タンマにご関心のある善男善女のみなさん、毎回私は、タンマが戻れば世界は平和になり、タンマが戻らなければ世界は破滅し、仏教も消滅するので、あるいはどの宗教も消滅するので、タンマを呼び戻すことを意図してお話しています。
どうしてタンマが無くなったと分かるのだと、私に質問する人がいました。私は、世界を見れば危機ばかりなので、簡単に分かると答えました。戦争の残骸と戦争の準備がいっぱいで、競って武器を作り、愚かな麻薬の問題があります。発展する世界にふさわしくなく、タンマと宗教と教育があることにふさわしくありません。世界の青少年は文化より肉体を崇拝し、変態性欲などを好み、人間性を消滅させるばかりです。
タイでは刑務所に入っている人が十万人いると聞きました。ロクデナシは、路線バスの中に蚊の数よりも多くいて、精神病、神経症の率は、驚くほど増えています。車が転覆して道に倒れている人を助けないで、ケガ人の着衣を剥ぎ取るような残虐非道で利己的な人、汽車の中で酒を飲むために僧を席から追いたてる人、不正な方法で布施を呼び掛けるなどは、あらゆる種類の悪です。
これをタンマが消えたと言わずに、何と言うでしょうか。このままいれば、コミュニストが来なくても仏教は滅亡します。私たちは「ミュニストが来たら仏教は滅亡させられる」と恐れていますが、コミュニストが来る前に仏教が滅亡することほど怖くありません。
さて宗教の滅亡についてお話すると、宗教の滅亡は誰かによって滅亡させられるのではありません。ブッダは「比丘・比丘尼・清信士・清信女が、このタンマヴィナヤ(法と律。つまり宗教)を滅亡させる」と言われているように、大勢の人の行動で消滅します。
なぜ、どうしたから滅亡したのでしょうか。
仏教と違う教えを教え、仏教と違う教えを実践し、仏教と違う結果を望み、新しい経を書いてヒンドゥー教のようになれば、消滅します。インドでは間違って教え、仏教でない教典が書かれて、生まれ変わる自我のある物になったので、結局ヒンドゥー教になってしまい、仏教は消滅しました。それと同じです。
それでイスラム教が仏教を滅亡させたとか、ヒンドゥー教の攻撃を受けたからと言います。これは事実ではありません。
タイの森が絶滅したのと同じです。タイの森が絶滅したのは、長期にわたって広範囲に伐採を許可したからで、それで盗伐によって絶滅したと言います。これは事実と違います。
次に「コミュニストが来れば、コミュニストの方が滅亡する」と、非常に見るべきものを指摘したいと思います。仏教はコミュニストより上のコミュニストです。コミュニストは世界を武器で支配しますが、仏教は世界をタンマで、つまり愛と慈しみで支配します。神様は私たちの味方で、私たちには別種の生活組合があります。
生活組合、たとえばコミューンやキブツはブッダ組合と比較になりません。ブッダ組合は、動物も含めたすべての生き物は生老病死の苦の友と言われるように、生老病死の組合です。
しかし私たちは仏教のタンマがないので、組合を作れません。ヌカを買う組合は駄目になり、鶏を売る組合も駄目になり、米を売る組合も駄目になり、肥料を売る組合も駄目になりました。タンマがないので共謀組合になり、みんなで不正をするからです。
コミューンやキブツなど、世界のどんな種類の組合も稼ぐための組合にすぎません。ブッダ組合は生老病死の友であり、病気や死に関わる組合です。そして同じように命のある動物や植物も、生老病死の友と見なします。
誰かが病気になれば集落全体の苦であり、誰かが死ねば、喪主が心行くまで泣けるよう集落の人全員が手伝いに来ます。その家の人が泣いていたければ、ご飯を炊き、おかずを作りに来て、あるいは作って持って来るので、死人が出た家は火を熾す心配をする必要はありません。これが仏教教団員の生活協同組合です。
仏教はコミュニストが来ても滅亡しません。仏教は鉄やダイヤモンドのように固いので、何かがぶつかるとすぐ割れてしまう煎餅のように脆くありません。
みなさん、私たちの仏教を見くびらないでください。本当の仏教は心に仕舞ってあるので、無くなることはありません。体は誰かに攻撃されても、タンマはまだ心にあり、続いて教え、実践していくタンマが残っています。どうかみなさん、本当の仏教教団員でいてください。
