翻訳

スアンモークのパッチャヴェッカナ

ダンマチャッカッパ ヴァッガナスッガパータと読経

パッバジタ アビナハ パッチャヴェッカナパータ

 

 

 

 

挨拶

 

 

 雨安居に入ると、スアンモークパラーラームを訪れる比丘や沙弥が毎年増えているので、寺では、いつでも比丘や沙弥に持ち帰っていただけるお土産を用意しました。今年は、新たに出家した比丘や沙弥が古い人よりもずっと多いので、それらの人達のことを思って、翻訳パッチャウェッカナを用意しました。

 

 出家して久しい人は、出家したばかりの人にパッチャウェッカナのいずれかの項目の訳語について質問された時に生じる複雑な困難を良く解決するものとして、この本を使うことができます。

 

 本当は、これらは出家したばかりの人のためだけでなく、「動物ではない。人物ではない」ダートゥカンマターナを熟慮するのはアナッターヌパッサナー(無我隋観)の話で、直接解脱の話で、そして最高レベルのヴィパッサナーである、明らかに見るための熟慮課題です。しかし一度も知ったことがないので、出家したばかりの比丘や沙弥が暗誦しなければならない物と見て見過ごしてしまいます。

 

  配布を受けた方全員が、昔パッチャヴェッカナを編纂した初期のアーチャンの最初の目的でこれを十分に使われるよう希望します。特に、ダンマニカパッチャヴェッカナは、ブッダバーシタ(パーリ・マハーアッサプラスッタ 中部12500466項)を、元の形のまま使っています。

  

 

 

 

 

ダートゥパッチャヴェッカナ

 

 

 

チーヴァラについて

 

 ヤターパッチャヤン パヴァッタマーマン ダートゥマッタメヴェタン=これらのものは自然のダートゥ(元素)にすぎず、絶えず原因と縁になる。

 

ヤディタン チーヴァラン タトゥパブンジャコ チャ プッガロー=これらのもの、つまりチーヴァラ(衣)とチーヴァラを使用する人は、ダートゥマッタコー=自然のダートゥにすぎず、ニッサトー=永遠の動物ではなく、ニッジヴォー=人、人物である命ではなく、スンニョー=自分である意味は空である。

 

サッバーニパナ イマーニ チーヴァラーニ アジグッチャニヤーニ=だからこのすべてのチーヴァラは、元から厭わしいものではない。イマン プーティカーヤン パアッタヴァー=絶えず腐った体に触れた時、アティヴィヤ ジグッチャニヤーニ ジャーヤンティ=当然極めて厭わしいものになる。

 

 

 

 

食べ物について

 

 ヤターパッチャーヤン パヴァッタマーマン ダートゥマッタメヴェタン=これらの物は自然のダートゥに過ぎず、絶えず原因と縁になる。

 

ヤディダン ピナダパートー タドゥパバンジャコーチャ プッガロー=これら、つまり食べ物と、その食べ物を消費する人は、ダートゥマッタコー=自然のダートゥでしかなく、ニッサットー=永遠の動物ではなく、ニッジヴォー=人物である命でもなく、スンニョー=自分であるものは空である。 

 

サッボー パナーヤン ピンダパートー アジグッチャニヨー=すべての食べ物は、元々厭わしいものではない。イマン=プーティカーヤン パアッタヴァー=絶えず腐った体に触れた時、アティヴィヤ ジグッチャニヤーニ ジャーヤンティ=当然、極めて厭わしいものになる。

 

 

 

 

住まいについて

 

  ヤターパッチャーヤン パヴァッタマーマン ダートゥマッタメヴェタン=これらの物は自然のダートゥでしかなく、絶えず原因と縁になる。

 

ヤディダン セナーサナン、タドゥパバンジャコーチャ プッガロー=これら、つまり住まいと、その住まいを消費する人は、ダートゥマッタコー=自然のダートゥに過ぎず、ニッサットー=永遠の動物ではなく、ニッジヴォー=人物である命でもなく、スンニョー=自分であるものは空である。サッボー パナーヤン セナーサニ アジグッチャニヨー=すべての住まいは、元から厭わしいものではない。

