転輪か蓮の華か知らなければならないタンマ

 

                              19801019

 タンマにご関心のある善男善女のみなさん。今日の法話は、「タンマが戻らなければならない。タンマが戻らなければ世界は必ず破滅する。少なくとも人間は猫に恥ずかしい」という思いでお話します。

 みなさん、人間のように頭痛になる猫がいるかどうか、考えて、観察して見てください。人間のように睡眠薬を飲まなければ眠れない猫がいるでしょうか。神経症の人が、タイには七十万人もいると言われています。しかし神経症の猫がいるでしょうか。精神病の人がタイには二万人いると言われていますが、精神病の猫がいるでしょうか。

世界中の人が飲む鎮痛剤や睡眠薬は、一日何トンにもなるに違いありません。しかし猫は一錠も飲む必要がないので、人間は猫に恥ずかしいです。このように猫に恥じなければなりません。

 助けられるのはタンマだけです。人間にタンマがあれば、人間もこういう症状はありません。頭痛や不眠や神経症や精神病などはありません。だからタンマを戻してください。

 法話も、ブッダの望みに従って、世界中の人の出口であるタンマについてお話しなければなりません。ブッダは、このタンマとウィナヤ、つまりこの宗教は、天人と人間の大衆の利益のためにあると、繰り返し言っています。

 タンマが世界にあれば、地上でも地下でも、世界に今生じているような危機はなく、中東のような熱い戦争と、絶えず存在する地下の戦争、冷たい戦争もありません。タイ国内も、私たちにタンマがあれば、小糠色の砂糖の代わりに、白い砂糖を買う必要はありません。

新聞は、これに関する補償金が何億(バーツ)も必要で、そしてまだ次の季節のサトウキビの値段を抑えるよう強制すると報じています。密かに売買して輸出するのを管理するのは複雑で難しいです。そしてかならず誹謗中傷し合い、何百ページ、何千頁の新聞紙面を無駄にします。

 先祖のようなタンマがあれば、今言ったようなことは起きません。つまりタンマがあれば、執着せず、タンマがあれば傲慢でなく、タンマがあれば忍耐でき、タンマがれば私たちの先祖がそうだったように足ることを知り、あるだけ、手に入るだけで満足します。

 その上私たちの先祖は、白い砂糖を食べたことがなく、小糠色の砂糖で暮らしていました。インドシナ戦争の時、外国のコーヒーショップは、鍋の砂糖でコーヒーを淹れました。そして今言われているような話は何もありませんでした。

 民主主義の時代の世界のために、タンマを戻してください。タンマが戻らなければ、民主主義は自分の首を絞めます。

 どんな統治制度も、タンマがなければ自分自身の首を絞めます。タンマがあれば、独裁政治にも利益があり、そしてモタモタしてタンマがない制度より敏速です。私たちはみんなでタンマを戻さなければなりません。タンマが戻るためには、どんな行動が求められるかを知り、タンマが求める行動をしなければなりません。

 以前に私は、一貫性と、ふさわしさと、頭と尾がなければならない、アゴと喉を管理し、古杭を抜いて基礎を埋めなければならないと話し、今回は、「転輪と蓮の華を見分けえなければならない」と題してお話します。

 みなさん勉強して、転輪(地獄の責め具の一種)か蓮の華か判別できるようにしてください。古くから伝わっている昔話を、一分だけさせていただきます。ある餓鬼が、頭の上で転輪を回しながらある集落を歩いていると、一人の若者がその転輪を美しいと思い、欲しくなり、餓鬼にねだりました。

餓鬼は、「これは転輪で、回転する度に痛みがある。あなたはこれをどうしようというのだ」と言いました。若者はそれでも欲しがり、繰り返し懇願したので、餓鬼は頭から転輪を外して、若者の頭に載せてやりました。そしてその若者は、死ぬまで苦しみました。

 今世界中の人が、転輪を蓮の華と見ています。どうぞみなさん、これらの恐ろしい物に、特に関心を持ってください。私がこれから、転輪とは何か、蓮の華とは何かを、一組ずつ比較してお話します。

 初めの組は、物質主義とタンマ主義です。転輪は物質だけから生じる美味さに溺れることで、世界中を回って求めさせ、集めさせ、食べさせるのは物質的な美味さだけ。これは転輪です。もう一方の、幸福になり危機から脱出させるタンマ、あるいはタンマ主義には興味がありません。物質主義を崇拝することは、転輪を蓮の華と見ることです。

