道徳が戻れば世界は静まると

知らなければならないタンマ

 

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タンマにご関心のある善男善女のみなさん。今日は、「道徳を戻すシリーズ」の最終回で、道徳が戻れば世界は静まると題してお話します。今回を含めて三十六回に亘ってお話してきたのは、すべて世界の人間の道徳的な問題に関わる苦の話です。

今日はまとめのようなものなので、検討するべき項目を復習させていただきます。

 初めに、道徳の利益、功徳、そして、心の底まで支配する偉大さに思いを馳せてください。人が罪を恐れるようになれば、道徳に反した振る舞いや、どんな罪や悪を為すこともできません。 

世界の人にまだ道徳が残っているのは、血として受け継がれているからです。あるいは当然罪を犯しそうな人でも抑えられる人がいるのは、法律を恐れるからではなく、罪を恐れるからです。心に残っている道徳の力が、抑制して罪を犯させません。

あるいはロクデナシの中にも、時には罪を犯さない、あるいは手加減をする人もいます。それは多少道徳が残っているからです。どうぞこれを熟考して見ていただければ、道徳が必要であることが見えます。

昔の貧しい人は、いくら貧しくても仏像の首を切って売ろうとはしませんでした。たぶん、「何十万何百万積まれても、ワシにはできん」と言うかも知れません。しかし現代は、遊び半分に切り、大した値打ちのない物まで、切り取って売ります。

まだ衣服をつけていない原始人を振り返って見ると、娘は木の葉の束を、前に少し、後ろに少しまとっているだけですが、それでも森に、野草や焚き木を取りに行き、安全に森へ行けました。暴行する人は誰もいませんでした。

現代の私たちの国は、新聞を見ると、あり得ない暴行が、つまり首都の真ん中でもあります。道徳が残っていればできません。そして、衣服を着けていなかった時代の人のように護れます。これです。これほど偉大な道徳の恩について考えてみなければなりません。

次に特に熟慮していただきたいのは、人間の正常な幸福のためになる行動は、すべて道徳と呼ぶことです。今私たちは、経済と呼んだり、商業、政治、軍事、行政と呼んだり、統計、刑務、斡旋業、弁護士などと、いろんな名前で呼んでいます。

みなさんは、これらはすべて、どれも道徳と見えません。初めは道徳の形で生じ、そしてつい最近道徳でなくなり、しまいには道徳の敵と言われるようになりました。

人間が原始人から脱して稼ぎ始めると、侵害し合ったので困難が生じ、そこで統治規則、あるいは法律レベルの道徳が必要になりました。

その後人は、便利のために売買を知り、道徳の形の安楽が増え、安楽のための善意での交換、商売も人間社会の便利のためにしました。

その時代には政治と呼ばれたことはありませんが、政治と呼ばれる行動はありました。つまり刑法を行使せずに、安楽に暮らすために調整しました。

軍事も、身を護って危機から脱すためだけなら、道徳の形の範囲にあります。

裁判や法律があるのは、道徳の形の正常な幸福のためです。

最後に流通業者が生まれたのも便利のため、正常な幸福のためで、弁護士も、争う智恵のない人の正義を守るために戦う穏やかな幸福のためで、すべては道徳の形で、例外は何もありません。

その後人間は発展して身勝手になり、それまで道徳だったもの全部を、利益や儲けを求める道具にするために、一つ一つ分けたので、汚職や搾取のチャンスになり、たとえば社会の平安のための交流は、搾取の機会になりました。

刑務や司法も、それらの仕事をする人たちの道徳が欠落すれば、搾取の道具になります。だから弁護は魅力がないと見なされ、子供が弁護士になるために法律を勉強するのを認めない人もいます。これは昔風の人の考えで、道徳が関わらなければ、搾取の道具や機会になるからです。

だから、昔、それらは道徳の一部分だったと、大昔のことを振り返って見てください。今はいろんな呼び方をし、すべては個人の利益の追求を目指します。

次に「発展、発展」と言われ、そして平和のための責任のない言い方をする、人間の進歩発展と呼ぶ発展について見ます。つまり、それで本当に平和になるかどうか、責任を持ちません。神様と競うような、人間のあらゆる分野の発展は、それらから平和がもたらされる道はありません。

みなさんに時間とご辛抱をいただいて、もう一度これを理解するために熟慮します。

初めは、四依(衣食住薬)の生産の発展です。食べ物の生産、衣服の生産、住宅や備品の生産、治療薬の生産は、非常に進歩して天人と競えるほどですが、世界にはまだ平和がありません。それは有り余る惚けたファッションになり、それらを消費する人をますます身勝手にします。身勝手だと何が生まれるか、みなさん自身で知ることができます。

天然資源の使い方を見ると、石油や鉱石を掘り出して、戦争や大戦で殺戮し合う道具にします。これは平和のためでしょうか。何のためでしょう。それとも有り余る贅沢のためにこれらを使うなら、それは人間を消滅させることであり、そしてこの地球を破壊して無価値にすることです。