 

イマン=プーティカーヤン パアッタヴァー=絶えず腐った体に触れた時、アティヴィヤ ジグッチャニヤーニ ジャーヤンティ=当然、極めて厭わしいものになる。

 

 

 

 

治療薬について

 

 ヤターパッチャーヤン パヴァッタマーマン ダートゥマッタメヴェタン=これらの物は自然のダートゥに過ぎず、絶えず原因と縁になる。ヤディダン ギラーナパッチャヤベーサッチャパリカーチャロー、タドゥパバンジャコーチャ プッガロー=これら、つまり治療薬と、その治療薬を消費する人は、ダートゥマッタコー=自然のダートゥに過ぎず、ニッサットー=永遠の動物ではなく、ニッジヴォー=人物である命でもなく、スンニョー=自分であるものは空である。

 

サッボー パナーヤン ギラーナパッチャヤベーサッチャパリカーチャロー アジグッチャニヨー=すべての治療薬は、元から厭わしいものではない。イマン=プーティカーヤン パアッタヴァー=絶えず腐った体に触れた時、アティヴィヤ ジグッチャニヤーニ ジャーヤンティ=当然、極めて厭わしいものになる。

 

 

 

 

 

タンカニカパッチャヴェーカナパータ

 

 

チーヴァラ(衣)について

 

 パティサンカー ヨーニソー チーヴァラン パティセヴァーミ=私は、当然絶妙な熟慮をしてチーヴァラを着用する。ヤーヴァデーヴァ シータッサ パティガーターヤ=寒さをしのぐためだけ、ウナハッサ パティガーターヤ=暑さをしのぐためだけ、ダンサマカサヴァータ―タパシリン サパサムバッサーマン パティガーターヤ=アブ、蚊、風、陽射し、そしてすべての這う生き物から生じる接触を軽減するため、ヤーヴァデーヴァ ヒリコッピナパティッチャダナッタン=そして恥ずかしさを生じさせる部分を隠すためだけに。

 

 

 

 

食べ物について

 

 パティサンカー ヨーニソー ピンタパータン パティセヴァーミ=私は、当然絶妙に熟慮して食べ物を食べる。

 

ネヴァ ダヴァーヤ =楽しさに夢中になるためでなく、ナ マダーヤ=酔って体の力を生じさせるためでなく、ナ マンダナーヤ=飾るためでなく、ナ ヴィダサナーヤ=美しく飾りつけるためでなく、ヤーヴァダーヴァ イマンサ カーヤッサ タティヤー=体を維持するため、ヤーパナーヤ=この体が生きるため、ヴィヒンスパラティヤー=体の苦が終わるため、ブラフマチャリヤーヌッガハーヤ=梵行を援けるためだけに。

 

イティ プラーナンチャ ヴェーダナン パティハンカーミ=このようにすることで、古い苦受、つまり空腹を静めることができる。ナヴァンチャ ヴェーダナン ナウッパーデーッサーミそして新しい苦受を生じさせない。ヤータラー チャ メー バヴィッサティ、アナヴァッジャター チャバースヴダーロー チャーティ=更に、この体が生きるための便宜、罪のない人であること、そして安楽に暮らすことは、このように私にある。

 

 

 

 

住まいについて

 

 パティサンカー ヨッニソー セーナーサナン パティセヴァーミ=私は当然、絶妙な熟慮をして住まいを使用する。ヤーヴァ デーヴァ シータッサ パティカーターヤ=寒さをしのぐため、ウナハッサ パティカーターヤ=暑さをしのぐため、ダンサマカサヴァータータパシリサパサムバッサーナン パティカーターヤ=アブ、蚊、風、陽射し、そしてすべての這う生き物から生じる接触を減らすため、

 

ヤーヴァデーヴァ ウトゥパリッサヤヴィノッダナン パティサッラーナーラーマンタン=気候による危険を減らすため、そしてバーヴァナーのための遠離を喜ぶ人であるためだけに。