 ネズミの親子という童話を思い出してください。ネズミの子が母親に、どの動物がすごく怖くて、どの動物が優しい顔で可愛いかと訊ねます。母親は、「そうだね、とっても美しいのは危険ではないよ。鶏の顔だよ。優しくて可愛いのはすごく危険で、猫の顔だよ」と答えました。この話を、詩にしました。

  軍鶏の顔は怖いと ネズミの子が言う

  猫の顔は優しくて可愛い 信頼できそう

  母ネズミは答える 

怖いなんてバカなことを言っちゃいけないよ

  坊や、軍鶏には危険はない

  猫の顔は白くて優しいが、それは悪で

  ネズミたちにとっては死 憶えておきなさい

  人間たちは揃って死ぬ、命は無いよ

  今の時代はね、物質主義の猫に夢中だから

 物質主義は、ネズミの子にとって猫の顔のように美しく見えます。世界中の人が物質主義に陶酔して、物質主義を崇拝しています。だから物質主義の猫は、ネズミの子に噛みついて喰い、世界中を破滅します。これも転輪を蓮の華と見ることの一組です。

 次に二組目、完璧でない、シッポを切られた犬のような教育制度を見ると、これは転輪で、完璧に揃っている教育が蓮の華です。

 シッポを切られた犬のように完璧でない教育は、勉強と職業を教えるだけでタンマを教えないので、どうやって人間になるか、というタンマを知りません。彼らは学問知識と職業には非常に賢く、それで賢さを管理するものが何もなく、賢さを危険な方向に使うので、シッポを切られた犬の教育です。最高に良くても尖端のない仏塔で、いい所は何もありません。

 だから完璧な教育にして、学問を知って賢くなり、職業もでき、そして、どうしたら人間になれるかというタンマを知ってください。そうすれば、世界に危機はありません。

 ラーマ五世の言葉ですが、昔式の教育から、現代まで続いている近代の教育制度に移行する時、実施者であるワチラヤーナワローロット閣下との会話で、「これからの人は常軌を逸した不正をするだろう」と言われました。新しい知識を急速に知れば、常軌を逸した不正をします。この言葉は、この話を読んだ時、はっきりと憶えています。

 これが、管理するタンマがない教育です。こうです。これも見なければならない転輪で、蓮の華と見てはいけません。これも、もう一つの関心をもたなければならない転輪と蓮の華です。

 三組目はコントロールできない身勝手です。これは転輪で、コントロールできる身勝手が蓮の華です。世界に身勝手があるのは、仕方ありません。世界はかならず身勝手ですが、身勝手でもコントロールできれば、安全です。

 身勝手でコントロールできない人は、貪りや怒りや痴などの煩悩の力でするので、お金があればあるほど利己的で、得する方法を探します。この身勝手をタンマで制御できれば、蓮の華になり、自分を早く危険から脱出させます。そしてお金があればあるほど他人を援助します。これが蓮の華です。転輪と蓮の華には良く注意してください。私たちは今、自分のこと、あるいは自分たちのことばかり考え、この世界に、永続的な危機を作っています。

 四組目は、宗教を捨てた西洋の文化は、心のまま、心が感じるままに妄想するのが好きなので、現代の文化は転輪だと指摘したいと思います。かつてきちんと宗教の教え守っていた西洋の文化は、自分を知り、自分自身を尊重し、規律正しいことを好みました。これは蓮の華です。

 私たちは、どっちのタイプの西洋文化を受け入れたのでしょうか。何が蓮の華で、何が転輪になったか、良く区別してみてください。良く調べもせずに西洋の文化を好まないでください。

 次の五組目は、道徳の価値観を認めない世界の法律は転輪です。私たちは道徳を好む、あるいは認める法律、あるいは方式がなければなりません。熟慮すれば法律は、道徳に関してまだ愚かだと、簡単に分かります。下品な言葉をお許しください。道徳に関して愚かです。

 たとえば困窮している人から盗む人、安全な地を探して苦難の末に舟にたどり着き、ぐったりしている人から盗む人がいます。そしてその舟の上で、強姦をします。捕まえても彼らの罰は、普通の法律では、道徳がないこと、残虐さ、悪質さに対しての罪を、二倍、あるいは三倍に加算しません。法律が道徳の価値を認めないので、どの事件も同じ、普通の罪です。

