人間の発展システムとしてのタンマ

 

                                 1979218

タンマにご関心のある善男善女のみなさん。今日の法話は、「人間の発展システムとしてのタンマ」と題してお話します。これは、「人間は十分な意味の人間であるために、必ず発展しなければならない。そして、タンマは人間を発展させる道具」という説明です。人間を発展させる道具であるタンマとは、自然の法則で正しく行なわなければならない義務という意味です。

みなさんここで、タンマという言葉の四つの意味を、順に復習させていただきます。初めの意味のタンマは、自然で、二番目の意味のタンマは自然の法則で、三番目の意味のタンマは自然の法則に従った義務で、四番目の意味のタンマは、その義務を行なうことから得られる結果です。

三番目の意味のタンマ、つまり自然の法則での人間の義務が、人間の発展の道具です。

昔から、「食べること、眠ること、危険を恐れること、そして異性間の営みは、人も動物も同じ」と言われているように、人間を測る物としてタンマがありました。この四つには、人が動物より善いものはなく、増やせば増やすだけ、動物より劣ります。しかし人を動物より優れたものにするものが一つあり、それがタンマです。だから私たちは、タンマは人間を発展させるものと見なします。

人間として十分な意味になるまで、人道を身につける発展を、人間教育に関わる言葉と比較して見たいと思います。「人間は経済的生き物。人間は社会的生き物。人間は政治的生き物」という三つの文句は、昔から言われています。

昔の意味では、人間は経済と社会と政治を避けることができない、という意味だけでした。だからこの三つに興味を持たせ、そして正しく行動させるために、人間を、経済的生き物、社会的生き物、政治的生き物としました。

現代になると、異常なほど政治的生き物、社会的生き物、経済的生き物になり、経済的生き物、社会的生き物、政治的生き物という言葉に二つの意味が生まれました。政治哲学を考え出したギリシャなどの昔の意味が一つです。

現代になって別の意味になりました。現代の意味は、この三つに関心があり、そして適度に正しく行動するだけでなく、危険なほど節度を超えた経済的生き物であり、節度を超えた社会的生き物であり、そして危険な政治的生き物です。

昔の経済的生き物は、経済が節約し合う正しい状態であるよう協力し、人間には自然資源などの財産の利益がありました。現代になって、節約しないでたくさん消費するために、たくさん掻き集める形に変わり、経済的な利益を求める人の支配が始まって、その結果、世界の経済は世界が穏やかになるのを妨害するので、非常に嫌われ、恐れられるようになりました。これが現代の経済的生き物です。こういう意味になってしまいました。

社会的生き物という言葉も同じです。現在の意味は、世界中が好むものを標準として好むことを意味し、いろんな流行が生まれ、進歩した娯楽施設ができ、煩悩を増やすよう煽るので、タンマというものを知りません。

映画も進歩して、宣伝ポスターを見るだけで、子供たちの道徳がすべて失われるほどです。本物を見なくても、宣伝ポスターを見るだけで子供たちの道徳は全滅します。

特にあれこれ言わなくても、すべての流行がそのように見えます。「格好いい」「豪華」「ハイレベルの人の自慢になる」と言われるものは何でも、社会の好みによる流行を好み、その結果若い子、あるいは若い先生たちまで、子供たちに教える道徳の教科書より、ジーンズのカタログを開いて見ています。

社会的生き物がこれほど社会に惑溺して、人間を人間性で満たすことができるでしょうか。どうぞ考えてみてください。

政治的生き物になりました。平和を築くために政治に関心を持つだけでなく、今政治的生き物は、政治を、利益を掻き集める道具に使うほど節度を越え、どの政党も、奪い合って交代で国を治めるほど良くできるのに、人間の人間性を満たすことはできません。あるべき程度を越えて政治に夢中になることは、このようです。

経済的生き物であることも、社会的生き物であることも、政治的生き物であることも、どんな進歩発展があっても、人間を正しい人間性のあるものにし、満たすことができないので、まだ生き物のままです。ですから、昔の意味の経済的生き物、社会的生き物、政治的生き物はどんなか、現在の意味はどんなかを比べてみてください。

現代の意味の経済的生き物、社会的生き物、政治的生き物であればあるほど、人間でなくなり、動物になります。それでこの世界の人間らしい平和にすることができるでしょうか。つまり平和になるかどうか、考えてみてください。

