タンマと政治、政治とタンマ

                         

 1976年7月3日

 前回の土曜日で、ヴィサーカ季の土曜講義が終わり、今日はアーサーラハ季の土曜講義の初日になります。新たにアーサーラハ季の講義になります。つまり一つのテーマが終わったので、新しいテーマになります。今季全体のテーマを「タンマと政治」と題してお話します。そして今日は、「政治とタンマ」というお話をします。

 なぜ法話で政治について話さなければならないのか、と疑問を持たれる人がいるかも知れません。中には、政治がタンマであるはずがないとまで疑念を持つ人がいるかもしれません。これに関しては「政治」という言葉について、概要でも要旨でも、とことん理解しておく必要があります。

つまり、「現代社会には平安がない。平安がないのは、何かそうしている原因があるはずだ」という疑問、あるいは観察点で見れば、「世界が正しくならないのは、政治と言われるものが原因だ」という、一致した見解が得られます。だから世界は益々複雑困難になっていくので、政治と呼ばれるものに無関心でいられるでしょうか。

 これが最初の項目であり、最大の項目でもあります。私たちに平安がないのは、政治に正しさがないからで、少なくともそれを取り上げて熟慮して見るべきです。「タンマ」という言葉を見ないまでも「政治」という言葉を考えれば、政治は取り上げて熟慮するべき問題と分かります。

 

 「政治」が複雑で難しいのは、政治とは何かも知らないからです。学生たちも本当の政治とは何かを知りません。それで考え、真実で正しくないまま実施するので、国のいろんな問題を解決できません。

 次に学生でなく、普通の庶民、一般の人は、尚一層政治は何かを知りません。知っているのは、人が言っているように大雑把に受け止めることだけです。だから一般の人が知っている、話している、あるいは仮定している政治にしかならないので、本当の利益がなく、協力し合って解決し、注意深く正しい方向へ向かわせることができません。

 中には、政治は特別な問題であり、政治家など一定の集団、一定の団体だけのもので、百姓や一般庶民、宗教の僧などには関係のないと考える人もいます。それは、その人がそれだけしか知らない、あるいはそれだけの理解しかないからです。

 いずれにしても、世界に平安がないのは政治的正義がないから、という問題に注目したいと思います。これだけでも私たちが政治に関心を持つ理由として十分です。しかし政治と呼ぶものに関する意味付け、あるいはいろんな事実を並べなければなりません。

そして自分ではできなくても、つまり自らの権力で実施できなくても、どうするべきかを知っておかなければなりません。そして次の世代の人たちが実行できることを願って、話しておくべきです。

だからみんなで考えを出し合っておくことは、良いことと信じます。しかし私の気持ちとしては、政治とタンマと呼ばれるものとどんな関わりがあるか、ということを話しておかなければならないと思います。

タンマと呼ばれるものが直接仏教教団員のものなら、政治がタンマと関わる分だけ、仏教教団員との関わりがあります。だから講義のテーマとして、「タンマと政治」とさせていただきました。

 仏教教団員が政治に興味をもたなければならないのは何故かから、どう興味を持つか、そしてどれくらいということまで、私は率直に問題を提示しなければなりません。政治と呼ばれるものを正しく知っていれば、なぜ政治に関心を寄せなければならないか、すぐに答えられます。

今はまだ知らないので、あるいは十分正しく知らないので、政治とは何か、タンマとは何か、そしてなぜ仏教教団員が関心を持たなければならないかを、一緒にお話しなければなりません。私は仏教教団員なので、いつでも何よりも先に、当然ブッダの言葉を引用したいと思います。

 「政治」という言葉に、どんな細目があっても、簡単に言えば、みんなで国、あるいは社会全体、あるいは世界の、でも良いですが、その問題を解決することであり、直接の目的は次のものです。

1.大勢の人が暮らすことから生じる問題が日に日に増えています。小さなレベルも、中間レベルでも、大きなレベルも同じ問題です。

 家政、村の政冶、国政、そして世界の政治という言葉を思い出してください。将来は宇宙の政治という言葉ができるかも知れません。いろんな世界が一つになると、同じような問題が生じるかも知れません。つまり交流や交渉が多くなると問題が生じます。

人がたくさん一緒に暮らさなければ、多くの人が関わり合わなければ、問題は起こりません。人が多くなると問題が生じ、そして増えます。一件の家の中でも、人が多いと問題が生じます。対処の仕方が悪ければ、一緒に暮らせないので、苦しい我慢で暮らします。考えてみてください。同じ家、一つの家族でも対処が必要です。幾つかのことを正しくすれば、平安に暮らすことができます。

 次に何件も戸数がある村に拡大してみます。人口が増えれば問題も増えるので、処理は更に難しくなります。対処できれば、平安に暮らすと言えます。次に一国に拡大すると、ますます人口が増えることが分かります。私たちタイは、六千万人を超えていると聞いています。そして問題も増えているので、いろいろ対処しなければなりません。

2.政治という言葉は、普通国内の国家の問題を意味します。一人では暮らせず、一国では暮らせないので、国同士は関わり合います。現在はすべての国と言うことができます。だから政治は世界のこと、つまり世界の政治です。今世界は小さくなった、狭くなったと、みんな感じています。行き来が便利になったので、誰にも知られず孤立している国はありません。世界のどこへでも行けます。だから全部関わりがあります。

 そして他にも分かることは、どの国も目的があり、自分の国の大使を立てて、ほとんどすべての国に駐在させ、そのように努力しています。だから世界に何カ国あろうと、関わり合い、関係し合っているので、問題も増えているということが分かります。世界の問題であり、世界の政治です。

 ちょっと飛躍した話をしたいと思います。ずっと先に、今冗談で言っているように、この宇宙の他の世界に行き来できる時代がくれば、とたんに宇宙の問題になります。きっと一つだけの世界である現在より、更に複雑困難な問題になります。このような形で政治を見てください。そうすれば、有益な理解ができます。

3.「政治」の意味は、必ずタンマと関わらなければなりません。語学学者、語源学者、そして政治家自身も、様々な意味の説明をしています。ほとんど役に立たないものありますが、要旨として、たくさんの共に生きる人たちが、本当に平和で穏やかに暮らせるようにすること、という意味を掴むことができます。これが政治という言葉の、正しくて純粋な意味です。

 しかし政治という意味が正しくなくなると、純粋でなくなると、現在のように不正になります。政治は騙し合いになります。大きな集団同士の利益の奪い合いです。

 初めは良い態度で、「実施します。実行します。何でもすべて協力し合って全力で取り組み、世界中の人が幸福に暮らせるようにします」と言います。しかし実行する段になると、お互いの不正の道具になります。他人より得をしようとし、自分の仲間だけ幸福になろうとし、平気で他人より有利になろうとするので、政治は汚いものになります。

 ここでもう一度、清潔な政治でも、汚い政治でも、政治はタンマと、あるいプラタム(仏法)と関わらなければならない、と見てみます。純粋な政治ならタンマになり、タンマと関わります。タンマがあるからです。

汚れた政治にはタンマがありません。タンマに欠けます。それでも、「欠乏した」、あるいは「間違った」、あるいは汚れた政治を、タンマで清潔な政治にしたいと望む、という形で関わりがあります。

 清潔な政治も、不潔な政治も、どちらも人間世界と関わりがあります。一つの国家、一つの社会と関わりがあります。小さくすれば地方や村の政治になり、家庭の家政になります。一件の家から世界の国までを表す言葉の意味を定義するには、どういう言葉を使ったらよいのか分かりません。とりあえず、まとめて政治と呼ぶことにし、中間つまり国のレベルにします。

 

 今お話した限りでは、私たちは人間の話は回避できない話であるとまとめなければなりません。私たちは人間であり、そして世界の一員なので、世界の問題も避けるとことができません。

そして国民の一人なので、国の問題も避けることはできず、社会の構成員の一人なので社会のことも避けません。村でも、私はこの村の、一そしてこのお寺の員であり、一人一人の家庭も、責任を逃れることはできません。

 ですから仏教教団員は、責任を知っている仏教教団員の気持ちがあります。時には、私たちの役に立つもの、あるいは世話になったものに対して恩を知っています。仏教徒らしい言い方をすれば、「この世界は私たちの利益になった。この世界に生まれたのだから、この世界を良くするために協力して、恩返しをしなければならない」になります。仏教教団員が政治に興味を持たなければならない理由は、このように広いです。

 先ほど、私たちは仏教教団員なので、いつでもブッダの言葉を原則にする、と言ったように、ブッダの言葉について見ます。

1.ブッダ自身に関わるブッダの言葉は、いろんなところにたくさんあります。大体の意味は「私は人間と天人とすべての生き物のため、大衆の幸福の利益のために生まれた」と、このようです。文字通りの言葉では言っていません。暗黙の了解による意味だけを要約すれば、「私はこの世界に、すべての生き物のため、人間と天人のために生まれた」になります。

 だいたい見当がつく意味で、「天人と人間」という言葉を考えてください。見当がつかない意味は、よけておいて結構です。

 だいたい見当がつく意味では、天人とは汗を知らない種族で、人間は常に汗を流していなければなりません。つまり、一方は汗を知らないほど安楽で、もう一方は汗に慣れっこになっているという意味です。しかしどちらも、ある意味では同じ状態にあります。それは、タンマがなければ平安に暮らせないことです。汗を流す必要がなければ幸福に暮らせると威張らないでください。まだ他の問題があります。

 だからブッダは、わざわざ天人と人間の利益のため、と言っています。天人も人間もまだ問題があるという意味です。天人になったら問題が無くなる、あるいは最高の幸福であり、苦はないと勘違いしないでください。

天人も人間も、どちらも問題があり、まだタンマを求めます。だからこの世界には、天人と人間の二種類しかいません。汗を知らない部類と、汗を知っている部類です。これは一度聞けば分かる庶民の言葉ですから、仏教教団員は、共に協力して問題を解決するものとして、天人と人間の両方に関心を持ちます。

2.次にもう一段レベルを下げて、「聡明な人は大衆の利益のために生まれた」というブッダの言葉があります。自分自身のためでなく、大衆のためという意味です。天人と人間のため、とする時もあります。この聡明な人というのは、ブッダを意味するだけでなく、最高度の知性のある人なら誰でも聡明な人と言います。