 車が転覆して投げ出され、ぴくぴくと腹で息をして今にも死にそうな時に、道徳のない人が所持品を盗み、倒れている人の上着やズボンを剥ぎ取ります。捕まっても、普通の窃盗罪だけで、道徳がないことで二倍、あるいは十倍の罪にしません。

 放火をする人がいると、火事場から盗もうと身構えている人がいます。考えて見てください。自分の家が燃えている人は、どれほど辛いでしょう。そのうえ自分の物を盗もうと窺っている人がいます。

 少女への強姦は、ナスを一篭盗んだ人と同じ罪です。観察したことがありますが、新聞によると、どちらも六年でした。道徳はどうか、考えて見てください。法律を作った人は、強姦された娘を持ったことがないのかもしれません。だから同じ刑罰と判断するのです。

 これが道徳の価値を認めない法律で、転輪です。道徳の価値を十分に認める法律がなければなりません。道徳的な誤りがあれば、二倍、あるいは十倍加算しなければなりません。そうすれば道徳的に公正になり、世界を平安にします。これも一組の転輪と蓮の華です。

 次の六組目、「舶来物」があります。括弧つきの外舶来物で、私たちは外国の物が好きです。外国の教育といい、文化といい、芸術といい、良い暮らしや酒や女も、外国式を好み、服装も踊りも、外国の物を好みます。これを略して舶来物と言います。調整されていない、あるいはタイにふさわしくない調整をしている外国の物は、すべて転輪です。精査して改善しなければ蓮の華にはなりませんが、そうしません。

外国式の肉体面の味に陶酔しているので、私たちは貿易赤字になり、バランスが取れません。改めることなく、外国の物を食べたり使ったりしているからです。これももう一組の転輪と蓮の華です。良く注意してください。

 次の七組目は、現代発明される物は、核も宇宙のこともエレクトロニクスも、コンピューターも、タンマの教えで管理できないので、害になる物になります。私たちはそれらの奴隷になり、煩悩を増やすためだけに使います。こういう素晴らしいものを、自分の首を絞めるために、溺れるために使います。人間は、それらの素晴らしく発展した発明品を、人間自身の首を絞めるために使っています。良く見てください。今世界中がそうです。これが一組です。

 八組目は、「汗、あるいは疲れは、タンマでできた蓮の華」と観察、あるいは比較して見てください。私たちが汗や疲れを崇拝すれば、路上にロクデナシはいません。彼らも仕事をするので、道路で動いているロクデナシはいなくなります。

 しかし誰もが汗を嫌い、疲れることを好みません。働くことが好きな人は誰もいません。働いている人は全員、楽しく働らかないで、仕方なく働いています。だからいつでも他人より得をしようとし、一気に金持ちになろうとします。汗が好きな人はいません。疲れを好きな人はいません。めかしこんでデレデレしているのが好きで、肉体面の味の奴隷でいるのが好きです。これは転輪です。

 これらの転輪を、人は反対に蓮の華と見るので、ロクデナシが国中にいっぱいいます。すべてのマスコミ、何十種類もが、まるで蓮の華とでも言うように、これらの転輪を振興させるので、国中に悪がはびこります。これが一組です。

 次の九組目は、「罪を指摘して叱る言葉は、宝の山を指差すよう」というブッダの言葉を、ちょっと詳しく見てください。これは蓮の華です。おべっかを使い相手を喜ばせる言葉は転輪で、破滅させます。

 この「罪を指摘して叱る言葉は、宝の山を指差すこと」を、好きな人はいるでしょうか。誰も好みません。今は顔を見ただけで撃たれるので、罪を指摘し、道を示すなどと言ってはいけません。お世辞やおべっかを言い、喜ばせるのは誰でも好きで、転輪でも蓮の華にします。年に二階級昇格するからです。これも一組の蓮の華と転輪で、関心を持たなければなりません。

 次に十組目は、好ましくないもの、愛させない、欲情させない、陶酔させないもの、我慢しなければならず必ず苦があるもの、あるいは苦そのものは蓮の華です。苦は幸福より賢くし、幸福より真実を教え、善い人を育て、タンマを好ませます。人はこの蓮の華を、転輪と見ます。

 一方の好ましいものは、美味しく楽しいこと、着飾って遊んでいる暮らしは愚かな人にし、溺れた人にし、麻薬のように中毒にします。良く注意してください。これは凶悪な麻薬で、これは転輪ですが、誰でも蓮の華と見ます。これが一組です。