私は、正反対のもの、経済的生き物、社会的生き物、政治的生き物と正反対のもの、道徳的生き物、宗教的生き物、平和的生き物がなければならないと見ます。この三種類の生き物であることは、どんなに多くても、どんなに強くても、多すぎて人間性を損なうことはなく、反対に本当の、そして完璧な人間にします。

道徳的生き物は、道徳があればあるほど善く、宗教的生き物は宗教を信奉し、ブッダを畏怖し、正しくすればするほど善いです。これが、人間を発展させる時に使うタンマです。

道徳があり、宗教があり、道徳的生き物、宗教的生き物になれば、これが原因のタンマで、行動すれば結果、つまり平和の生き物になります。平和は結果であるタンマです。タンマには、原因であるタンマも結果であるタンマもあるので、人間を完璧に人道のある人間にします。

次に、深遠な真実で、経済も道徳、政治も道徳、社会のことも道徳と見ていただきたいと思います。

私たちが経済行動をするのは、人間が利益を得て、穏やかに暮らすのが目的で、他人より有利になる方法を生じさせるためではないので、正しく行なう経済は、道徳の一つの分野です。

社会のことも同じで、正しく行動すれば社会に平安があるので、社会の行動システムは、一つの道徳です。

 政治も同じで、あるべき正しい政治があれば、つまりタンマのある政治ならば、その政治は道徳です。戦争でも、理由があってするなら、タンマの行動をするなら、身を守って戦う権利があるなら、その戦争をすることを道徳と見なすことができます。涅槃に到達する最高の話でなくても、それも一つの、あるレベルの道徳です。

 だから、道徳ではないと言われている経済の話、社会の話、政治の話をする必要はありません。この三つを正しくすれば、つまり正しい経済、正しい社会のこと、正しい政治を行なえば、たちまち道徳的生き物、宗教的生き物、平和的生き物が生まれ、それが人間性を満たすことです。つまり人間は道徳的生き物、宗教的生き物、そして平和的生き物になります。

 次に、世界全般の人について話さないで、「自分を道徳的生き物、宗教的生き物、平和的生き物にすることは、タイ人の本来の状態を熟慮すること」と、特に私たちタイ人について話します。

 本来のタイの独自性を取り戻すだけで、本当にこの三つが戻って来る、生じる、という次の題目を、前もって言いたいと思います。本来のタイの独自性を取り戻すだけで、道徳的生き物、宗教的生き物、平和的生き物が生まれます。

 私たちの先祖にはどんな独自性があったか、よく考えて見てください。先祖たちは、すべての生き物は生老病死の苦の友という心情で生きた、独自性がありました。彼らの社会制度は、すべての生き物は、生老病死の苦の友という基本の上に立っていました。

政治制度も、すべての生き物は生老病死の苦の友という基礎の上に立っていました。それがいつでも微笑んでいる理由で、タイ人のトレードマークです。弥勒菩薩の宗教のように、誰もみな微笑んでいるので、誰が誰だか見分けられません。みんな同じに微笑んでいるからです。「生老病死の苦の友」が、道徳があることの、喜ばしい社会制度があることの、安全な政治制度があることの基礎です。

 見て行くと、私たちの先祖は道徳を基本にした、自分を信じること、自分を敬うこと、自分を律すことがあったと分かります。こういうのは、非常に古臭いでしょうか。現代人は、百万歳のカメのように古臭いと括ってしまいます。これが、本当の民主主義の基礎として、みんなで呼び戻そうとしている道徳だと言うのに。

私たちの先祖に悪事はありませんでした。そして過剰なものに溺れませんでした。汚職もなく、麻薬の問題もなく、財産を吸い取り、搾取する資本家も必要ありませんでした。

 汚職や麻薬や、財産を吸い取って搾取する問題は、つい最近、三種類の生き物が生じさせたばかりです。つまり後の時代の経済的生き物、社会的生き物、そして政治的生き物が、忌わしい三種の生き物を生じさせました。

 元のままなら、つまり道徳的生き物、宗教的生き物、平和的生き物なら、これらの問題はありません。世界を発展させるために教育をすればするほど、世界中に汚職や麻薬の問題が増え、搾取する経済が増えるのは恥ずべきことです。

 だからみなさん、タイの本来の、本当の独自性を取り戻してください。そうすればタイ人は道徳的生き物、宗教的生き物、平和的生き物になります。タイ模様やタイの歌、タイ舞踊、歌舞劇など、もっとひどければ、猫や闘魚や闘鶏などを、タイの独自性と勘違いしないでください。