そういう人たちは大衆の利益ために生まれたので、話は必ず社会のこと、社会問題になります。だから政治の問題は避けられません。しかし清潔な政治、あるいはタンマがある政治です。つまり、お話したような意味での本当の政治です。他人より有利になるための策略、不正に形を変えてしまった政治ではありません。

3.他にも利益について言ったブッダの言葉があります。「自分の利益を考えるなら、最後まで注意深く自分の利益になるようにしなさい。他人の利益を考えるなら、最後まで注意深く他人の利益になるようにしなさい。自分と他人の双方の利益を考えるなら、最後まで注意深く自分と他人の利益になるようにしなさい」。いつでも平等に他人のことを考えさせる、それが政治です。つまり社会の共通の問題なので、みんなで解決しなければなりません。

4. その上まだ、「天人と人間を援け幸福にするため、天人と人間の利益のため、みんなで守っていくために、このタンマを説く」という言葉があります。たとえば先週の土曜日に詳しい説明が終わった三十七道品の話などは、ブッダが三十七道品と呼ばれるタンマを説いたのは、みんなで仏教の教えとして守っていくため、みんなの利益のためです。誰か一人のため、あるいは一人の修行者のためではありません。

 タンマ、あるいは仏教を説くのは、誰か一人のためではないことを原則にするために、憶えておいてください。ブッダは、天人と人間の利益のために、しっかりと維持していくことを望みました。繰り返させていただきます。天人は汗を知る必要がなく、人間はまだ汗を浴びなくてはならなくて、両者にどれだけ開きがあっても、どちらもタンマが必要です。

 これらの言葉全部をまとめさせていただきます。ブッダの言葉の形をしているものを見ると、ブッダは一人だけでなく、世界中の、つまり天人と人間を基準にし、双方の利益を考えていることが分かります。双方の利益と言えば、自分とすべての他人の利益です。時にはこのように小さな利益、低い利益について語り、そして最高の利益、つまり涅槃に関わることを説きました。

こういうのも、天人と人間に対して説きました。だから初めから正しく理解できるように見てください。そうすれば、世界全体の人の利益について考えることは、仏教徒の義務と分かります。このように決意すれば、政治の問題を避けることはできません。

 どうかみなさん自分で考えてみてください。世界の利益を考えれば、世界全体の同朋の利益を考えればあ、政治の問題を避けることはできません。今にも世界は炎上しようとしています。破滅しようとしています。どうにでもなろうとしています。

これは世界の政治の問題です。だから手助けできることがあれば手助けしなければなりません。手助けできる方法が見つからなくても、何としてもその方法を探す努力をしなければなりません。

 次に、仏教教団員と教団員でない人は、この問題に関して何か除外する項目があるかどうかを、考えてみます。仏教教団員でない一般の人も政治に関わっています。政治がいっぱいの世界で生きているからです。仏教教団員は、ある意味では仏教教団員でも、別の意味では一般人ですから、これが政治に関心を持たなければならない理由です。

そうでなければ利益のない人になります。あるいは非常に利益が少ないです。世界の一員として、ブッダの教えで行動しないと言うこともできます。私たちは世界を救うために世界に関心を持たなければなりません。仏教教団員として、世界を救うために世界に関心を持たなければなりません。

私たちには世界を救うべき恩があるというレベルまで高くすれば最高に善く、高いタンマになります。しかし低くても、私たちは少なくとも世界を救わなければなりません。そうでなければ、みなさんは他人より得をしたい人で、やがて不正をする人になります。不正な人の世界の一員で、自分の義務をしません。それは恩知らずな人です。

 

 さて、この問題に関しては、これ以上話す必要はないということです。誰でも世界を善意で見て、世界の問題を解決する手助けをしなければなりません。そしてそれが政治と呼ぶもので、世界を正常な状態に、平安にすることです。もっと狭めれば、国を正常な状態に、平安にします。それも政治です。

町内や一つの家庭まで小さくしても政治です。そう呼ばないだけで、意味は同じです。つまりどんなにその数が多くてもたくさんの人が集団で暮らす時、平安に暮らせるよう手助けをします。

 次に、「政治」という言葉のおおよその意味として、「国、あるいは社会や世界の問題を無くすために実施する制度」とまとめることができます。問題とは危機の原因になるもの。つまり平安に暮らせないこと。これを問題と言います。

 みんなで国や世界の問題をなくすのが純粋な政治です。他人の利益を奪って、自分や自分の仲間のものにする道具ではありません。現在は、良く見ると何のことはない、他人や他の仲間の利益を奪って、自分や自分の仲間の物にしてしまうことを政治と呼びます。国内も国外も、世界中こうなってしまいました。これは自然の、あるいはタンマの純粋な目的である政治ではありません。

 政治というものが始まった原初から、平安に暮らせない問題がありました。そして、みんなで解決して穏やかに暮らせるようにしました。それで満足しました。そのもう一段後になると、煩悩につれて変化しました。つまり自分の幸福だけを考え、そして貪欲になって満足ということを知らないので、他人の物を奪って自分の物にしなければなりません。

自分の煩悩の言いなりになって、このように振る舞うのが流行りで、誰でもしています。世界中のどこでもしています。だから政治は、非常に巧妙に他人の物を奪って自分の物にする状態になります。

しかしそれは、ここで意図する政治ではないと知ってください。ここで意図する政治は純粋な政治、つまり社会を穏やかにすることを目指します。だから本当の政治とは、タンマ、あるいは仏法と呼ばれるものがなければなりません。これが、「タンマは政治」と題して説法しなければならない重要な理由です。

そうすればタンマがあるので、政治は利益になるもの、あるいは最高のものになります。だから「タンマ」あるいはプラタムに、特別に、十分正しく関心をもってください。そしてそれを政治に応用します。あるいは政治の基準にすることができ、問題解決できます。だから十分にタンマについて興味を持たなくてはなりません。

 次は「タンマ」という言葉を熟慮し、代表の四人の方に質問して、みなさんの記憶や理解を復習します。

質問 : 「タンマ」という言葉の重要な意味だけを要約すると、どんな意味でしょうか。幾つ意味がありますか、プラユーンさん。

答  : 「タンマ」という言葉には四つの重要な意味があります。最初の意味は、自然の状態と言われる、あらゆる物という意味です。命のない小さなものから、最高に大きなものまで、目に見えるものも、目に見えないものも、あらゆるものです。

二つ目の意味は、自然の法則です。自然の真実と呼ばれる自然の法則です。たとえば三相、あるいはいろんなカンマの法則などです。三つ目の意味は、実践と呼ぶ、自然の法則にあった行動を意味します。ほとんどは八正道です。次に四番目の意味は、自然の法則にあった行動の結果です。これをパティヴェ−タムと言います。このように四つの意味があります。

質問 : まだ良く憶えていて、良く理解していると見えますね。次はトーンさん、四つの意味を最も短く言ったら、どうなりますか。1、2、3、4 と言ってください。

答  : 1は自然、自然の法則、義務、そして自然結果です。

質問 : なぜ一つですか。全部で四つあります。1、2、3、4 と言い直してください。1は自然。2は自然の法則。3は自然の法則に対する義務、4は義務にふさわしい受け取る結果。このどれもタンマと呼びます。パーリ語を基準にするなら、そして仏教の経典にあるすべての説明の言葉を信じるなら、「タンマ」という言葉は、四つの意味があります。意味は段階的になっています。

1.初めの意味は、自然、つまり形でも名でも、自然に存在する原因も結果も、すべての現象です。

2.二番目の意味は、すべての自然はそれ自身の法則があります。だからすべての物は法則で変化しています。自然、あるいは真実と呼ばれるものを意味しても、自然の法則という意味でタンマと呼ぶことができます。

質問 : 次に三番目の意味、自然の法則にあった行動をしなければならない義務とは、誰の義務ですか、トーンさん。

答  : それは、この世界にいる人です。

質問 : 「この世界にいる人」ではまだ曖昧です。人ですか、動物ですか。

答  : 人も動物もという意味です。

質問 : では植物は?

答  : もちろん植物も意味します。

質問 : そういうのを、義務をしなければならないのは誰かを、言い直してください。チュアンさん、誰ですか。ラムさん、誰ですか。分かった人が先に言ってください。

答  : この世界のすべての生物という意味です。

: それです。植物から始まって、この世界のあらゆる生き物。もし土や石にも命があるなら、それも含めなければなりません。現在ではまだそれは証明されていません。つまり生きとし生けるものと言うことです、義務を行わなければならないのは。そうしなければ死んでしまいます。

植物というのは、小さな植物という意味で、小さなコケも義務を果たさなければなりません。それから大きな木も、それが行うべき義務を行わなければなりません。そうしなければ生き延びることはできません。

動物たちも義務を果たしているのが分かります。人あるいは人間や天人も義務を行わなければなりません。そうしなければ死んでしまいます。だから生き物の義務は、必ず行わなければなりません。

私は自然の法則での義務と呼びます。パーリ語で言えば、パティバッタムと言います。パティバッタムとは、行動しなければならないこと、あるいはするべきことです。これが三番目の意味のタンマです。自然の法則にしたがった義務です。

四番目の意味は、生じる結果です。行為をしても結果が生じないものは何もありません。間違った行動をすれば、望まない結果になり、正しく行動すれば、望ましい状態の結果になります。この結果の部分も、行為から生じる結果で、私は同じようにタンマと呼びます。高いレベルでは、パティウェータムと言い、心で感じる結果のことです。観察すべき点を、もう少し復習してみます。

1は自然、2は自然の法則、3は自然の法則での義務、4は義務の結果です。

質問 : 自然でないのは何か、もう少しはっきり要旨が分かるように、第1項、タンマとは自然、を復習すると、トーンさん、どこにでも見られるもので自然でないものは何でしょう。

答  : 自然と呼ぶものは、大地から植物、そして動物、人間。これらが自然です。

質問 : 質問と噛み合いませんね。何が自然ではないかと聞いています。

答  : 自然でないものは何もありません。

 : 自然でないものは何もない、では他の人たちは理解できないので、繰り返して、良く見、良く理解してください。仏教の教えでは、自然でないものは何もありません。下は土くれ、石ころ、砂粒、何でも自然です。高等になって命のあるもの、最高に素晴らしいもの、そして行為の結果、あるいは涅槃と呼ぶ自然にあるもの、それも自然です。