 

 

 

 

治療薬について

 

 パティサンカー ヨッニソー ギラーナパッチャヤベサッチャ パリッカーラン パティセヴァーミ=私は当然絶妙に熟慮して、病人を援ける治療薬を消費する。ヤーヴァデーヴァ ウッパンアーナン ヴェーヤヤーバーディカーナン ヴェーダナーナン パティカーターヤ=いろんな病気が原因で生じた苦受を軽減させるためだけに、アッビャーパッジャナ パラマターヤーティ=苦しめる病気がない人であるためだけに。

 

 

 

 

 

過去のパッチャヴェーカナ

  

チーヴァラについて

 

 アッジャ マヤー アパッチャヴェーカジタヴァー ヤン チーヴァラン パリブッタン=私が、今日の熟慮に間に合わずに着用したどんなチーヴァラ(衣)も、タン ヤーヴァ シータッサ パティカーターヤ=そのチーヴァラは、寒さを軽減するためにだけ着用した。

 

ウナハッサ パティカーターヤ=暑さを軽減するため、ダンサマァサヴァータータパシリン サパサムバッサーナン パティカーターヤ=蚊、風、陽射し、そしてすべての這う生き物から生じる接触を軽減するため、ヤーヴァデーヴァ ウトゥパリッサヤヴィノッダナン パティサッラーナーラーマンタン=気候による危険を軽減するため、そしてバーヴァナーのために遠離を喜ぶ人であるためだけに。

 

 

 

 

食べ物について

 

 アッジャ マヤー アパッチャヴェーカジタヴァー ヨー ピンタパートー  パリブットー=私が、今日の熟慮に間に合わずに食べたどんな食べ物も、ソー ネヴァ ダヴァーヤ=その食べ物は、楽しさに夢中になるためでなく、ナ マダーヤ=酔って体の力を生じさせるためでなく、ナ マンダナーヤ=飾るためでなく、ナ ヴィダサナーヤ=美しく飾りつけるためでなく、ヤーヴァダーヴァ イマンサ カーヤッサ ティティヤー=体を維持するためだけ、ヤーパナーヤ=この体が生きるため、ヴィヒンスパラティヤー=体の苦を終わらせるため、ブラフマチャリヤーヌッガハーヤ=梵行を援けるために食べた。

 

イティ プラーナンチャ ヴェーダナン パティハンカーミ=このようにすることで、古い苦受、つまり空腹を静めることができ、ナヴァンチャ ヴェーダナン ナウッパーデーッサーミそして新しい苦受を生じさせない。ヤータラー チャ メー バヴィッサティ、アナヴァッジャター チャバースヴダーロー チャーティ=更に、この個体が便利に生きること、罪のない人であること、そして安楽に暮らすことは、このように私にある、とこのように。

 

 

 

 

住まいについて

 

 アッジャ マヤー アパッチャヴェーカジタヴァー ヨー セーナーサナン パリブッタン=私が、今日の熟慮に間に合わずに使用したどんな住まいも、タン ヤーヴァデーヴァ シータッサ パティカーターヤ=その住まいは、寒さをしのぐためだけ、ウナハッサ パティカーターヤ=暑さをしのぐためだけ、

 

ダンサマカサヴァータータパシリサパサムバッサーナン パティカーターヤ=アブ、蚊、風、陽射し、そしてすべての這う生き物から生じる接触を減らすため、ヤーヴァデーヴァ ウトゥパリッサヤヴィノッダナン パティサッラーナーラーマンタン=気候によってある危険を減らすため、そしてバーヴァナーのために遠離を喜ぶ人であるためだけに使用した。

 

 

 

 

治療薬について

 

