タンマと世界は同調できるか

 

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 タンマにご関心がある善男善女のみなさん。今回の法話は、「タンマと世界は同調できるか」と題してお話します。私はタンマの話、タンマの利益、そしてどうしたら世界にタンマがあるようにできるか、ということについてお話すると考えてください。

しかし哀れなことに、現在ほとんどの人は、タンマと世界は同調できるだろうかと、疑っている問題があります。大学で教えている先生で、タンマと世界は共存できますかと、私に質問をした方がいると、以前にお話したことがあります。聞いて愕然としました。あまりに情けなくて、泣けてきます。

 問題について言えば、私は、今世界には問題があると捉えます。大きな問題は平和がないことです。個人的にも国としても家庭の中でも、危機で暮らし、低劣、つまりますます犯罪が増えています。そして大きな犯罪は戦争、あるいは現在もあり、そして世界に拡大する兆のある世界大戦です。これを危機と言い、世界の問題です。

 誰も危機を望まないのに、なぜ世界の危機は増えていくのか、それが問題です。昔の人は、タンマは世界を護り、生き物を護り、タンマを実践する人を護るので、この世界、つまりこれらの生き物は静かに暮らせると信じていました。今はなぜ静寂を求めることができないのでしょうか。なぜ護られないのでしょうか。昔の人は、護ってくれるタンマがないからと答えます。現代人は、タンマと世界が同調できるかどうかが問題になるくらい、タンマは世界を護れると信じています。

 現代は、宗教には何の利益もないので、人間を酔わせる麻薬と見る主義があります。宗教が麻薬なら、タンマも何の利益もありません。宗教の財産はタンマと呼ばれるものだからです。どんな宗教にも財産であるタンマがあります。すべての宗教に共通のタンマは、たとえば親が同じと言うように、すべての人は同じ発生原があると言います。仏教は、すべての生き物は生老病死の苦を共にする友と見なし、煩悩が原因でこれらの苦を生じさせることを問題と見なします。

 私たちは苦を同じくする友であり、同じ心があるので、手を繋ぎ合ってこれらの問題を解決すること、つまりすっかり苦を滅亡させることだけを教えます。最終的にはどの宗教も、「問題を生じさせるのは身勝手」という、同じものを発見します。身勝手は本能ですが、コントロールできないので、本能は害になる方へ進歩します。つまり身勝手で、そして貪りと、怒りと迷いがあり、自分自身を苦しめ、そして自分以上に他人を苦しめます。他人のことを考えず、自分のことしか考えないからです。

 どの宗教もそろって、身勝手を無くすよう教えています。

 身勝手を消滅させるように教えない宗教があるかどうか、試しに調べて、検証して見るようお勧めします。自分のことばかり考えるのを止めなさいと教えないで、自分のことだけを考えるよう教える宗教があるなら、私は、宗教であることを止めてしまいなさい、と言います。

その宗教は止めて構いません。今はありません。身勝手になるように教える宗教は見たことがありません。どの宗教も、貪、瞋、痴の基盤である身勝手を無くすように教えています。世界の人の身勝手がなくなれば、他人を愛し、助け合うことができ、今世界中がそうであるように、冷酷に他人を蹴落としません。

 タンマは身勝手でないので、世界を護ることができます。

 世界に身勝手がいっぱいになれば、その時は破滅します。今、身勝手が増える方向へ傾いているので、破滅の兆しがあります。世界はタンマによって危機を脱します。宗教のタンマは身勝手でないことです。世界にはタンマ、つまり身勝手でないことが必要だということが、はっきりと分かります。

 タンマは世界のためにあるのか、あるいは何のためにあるのかと問う人がいれば、みなさんは、誰のためにあるか、何のためにあるか、世界のためかどうか、自分の好きに考える自由があります。昔はこういう問題はありませんでしたが、今はこういう問題があります。タンマに興味がなく、タンマを知らないから、こういう問題が生じます。果てはタンマと世界は同調できるか、という問題になります。つまり世界を護って支援するものか、妨害し攻撃するものかという意味です。