仏教は、菩薩堂や精舎や仏塔など、外皮にあるのではなく、本当の仏教は人の心にあります。外皮は攻撃されても、新たに作ることができます。インドのあちこちに見られるように残骸は残るので、心が残っていれば、すぐに同じ形を何十万、何百万も作ることができます。心を死なせないでください。
菩薩堂や精舎や仏塔のような、仏教の外皮に対する武器による攻撃は昔からあり、世界にコミュニストが現れる前から遭遇しています。私たちはビルマと戦ったこともあり、フランスと戦ったこともありますが、タンマで勝利して来たではありませんか。
小さな国はタンマで危機を脱して来ました。そうではないでしょうか。タンマの武器は鉄の武器に勝ちます。使い方を知っていれば、どんな主義の敵と戦っても攻撃できます。私たちの国教である仏教を見くびらないでください。仏教教団員のみなさん、ブッダの教えが、かつてどう私たちを助けてきたか、絶やすことなく伝えてください。
コミュニストが来たら仏教は滅亡すると、恐がってばかりではいけません。コミュニストが来ないのに仏教が滅亡することを、もっと恐れてください。タンマを準備して、国内も国外も、どんな場合にも、あるいは全世界でタンマを完璧にして、コミュニストに立ち向かいます。
タンマには奇跡のような威力があり、私たちの兵士に罪がない戦いをさせます。心にタンマがあり、タンマを守るため、世界を救うために戦うので、誰も殺す意図がありません。心にタンマの力がなければ兵士は何の力で戦うのでしょうか。心にタンマがあり、体にも心にもあるので、奇跡のようにすごい力があります。
タンマを集めて武器にしてください。普通の武器を集めると同時に、普通の武器と同じだけ、あるいはもっと多く、タンマを集めて武器にし、神様の威力のような力をもつために、使い方を練習してください。
そのタンマはみなさんを不死身にするので、誰が死んでも死にません。プラタムは死を知らないので、どんな場合にも頼ることができます。誰かがタンマのある人を殺しに来ても、死ぬのは外皮だけで、タンマは心にあります。タンマは教えを受け入れたすべての人の心にあり、そして実践しているので、消滅する日はありません。タンマは死にません。
どうぞ急いでタンマを戻してください。どうぞ力を合わせてタンマを戻して、世界のタンマを信仰する人の拠り所にしてください。仏教の名前でもいいし、どの宗教の神様の名前でも構いません。神様は自然の法則なので、私の話の意図は、タンマが戻るだけです。
次に前の話について見ると、一貫性、ふさわしさ、頭があり尾があること、アゴと喉に注意すること、古杭を抜いて新しい基礎を埋めること、転輪か蓮の花か見分けることでタンマを戻すと話し、今日は「煩悩は自分、タンマも自分」と題して話します。
煩悩は自分を生まれさせ、自分のことしか考えないので、煩悩は自分です。気をつけてください。私たちは自分が好きで、自分のことばかり考え、自分を愛しています。それが煩悩です。煩悩という言葉は汚職と同じで、清潔な物に入り込んだ不潔な物です。煩悩は自然の物を盗んで自分、自分の物にするほどの汚職です。あるいは神様の物、人間同朋の物、所属集団の物、国の物を盗んで自分の物にします。
信頼して任された公務を行なう職権を使って、国の物を自分の物にします。これが「煩悩は自分、自分は煩悩」です。この種の自分は煩悩です。注意してください。この種の自分を愛さないでください。この種の自分ばかり考えないでください。
これからは「俺は煩悩から生まれる」と見てください。煩悩はどう生じるか、そしてどのようにして俺、俺の物になるか、心の問題として、深いタンマの教えで熟慮してください。
人は好きな物、非常に愛らしい物を見ると欲しくなって虜になり、関わりを持てば頭が呆けてしまって誉めちぎり、キスをし、自分が愛す物を確かめたい気持ちになります。その人の心は、それに関わる願望の奴隷に身を落とします。