 アッジャ マヤー アパッチャヴェーカジタヴァー ヨー ギラーナパッチャヤベーサッジャ パリブッタン=私が、今日の熟慮に間に合わずに使用したどんな治療薬も、ソー ヤーヴァデーヴァ ウッパンアーナン ヴェーヤヤーバーディカーナン ヴェーダナーナン パティカーターヤ=いろんな病気が原因で生じた苦受を軽減させるためだけに、アッビャーパッジャナ パラマターヤーティ=苦しめる病気がない人であるためだけに使用した。

 

 

 

 

 

ダンマチャッカッパヴァッガナスッガパータ

(ダンダ マヤン ダンマチャッカッパヴァッタナスッタパータン バナーマ セー)

 

 

 デーヴァメー ビッカヴェー アンター=比丘のみなさん。これら二種類の行動の終わりがあります。パッバジテナ ナ セヴィタッバー=出家が関わるべきでないもの、ヨー チャーヤン カーメース カーマスカッリカーヌヨーゴー=それはすべての愛欲に関わること、ヒーノー=低劣なもので、ガッモー=庶民のもので、ポトゥッジャニコー=凡人レベルの人のもので、アナリヨー=聖人の実践項目ではなく、アナッタサンヒトー=まったく利益がない。これが一つ。

 

ヨー チャーヤン アッタキラマターヌヨーゴー=もう一つは、自分を苦しめて大変にすることで、ドゥッコー=苦をもたらし、アナリヨー=聖人の実践項目でなく、アナッタスンヒトー=まったく利益がない。

 

エーテー テー ビッカヴェー ウボー アンテー アヌパガンマ マッジマー パティッパダー=比丘のみなさん。この二つの行動の両極にならない中道である実践項目があります。タターガテーナ アビサンブッダー=如来だけが説いた実践項目であり、チャックカラニー=目を生じさせるものであり、ニャーナカラニー=ニャーナを生じさせるものであり、ウパサマーヤ=静めるため、アビンニャーヤ=最高の知識のため、サムボーダーヤ=博識のため、ニッバーナーヤ サンヴァッタティ=涅槃のためになります。

 

 カタマー チャ ビッカヴェー マッジマー パティパダー=比丘のみなさん。その中道である実践項目は、どのようでしょうか。

 

アヤメーヴァ アリヨー アッダンティコー マッゴー=その中道である実践項目は、八項目がある素晴らしい道で、セーヤヤティータン=それは、サンマーディッティ=正しい見解、サンマーサンカッポー=正しい望み、サンマーヴァーチャー=正しい言葉、サンマーカンマントー=正しい生活、サンマーアージヴォー=正しい生業、サンマーヴァーヤモー=正しい努力、サンマーサティ=正しく思い出すこと、サンマーサマーディ=正しい専心です。

 

 アヤン コー サー ビッカヴェー マッジマー パティパダー=比丘のみなさん。これが中道である実践項目です。タターガテーナ アビサンブッダー=如来だけが説いた実践項目で、チャックラニー=目を生じさせる行動で、ニャーナカラニー=ニャーナを生じさせる行動で、ウパサマーヤ=静まるため、アビンヤーヤ=最高の知識のため、サンボーダーヤ=知り尽すため、ニッバーナーヤ サンヴァッタティ=涅槃になります。

 

 アダン コー パナ ビッカヴェー ドゥッカン アリヤサッチャン=比丘のみなさん。聖諦である苦があります。ジャーティピ ドゥッカー=生まれることも苦、チャラーピ ドゥッカー=老いも苦、マラナムピ ドゥッカン=死も苦、ソーカパリデーヴァドゥッカ ドーマナッスパーヤーサピ ドゥッカー=悲しみ、嘆きも苦、体の病気も、心の病気も、悩みも苦、

 

アッピイェーヒ サンパヨーゴー ドゥッコー=愛しても満足してもいないものと遭遇するのも苦、ピイェーヒ ヴィッパヨーゴー ドゥッコー=愛して満足しているものと別れるのも苦、ヤンピッチャン ナ ラバティ タムピ ドゥッカン=何かを望んで得られないのも苦、サンキッテーナ パンチュパーダーナッカンダー ドゥッカー=要するに、五つの取蘊は苦です。