 こういうのは、「タンマと世界は正反対だ」と、間違いに気づかずに言っています。もしこのように言っているなら、どうぞ別の意味で誤りだと理解してください。ある意味、タンマと世界が正反対なのは事実ですが、世界が悪い方へ向かう時、問題を無くす方向と正反対で、タンマは善い方向を目指します。

タンマが世界に現れるのは、世界の悪を止め、善い方へ変化させるためです。こういう言い方をすれば、タンマは世界と正反対と言うことができ、仲良くできません。しかし本当はそうではありません。この世界には、世界が正しい方向、あるいは善い方向に向かうよう大事に育てる、タンマが必要です。

 タンマは、世界を善くするために関わるので、世界と一緒に世界を善くする方向になります。タンマを嫌いな人が考えるように、噛みつくためでも、仲違いするためでもありません。人々は先々の世俗的な問題を望むので、タンマは世界を妨害すると感じます。彼らの気持ちと一致しないと見るからです。

 どうぞみなさん、「タンマと世界は違う結果、あるいは違う力があっても仲良くしなければならない。そして仲良くできる」と見てください。タンマは善くするもので、世界を世俗の感覚のまま放置しておけば、魚が水へ飛び込むように悪を行なうだけで、陸へ上がることはありません。

そこで世界には、正しい方針でいるよう大切に護ってくれるタンマがあり、穏やかな幸福になれば、その時、タンマと世界が一致団結してこういう結果になったと言うことができます。だから、タンマと世界は同調できるか、あるいはタンマは世界のためか、それとも何のため、というような、今ある問題は、あるべきではありません。

 今、タンマと呼ばれるものに関わる、世界にある現実を見ると、ある教義は、タンマは世界に必要ない、タンマは世界の発展の足を引っ張るので、タンマで世界の問題を解決できないと見なします。これは、ある人たち、ある系統、ある教義の人が言うことです。私は、「タンマは世界の伴侶でなければならない。世界にタンマが欠けてはならない。タンマは世界の問題をすべて一掃できる。タンマは問題を無くせなくはない」と、元の形のままです。

 本当は、その人がタンマを知らないだけ、問題を無くすための使い方を知らないだけです。本当にタンマがあれば、一瞬で世界の問題は解決します。どうぞ良く聞いてください。私は「一瞬で」「瞬く間に」と言います。

 その行動についてお話して、その後で、意地悪な資本家を止めて慈悲深い富豪になれば、一瞬で世界はどうなるか、という話をしたいと思います。私たちは今、悪辣な資本家が人の血を吸うので、貧しい人々は決起して戦わなければならず、殺し合いで世界中に血が流れます。悪辣な資本家を止めて慈悲深い金持ちになり、貧しい人々を自分の子や孫のように愛せば、それが、一瞬にして問題が解決することではないでしょうか。

 次に、どうしたら慈悲深い富豪になれるかは、タンマに依存しなければなりません。本当にタンマがあれば、何の宗教のタンマでも、慈悲深い金持ちが生まれ、宗教にまだ威力があり威徳があって、世界を照らしていた時代のように、世界が慈悲深い金持ちでいっぱいになります。あるいは悪事を崇拝している貧しい人がタンマに近づけば、正しい善人である労働者になるので、一瞬のうちに困窮は消滅します。

 私は、「貧しい人が悪事を崇拝するのを止め、死んで、正しい労働者に生まれ変われば」と言います。今貧しい人たちは悪事を崇拝しています。仏教は、酔う水を飲むこと、夜遊びをすること、あちこち見て歩くこと、賭け事をすること、悪人と交友すること、仕事を怠けることなどを悪事と見なし、これらを行なえば悪に沈みます。