 十一組目は、ちょっと詳しく見ていただきたいのですが、与えようと考える心の方が、欲しいと考える心より気持ち良いということです。これは蓮の華ですが、好きな人は誰もいません。バカバカしいことと見ます。もう一方の、欲しい、得をしようという考えは、初めから最後までその人を焼き炙る転輪ですが、人は蓮の華と見て、競ってその種の心にしようとしています。「欲しい欲しい」は、餓鬼のようにいつでも心を焼き炙り、至る所に汚職が溢れている世界を作ります。

 与えようと考える心は、欲しいと考える心より気分が良いと、良く比較してみれば、正しく蓮の華を選びます。

 十二組目は、階級間の隙間です。つまり非常にタンマでないことで、それは転輪です。私たちは隙間、特に公務員と庶民の隙間を埋めようとしません。公務員は給料が多く、手当や福利厚生がたくさんあり、庶民はまだ疲労困憊し、汗を流していますが、最低の公務員ほどの収入もありません。その隙間をタンマで埋めようと考えず、闘争で埋めようとします。これは滑稽です。

 隙間がないことは蓮の華で、その中にタンマがある証拠です。私たちは政治面での奪い合いでなく、タンマで、タンマの慈悲で隙間を埋めなければなりません。

 もう一つの奇妙な隙間があります。私はただ面白いお話をしたいだけです。インドネシアからオラウータンが来た時、新聞に、飼育経費が月に三千バーツ掛かると書いてありました。ある人に、アーチャンは月に幾ら食費をもらっているのですか、と聞かれたので、私は、二百バーツと答えました。ドゥシット動物園のオラウータンは月に三千バーツ食費が掛かります。これは文化の隙間です。あるいは何の隙間か、考えてください。これも考えなければならない隙間です。

 転輪をなくして蓮の華だけにすれば、人間が殺し合う問題は無くなります。つまり隙間はありません。隙間があればタンマで埋め、政治的な奪い合いで埋めないでください。 

 次は最後の十三組目です。時間もなくなりましたので、宗教は麻薬ではない、あるいは社会のダニではないと断言したいと思います。宗教は蓮の華で、精神的にも物質的にも、麻薬を撲滅します。タンマがあり宗教があれば、ヘロイン中毒になりません。精神的な中毒患者がいるので、国中に悪の歓楽施設がいっぱいになるほど精神的な中毒、つまり情欲の味、歓楽の中毒になりません。

  若者は転輪に見えないので、そこにたむろします。彼らは麻薬に染まっているので、教育省がどんな規制をしても、効果がありません。なぜ宗教を、麻薬を追放する道具に使わないのでしょうか。宗教の無い人たちに、このような法律を作るだけでは上手くいきません。宗教は麻薬でなく、麻薬を追放するもので、蓮の華です。

 情欲を掻き立てるマスコミは転輪で、タンマを嫌いにさせ、宗教を嫌いにさせます。雑誌や映画やラジオ、テレビ、深夜にラジオでリクエストする歌、その他非常にたくさんあります。これらがどれだけ青少年の情欲を増やすか、情欲の感覚を増加させるか、考えて見てください。情欲を増加させなければ、痴、愚かさを増加させ、タンマを嫌いにさせ、宗教を嫌いにさせるので、これは必ず転輪です。

 私たちには今転輪があり、そして国中に転輪を増やしています。何が転輪で何が蓮の華かを知らないからです。

 どうか、宗教を麻薬と見るのは止めてしまい、世界中の麻薬を撲滅する蓮の華と、真実のままに見てください。物質的なもの、精神的なもの、どちらの麻薬もなければ、世界は、安楽に暮らせる人間の世界になり、その後は猫に恥じる必要はありません。今タンマがないので、私たちは畜生に恥ずかしいです。

タンマがあれば恥ずかしくなく、そして動物の何百倍、何千倍も、自分と他人の役に立つことができ、人間は畜生より非常に素晴らしい生き物と言えます。今私たちには欠陥があり、畜生に笑われています。鎮痛剤や睡眠薬や神経症の治療薬を、世界中では毎日何トンも飲まなければならないからです。

 どうぞ道徳を戻してください。そうすればこれらの深刻な危機は無くなります。

 どうぞみなさん明るく澄んだ目で、転輪を転輪と、蓮の華を蓮の華と見てください。タンマが戻って、すべての人を、望み通り最高のものを得る人間にしてくれます。

 時間になりましたので、人間が転輪を転輪と見、蓮の華を蓮の華と見、安楽に暮らすことで人間性を維持するよう願って、今日のお話を終わらせていただきます。


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