次に教育を見ると、学芸、文学、哲学、これらは、昔のように道徳を振興させません。インドの経典のような、直接道徳を振興させる文学や学芸を探しても、そういうのは見つかりません。哲学は平和を遅滞させるものであり、平和にしません。教育は、卒業しても暇を持て余したことがない学者を作るので、家庭菜園も作れず、多分ご飯を炊くこともできません。

次に、今非常に崇拝されている科学技術と呼ばれるものを見ると、すべての科学技術は、人間を埋めるもの、人を、物質主義の下に沈めるものになりつつあります。物質を神様として崇拝する人間を、触の地獄に、つまりその人の目・耳・鼻・舌・体・心に生じる地獄に沈めます。

宇宙事業を見ると、月へ行くことも、どこの世界へ行くこともできるようになりましたが、平和のための結果はありません。何かの道具にすぎず、平和の結果はありません。この部分を見ると、まるでバッタを獲るために飛行機に乗るようなもので、昔の人は「象に乗ってバッタを獲る」と嘲笑しました。これは最高にみっともないです。今私たちは飛行機に乗ってバッタを獲り、平和の結果はありません。

核の事業も見てください。平和のためにならないで、ますます複雑困難になります。いつか怒りを抑えられなくなった時、核爆弾を使って攻撃し合えば、それは世界を消滅させることなので、核の事業の結果は、将来世界を入れる棺を作っておくようなものです。

さて、たとえば芸術のような繊細なものを見ると、現代の芸術の仕事は、信じやすい愚かさ、という言葉を使うことをお許しいただかねばなりませんが、そのために何かを規定をして、非常に時間の無駄で、平和の地点に到達しません。そしてこの芸術は、平和に仕えるのか危機に仕えるのか、どんどん拡大している陶酔に仕えるのか、何に仕えるのか分りません。

考古学や歴史教育について見ると、非常にたくさん、何千年も、一万年も研究していますが、人間同士が愛し合う道徳を増やさず、出来るのは恨みをむし返すこと、そして他人より有利になる方法を探すことだけで、歴史の知識で平和になりません。

私たちが非常に期待していること、たとえば刑務や法務など、彼らはとても良くしていると、非常に自慢しています。しかしそれは良すぎ、お金を掛けすぎるので、それでロクデナシが増えています。世界にロクでもない人が増えている明らかな証拠は、至る所にあります。

社会福祉は、彼らは生き地獄、つまり成長しない自分の愚かさから抜け出す支援ができないので、まだ人生の問題の泥沼に沈んでいます。心や精神面の救済をしないからです。

次に宗教を見ると、宗教は形を変えてしまい、道徳の基盤でなく、道徳を管理しないので、たくさん投資して結果は少しです。私たちは競って大きな本堂を建て、大きな仏像を作り、大きな塔、そして他にもたくさんの物を作り、そのまま放置しておくこともあります。平和を生じさせる結果がないので、それは混乱させる、投資に見合わないお金の使い方になってしまいます。

最後に伝統行事ですが、これも道徳を増やさないで、悪を増やすものに変わったので、道徳の消滅になります。出家式、カティナ、葬式、あるいはこれらのものには、気づかないうちに潜んでいる悪があり、純粋な出家式、あるいはカティナ、あるいは葬式の意味がありません。それは、それらのものを隠れ蓑にして娯楽を生じさせ、煩悩を増やす機会です。

これです。見てください。現代の人間の発展は、今このようになっています。世界が平和にならないのは、これらが今、このようになってしまったからです。

解決方法について言うなら、道徳を戻さなければなりません。道徳があるように、あるいは道徳の話にしなければなりません。しかしそうできないのは、きれいな歌を一曲作ってラジオで大々的に放送しても、道徳は戻らないからです。政治の戦いのように、道徳的な戦いを復活させるよう、改善解決しなければなりません。

道徳を戻す教えを、三つにまとめさせていただきます。

一項目の必要な道徳は、「他人を愛す」です。他人を愛せば、誰も殺せないし、盗みもできないし、愛欲の侵害もできないし、騙せないし、お酒も飲めません。個人的には、他人を愛せば身勝手でなくなり、アハンカーラ(私という慢。我慢)やママンカーラ(我所有)が消滅します。つまり煩悩が消滅し、心が涅槃の方へ高められます。

社会的には、問題は何も残りません。他人を愛せば苦しめ合いはなく、助け合うばかりで、そして国を愛し、人間同朋を愛し、人間同朋を愛せば、世界に資本家は生まれず、今いるのも自然に死滅し、資本家が死んでしまえば、コミュニストも仕事が無くなるので、死滅します。道徳があれば、殺してカレーにする必要もなく、仲違いする必要もなく、反対に平和になります。

二項目は、心を管理し、自分自身を律し、煩悩を管理し、低劣な感情を管理してください。まとめて、「自分を律す」と言います。人間は、人間性がある方へ歩いて行き、いらいらそわそわして頭が痛くなって、眠れなくて猫に恥じることはありません。猫は、睡眠薬を飲まなくても眠れますが、人間は神経の病気、心の病気で、睡眠薬を飲まなければなりません。心を管理できれば刑事事件を止め、ロクデナシは減り、善い国民、善人が増えます。