だから、すべての有為は自然であり、無為のものも自然なので、自然でないものは何もありません。「自然でないものは何もない」と理解してしまってください。この項目が理解できなければ、タンマを理解できません。

質問 : 次は第2項の、自然の法則とは何ですか。何かをごく簡単に答えてください、チュアンさん。

答  : 自然の法則とは自然に存在する状態です。

質問 : それは自然そのものです。その次の、自然の法則は何でしょう。トーンさん。

答  : それは変化です。

質問 : それは自然によるもの、つまり自然の法則にしたがって経過します。それが変化です。それで自然の法則は何でしょう。ラムさん。

答 : 因果律です。

質問 : 因果律? 自然の法則とは何ですか。あなたは名前を挙げただけで、まだ「とは何か」を言っていません。プラユーンさん、自然の法則とは何でしょうか。

答 : 聖なる自然、つまり神様です。

質問 : それでは聞いても誰も意味が分かりません。

答 : それは因果律です。

: それではラムさんが言ったのと同じです。因果律とは、自然を強制的に変化させるものです。このように見てください。自然の法則とは、自然を法則に従って強制的に変化させるものです。自然とは、すべての自然の状態です。どこででもです。有為も、無為も。自然の法則は、自然を強制的に変化させるものです、強制できるものは、強制したように変化します。強制できないものは、自然の法則でもそのまま変わりません。

無為は変化しないと言うなら、無為を変化させず、そのまま維持させる自然の法則によっています。すべての有為は、急流のように、ネジのように変化します。だから自然の法則は、自然を強制的に変化させるもの、と言うことができます。変化させる形になることもあり、変化しない形になることもあります。そのようになっている、と言うことにしましょう。

質問 : 自然の法則を拒絶できるものは何でしょう。何でも、誰でも、拒絶できますか。例を挙げてみてください。自然の法則を拒絶できるのは誰でしょう。例を挙げてみてください。

答 : 何もありません。

質問 : 何もないのですか。トーンさん。

答 : はい、誰も拒否できるものはありません。 

: 自然の法則を拒否できるものは何もない。誰もいない。石ころだって自然の法則を拒否できません。あれがここに来たのだって、自然の法則によるのです。粉々になるのも、自然の法則でです。命があり心があるものが、強烈に、逃れるすべもなく自然の法則で変化するのは、言うまでもありません。

質問 : 次に3項目の自然の法則に対する義務とは何でしょう。2項目のようにならないように注意してください。自然の法則に対する義務とは何ですか。プラユーンさん。

答 : 自然の法則に則った行動です。つまり、正しい行動なら正しい方へ変化し、間違った行動をすれば間違った方へ変化します。

質問 : あれ、これはずいぶん饒舌ですね、トーンさん、自然の法則での義務とは何か、もっと短く言ってください。子供の答えのようにもっと簡単に答えてみて。自然の法則に対する義務とは何ですか。

答 : 自然の法則に則った義務とは、食べること、排泄することです。

質問 : どこへ逸れたか分かりません。自然の法則に則した義務とは何か、まとめてください。

答 : 自然の法則での義務は、行動することです。つまり行動しなければなりません。

: 行動しなければならないこと、あるいは何か、行動しなければならないことをもっとはっきり言うと、行動しないではいられないことです。この場合、義務とは、避けられないものです。避ければ確実に死です。だから自然の法則での義務とは、生き物が必ずしなければならない、避けることができないものです。食べる物を求めることから、食べること、寝ること、そして精神的なことまで、何でも正しくしなければ平安はありません。

質問 : 自然の法則での義務を拒絶できる人がいますか。考えられますか。自然の法則に則った義務を回避できる人は誰か、例を挙げてみてください。トーンさん。

答 : いません。

 : ないと断言すれば、他の人も理解して観察することができます。誰も避けることができないのは、どんな種類の義務ですか。自然の法則による義務が、誰も避けることができないものなら、どんな種類の義務を避けたいと思いますか。プラユーンさん。

えっ。どうしてそれは「自然の法則でない義務」だと、子供のように答えないんですか。それは自然の法則でない義務です。自然の法則でない義務は、ふざけても構いません。避けることもできます。ですから、自然の法則での義務は、すべての生き物が避けることができないもの、と言うことができます。

4項目は、自然の法則によって生じる結果、自然の法則にしたがって行動することにより生じる結果です。つまり自然の法則にしたがって行った義務に続いて、その義務から生じる結果です。それも自然の法則に従っています。その行為が正しいか間違いかによります。

質問 : 自然の法則で結果が生じるのを、止められる人はいるでしょうか。トーンさん。誰が変えられるでしょう。その生じる結果を。

答 : 誰も変えられません。

質問 : それではなぜ、良いことをして悪い結果を得、悪いことをして良い結果を得る、と反論するのでしょう。

答 : それは誤解するからです。

: 誤解させるものが幾つかあります。特別の場合の規定や言葉に迷わされたり、反応や、副産物を本当のものと勘違いしたりします。だからいつでも自然の法則によって生じた結果、という不動の原則を捉えておきます。

まだ納得できないなら、非常に長くなるので、別の機会にお話します。義務から生じる結果は、必ず自然の法則と一致するものだけで、誰も変えることはできないものとします。たとえば、善行の結果を悪くしたり、悪行の結果を善くしたりすることは、誰にもできません。

 だからタンマという言葉は、四つ意味とすることができます。自然もタンマと呼びます。自然の法則もタンマと呼びます。自然の法則に則った義務もタンマと呼びます。自然の法則に則った義務の結果もタンマと呼びます。本当にタンマを知るには、この四つを知らなければなりません。

質問 : 現在一般の人は、この四つの意味を知っているでしょうか。トーンさん、敢えて本当のことを言うのがいいです。だからトーンさんに聞きます。

答 : 人はそのようには理解していません。

質問 : そう理解しないで、どう理解していますか。タンマは何と理解していますか。

答 : タンマは、ただ善いもの、悪い物、とだけ理解しています。

 : それではタンマの知り方が狭すぎます。だからタンマを有効に利用できなのです。だから政治の、複雑でややこしく絡み合っている問題に使うには不十分です。

 タンマという言葉の意味を、私がこのように四項目にまとめて話し始めたのは、それほど昔ではありません。千年も二千年も前のパーリ経典(ブッダの言葉である経)にあるのに、二千年たってもその話をしません。私が話すのは、タンマという言葉の意味を、一度に全部掴めるようにするためです。

この四つの意味をだいたい掴めたら、タンマをはっきりと、本当に四種類に見るよう注意するべきです。そうすればすぐに、政治と呼ぶものに関係があることが、非常に明らかに見えます。

 さて、タンマという言葉の意味、あるいはタンマには四種類の意味があると良く理解できたら、タンマと政治の関わりを見ます。

 

 政治と呼ばれるものはタンマと呼ばれるものと関わりがあります。

質問 : さて、すぐに分からなくなります。政治と呼ばれるものは何か、から始めましょう。トーンさん。政治と呼ばれるものは、最高に短く、ズバリ言ったら、何でしょう。

答 : それは、人間同士が幸福に暮らすために実践制度です。

質問 : 何人の人が幸福に暮らすための実践制度ですか。大勢の人を意味しなければなりません。それに、多さに限度はありません。大勢の人が平安に暮らすために実践する制度を、私たちは政治と呼びます。人々が平安に暮らすための制度は、必要ですか、トーンさん。

答 : 必要です。

質問 : どれくらい必要ですか。

答 : たくさん必要です。

質問 : 残りはありますか。全部ではないのですか。

答 : はい法律や制度より上の部分は、自然の法則です。私はそう考えます。

質問 : 政治的な義務は、大勢の人が平安に暮らすために、みんなで行動しなければならないこと。それを必要と言います。次に聞きたいのは、どれくらい必要ですか。百パーセント必要ですか。それとも必要なのは百パーセント以下ですか。

こう質問しますよ。必要と言われる、誰もが幸福に暮らせるようにしなければならないことは、百パーセント、あるいは必要なのは全部ではなく、多少残しても構いませんか。そして知りたいのは、プラユーンさん、どれくらい必要ですか。

答 : 政治の百パーセント必要です。

質問 : 何のですって?

答 : その実施制度のです。

質問 : 必要なこどの百パーセント必要と言わなければなりません。で、そうするのは義務でしょうか。人間の義務だと思いますか、トーンさん。

答 : 義務です。

質問 : もし義務なら、タンマのどの項目に入りますか。チュアンさん。どの意味のタンマになりますか。

答 : 実践という意味です。

質問 : 一番初め、あるいは二番目、三番目。あなたは何と言ったのですか。

答 : 三番目です。

質問 : 三番目の意味。それが必要なら、避けることができない義務です。だから政治は、三番目の意味のタンマになります。三番目の意味を何といいますか、プラユーンさん。

答 : 三番目の意味は、自然の法則で実施しなければならないこと、実施しなければ駄目です。

: 三番目の意味は、自然の法則に従って例外なく実施しなければならない義務ですから、政治も、自然の法則に従って人間が実施しなければならない義務です。このような義務を、私は三番目の意味のタンマと呼びます。

質問 : 次は三番目の意味のタンマを正しく実践するには、何番目の意味のタンマで正しくしますか。

答 : 二番目です。

質問 : 二番目の意味ですね。考えてみてください。実践しなければならないのは、正しくするためです。二番目の意味は何と言いますか。

答 : 自然の法則です。

質問 : 自然の法則と呼ぶものがそのようなのはなぜですか。そうなのは、あるいはそうでなければならないのは、なぜですか。チュアンさん。

答 : タンマの実践の結果のためです。

質問 : そのような結果は後にして、なぜそうしなければならないのですか。どうしてしなくてはならないのですか。

答 : 法則が正しいからです。

質問 : どうしてですかトーンさん。

答 : 自然の理由です。

質問 : あら、まだ分かっていませんね。プラユーンさんは?