それは物質的すぎて、人道的な問題を解決する役に立ちません。三種の生き物、つまり経済的生き物、政治的生き物、社会的生き物の特徴を強めるばかりです。私たちの先祖が非常に嫌悪したもの、つまり「朝晩胡弓を弾く機会をうかがう」ことなどの縁になります。ブッダの望みと一致する、そして私たちの先祖がタイの独自性と見なしていた独自性を持ちましょう。

 もう一度説明させていただきます。タイの独自性は、タイ式家屋ではなく、家の前にある水鍋の棚や、土の中に埋め込まれてある托鉢台(ベンチのような台)がタイの独自性です。タイ式家屋はタイの独自性ではありません。いつでも道行く人が水を飲めるように置いてある水鍋の棚、家の前の所に、土に埋め込んである托鉢台が、私たちの先祖がしてきたタイの独自性です。

私たちの先祖は積善をする日にお寺へ行く時、担げるだけ担いで行きました。お坊さんにじるだけではなく、犬に食べさせる分も持って行ったからです。というのも、それが心を慈愛で満たし、人道で溢れさせ、すべての生き物を生老病死の苦の友と捉えることだからです。

 タイは仏教教団員の国で、仏教教団員とは知る人、目覚めた人、明るい人という意味です。タイの独自性は、ブッダの願いと同じ、知る人、目覚めた人、明るい人という基礎に立っていなければなりません。利己主義がいっぱいの経済的生き物、社会的生き物、政治的生き物には、知る人、目覚めた人、明るい人であることは残っていません。

そしてタイという言葉は、解放された自由という意味、つまり煩悩からの自由、煩悩の結果である悪からの自由という意味です。煩悩と煩悩の結果である悪の奴隷なら、タイらしさは何も残っていません。だから現代のように経済的生き物、社会的生き物、政治的生き物である状態に溺れることには、タイらしさは何も残っていません。それでタイ人でしょうか。これはタイ人だけに話しています。

 世界の人全般について言っても同じ状態があります。つまり、利己主義の上に立っている経済的生き物、社会的生き物、政治的生き物にならないでください。それらは自分を尊重しません。つまり煩悩の猛威を許し、そのような振る舞いを恥じず、自分自身を宗教の範囲内にいるように律しません。これはどの宗教も同じように教えています。特に人は誰でも生老病死の友という項目はそうです。

 私たちは、煩悩に仕えないで、ブッダに、つまり正しさに仕えなければなりません。今世界中が経済的生き物でありすぎ、その結果煩悩に仕えています。夢中で「あの三つの生き物」になっていないで、これからは「この三つの生き物」になってください。その方がいいです。

 「あの三つの生き物」とは、頭に血が上って、あらゆる意味で煩悩の奴隷になる種類の経済的生き物、社会的生き物、政治的生き物で、「この三つの生き物」とは、道徳的生き物、宗教的生き物、平和的生き物です。だからこの三つの生き物になりましょう。

この三つの生き物になればなるほど、完全な人間になり、その三つの生き物になればなるほど、人間でなくなるだけです。これが「人間の発展システムとしてのタンマ」です。人間は、人間性を満たすように、つまり人道があるように発展しなければなりません。

 人間の発展システムとしてのタンマは、人間の問題を無くします。人間に永続的な危機があればあるだけ、人間には問題があります。問題があるということは、苦しみがあるという意味で、苦の原因である煩悩がどんどん塗り重ねられます。発展した人間と言えず、昔から呼ばれているような「生き物」に後退します。経済的生き物は economic animal で、社会的生き物は social animal で、政治的生き物は politic animalと言います。

良い響きですか。どう感じるべきでしょうか。それは、人間になる機会がない animal です。しかし道徳的生き物、宗教的生き物、平和的生き物は、この言葉は使われたことがありません。私が勝手に作りました。これは生き物と言っても、生き物に止まることはなく、人間になるので、animal という意味のない生き物です。「すべての生き物は生老病死の苦の友」という、人間の世界の生き物、つまり生き物の頂点まで発展する生き物になります。

畜生はレベルの低い生き物で、人間という生き物は高いレベルの生き物です。どうぞみなさん、高い生き物になってください。つまり人間の最高の所まで発展する人間になってください。それには、三番目の意味のタンマ、つまり、「どう行動したら人間性を満たせるか」とある、人間が自然の法則に従って正しく行なわなければならない義務である、タンマに依存するしかありません。

時間になりましたので、今日のお話はこれで終わらせていただきます。


ホームページへ                                                                                                短文目次へ