明朗でなく、心がタンマを見る能力を失うことで、ブッダは「透明な水ではあるが、水生植物や藻などがいっぱい生えていて、水底の物が見えない状態」に譬えています。

散漫蓋とは、気が散り、退屈で、睡眠蓋と反対に、イライラそわそわすることを意味します。ブッダは「透明な水だが波立っているので、小石や魚や貝などの水の中の物が見えなくなっている状態」に譬えています。

 最後の疑法蓋は、知らないために、あるいは知りたい気持ちを妨害する何かがあるための疑念という意味であり、静まることができず、心が真っ暗になり、明瞭に見なければならないものを見られないという意味で、ブッダは「暗闇の中の澄み切った水」に譬えています。当然その水の中のものを見ることはかないません。

これらの譬えを比較して見ると、元々の心は純潔だが、つまり澄み切っていますが、述べた五種類の、作られた外部の物が介入したために、透明さが失われたという意味が見えます。この話では、譬えで言われている、水の中にあるいろんな物を排除するように、これらの蓋を排除できる望みがあるので、不可能なことではなく、そして確実に結果が得られるまで実践する道があると見なします。

この譬えから、水の色を除くのは難しくて簡単ではないように、愛欲蓋は克服しにくいと分かります。睡眠蓋の譬えの、藻や浮き草を取り除くようにはいきません。ですから実践者は、自分の蓋に合った、宿敵、天敵のような実践項目を選ばなければなりません。一般の教えとして、ブッダは、いろんな感情の念処で五蓋を排除する方法、次の五種類を、選ぶ教えとしています。

1.死体や汚物について熟慮すれば、愛欲蓋を克服できる。※

2.誰でも、どんな生き物でも、みな生まれ老い、病んで死ぬ同朋と見る、という意味の慈しみを育てれば、憤怒蓋を克服できる。

3.アローガサンヤーに励むなど、光を見ることで、睡眠蓋を克服することができる。たとえこの項目が、心の中を、プッターヌサティなどに励むことなどの満足、あるいは信仰の在り処にすることでも、適度に睡眠蓋を克服する一助になる。

4.何か一つに専念すること、一般のカシンに励むこと、あるいはアーナーパーナサティに励むことで散漫蓋を克服することができる。

5.信じるべきものを信じ、確信するべきことを確信し、知るべきことを知る。たとえばブッダが大悟したことを信じ、カンマを確信し、三相を理解することなどで、当然この疑法を克服できる。   

逆に言えば、どのような方法であれ、サマーディを生じさせてアッパナーサマーディ(禅定にある定。安止定)にできる人、つまり非常に安定したサマーディなら、当然五蓋すべてが静められているので、初めの段階で、アーナーパーナサティのような快適便利なサマーディを増やすことから始めるべきです。五蓋の何らかの妨害で上手くいかなくなったら、その蓋を克服する宿敵のようなサマーディに励む方が、便利で結果も良い方法です。

蓋がないということは、心が純潔な状態であり、明るく澄んで、冷静で、すっきりしていて、奥深いタンマや核心である真実を洞察できる状態という意味で、備わっていなければならないものであり、タンマの面で向上したいと望む人にとって、練習しなければならないものです。

世間で言われている言い方をすれば、蓋に妨害されていない時は最高に穏やかな幸福なので、サマーディや禅定の味に溺れる人がいて、それ以上の知識がない時代には、それを涅槃と規定していました。

                                          ※ 不浄観・観身不浄念処 


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