答 : 自然の法則が自然を強制的に変化させるからです。だから二番目の意味のタンマである法則で実施しなければなりません。

 : 人や植物、あるいは何でも、一番目の意味の自然です。人でも、動物でも、植物でも、何でも、あらゆるものは一番目の意味のタンマなので、かならず法則で経過します。人や生き物が法則と一致する正しい行動をすれば、四番目のタンマの意味で結果が得られます。分かりますか。これも四項に、四行に分けられます。

 もう一度復習すると、政治は三番目の意味のタンマです。理解できなければ聞いてください。反論してください。政治は三番目の意味のタンマ、つまり義務です。ここで、二番目の意味、つまり自然の法則で正しくするため、と言います。

人も動物も、一番の意味の自然、つまり自然そのものだからです。自然そのものなら、自然の法則から逃れることはできません。実践すれば四番目の意味のタンマ、つまり義務の実践の結果、という意味の結果が得られます。

 だから、政治と呼ばれるものは、四つの意味のタンマと密接に、強く関わっているということが分かります。このように噛み合っているので、切り離すことはできません。政治は三番目の意味のタンマです。三番目のタンマで正しくします。

なぜなら、すべては一番の意味のタンマであるのと、実践すれば、タンマの四番目の意味の結果があるからです。だから切り離すことはできません。これが自然の真実のタンマと政治です。このように関わりあって、切り離すことのできないものです。

四つの意味のタンマは、政治と呼ばれるものと四つの形で分かちがたく関わっていると、結論してしまいます。そうすれば、なぜ私が「タンマと政治」と言うのかという疑問の、ほとんどが解決します。それは切り離せないからです。正しい政治を目指せば、それがタンマです。

 

別の意味のタンマ

 また別の面から、つまり別の意味のタンマを見ます。四つの意味と違う意味でタンマと呼ばれるものは、いろんな名前、いろんな呼び方、言い方があります。

質問 : 他の名前のタンマ、意味の違うタンマ、あるいは他の言葉はありますか。トーンさん。分かったら言ってください。政治ではなく、他の名前で呼んでいるタンマ。どんな名前、どんな意味がありますか。

答 : 別の名前のタンマは、道徳で、正常にすることです。

質問 : 他に何か。一つだけですか。例はいくらでもあります。他に何かありませんか、プラユーンさん。

答 : 文化の形のタンマ、技術や風俗習慣、そして法律の中にあります。

質問 : 考えたことがなく、思いつかないのでバラバラなことが分かりましたか。チュアンさん。どんな名前がありますか。どんな意味が。

答 : 思いつきません。私も考えているのですが。

質問 : おや、ラムさんが珍しいのを考えるかもしれないからですか。

答 : 管理や、教育にもあります。

質問 : では、もう一度トーンさん。別の名前の頂点のような言葉を思いつくかもしれませんから。何でしょう。

答 : さっき答えたのと違うものは、まだ考えつきません。 

質問 : ほら、忘れましたね。この話は何度も話しています。そして何ですかと質問すると、道徳はタンマです、と答えるばかりです。戦争も道徳だと言います。そう言ったことがありますか。そう話したことがありますか。

答 : おっしゃいました。

  : 言いました。その時は何度もそう言いました。道徳でないものは何もない、なぜならそれはすべて、物事を正常にさせるものだから、と言いました。さて次に、別の意味のタンマが何かあれば、取り上げて熟慮して見るべきです。そして最後に、すべては政治と関わりがあることを指摘して見せます。

質問 : たとえば道徳のような別の呼び方のタンマ。道徳は、正常にするものという意味で、この道徳を順順に見ていきます。何段階ありますか。つまり誰のものですか。何段階になりますか。トーンさんですか、プラユーンさんですか。

答 : 四段階です。1は物質、命のない物の道徳。2は体、外部の体の道徳。3は深くなって心の道徳。そして次の4は精神の道徳です。

 

 1.タンマのもう一つの名前は道徳

 私がそのように細かく分類したのをまだ憶えていますね。正常にすることができるものは、当然道徳と呼ばれるもの、つまり正常さを生じさせる行動と関係があります。今は人間に関係あるものだけにします。物質の話は、一般の人は見たこともなく、話しても興味がなく、理解が難しいので除外します。

 こういう話題は深遠な話です。 私たち世間一般の話としては、道徳は三段階あると言えます。つまり個人のものと、個々の社会と呼ぶ、集団としてまとまっている社会のものと、そして世界全体の道徳です。時と場合によって話すことができます。たとえば、今世界全体に道徳がないとか、世界では、道徳のこの項目、あの項目が衰退しているというように、言います。

 個人の道徳も政治と関わりがあります。社会の道徳も政治と関連があります。政治は静かさを求め、道徳は静かにするものだからです。

質問 : 一人一人に道徳があれば、トーンさんよく聞いてください。もし一人一人に道徳があれば、どのように世界の政治と関係があるでしょうか。

答 : 一人一人に道徳があれば、人はその社会の一部ですから、社会の各部分が静まって道徳的なら、その社会は当然正常であり、道徳的です。どの社会も穏やかな幸福です。どの国も、当然この世界を穏やかにします。

 : 幾つものレベルに分けて言えば、そう言うこともできます。すべての人に善い道徳があれば、政治にも関係があります。つまり世界に政治的な問題は無くなります。聞いたことがない人、あるいは間違って聞いた人は理解できないので、反論しますが、みなさんはだいたい分かると思います。

個々人に高い道徳があれば、世界の政治は問題が無くなります。つまり良い国民がいて、善い商人がいて、善い百姓がいて、善い代議士がいて、善い政府があって、善い財界人がいて、良い軍があって、誰もが高い道徳があるので、何でも善いものになり、世界の政治の問題は消滅します。

 私たちが社会を見、社会の一部を見る時、一人一人はまだこんな状態です。しかし一人一人に高い道徳があれば、社会も善くなり世界も善くなります。しかし高い道徳の人も低い道徳の人もいて、大部分が善ければ、だいたい善い社会と言えます。悪い人は少数なので、その社会は、道徳のある社会です。

世界の問題も同じです。まだ悪い社会があっても、社会の大部分が善ければ、この世界には善い道徳がある、と言います。タンマの別名は道徳であり、世界の政治にとって必要不可欠です。関連があるからです。

 

  2.風俗、伝統、文化という名のタンマ

 タンマの別名は、道徳以外にもあります。風俗習慣、伝統、あるいは何かそのようなものです。みんなで行動して、その人、あるいはその集団の習慣になり、血に沁み込んでいるものです。 たとえばこの血統、あるいはこの一族は、両親の血の中に、生まれつき善い文化があり、孫子に出ます。こういうのを血統の中にある文化と言います。つまり生まれた時から、善い文化だけに囲まれています。血筋も良く、後の環境やしつけも善く、善いものだらけなので、その子はとても善い子です。それが文化のご利益です。文化とはそういうものです。

 ですから、私たちに善い文化があれば、国も正しさがいっぱいになります。世界中の人に善い文化があれば、政治も良くなり、世界レベルの政治も良くなります。

 

                 3.行政、経済、戦争という名前のタンマ

 次に、たとえば行政や経済などから戦争まで、別名を見ていきます。正しく行動すれば戦争も道徳と、ほとんど誰も信じません。 

 次に、行政を見ましす。行政は政治に似ています。意味は政治と似ています。平和になるようにすること、実施することです。しかしこの行政というのは、頑固な人、強情な人、言うことを聞かない人、やくざで乱暴な人に対して断固とした処置を取ることを意図しています。

だから強制的な制度、あるいは行政と呼ばれる制度が必要です。それは政治のように優しく従うよう勧めるのではありません。しかし行政も道徳であり、しなければならない義務です。つまり管理しなければなりません。良い行政があれば、善い道徳があります。

質問 : では何番のタンマでしょうか、トーンさん。もし国家の行政が善ければ、それはどの意味のタンマですか。1番、2番、3番、それとも4番?

答 : 4番の意味です。

質問 : どうして4番ですか。良い行政だったら、何番の意味ですか。

答 : 2番目の意味です。

質問 : 2番は自然の法則ですよ。何番の意味ですかプラユーンさん。

答 : 実践項目という意味、つまり3番目の意味です。

: 3番目の意味です。 私たちの国に善い道徳があれば、私は3番目の意味のタンマがあると言います。つまり自分の義務を落ち度なく遂行すれば、4番目の意味、つまり結果は自然に生じます。

質問 : 経済や商売、工業などを見て、これは道徳と言えるのは、どうしてでしょうか。簡潔に答えてください。関わっている経済や工業や商業が、どうして道徳ですか。トーンさん。

答 : 経済は、社会の正常な幸福のためです。なぜなら自分が得るべき分以上の物を目指さないからです。たとえば商人が妥当でない儲けを得ないで、自分が得るべき分だけにすれば、 平和にすることができます。

質問 : もう一度はっきり言ってください。経済や商業や工業や農業や何でも、それがどうして道徳なのか、プラユーンさん。

答 : 経済は、収入があるので人々を幸福にします。つまり得た物を最大限に利用することができます。それが経済の本来の意味です。

質問 : では、全部答えてください。商業や工業は?