三項目は、職場の机で職務を行なっている時に幸福があり、仕事をすることはタンマの実践と感じ幸福になるという教えにします。

タンマとは、自然の法則での人間の義務です。私たちが人間の義務を行なえば、タンマの品行をすれば幸福になり、自分に満足し、自分を拝むことができるので幸福で、破滅する人は誰もいません。仕事をする時幸福ならば、四方八方を極楽にすることができます。滝のように汗を流しても幸福で、貧困はなく、奪い合いもなく、苦しめ合い、搾取、汚職はありません。誰もが職場の机で幸福だからです。世界の仕事はどんな分野も道徳になります。経済も政治も行政も、何でも全部道徳になります。

次に見なければならない、望むべき、あるいは期待できる結果は、このように道徳が戻れば世界は静かになり、世界中を大混乱させるほど不正な経済家はいなくなり、世界の政治は汚れたものと言われるほど不正な政治家もいなくなり、あらゆる手段で国民を欺く役人もいなくなります。

絶えず不正をする生産者、買い付け人、仲買人もいなくなり、国中に溢れている、あるいは蚊よりも多く群れているロクデナシもいなくなり、仕事が楽しく幸福で、仕事を神様と崇拝するので貧乏人もいなくなり、世界のすべての問題の原因である利己的な人もいなくなります。私たちに道徳があれば、タイの独自性と文化を維持することができ、タイ人は国と宗教と国王を、完璧と言われるレベルまで知ります。

私たちが、最高に素晴らしく、偉大で至高な結果が得られないのは、道徳がないから、道徳を考えずに自分の煩悩になるのを放置しているからだと、熟慮して見てください。道徳はいろんな仕事の形になっていません。この世界のすべての分野は、他人より得をして、世界に問題を作る道具にするためです。利益の面で生活を発展させるこは人間を幸福にする経済の要点ですが、それが抑圧と搾取、独占やら何やらの機会、あるいは道具になってしまいました。

昔のいろんな分野の道徳を、職業と呼んだり、経済と呼んだり、行政と呼んだり、司法と呼んだり、仲買人や弁護士と呼ぶようになりましたが、本当はどれも全部道徳で、正しく行なえば人間を正常な幸福にすると、よく見てください。

シーラ(戒)とは正常な幸福という意味で、道徳(シーラタム)とは正常な幸福にするものという意味です。人間は大昔、正常な幸福のために考え出すことができ、その後、他人より有利になる機会や道具に代わったので、世界はどんどん複雑になり、静かな幸福がなくなり、永続的な危機になりました。

平和について話せば滑稽で、世界の人は今、永遠の幸福について話しますが、彼らは永遠の危機の原因を作っています。つまり道徳がなく、誤って道徳の形を変えてしまいました。人間のすべての分野の静かさを作ってきた昔の道徳は、述べたように、身勝手で自分の利益を追求するいろんな手法になりました。

どうぞ一まとめすれば人間であるみなさん、道徳が戻らない時の、破滅の道を見てください。まだ人が衣服を纏っていない原始時代に、何も身に纏わない娘が、誰にも襲われることなく森や山や野原で働くことができたのは、自然が作った純潔な道徳です。今はどうか、考えて見てください。家の中にいても、部屋にいても、娘たちにとって安全とは言えません。

道徳にはどんな功徳があるか、どんなに偉大か、よく復習してください。時が来たら、みんなで道徳を戻さなければなりません。

このシリーズの話の最後に、もう一度、道徳を戻す題目を朗読する機会を頂戴したいと思います。つまり道徳を戻す話は、今回で終わります。もし総理府広報局から放送を続けるよう要請があれば、他のシリーズになるので、どんな話か楽しみにしてください。道徳を戻すシリーズは、第三十六回の今回が最終回です。三十六回、みなさんに道徳を戻すために懇願して、聞いてみると可哀想です。

道徳を戻すテーマは、多少はみなさんにとって耳慣れていると思います。道徳があるようにするには、あるいは道徳を戻すには、お互いに、あるいは自分自身に対して、次のような行動がなければなりません。

一貫性があり、ふさわしい品行をし、頭とシッポがあり、アゴと喉に気をつけ、古杭を抜いて、新しい基礎を埋め、転輪か蓮の華かを知り、煩悩は自分、タンマも自分、人はまだ人間ではない、仏教徒になれば問題はない、智恵と理性は伴わなければならない、見解は正しくなければならない、明は照らさなければならない、労力を注ぐなら投資に見合わなければならない、そして今回のテーマ、道徳が戻れば世界は静まる、です。

時間になりました。「道徳が戻らなければ世界は破滅。道徳が戻れば世界は静まる」という主題を、みなさん熟慮してくださるよう、伏してお願いします。

 どうぞみなさん、世界が破滅する前に必ず道徳が戻るよう願い、希望してください。私自身も、みなさんがこれについて深く熟慮し、そして問題を簡単に解決するために、問題にふさわしい品行をし、そして誰でもいつでも幸福で快適に暮らすよう望みます。

 


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