 貧しい人たちはまだ悪事を崇拝しています。私たちはまだ、貧しい人たちに悪事をすっかり止めさせる正しい対処法がなく、時には、却って悪事を増やすこともあります。もっと酒を売りたい、もっと煙草を売りたい、もっと宝くじを売りたい。こういうのは、貧しい人たちに悪事を捨て難くさせます。

 彼らに、正しく生きる労働者になってほしいです。つまりすべての悪事を避けることです。タンマがくれば悪は消え、善人であること、勤勉、正直、一致団結、忍耐努力があり知性が生じるので、貧しい人の問題は一瞬で消滅します。

 次にもっと広く見ると、「快楽を喜ぶ行動(カーマスカンリカーヌヨーガ。欲楽実践)」を止めてしまえば、世界から「資本主義」は死滅してしまいます。「快楽を喜ぶ実践」という言葉は、仏教では良く知られている言葉で、快楽に酔い痴れ、快楽を崇拝することで、目、耳、鼻、舌、体、心を通じた快楽に酔うことです。

 多くの人がこういうのを好み、愛欲と呼ぶものを崇拝することが、愛欲を増やす考えを生じさせる原因です。知性のある人は、自分の愛欲の利益になる権力や力や縁を掻き集めるので、資本を自分の利益を求める道具として使い、それが資本主義を生み、資本家という種類の人間を生みます。

 本当の貧乏人も資本家になりたがります。本物の貧乏人でも、資本家のように暮らしたがり、彼らも、資本家が持っているようなものを持つために努力します。貧しい人も、何か勘違いしたことをしています。私たちが「発展」と呼ぶものは、こんな田舎でも電気が使えるようになりました。

貧しい人たちもテレビを欲しがり、冷蔵庫を欲しがり、ステレオを欲しがります。今まではありませんでした。欲しいと考えたこともありません。田舎に電気が来ると、テレビや冷蔵庫やステレオを買い、お金が足りないので、月賦で買います。

 月賦という制度は、昔は田舎にはありませんでした。今はあるので、借金ができ、生活に害を与えます。深い精神的な悪であり、新しい問題を生じさせます。このように貧しい人を快楽に酔わせて、資金力のある人、あるいは資本を独占する人の餌食にします。それで誰を責められるでしょう。これは、タンマと言われるものに対して誤った話です。

 私たちはタンマで足ることを知り、余分なものを崇拝しない生活を弁えれば、今言ったような問題はありません。どうぞ、「転法輪経」と呼ばれる、ブッダの初めての説法の中にある、「快楽を喜ぶ実践」と言うものを知ってください。

 ブッダが世界に初めて説いた転法輪経で、「快楽の喜びと苦行には手を出してはいけない」と言っています。ブッダを信じるなら、快楽に陶酔する行動を止めてしまえば、すぐに資本主義は死滅してしまい、資本家も死んで世界からいなくなり、簡単に慈悲深い富豪が生まれます。

だからみんなで、忌わしい悪、誤りの筆頭である快楽への陶酔を止めてしまってください。要するに、快楽への陶酔を止めてしまう時が、世界から資本主義が消えてなくなる時です。問題がすっかりなくなるので「瞬く間に」と言います。今「宗教は麻薬」と理解しているので、なぜ快楽への陶酔を止めるのか分からず、反対に快楽への陶酔を崇拝します。

 宗教は麻薬ではなく、麻薬や中毒性のものを何でも洗い落す道具です。宗教と呼ばれるものは麻薬を洗います。宗教は麻薬ではなく、麻薬を洗い落すものです。だからみなさん、宗教を正しく知ってください。宗教は洗い落さなければならないものではありません。

 物質である麻薬も、情欲のような心のもの、精神的な物でも、宗教を持つことで止め、洗うことができます。宗教を知らなければ宗教を麻薬と見ます。公正な言い方ではありません。そのように言う理由がなく、理由のない言葉を信じるのは、愚かな人だけです。