答 : 商業とは商売です。商売は、お金を介して商品を流通させることを目的としています。商売、あるいはお金を媒介にするのは便利のためで、最終的には、便利さのため、人々の平安のためです。一人ではいろんな物を手に入れることができないので、商業制度を通じて、商売の本当の意味で流通させる必要があります。

質問 : チュアンさん。それがどうして道徳なのですか。工業や商業や経済が。

答 : 経済や商業や工業がタンマと関わっていれば、道徳があります。

質問 : そう、どうして道徳か。つまりどうしたら正常な幸福を生じさせられますか。

答 : それは、誰にでも道徳があれば、自分だけ得をしようとしないし、不正もしないので、誰もが平安に暮らせます。誰もが幸福なら、道徳があることを意味します。

 : それもまた特別の知識で、関心を持つべきです。これらがなかったら何が起こるか、と考えれば理解しやすいです。もし善い経済制度、善い商業、いろんな善い物がなかったら、何が起こるでしょう。つまり混乱して大変です。しかしそれらがあれば、役割分担して行うようになり、正常な幸福にしやすくなります。

 商売人も、お互いに必要なものの流通に便宜を提供します。こういうのは、人も快適さや便利さを受け取り、商人も適正な労賃、手数料と考えます。こういうのを、善い商業があると言います。道徳があるので、困難を作りません。だから道徳になります。つまり正常、あるいは平安にします。しかし商人が搾取し、わきまえがなく自分だけ得をしようとすれば、道徳が無くなるので、正常な幸福はありません。

 経済も同じです。農業もそうです。どちらの立場も正常な幸福になるために、平等に分配します。正常な幸福が、どの立場のどの人にとっても、目的として正しければ、つまり正常な幸福のためなら、経済も商業も、何でも正常な幸福のためと言います。

 一方、戦争がどうして道徳なのか理解し難いのは、殺戮の面だけを見るからです。

質問 : ラムさん、戦争はどうして道徳ですか。道徳である戦争は、どうしますか。

答 : 戦争は、ちょうど良く、適度にすることです。

質問 : 戦争と呼ぶ争い、殺し合いには、どんな形がありますか。あるいはどうしたら道徳の範囲になりますか。道徳的行動と呼ぶことができますか。チュアンさん。

答 : タンマを維持するための戦いなら、道徳があると言われます。

 :タンマの敵をやっつけるために戦争をして、悪いタンマが世界を支配しないよう、タンマを維持するために戦うなら、道徳があると言えます。正義、または正常にするためだからです。しかし現代は、そういう類の戦争ではありません。そういうのは見られません。有利になりたい、他人の物を奪いたい、という道徳が無いことによる戦争です。

だから現代に見本を探すことはできません。道徳である戦争が現代に見られないのは、道徳なしにするからです。タンマの四つの原則では、道徳的な戦争はあり得ます。しかし誰が指揮統率するか、それがまた問題です。だから原則しか話せません。実践面では、誰がどこでしているか、まだ証明し、確認できません。

 次に滑稽なのは、現代はどこで戦争があっても、どれもタンマのためと言っていることです。第一次世界大戦では、「悪いタンマを征服するために戦う」と轟いていました。同盟国側はドイツとその仲間を悪いタンマと見なしたので、悪いタンマを征服するために戦争をしました。それでどうだったか見てください。口では何とでも言えます。 

 現在どこで争いがあっても、どちらの側も正義のため、公正のため、道徳のためと言うばかりです。しかし一度も平和になったためしがありません。だからそれは真実ではありません。策略の言い訳です。この種の戦争を基準にしないで、純潔な人の戦争でなければなりません。本当に不公平、不公正を見て、公正にするためにします。

昔話にはあります。それに、それほど多数の殺戮はしません。彼らにはタンマがあるので、話せば分かるからです。このように話すのは、戦争と呼ばれるものさえ結果は静けさのためと片付けてしまうためです。私たちは、時には叱ったり、子供を叩いたり、孫を叩いたりしますが、そうするのは罰を与えるのと同じですが、意図は正しくさせるためです。

 

                    4.神聖なものであるタンマ

質問 : さて次は、神聖なものであるタンマについて話すのが良いでしょう。こう聞いて、どう感じますか、トーンさん。

答 : 呪術のように感じます。

質問 : プラユーンさん。タンマは神聖ですか。

答 : 私たちが天人を信仰していた昔の、天人のようなものを思います。

質問 : ではチュアンさん。タンマは神聖ですか。

答 : 自然の法則を思い浮かべます。

質問 : ラムさん。

答 : 人間や、自分、実体があるものを思い浮かべます。

質問 : タンマは神聖なもの、というのは、神聖とは何か、という問題があります。呪術は神聖ですか、トーンさん。

答 : はい。呪術を信じる人にとっては神聖です。

質問 : では、タンマは呪術ですか。

答 : 本当は、タンマは呪術ではありません。タンマは道徳、あるいは自然に経過する道理です。

質問 : そうです。タンマは神聖か否か。タンマは神聖でしょうか。

答 : しかしそれを信じる人の世界では、当然神聖なものです。

質問 : 呪術を信じる人の世界では神聖。そういうのもあります。ここでは普通の人たちの、智慧ある仏弟子にとって、タンマは神聖なもの。これはありますか。もしそうなら、二つの神聖なものが生まれます。タンマも神聖。呪術も神聖。これはどう違いますか。

答 : タンマが神聖なのは、本当に実践すれば、本当に結果が出る所です。しかし呪術の神聖さは実行し難しいです。規則がありません。

質問 : 二つの神聖さの違いは何ですか。トーンさん。

答 : アーチャンが神聖とは何かとお尋ねになったように、私なりに、呪術を信じる人の神聖さを考えました。でも恐ろしいだけです。しかし道徳面、あるいは正しいタンマの面なら、神聖さとは正しいこと、そして真実です。私はそういう意味だと思います。

質問 : そう、さっき私が神聖さを二つに分けました。呪術の神聖さと、純粋な仏法の神聖さがあります。だからこの二種類の神聖の違いは何か、あるいは同じかを見てください。もう一度プラユーンさん。

答 : 呪術の面の神聖さは、盲目的に信じること、理由なく信じることなので、理由のない、ただ信じる神聖さです。しかしタンマの面の神聖さは、本当に神聖で、他のものよりも威力があります。智慧の方のものであり、愚昧なものではありません。

質問 : それは呪術の類の神聖さと、タンマの面での神聖さになります。つまり本当の神聖さは、また別です。この問題は説明しにくいです。私もあまりよく知らないからです。あるいは、同じように神聖という言葉の意味は何なのかと思います。トーンさん。どういう意味ですか。神聖とは。

答 : 確実とか、効率のようなものがある、という意味であるべきでしょう。

質問 : プラユーンさん。神聖とはとういう意味ですか。今感じているまま言ってください。

答 : 同じような言葉しかありません。神聖という言葉は、魔力、あるいは何かをさせる力、という意味にも使われます。変化させる固定した規則とを意味することもあります。この意味では、良く使っています。

質問 : あなたの感覚ではどうですか。

答 : 私の感覚では、むしろ霊現のある物という意味です。私はそう感じます。

質問 : ならタンマではないのですか。

答 : タンマなら、私は神聖という言葉を使いたくありません。

質問 : 次はチュアンさん。神聖とは何ですか。

答 : 言葉としては、成功させる力だと思います。

質問 : では説明して。

答 : つまり、呪術なら呪術の力で、例えば不死身など、信じる人、それを行う人が望んでいることを成功させます。

質問 : 次にタンマの方。どうぞ。

答 : タンマの方で成功させる力です。私は、タンマを実践する人は本当に成功すると考えています。

質問 : ラムさん。何か意見はありますか。神聖に関して。

答 : タンマの神聖さは、あるタンマとは基本である自然の原則で、私はこの原則を神聖な原則と理解します。タンマの言葉での固定した原則だからです。しかし呪術の言葉は私は信じないので、彼らの言っているように言います。彼らは何の根拠もなく、ただ盲目的に信じています。

質問 : 要するに神聖とは何ですか。

答 : 神聖とは、古い言葉では、昔の人は本物のことと言いました。そう言いました。

: 本当に利益になるもの。神聖(サックシット)という言葉を文字面から見れば、サッカディとシッティで、チュアンさんが言ったように、サッカディは威力という意味、シッティは成功という意味です。後ろから訳せは、成功させる威力から生じた成功という意味になります。威力によって生じた成功という意味と、成功を生じさせる威力の、どちらも入れ替えて使えます。望みどおりになることを成功と言います。

次に「威力」と呼ばれるものは、何の威力か、どういう種類の威力かと、いろいろに解釈する余地があります。呪術の威力もあり、タンマの威力もあります。呪術タイプの神聖さは、呪術の間で信じられているものが、成功を生じさせる神聖なものになります。みなさんがタンマを最高に威力のあるものと信じるなら、タンマは成功させる道具です。

だから神聖なものであるタンマもあり、呪術家たちは何らかの呪術に使うものを神聖と見なしています。このように違います。しかしこの言葉の意味は同じです。つまり成功を生じさせる威力のある物、あるいは威力のある物から生じた成功です。

質問 : いまプラユーンさんは何を神聖だと思っていますか。

答 : 今は後者を神聖だと思っています。タンマが神聖です。

質問 : 昔は?

答 : 昔は何でもみんなでした。

: たった今、神聖とは何かを知りました。庶民の言葉で言う神聖とは何か。善人のタンマ語での神聖とは何か。神聖、あるいは神聖なものには二種類あることが分かりました。成功させるものは、迷信でもいいし、真実でいっぱいのものでもいいです。今みなさんはタンマを選び、呪術の方は選ばないので、タンマを神聖なものとします。

質問 : タンマは良い政治家を作ることができるでしょうか、トーンさん。

答 : できます。

質問 : どうしますか。

答 : それは、政治家が規則に従って対処する時にタンマを精神基盤とし、国民の幸福と秩序のために実施します。

 

                  5.菩薩である政治家を作るタンマ

質問 : 神聖なタンマは、どんな政治家を作るでしょうか。いま国民が代議士を選ぶことは、どんな種類の政治家を作るでしょう。神聖ですか、神聖じゃないですか。みなさんが本当の政治家、つまりタンマのある政治家を求めるなら、タンマに選ばせなければなりません。

しかし今は民衆に政治家になる人を選ばせます。私たちはどうしたら、タンマのある政治家を持つことができるでしょう。どんな方法がありますか。チュアンさん。

答 : それは、政治家を選ぶ人にタンマがあれば、同じようにタンマのある人を選んで政治家にします。タンマのある人が政治家になれば、当然その人たちはタンマで国家の問題を解決します。そうすれば、善い政治家を作ると言えます。

 善い政治家は、政治の意味で利益になります。そこです。タンマを見てください。もし善い民衆でタンマがあれば、タンマのある人を選びます。もし民衆が悪くてタンマがなく、しかし偶然タンマがある人を選べば、それでもまだ良いです。誰かにあるタンマは善いです。その人は善いです。だから神聖なタンマは、善い政治家を作ります。

質問 : 理想的な素晴らしい政治家を何と呼びますか、トーンさん。

答 : まだ良い答えが思い浮かびません。

質問 : まだ思い浮かびません。素晴らしい政治家。まだ誰も呼んだことがありません。わざと聞きました。しっかり掴んで目指せるように考えてもらい、呼べるようにわざと質問しました。私は、タンマが本物の政治家を作ることができれば、その時は、その政治家を、菩薩である政治家と呼びたいと思います。