 

 イダン コー パナ ビカヴェー ドゥッカサムダヨー アリヤサッチャン=比丘のみなさん。聖諦、つまり苦が生じる原因があります。ヤーヤン タンハー=それは欲望です。ポノッババヴィカー=再び生まれさせるものである、ナンディラーガ サハガター=気に入ることの威力による欲情がある、タタラ タタラビナンディニー=その感情に最高に陶酔させるもの。セーヤヤティーダン=それは欲望。それらは、カーマタンハー=愛欲の欲望。バヴァタンハー=所有、生存の欲望。ビバヴァタンハー=非所有、非生存の欲望。

 

 イダン コー ビカヴェー ドゥッカニローダー アリヤサッチャン=比丘のみなさん。聖諦、つまり苦の消滅があります。ヨー タッサーイェヴァ タンハーヤ アセーサヴィラーガニロードー=これが、欲望が薄れることによる消滅で、チャーコー=払い捨てることであり、パティニサッゴー=返却であり、ムッティ=手放し、アナーラヨー=欲望に住処を与えません。

 

 イダン コー パナ ビッカヴェー ドゥッカニローダガーミニーパティパダーアリヤサッチャン=比丘のみなさん。聖諦、つまり世界の生き物を苦の消滅に至らせる道があります。アヤメーヴァ アリヨー アッダンギコー マッゴー=これが素晴らしい道である、八項目の実践項目です。

 

セーヤヤティーダン=それは、サンマーディッティ=正しい見解、サンマーサンカッポー=正しい望み、サンマーヴァーチャー=正しい言葉、サンマーカンマントー=正しい生活、サンマーアージヴォー=正しい生業、サンマーヴァーヤモー=正しい努力、サンマーサティ=正しく思い出すこと、サンマーサマーディ=正しい専心です。

 

 イダン ドゥッカン アリヤサッチャンティ メー ビッカヴェー プッベー アナヌッステース ダンメース、チャックン ウダパーティ ニャーナン ウダパーティ、パンニャー ウダパーティ、ヴィッジャー

 ウダパーティ、アーローゴー ウダパーティ=比丘のみなさん。今まで聞いたことがないダンマに、聖諦、つまり「苦はこのよう」と、私に目が生じ、ニャーナが生じ、智慧が生じ、明が生じ、光が生じました。

 

タン コー パニタン ドゥッカン アリヤサッチャン パリンヤータンティ=聖諦、つまり「苦は、このように知るべきもの」と、タン コー パニダン ドゥッカン アリヤサッチャン パリンヤータンティ=聖諦、つまり「苦は、このようと認識できた」と。

 

 イダン ドッカサムダヨー アリヤサッチャンティ メー ビカヴェー プッベー アナヌッステース ダンメース、チャックン ウダパーティニャーナン ウダパーティ、パンニャー ウダパーティ、ヴィッジャー ウダパーティ、アーローゴー ウダパーティ=比丘のみなさん。今まで聞いたことがないダンマに、聖諦、つまり「苦はこのよう」と、私に目が生じ、ニャーナが生じ、智慧が生じ、明が生じ、光が生じました。

 

タン コー パニタン ドゥッカサムッダヨー アリヤサッチャン パダータッバンティ=聖諦、つまり「苦が生じる原因は、このように捨てるべきもの」と、タン コー パニダン ドゥッカサムダヨー アリヤサッチャン パフナンティ=聖諦、つまり「苦が生じる原因を、私はこのように捨てることができた」と。

 

 イダン ドゥッカニロードー アリヤサッチャンティ メー ビッカヴェー プッベー アナヌッステースダンメース、チャックン ウダパーティ ニャーナン ウダパーテ、 パンニャー ウダパーティ、ヴィッジャー ウダパーティ、アーローゴー ウダパーティ=比丘のみなさん。今まで聞いたことがないダンマに、聖諦、つまり「苦の消滅はこのよう」と、私に目が生じ、ニャーナが生じ、智慧が生じ、明が生じ、光が生じました。