 もう一つ、何千年もタンマがあるのに、なぜ世界は良くならないのかと、よく言われます。世界に何千年もタンマがあり、宗教があるのに、世界は良くならないと言うのは、どう間違っているか分からない言い間違いです。みなさん、考えてみてください。本当は、世界が危機を回避して文化を作ってこられたのは、タンマがあったからです。世界に資本主義が生まれて、世界がタンマを持つ機会を奪い去るまではタンマがあり、発展し、ずっと平和でした。

 快楽陶酔の基盤である資本主義になる前は、世界は平和で、静かに穏やかに暮らしていました。聞いている限りでは、百年以上の間、今よりも平和で穏やかでした。今は快楽陶酔を助長し、宗教を捨てさせるので、火のように蒸し暑いです。

 タンマが世界にあった間中、いつも平和がありました。世界が列をなして物質主義を崇拝し、タンマを嫌ったので、世界は危機に変わり、永続的な危機が刻々と増えています。物質主義が世界を支配してから世界は物質に溺れ、タンマに機会を与えないので、タンマが世界を治めません。

 世界にタンマや宗教が何千年もあるのに、世界は良くならないと非難するのは、事実ではありません。世界は長い間静かに幸福に暮らしていました。そしてつい最近変化しました。昨日、と言ってもいいです。つまり世界が物質主義の方を向いて、物質ばかりを求め、物質主義を標準にし、物質を主にするので、心のこと、精神のことはどこかへ消えてしまいました。どうぞ関心をもって、良く考えてください。

 これは、もしタンマがあれば、瞬く間に問題は解決するという、私の主張です。本当はまだ残っています。しかしどうしたらタンマが身につくか、第二回目の、どうすればタンマが戻ってくるのか、という話を復習して考えてください。

 しかし直面している問題は、現代人がタンマというものに興味がないこと、タンマというものに興味を持とうとしないことです。今の物質主義の世界は、特に若い男女はタンマに興味を持とうとしません。タンマというものを聞こうとせず、考えようとしません。

この世界の知性のある老人が、世界は今、タンマがないために破滅しようとしている、タンマを取り戻すべきだと見ても、その人は何もできません。世界中の人が、特に若い人がタンマと言われるものに興味がなく、触れたがらず、タンマの話は何でも、耳に蓋をするからです。

 こういう問題があるのに、、タンマは世界を護ることができないとタンマを責めます。それらみんなで力の限り協力して、世界の人が新たにタンマ、つまり宗教、あるいは神様と呼ばれるものに興味を持てば、そうすれば世界は、重い危機状態が一瞬にして変化します。

 タンマの正しさは、物質主義ではありません。それに、良く調べもしない心の主義、精神主義でもありません。物質主義と精神主義の中間の正しさをタンマと言います。以前の話で中道と言いましたが、それは、タンマと呼ぶもので、右にも左にも偏らず、両極端でなく、どちらの側も消滅しないで共存できます。中道であるタンマと呼ぶものの威力だからです。

 みなさん、この系統で考えてみれば、タンマは何のためにあるかという問題の答が、自然に得られ、タンマは直接世界のためにあり、タンマと世界はうまくやって行かなければならないと見えます。そうしなければ、この世界は破滅します。

 タンマは世界のためであり、世界が世界であるのは、タンマがあるからと結論することができます。それは、体と命のように、二つ一緒でなければなりません。体があって命がなければ、何の利益もありません。世界が体で、タンマは命と同じなので、世界はタンマと一緒でなければなりません。そうすれば危機を脱すことができます。だから、タンマと世界が共存できるかということを問題にするべきではありません。

 世界中の人間の首を切り落として全滅させる問題は、終わらせてしまってください。つまり、タンマと世界は一緒にやっていけるかと聞く必要はありません。

 時間になりましたので、今日のお話はこれで終わらせていただきます。


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