質問 : 菩薩である政治家とはどんな意味か、想像できますか、トーンさん。

答 : 人のために行動する政治家です。

質問 : そうです。菩薩という言葉の意味、あるいは意図は、自分がないことです。他人のことに没頭しています。だから菩薩である政治家は、他人の利益のために生きる政治家です。現在、世界に菩薩の政治家はいますか。プラユーンさん。

答 : たぶんいません。もしいれば、国はこんなではありません。

質問 : 世界中ですか。

答 : 世界中、理想的な、菩薩のレベルの人はいないと思います。

質問 : チュアンさんはどうですか。いますか。

答 : 意味から考えれば、普通の政治家にはいるはずだと思います。

質問 : 菩薩の政治家はいると考えますか。さあ、ラムさん。

答 : 私はいると思います。でも埋もれてしまうのではないでしょうか。きっといます。私はきっといると思います。

質問 : いると信じている。しかし表面に現れていない。トーンさん、いるでしょうか。

答 : 私は、今もいると思います。しかし菩薩ではない政治家にたくさん出会います。菩薩の政治家が何かしようとすると、仲間が叩いて駄目にしてしまいます。

 : チュアンさんが挙げたこの名前は、保留にしておきます。他の人の受け売りで、自分で知ることができません。理論的な理由や、世間一般の常識で言えば、今阿羅漢は存在するかという問いと同じように、秘めておく方が良い話です。そういうものですから、答える必要はありません。

私はただ、タンマは本当に政治家を作ることができる、とだけ主張します。その政治家は、必ず菩薩の政治家で、つまり自分がなく、あるのは他人だけです。そういう人が生まれるよう叫ぶことができるかも知れませんから、みなさん憶えておいてください。

 

 最高の意味のタンマを考える

質問 : さあ次は、別の名前、別の意味のタンマを見ます。最高の呼び方。それ以上に高い物はないものを何と呼びますか。プラユーンさん。

答 : 最高の意味なら、ローグッタラタムです。

質問 : 擬人的に言えば、人物として捉えたタンマを「神様」と言います。もう何度も話してきました。「神様」という言葉は人物を意味しますが、タンマは人物にはなり得ません。しかし、神様という言葉以上に、意味を的確に表す良い言葉がありません。

 神様とはどういう意味か、重要なことだけ知れば十分です。神様の意味を、イスラム教とキリスト教の教典から拾い出したことがあります。そうしたら百以上ありました。しかし重要な意味だけ、聞いて誰もが分かる、一般に認められている意味だけにします。

質問 : 神様とはどんな意味でしょうか。トーンさん。

答 : 誰でも聞いて分かる神様の意味と言えば、

質問 : そうです。何ですか、それは。

答 : 神様とは神聖な人です

質問 : 神聖。神聖であることの、神聖な物の極致。他に何か、ラムさん。

答 : 神様とは、世界の何でも動かすことができるものです。

質問 : それも一つです。そういうのを起源と呼ぶ宗教もあります。いろんな物を生む最初の原因です。さて、チュアンさんは?

答 : いろんな物を作る人という意味です。

質問 : これは重複します。間接的に動かす人、作る人、あるいは創造主などは重複します。他の意味を言ってください。

答 : 神様の他の意味。神様は維持する人も意味します。

質問 : 何を維持しますか。

答 : この世のすべてのものを維持します。

質問 : 神様はこの世のすべてを維持する人と言っても、意味が分かりません。なぜなら、時には人間の期待に反するものもあるからです。苦しみ、破滅、破壊などもあります。

答 : 面倒を見る人ですか。

 : それも維持する人と同じようです。面倒を見るなら、もう少しきちんとしなければなりません。しかし今世界は、破滅と発展の二つの面があります。神様という言葉にふさわしい言葉を使えば、どんな意味でしょうか。

 どんな宗教でも、神様という言葉を初めに考えなければならないと、私は何回もお話してきました。もしかしたら仏教でもタンマの言葉で、神様とは創造した人、支配する人、そして破壊する人と言えるかもしれません。そして創造と、支配と、破壊を繰り返しています。

 神様の神聖さは、すべてのものより高い三つの義務にあります。私は人物として、世界を創造した神様としては話しません。神様とは、いろんな物を法則にしたがって変化させる価値、あるいは意味、幸福、苦などを意味します。それには必ず発生と維持と消滅、発生と、維持と、消滅があります。

質問 : 何が発生と存在と消滅を生じさせるでしょうか、トーンさん。

答 : 神様です。

質問 : 仏教では何と呼びますか。

答 : プラタムです。

質問 : プラタム。特に何という名前のプラタムですか。

答 : 因果律(縁生)です。

 : 因果律です。さっき、トーンさんが因果律と言いました。神様とはプラタム。因果律という名のプラタム。つまり発生と存在と消滅を生じさせる法則です。だから共通する意味の神様です。つまり人物でもいいし、人物でなくてもいいですが、発生と存在と消滅を生じさせるものなら神様と呼びます。

質問 : 政治に関わりのあるタイプの神様はどんなですか。

答 : こういうタイプの神様は政治に関連があります。政治家が、創造と、支配と、破壊する形の神様に仕えていれば、そういった意味になります。

 : そうです。多くの政治家が、本当の神様を正しく知らなければならないという意味です。そうすれば今言ったような結果が得られます。あるいは政治家の多くが、因果律という神様を知っても同じです。そうすれば平和とい状態の結果が生じます。

質問 : だから神様は、最高の政治を作る人で、最高の政治家を作る人です。もっと良い言い方をすれば、神様は何でしょう。このように見たら、神様を何と呼びたいですか、チュアンさん。

答 : 分かりません。

質問 : ラムさん。

答 : 神様をプラタムと呼びます。

質問 : あれ、それではさっきに戻ってしまいます。トーンさん、神様を何と呼びますか。

答 : 神聖なものと呼びます。

質問 : また逆戻りです。プラユーンさん。

答 : 私は思いつきません。

 それは言葉でなく、光でなく、何も深遠なことではありません。みなさんは考え過ぎるから、答えが見つかりません。子供のように考えて、と言います。私は神様のことを最高の政治家と呼びたいです。みなさん反対しますか。神様は、世界や国や、町などを最高に正常な状態に整える人です。だから、政治家の中の最高の政治家を神様と呼びたいと思います。

「神様とはプラタム」と言う時のプラタムとは、因果律です。

質問 : 因果律は何番の意味のタンマですか、トーンさん。

答 : 二番目です。

: タンマの四つの意味を、どれくらい良く分かっているかを確かめるために聞いてみました。

 さて、そういう名前の、あるいは別の意味のタンマを、何とか見つけたということです。どれも、政治に関わりがあること、つまり世界を正常な幸福にすることです。どの意味のタンマも、何百、何千意味があっても、世界を平和にする状態ばかりです。だからタンマは、世界や国を管理する人です。みなさんがタンマを使えば、世界を管理する人、国を管理する人になり、神様と呼ぶこともできます。

            

      政治という言葉の意味

 いずれにしても言い掛けたことは、続けた方がいいでしょう。次に政治という言葉の文字の意味を見てみます。政治(タイ語ではカーンムアン。国の事という意味)という言葉は、西洋の Politic という言葉の訳語として作られました。しか文字を見ると、あまりしっくりしません。

無理に合わせるなら、政治とは、たくさんの人の問題が無いようにすることです。良く規定した言葉じゃないですか。 「政治とはたくさんの人の暮らしの問題が無くなるようにすること」という言葉を考えてみてください。

 とりあえずこうさせてください。もしかしたらもっと良い言葉があるかもしれません。もしもっと良い言葉がなければ、この言葉を使いましょう。たくさんの人々に、何も問題が無いようにすること。 調理婦は、調理場の問題がないようにします。主婦は、家庭内に問題がないようにします。政治家は、国や世界に問題を起こしてはいけません。

だから文字通りの政治という言葉は、たくさんの人の暮らしを、何も問題がないように管理することです。結果に注目すれば、所属する人々が完璧な幸福になるようにすること、と言います。文字ではこうです。意味から言っても、文字と同じようで、世界の秩序を守り、平和であるよう管理することです。

 

                       自然から見た政治の意味

 次に、何でも他の人より深く見るのが好きなみなさんにふさわしく、自然の面から、あるいは自然に見たいと思います。もう一度復習させていただくと、文字、あるいは綴り通りの政治とは、たくさんの人の問題がないようにすることです。深い意味を見れば、平和になるように規則や制度などを整え、そのような何もかも整えるという意味です。

 自然の政治は、土くれや石ころや砂の道徳について指摘したように、自然の中に自然として自然に存在する政治です。これは話したことがあります。次はそれと同じような話です。自然の、自然の中にある政治を自然に見ます。こう言っただけでみなさんは一斉に、「ターン・プッタタートは、勝手なことを言って、逸脱している」とぼやきます。それは構いません。人がそういうのは構いません。それに、見えれば何か利益があります。

質問 : 私たちが道徳の面から、石は道徳、つまり普通の状態で満ちていると見たら、利益がありますか、利益がありませんか、トーンさん。

答 : 利益があります。

質問 : どこに利益がありますか。

答 : 私たちに道徳を教えてくれます。つまり正常であることです。

 : 私が期待した以上です。私は道徳という言葉の意味を深く理解してほしかっただけです。私たちが石の道徳を見れば、道徳という言葉の意味を深く理解することができます。ここであなたはもっと深くしました。私に教える先生です。それも良いですね。とても良くなりました。このような形で自然の政治を見ることができれば、利益があります。

質問 : さてプラユーンさん。自然の自然による政治とはどんなですか。

答 : 私は、集まって、自然に普通に、静かに存在しているものを見ると、それらはとても秩序があります。ここの樹木などは、平和に、一緒に日光を求め合っています。これは植物についてだけですが、例を挙げました。

 : 自然の中で、自然に、自然で。そこに政治という言葉の精神があります。ここで言う「自然」とは、感覚があるものにします。小さな植物から樹木、動物、そして原人、半人、半獣。そして進化した人間、そして段々に発展した現代の人間まで、これらは自然になると言います。