この種の心についてブッダは『その人の心には取があり、続いてその人自身を「俺」、愛している物を「俺の物」と理解する』と言われています。これです。煩悩が「俺」を作り、「俺の物」を作ります。煩悩は思い込みによる「俺」で、マヤカシで非常に騙す物で、偽物であり、本当の実体はないので、拠り所になりません。
しかしこの世界のすべての凡夫には、誰にも偽の自分である俺があるので、世界全体、世界中に、これでもかと言うほど苦があります。その状態を貪りの類の煩悩、欲しがる貪り、あるいはラーガ、心を染める欲情と言います。この種の煩悩は自分に引き寄せ、抱きしめ、掌握する独特の状態です。
望みどおりにならない場合は、次の種類の煩悩、瞋、あるいは怒りが生じます。殺す、消滅させる、突き放すなどの状態があります。これも煩悩の一種で、凶暴な俺になります。
疑いで、強い疑念で頭が呆けてしまい、気持ちを払い捨てることができない場合は、痴の種類の煩悩になります。
貪りは引き寄せ、瞋りは突き放し、痴は循環していると、簡単に観察できます。
みなさん、いろんな煩悩が何千何百あっても、この三種類だけで、この三種のどれにも俺という感覚がいっぱいだと、煩悩について知ってください。偽物の自分ですが、偽と知らないので「自分」として愛します。
煩悩は俺です。このように煩悩から生まれた俺は身勝手にさせ、団結できず、国と宗教と国王を愛すことを知りません。いくら団結を求めても、身勝手で自分しか愛していないので、できません。
これが「煩悩は俺。煩悩の俺。俺、俺の物」です。偽物、マヤカシで、本当にはありません。この種のものは拠り所にできません。
次は「タンマは自分」、「煩悩は俺」と対の「タンマは自分」です。タンマは自分とは、本当の自分であり、そして拠り所になります。タンマとは何でしょうか。タンマとは、自分の発達の段階に合った正しい智慧で、体と言葉と心に現れた実践の結果です。このような正しい実践から生じた結果をタンマと言います。このようになるための実践規範もタンマと言い、このように実践するための知識もタンマと言います。
本当のタンマがあれば、「すべての物はなるようになる。自然の法則でなるようになる」と知っています。無常・苦・無我なので、自分や自分の物にすることはできないので、見ても、自然を盗んで自分の物にするような理解をしません。タンマがあればそういうことをしないので、苦を作りません。煩悩の自分、カッカする煩悩の自分も、本当の自分であるタンマを拠り所にします。
タンマの自分は、煩悩の自分の拠り所になります。世界中の人が使う必要があります。そうすれば世界は平和になるので、煩悩の自分のことばかり考えないで、タンマの自分のことだけを考えるべきです。
無為の類のタンマなら非常に拠り所になります。無為はどんな物の威力にも支配されないので、自然の法則、あるいは永遠に死なない涅槃は最高の拠り所で、心を最高の幸福にします。
拠り所である自分、この拠り所である自分とは、拠り所である「俺、俺の物」があるのでなく、「タンマから生れた自分」が拠り所です。ブッダは「拠り所である自分があることは、拠り所であるタンマがあること」と言われています。誰もが探求して拠り所にしなければなりません。これが、心臓部であるタンマがある仏教です。
どうぞみなさん、このような拠り所、本当の自分であるタンマを探究してください。それはタンマ自身の物で、誰も何もできません。仮定で神様と呼ぶ物の状態があっても、結果として涅槃、つまり永遠の幸福があります。
本当の自分はタンマで、自分であるタンマがあります。私たちの仏教は心臓部であるタンマがあり、特にタイ人は、人生の伴侶であるタンマがあります。
私は「タンマだけが人生の伴侶」と主張させていただきます。夫婦は人生の伴侶ではありません。タンマのない夫婦は必ず噛みつき合うので、それでは生きる伴侶と呼べません。
私たちタイ人は、生きる伴侶であるタンマがあります。昔から拠り所にしてきたので、その恩を忘れず、タンマに対して恩知らずにならないで、全員がタンマを自分に、あるいは自分の拠り所にしてください。
個人の、国の、世界全体の、すべての人間世界の、そして天人の世界の拠り所になるために、タンマが戻らなければなりません。