 

タン コー パニタン ドゥッカニロードー アリヤサッチャン サッチカタッバンティ=聖諦、つまり「苦の消滅は、このように明らかにするべきもの」と、タン コー パニダン ドゥッカニロードー アリヤサッチャン サッツジャタンティ=聖諦、つまり「苦の消滅を、私はこのように明らかにすることができた」と。

 

 イダン ドゥッカニローダガーミニーパティパダー アリヤサッチャンティ メー ビッカヴェー、プッベー アナヌッステースダンメース、チャックン ウダパーティ、ニャーナン ウダパーティ、パンニャー ウダパーティ、ヴィッジャー ウダパーティ、アーローゴー ウダパーティ=比丘のみなさん。今まで聞いたことがないダンマに、聖諦、つまり「苦の消滅に至る道はこのよう」と、私に目が生じ、ニ.ャーナが生じ、智慧が生じ、明が生じ、光が生じました。

 

タン コー パニタン ドゥッカニローダミニーパティパダー アリヤサッチャン バーヴァタッバンティ=聖諦、つまり「生き物を苦の消滅に至らせる実践項目は、このように生じさせるべきもの」と、タン コー パニダン ドゥッカニローダミニーパティパダー アリヤサッチャン バーヴィタンティ=聖諦、つまり「苦の消滅生き物を苦の消滅に至らせる道を、私はこのように生じさせることができた」と。

 

 ヤーヴァ メー ヴィッカヴェー、イメース チャトゥース アリヤサッチェース、エヴァンティ パリヴァッタン ダヴァーダサカーラン ヤターブータン ニャーナダッサナン ナ スヴィスッダン アホーシ=比丘のみなさん。これら四つの聖諦を真実のままに見る智慧、三転十二の状態が、私にとって純潔清浄でない間は、 

 

ネヴァ ターヴァータン ビッカヴェー サデーヴァケー ローケー サマーラケー サブラフマケー、サッサマナブラフママニヤー サムブッドー パッチャンヤーシン=比丘のみなさん。その間中、天人界、人間界、梵天界の含めた世界に、サマナ・バラモン、天人と人間も含めた動物群に、私は、アヌッタラサンマーサンボーディニャーナ(無上正菩提智)を悟ったと宣言しませんでした。

 

 ヤトー チャ コー ヴィッカヴェー イメース チャトゥース アリヤサッチェース、エヴァンティ、パリヴァッタン ダヴァーダサカーラン ヤターブータン ニャーナダッサナン スヴィスッダン アホーシ=比丘のみなさん。真実のままに見る智慧、これら四つの聖諦に三転十二の状態が、そのように私にとって純潔清浄になった時、 

 

アターハン ビッカヴェー サデーヴァケー ローケー サマーラケー サブラフマケー、サッサマナブラフママニヤー パジャーヤ サデーヴァ マヌッサーヤ、アヌッタラン サンマーサンボーディン  アビサンブッディン アビサンブッドー パッチャンニャーシン=その時私は、天人界、人間界、梵天界も含めた世界の、サマナ・バラモン、天人と人間も含めた動物群に、アヌッタラサンマーサンボーディニャーナを悟ったと宣言しました。

 

 ニャーナンチャ パナ メー ビッカヴェー ダッサナン ウアダパーティ=比丘のみなさん。私にニャーナ(智)とダッサナ(見)が生じました。アクッパー メー ヴィムッティ=私の解脱は、二度と悪化しない、アヤマンティマー ジャーティ=この生は、最後の生だ、ナッテダーニ プナッバヴォッティ=今、再び生まれることは、当然ない、とこのように。

 

  

 

 

 

 

翻訳・読経

(比丘・沙弥が自分自身に忠告するための)

 

 

 ダサ イメー ビッカヴェー ダンマー=比丘のみなさん。この十のダンマがあります。パッバジテーナ アビンハン パッヤヴェーキタッバー=出家が、絶えず明らかに熟慮しなければならないダンマです。

 