これらの自然に存在する物、あるいは生物の集団の中に、どんな政治の形態があるでしょう。それには闘いと、どんな改革があるか見なければなりません。良く見れば、闘いや改革は政治的行動と分かるからです。

質問 : さて、植物以上すべての物には、どんな闘いと妥協があるでしょうか。トーンさん。

答 : 私は分かりません。

質問 : じゃあ、プラユーンさん。

答 : 木は生き延びるために自身を改革しています。どの方向に日差しがあっても、日差しがある方向へ枝あるいは葉を伸ばします。私が学んだような小さな植物は、大きな木に頼って、大きな木の上で陽射しを浴びて、生き延びられるように調整します。これも植物の一種です。

 : それは基本的な生活です。つまり生きるための基本的な闘いです。次に基本的に生きることができた時、次の段階として秩序のある幸福を求めます。その部分を「政治制度」と言います。つまり基本的な生活より高いです。

 次にこの森は、どんな政治の形の闘いや調整で生き延びているのかを見ます。それには必ず自然の敗北や勝利、あるいは何かがあるはずです。しかしそのほとんどが生き残っているのは、誰のお陰でしょうか。誰がしたのでしょうか。それは、神様、あるいは自然の法則のお陰と言わなければなりません。

土くれや石は除外して、感覚があるものという意味の、すべての植物、すべての樹木、すべての動物は、本能で妥協することを知っています。あるいは政治的妙案を施す、と言うこともできます。だからこのように満足できる状態で生き延びることができます。人間が自然を破壊するほど下等でない時代は、自然は非常に美しく豊かでした。神様が自然に配した政治制度で正しかったからです。

 人間の心が低劣な時代になると、煩悩や欲望が増えて、何も考えず、自然を維持しないで、自然を全部破壊してしまいました。自然の秩序に逆らっています。今自然の生態は変化し、その結果秩序が失われ、美しさが失われ、種も消滅したと知らなければなりません。

 

                       自然を破壊する人間の進歩

 記念のために話させていただきますが、私の所のノッカハン(鳥の名。Graete Hornbillが死にました。高圧線に止まって、足が燃えて落ちて死にました。こういう発展したものがなければ、あの鳥も死なずにすんだのですが、人間がこういうものばかり作るので、動物たちも居場所がありません。

だからいろんな動物がいなくなるのは、この高圧線が原因であることが少なくないと理解しています。カラスでも何でも、あれと同じことをして死んでしまったので、顔を見せなくなってしまったのでしょう。三日前、ノッカハンも高圧電流で片方の足が焼け焦げて死にました。

 人間が本物の自然ではないものを作ったので、意図しなくても本物の自然が消滅します。これは、ノッカハンを追想するためにお話しました。非常にお粗末です。アレはここで安楽に暮していたのに、人間の進歩発展のせいで死んでしまいました。

 これが自然です。それ自体に平和な政治体制があります。そしてここまで進歩すると、進歩によって、人間は利己という煩悩が生まれ、そして自然の進歩を破壊します。それで人間の進歩があるでしょうか。すべてが駄目になるばかりです。進歩でないものばかりです。

現在見られるような人間の進歩は、進歩すればするほど混乱し、困難を増すばかりです。いま、誰でも知っています。クルンテープ(バンコク)はどうか、外国はどうか、非常に発展した国はどうか、そこには平安はなく、道徳も残っていない、というようなことを、心では良く知っています。

 だから人間の進歩は、自然な進歩ではありません。今政治は、その在り様や意味が正反対になってしまったと言われるように、正反対の変化が生じます。お話したように、ちょっと観察すれば見えるかも知ません。

 

                          現在の政治制度

 次は、世界の政治制度にはどんなものがあるかを見ます。そして現在本当にある状態を根拠にします。そして簡単にまとめます。

質問 : 分かったら、言ってもいいです。現在実際に使われている政治制度には、どんなものがあるでしょうか。何でしょうか。二種類言ってほしいのですが、それは何でしょう。トーンさん、子供のような知恵で考えてください。

答 : 右と左です。

質問 : これは求めている答えと違います。右でも左でもないものもあります。

答 : 資本主義と社会主義です。

質問 : これも、資本家でもなく、労働者でもない制度があります。ラムさん。

答 : 私には分かりません。

質問 : プラユーンさんは?

答 : いま使われている制度は、民主主義と独裁主義です。

 もっと離れてしまいました。それで全部ではありません。その中間もあります。プラタムを忘れているということが分かります。つまりプラタムを忘れているので、右と左しか見えません。プラタムは右でも左でもありません。だから少なくともタンマのある制度と、もう一つ右でも左でもない制度です。

 哲学者のように深く考えないでください。考えすぎると答えが見えません。子供のように考えれば、正直な答えが見つかります。信じられないほど正しい本当の答えです。子供のように純粋な心になれば、間違いなく正しく答えられます。

そのうえみんなが「あっ」と溜息をつきます。なぜならそれは、純粋な制度と狡賢い制度以外にないからです。つまり誠実な人の政治と、ロクでもない人の政治、この二種類だけです。純粋な政治なら、本来の意味の政治です。汚れたものになる前は、誠実な人の政治でした。

質問 : 誠実な人とは誰ですか。トーンさん二、三言で答えてください。誰ですか。

答 : 平和を愛す人です。

 : 正解です。誠実な人とは平和を愛す人。平和を知り、平和を求め、静かに平和に暮らす人です。タンマの面での静かさがあれば、誠実な人と呼ばれます。ブッダの言葉、あるいはブッダの言葉でないとしても、ブッダの言葉のように受け入れられ、尊重されているもので、「誠実な人がいない場所は、議会と呼ばない」という言葉があります。

この議会という言葉には、パーリ語では非常に神聖な意味があります。つまり誠実な人の集会でなければ議会と呼びません。

質問 : 現在、世界のどこに、議会と呼ぶにふさわしい議会があるでしょうか。トーンさん。

答 : その意味で答えるなら、ありません。それらの議会はドタバタしていて、静かさがありませんから。

: そう言っても過言でないかもしれませんね。みなさんも誠実な人の集会という意味の、本当の議会は見つからないと、敢えて言えます。どこと名指しはしないでください。利己的な人が感情的になって騒ぎ立て、自分の利益や何やらを守るために、唾を泡のように飛ばして反論し合っているのは、議会ではありません。

ブッダは、誠実な人がいない所に議会はないと言っているからです。議会がなければ政治家はいません。だから政治はありません。言っているような議会があれば誠実な人がいるので、政治家、つまり誠実な人がいて、そして世界を真に平和にする政治があります。

 だから、初めの政治制度、つまり誠実な人の政治は、本当の議会を組織し、社会の本当の平和に向かう、と言います。

 次に二番目のような、誠実でない政治家はロクでもない人です。なぜなら誠実な人でないので、不正不実ばかりで、集会から利益を得ようとします。自分の利益、あるいは自分の党の利益を守って維持する人ばかりです。

質問 : どうやって証明しますか、トーンさん。彼らに対する誣告でないと、どうやって証明しますか。

答 : その人の行動、あるいはその人の方針による行動が、何のためかということです。もし自分のため、自分の仲間のため、あるいは自分の属する社会のためだったら、それは当然誠実な人ではありません。

質問 : さて、私が、彼らはすべて自分の利益のため、または自分の党のためばかりで、タンマや正義を原則にしていないと言うのは、私は何を根拠にしているのでしょう。彼らに対する言いがかりでないと証明できる何を。プラユーンさん。どこに明白な証拠がありますか。

答 : 明白な証拠は、彼らが審議して決議したいろんなことを実施する時、あるいは実施の結果が、どの仲間、どの人たち、上手く言えませんが、どこの利益になるかを見ることです。

質問 : ではチュアンさん。

答 : 私は言いたいと思っていました。それは、この前の国会で、議場にメーコン(ウィスキーの銘柄名)を持ち込んだ人がいました。

質問 : 関係のない話はしなくて結構です。彼らが自分のため、自分の党のためだという明白な証拠、何かはっきり表しているものがありますか。ラムさん、どうですか。

答 : 立候補して票を集めている人がいました。その人がもし当選したら、予算を貰ってチャイヤーに道を作ると言いました。しかし反対する人は、その候補者が野党になったら、チャイヤーに何も持って来ないと言いました。しかし与党になれば、たとえ表舞台から何も得られなくても、裏舞台から何かしら持ってくる。そう言っていました。こういうことです。

: だんだん近づいてきました。明らかな証拠に近づいてきました。つまり、議会は幾つもの党に分かれています。それぞれの党の理想が違い、利益が違い、それぞれの言い分が違います。それも、彼らが自分や自分の党の利益のために発言しなければならない証明です。すでに明らかなので、証拠を持ち込む必要はありません。

タイばかりでなくどこの国でも、外国の大国はもっと顕著です。お互いに敵同士の党で、いつでもお互いを攻撃しようとしているからです。これが、議会には誠実な人がいないで、いるのは後で煩悩を使う人の議会だけという明白な証拠です。

それは、自分や自分の党の利益のために、様々なずるい計略を用いる政治家です。つまりこの世界には、政治家、あるいは政治でもいいですが、それには二種類あります。誠実な人の政治が一つ、誠実でない人の政治が一つです。

 次に私たちが望むものは何か、それは何故かを見ます。純潔な政治家である人の真の議会は、タンマを行います。だから政治はタンマになり、タンマは政治になります。政治はタンマ、タンマは政治。こう言うことができます。純潔な政治という意味です。もう一つは、政治は悪徳、悪徳は政治です。つまり政治をこう言うこともできます。このように正反対です。

 だから私たちは、世界で実施されている政治には二種類あり、一つはタンマを行う政治で、もう一つはタンマを行わない政治です。現在どうなっているでしょうか。これは、自分で調査して見なければならない事実です。こうなっている、そして、世界が消滅するまで、あるいは再び発展し栄えるまで、必ずそうなって行くという理屈にしたがって話しています。

 