ブッダは「私が生まれたのは、人間と天人の世界の利益のため」と言われています。タンマヴィナヤ、つまりブッダの宗教は、天人と人間の世界の動物の利益のためにあります。どうか仏教教団員のみなさん、人間と天人の世界の利益のために、タンマヴィナヤ、あるいは仏教を維持し、消滅させないでください。常軌を逸した間違いにしないでくさい。
まとめれば、私たちは、みんなでタンマを呼び戻さなければなりません。コミュニストが来て仏教が絶滅すると恐れている人も、あるいはコミュニストが来なくても自滅すると恐れている人も、この恐れは正しい恐れなので、恐れなければなりません。それでどう解決するかと言えば、みんなで、急いでみんなで、みんな揃ってタンマを戻さなければなりません。
お化けや幽霊を怖がるようにコミュニストを怖がらないでください。騙されて怖がり、何も正しくできなくなります。そうして教えを改革し、宗教を改革し、別の物にしてしまいます。間違って教え、間違って実践し、間違った結果を望み、自我のない仏教の教えと反対の、自我があるような教典を著すので、ヒンドゥー教になります。
このようにヒンドゥー教のウパニシャッドになり、タンマを戻す役に立たず、仏教を消滅させる役に立ち、コミュニストが来なくても、まだ来ないうちに、仏教は仏教教団員自身の仕業によって絶滅します。
仏教徒であるみなさん、どうすれば仏教が絶滅するか、どうしてブッダが『比丘・比丘尼・清信士・清信女の仕業によって絶滅する。このタンマヴィナヤを絶滅させことができる外部のものは何もない』と言われているのか。自分の仏教を知ってください。私たちはみんなで良く注意しなければなりません。
仏教を絶滅させたくなかったら、このことに注意しなければなりません。間違った教えを教えないよう、間違った教えで実践をしないよう、仏教の間違った教えばかり勧めないようにしてください。様々な悪で騙して、徳を積む(布施)のを奨励するのは気をつけてください。コミュニストが来なくても、みんなして仏教を絶滅させます。みなさんは私たちの国から、私たちの世界から仏教を消滅させることができます。
どの宗教にも教えであるタンマがあります。良く見て、子供のためのヒト語を掴まないで、タンマ語で語られている宗教の核心を理解してください。何もかも、心の面の行動が正しいか間違っているかに懸かっています。心の行動が正しければたちまちタンマになり、世界の人間を護り、タンマ協同組合のような友達にさせ、愛し合わせます。世界中の協同組合がタンマと呼ぶ物を使えば、命の協同組合の形になります。
命の協同組合はみんなで命を維持し、すべての物、畜生も植物も命があるので含めて、何もかも生老病死の友です。植物はブッダのお気に入りでした。ブッダは木の下で生まれ、木の下で大悟し、日常生活も木の下に座り、そして木の下で涅槃に入ったからです。
植物はブッダが非常に気に入っていたので、仏教教団員は森林を破壊できません。私は、仏教教団員のボスであるブッダが気に入っていた森を破壊すれば、森林破壊をする人は仏教教団員とは呼ばれないと、強く忠告させていただきます。
どうぞ慎重に、注意してください。タンマが戻ればすべての森は繁茂し、動物たちは幸福に暮らし、人間も幸福になります。タンマが戻るからです。
どうぞ前から話してきたように、自分の行動に一貫性があるようにし、ふさわしくし、頭とシッポがあるようにし、アゴと喉に気をつけ、古杭を抜いて新しい基礎を埋め、転輪と蓮の花を見分けて、タンマを呼び戻すことに、関心を持ってください。
繰り返させていただきます。自分である煩悩を拠り所にしないでください。自分にしないでください。タンマが自分、タンマを自分にします。心がタンマに到達すれば、自分と呼ぶべき自分になり、いつでも安楽に暮らせます。
ちょうど時間になりました。みなさんが煩悩を自分にしないで、自分であるタンマがあり、仏教の教えでいつでも幸福でいることを願って、お話を終わらせていただきます。
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