 カタメー ダサ=その十のダンマはどのようでしょうか。

 

 ヴェヴァンイヤンティ アジヌパガトー-ティ パッバジテーナ アビナハン パッチャヴェーキタッバン=出家は、「私は特別な身分に至った人だ」と、このように絶えず明らかに熟慮するべきです。

 

 パラパティバッダー メー ジーヴィカー-ティ ピッバジテーナ アビナハン パッチャヴェッキタッバン=出家は、「私の命は、他人によって養われている」と、絶えずこのように明らかに熟慮すべきです。

 

 アンニョー メー アーカッポー カラニーヨー-ティ パッバジテーナ アビナハン パッチャヴェッキタッバン=出家は、「私がしなければならない他の実践規則がある」と、このように絶えず明らかに熟慮するべきです。

 

 カッヂー ム コー メー アッター シーラトー ナ ウパヴァダティー-ティ パッバジテーナ アビナハン パッチャヴェッキタッバン=出家は、「戒で言えば、私は当然自分を非難できないだろう」と、このように絶えず明らかに熟慮するべきです。

 

 カッヂー コーマン アヌヴィッチャ ヴィンニュー サブラフマチャーリー シーラトー ナウパヴァダンティー-ティ パッバジテーナ アビナハン パッチャヴェッキタッバン=出家は、「戒で言えば、知識者である梵行仲間のために熟考して、当然自分を非難できないだろう」と、このように絶えず明らかに熟慮するべきです。

 

 サッベーヒ メー ピイェーティ マナペティ ナーナーバーヴォー ヴィナバーボー-ティ パッバジテーナ アビナハン パッチャヴェッキタッバン=出家は、「すべての愛するもの、気に入っているものと離れることは、私にある」と、このように絶えず明らかに熟慮するべきです。

 

 カンマッサコッマヒ カンマダーヤードー カンマヨーニー カンマバントゥ カンマパティサラノー、ヤンカンマン カリッサーミ カラヤーナン ヴァーパーパカン ヴァー、タッサ ダーヤードー バヴィッサーミ-ティ パッバジテーナ アビナハン パッチャヴェッキタッバン

 

出家は、「私は、自分のものであるカンマがあり、遺産として結果を受け取らなければならないカンマがあり、生まれさせるカンマがあり、親族になるカンマがあり、頼りにできるカンマがある人で、善いカンマでも、悪いカンマでも、どんなカンマでも作ってあれば、私はそのカンマから落ちてくる結果を受け取る人である」と、このように絶えず明らかに熟慮するべきです。

 

 カダマブータッサ メー ラッティナディヴァー ヴィーティパタンティー-ティ パッバジテーナ アビナハン パッチャヴェッキタッバン=出家は、「私がどのような状況でも、日夜は過ぎて行く」と、このように絶えず明らかに熟慮するべきです。

 

 キッヂ ヌ コーハン スンニャーガーロー アビラマーミー-ティ パッバジテーナ アビナハン パッチャヴェッキタッバン=出家は、「私は当然、静かな住まいを喜ぶべきだ」と、このように絶えず明らかに熟慮するべきです。

 

 アッティ ヌ コー メー ウッタリマヌッサダンマー アラマリヤニャーナダッサナヴィセロー アディガトー、ソーハン パッチメー カーレー サブラフマチャーリーヒ プットーナ マング バヴィッサーミー-ティ パッバジテーナ アビナハン パッチャヴェッキタッバン

 

出家は、「私は、普通の人間の境域より素晴らしい、聖人にふさわしい素晴らしい智見に到達した。後で、梵行仲間に、あなたにあるかないかと質問された時、恥ずかしくないために」と、このように絶えず明らかに熟慮するべきです。

 

 イメー コー ビッカヴェー ダサ ダンマー=比丘のみなさん。これらの十あるダンマは、ピッバジテーナ アビナハン パッチャヴェッキタッバー=出家が、絶えず明らかに熟慮するべきダンマです。イティ=このような状態で。

 

 


 

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