                    世界は政治に何を期待しているのか

 さて、次は世界を見ます。タンマを見て、政治家を見て、そして世界を見ます。

質問 : 今の」世界は、政治に何を期待しているでしょう。プラユーンさん、ごく簡単に答えてください。今の世界は、政治に何を期待していますか。

答 : 政治で不正を働くことです。

質問 : まだ利益がありません。人は何を望むべきか、利益が見えるように答えてください。

答 : 自分の利益のために不正をすることです。

質問 : 世界は今、政治に何を期待しているのか。「世界の生き物」という、世界の人々は政治に何を期待しているのでしょうか。良い世界、正しい世界なら、そういうものを期待します。いま私たちは、率直に言って、今の世界は何を政治に期待しているのでしょうか。

答 : 今の世界が政治に期待することは、得ることです。

質問 : タンマを望むのか、利益を望むのか、はっきり言ってください。

答 : それは利益を望むという意味です。

: 利益を期待して、タンマを期待しません。つまり、利益を得ることを期待して、タンマを期待しません。タンマや正義や正しい発展を目指す政治家がいつ現れるのか、まだ先が見えません。今見えるのは、世界は政治から自分の利益、つまり自分たち、自分の国の利益を望んでいます。

質問 : 次に関連した質問ですが、世界にはどんな形の政治がありますか、プラユーンさん。

答 : 世界は今、計略を用いて騙し合う形の政治があります。

: 自分や自分たち政治家の利益を追求する政治であり、政治家集団の利益です。それはタンマを望んでいないという意味であり、彼ら自身が言っているように、タンマを望まず、本当の平和を望みません。彼らの望みは、権力や物質や世俗的な利益だけです。

質問 : 私たちの世界が正しいタイプの政治を知る希望はありますか、チュアンさん。

答 : みんなにタンマがあれば、希望はあると思います。

質問 : みんなにタンマがあれば希望がある。こういうのを、間違う余地がないと言います。そう答えるなら、現状で、世界に再び道徳が甦り、道徳による政治になる希望はありますか。

答 : 現状では希望はありません。

質問 : まだ私が何を聞きたいか分からないようですね。もしそうなら、私たちは絶望です。それとも私たちは、この世界に何を望みますか。トーンさん。

答 : 絶望だと感じます。

質問 : あなたは負けっ子ですね。つまり簡単に降参してしまいます。じゃ、プラユーンさん。

答 : 世界全体について言えば、今はまだ何も期待したくありません。しばらくこのままカンマでの経過を見守ります。

質問 : 期待できないように見えますね。期待する理由や余地がありません。それでみなさんは何も期待しないのですか。それとも何も考えがないのですか。これに関して何も考えようとしないのですか。

答 : タンマの実践の考えに関して、あるいはタンマを呼び戻すことに関してなら、いつも考えています。しかし全世界が達成するのを期待することは、まだ期待したくありません。初めには小さな社会に期待するだけです。

質問 : そうです。それは小さな社会から始めます。だから道徳が戻ってくる、タンマが戻ってくる希望が、希望の中になければなりません。絶望するべきではありません。止めてはいけません。そしてたくさん期待する方が良いです。

なぜなら十分でなくても、それなりの結果があります。期待が小さすぎれば、結果はありません。それで終わってしまいます。私たちの世界は純潔な政治制度を知ることができるかどうか、という質問に、つまり道徳を行う政治ですが、短く答えていただく方が良いでしょう。いま世界の人、あるいは私たちの政治家は賢いですか愚かですか。プラユーンさん。

答 : 意味の違う賢さです。

質問 : いえ、世間一般の賢さで、彼らは賢いですか、愚かですか。

答 : 一般の人の意味では、政治家は誰でも賢い人です。

: 賢くて、頭の切れる人ばかりですね。だから彼らに、正しくて利益になる真実を教えるのは、希望がない話ではありません。誰が真実を知って彼らに気づかせ、彼らの賢さを正しい方向に使うようにさせるか、ということにかかっています。

 今は非常に重要な一つの原因と縁があります。それは政治家も政治家でない人も、誰もが体の幸福に溺れ、物質主義の淵に沈みかけていることです。望みが強すぎるので、正しいか誤りか、善か悪かを考えることなく、自分が欲しい物を何としても手に入れることだけを考えています。世界は今抑圧されていると言います。狡賢いタイプの、あるいは道徳に欠けた政治だけを受け入れる類の圧力を受けています。

 本当に締め付けているのは物質主義で、物質主義が政治家に、道徳を顧みることなく利益を追求させます。だから私たちは国会、あるいは一般の政治家から、道徳という言葉を聞きません。

 

                    世界に政治であるタンマが必要な訳

 みんなで力を合わせて改革し、世界の利益になることをするなら、一つだけ方法があります。それは、タンマを好むようにさせることです。諦めてはいけません。タンマの面から見れば、政治にタンマがあるようにすることです。政治の面から見れば、タンマで行なう政治を好むようにすることです。

 みんなで政治と呼ばれるものの正義、あるいはタンマを説明して、事実を、真実を公表して見せましょう。世界のいろんな機構、例えば国際連合などは、この点で、何かの助けにります。これは、多少大それた問題になってきました。しかし構いません。みんなで考えてみましょう。

質問 : トーンさん。この点で助けになる国際機構は、どんな助けになるでしょうか。

答 : 原則を言えば役に立つと思います。しかし実際の実施となると、一部のためになってしまいます。

 : あなたは世界の政治をよく知っていますね。見たり聞いたりしても、あるいはどの系列のニュースも、国際機構による道義の維持に失敗した報道ばかりです。政党や派閥に縛られているからです。それぞれの政党に投票させるのは、利益のためでしかありません。

だからそのような機構は、非常に賢い政党の狡猾さで、政党の利益の奪い合いの餌食になります。だから私たちはこの種の機構に期待できません。つまり、道徳を呼び戻すことは期待できません。利益だけを崇拝しているからです。だから私たちは、世界の一員である人々に、タンマに関する理解の基本から説明しなければなりません。

 次に私たちの国も含めて、それぞれの国を見ると、道徳にならない沼に、淵に、不運に陥っています。つまり恐怖の淵に落ちています。わが国のような小国は、初めには恐怖、負ける恐怖、飢える恐怖、あるいは何も旨みがない恐怖があるので、首を伸ばして道徳を考える勇気がありません。

だから利益になる政治にするばかりで、助けなる道徳のある政治を知りません。そうなってしまいました。だからタンマを捨てなければならない状況に陥りました。仏教教団員の国でありながら、タンマを捨てる必要があります。

 

                  (タンマを捨てなければならない状況の例)

 まだ聞いたことがない人がいるかも知れませんから、小さな例を一つお話します。私が死んでしまったら誰も話す人がいません。ある清信士が、まともな人でしたが、ある時貧乏になってしまい、貧困を克服するために豚を飼う許しを乞いに来ました。

私は「好きなようにしなさい」と言いました。つまり禁止もせず、認めもせず、「あんたのしたいようにしなさい」。つまりタンマがあっても、一時的にどうしてもタンマを捨てなければなりませんでした。

十分意志が強固でなければ、タンマを刎頸の友とする強い意志がなければ、世界の国々のように、きっとタンマを捨ててしまうでしょう。刎頸の友の方が良いです。その人が真の人なら、タンマを捨てるくらいなら、甘んじて死を受け入れるからです。

この清信士は、たぶん養豚以外の仕事を探すこともできます。今はそれが得意でなくても。何でなくても。その人は養豚をしなければならないと受け容れています。殺して売る訳ではありません。豚を育てて生きたまま売ります。それでも清信士である意味は失われます。

 これを、タンマを捨てなければならない状況に陥っていると言います。世界の国々は気の毒です。特に小さな国々は、真実や正義やタンマを捨てて、取りあえず危機を脱さなければなりません。だから政治家も全部そっちを向かなければなりません。

 豊かで安泰な大国を見ても同じです。まだ利益が足りなくて、小国の背中で米を作るような政治をやらかします。金持ちは貧乏人の背中で米を作るので、タンマは必要ありません。左ならタンマがある、右ならタンマがあると考えないでください。なぜならタンマはいつでも真ん中だからです。この話は長くなるので、また後日にします。

 

       まとめ

 今日の話も長くなってきたので、最後にまとめます。

 タンマと政治。自然の法則で正しい政治を知れば、政治はタンマに、すべてのタンマの一つである、人間を正常な幸福にするタンマの制度に見えます。今世界にこの種のタンマ、あるいはこの種の政治はありません。それは、人間が物質、つまり肉体の幸福の奴隷に陥っているからです。物質と言う時は、肉体の幸福と理解してください。

 次に仏教教団員が本当にブッダの弟子なら、正しい見解がなければなりません。正しい見解がなければ、サンマーサンブッダの弟子ではありません。だからみなさん正しい見解を持たなければなりません。そうすればブッダの弟子です。そして仏教教団員の手本である何かがなければなりません。仏教教団員には、仏教教団員の手本の政治があります。

 政治は宗教と関係がない、あるいは宗教は政治と関係がないと理解しないでください。正しい政治は、かならず誰にでも関係があります。僧や小僧にもタンマの政治が必要です。世界にタンマがあるようにします。

しかし煩悩の政治をしてはいけません。サンガが「僧は政治活動をしてはいけない」と禁じているのは、この種の政治です。しかし神様の政治、タンマの政治なら、誰も禁じません。禁じる理由がありません。

 仏教教団員には、仏教教団員としてタンマがあり、仏教教団員の手本である政治があります。タンマがあることは永久に変わらない正しさであり、変わる必要がありません。変わる必要のない政治です。タンマの手法を用いれば、変える必要のない政治制度になります。そしてその政治には本当のタンマがあり、政治家の首長に神様がいます。

 詳しく見れば、ブッダも政治家の首長です。つまり世界を平和にします。しかし今は、私は言いません。彼らが私のことを、ブッダを冒涜すると訴えるので、恐ろしくて言えません。だから内々で話します。

ブッダは政治家の首領だと大声で叫びません。しかし真実はそうです。ブッダは世界を平和にしたいと望んでいます。ブッダには政治様式であるタンマがあります。そして世界を平和にする政治を監督する、私たち一人一人がいます。

 短くまとめれば、これが「タンマと政治」という、今日お話ししてきたことの要旨です。時間になりましたので、これで終わらせていただきます。

 


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