世界が恩を感じなすぎるタンマ

 

                                      1980420

 タンマにご関心のある善男善女のみなさん。今日の法話は、「世界が恩を感じな過ぎるタンマ」と題してお話します。いつでもこの法話を、タンマが戻らなければ世界は破滅する、タンマが戻れば世界は穏やかな幸福になる、という思いでお話しているという理解を復習させていただきます。

 今私たちはタンマの恩が見えない人もいるし、見えても少なすぎる人もいて、時には恩知らずのような行動をすることもあります。タンマに対して非常に恩知らずなので、現在危機に見舞われているように、これでもかというような罰があります。

 中には、今あるすべての危機は、世界恐慌によるもの、政治によるもの、経済によるもの、戦争によるものなどで、タンマには関係がないと反論する人がいるかもしれません。それこそが、タンマと呼ぶものを知らないこと、あるいは知るのが少なすぎることです。特にこの問題に関して理解していただく機会を、しばらく頂戴したいと思います。

 タンマと呼ぶものは名のもの(抽象)で、物質でないので見えません。目は物質しか見えないので、タンマが見えません。

 タイの伝統習慣を話せば、国王が即位する時、「余はタンマで国を治める」と宣言しなければなりません。このタンマは何で、なぜ国王の即位式で、重要なものとして、あるいは最高の物として引用しなければならないのか、タンマで治めなければどうなるのか、そしてタンマで治めるとはどういうことでしょうか。

これが理解できれば、タンマで治める人がいることは、人間が安楽に暮らすために重要だと、タンマを基本的に知ることができます。

 私は、「タンマこそが正しい治世を行なわせるもの。そして統治を成功させるもの」と、指摘したいと思います。今盛んに興味を持たせ、急がせている民主主義と呼ぶものにも、「人民の人民による人民のための政治」という、響きの良いうっとりさせる言葉があります。聞くと非常にうっとりします。

しかし気をつけてください。まだ本物でなく、ただの寝言かもしれません。つまりタンマがなければできません。国民にタンマがなくて、人民の人民による人民のためなら、最低最悪の政治になります。

 人民あるいは政治制度に「タンマがある」という原因があれば成功します。人民にタンマがなく、他人のことなど構わず、てんでに自分のことばかりしていれば、自分の利益を重視するので、ひどい政治になります。

 民主主義は、タンマのある人民でなければなりません。タンマのある国民なら、国を治める主権者にすることができます。本当は国民全員で政治をするわけではありません。しかしタンマで治めるので、利益は、全員のためになります。国民全員を治世者にすることはできないので、任された人が治め、任された人はタンマがなければなりません。そうすれば人間らしい政治にすることができます。

 治めるタンマ次第なのに、それで「人民が治める」と言うのは、非常に人を担ぐ言い方です。どうか、「人民の人民による人民のための」と言われる、あるいは何であっても、民主主義を愛する人であり、「タンマのタンマによるタンマのための」でなければならないと見えるまで深く見てください。

そうでなければ利益主義、あるいは自我主義、あるいは何とでも呼び方次第ですが、そうなります。だから政治に関わりのあるタンマ、このように政治を成功させるタンマを知ってください。

 次に政治に関わる観点で見ると、どの世界の国際間の政治も、タンマがないので話し合いになりません。基本として、主としてタンマが関われば話し合いになります。つまり双方が納得できる、どちらにとっても安全な、どちらも幸福な合意ができます。

 話す時にタンマがなく、タンマで進行させないので、今政治は話し合いになりません。これがタンマの利益で、政治にも非常に必要です。

 次に経済について見ると、経済は、穏やかな幸福、あるいは本当に幸福な利益を生じさせる方へ向かいません。経済と呼ぶものは今、どの国も、相手を消滅させる道具として使うもの、あるいはある集団ある団体が攻撃する道具として使い、少なくとも有利になるための道具です。

 初めから見て行くと、最初の生産者である庶民が生産し、そして販売して、買う人がいて、そして中間業者がいて、輸出業者がいます。もしタンマがなければどうでしょう。得する機会ばかりを狙っていれば、生産、売買、輸送など、何でも非常に問題が生じます。

 しかしタンマのある生産者がいれば、良い生産をし、徳で良くなり、十分に良くなり、そして搾取するような売り方をしません。買い手も、売り手から搾取するような買い方をせず、売り手も買い手から搾取するような売り方をしないので、中間業者にタンマがあれば、売買は公正です。だからタンマのない輸出は、偽物を混入させる厄介な問題がどちらにも生じます。これが、タンマがないことです。

 協同組合やいろんな協会に関わる経済は、中途挫折してできません。メンバーにタンマがないので、できるのは共謀組合だけです。つまり協同組合の目的で一緒に人間全体に利益があることをしないで、一緒に不正をします。タンマがあれば、こういった問題はありません。

 これです。みなさん、「タンマと呼ぶものは、王が即位する時に宣言しなければならない。国を治める時になければならない。政治になくてはならない。経済を行なう時になくてはならない」と、良く考えて見てください。これがタンマの概要です。

 それ以上に、タンマは神様と言いたいと思います。詭弁だと、あるいはわざと勘違いさせると非難する人がいますが、本当は、タンマは神様です。神様という言葉の意味を正しく捉えれば、何よりも崇高なもの、すべてのものを創り、破壊するべき時に破壊する原因であり、何よりも威力があり、どこにでもあり、すべての物をまとめたものであり、素晴らしい辞書のように、人間集団にあるすべての物について述べたすべての言葉が収められています。これが神様です。

 仏教にも、今述べたような価値があるもの、あるいは科学で自然の法則と呼ぶものがあり、自然の法則が神様です。タンマ、あるいはタンマの神様が、例外なくすべての物を作りました。ブッダも作りました。仏教教団員は、ブッダにするタンマがあったからブッダが生まれた、と良く知っています。だからタンマがブッダを作りました。

 他の人たちが神様と呼んでも構いません。西洋人が God と呼ぶのは神様で、私たちがゴッド(規則という意味)と短く呼ぶのも同じ神様、つまり自然の法則で、私たちには同じ神様がいます。名前がちょっと違うだけです。神様はプラタムで、プラタムは自然の厳格な法則です。

 もう一度繰り返させていただきます。しょっちゅう指摘しています。タンマという言葉には四つの意味があります。自然が一つ、自然の法則が一つ、自然の法則に則った義務が一つ、その義務から生じる結果が一つ、合わせて四種類です。

 この四つの意味のうち、最も重要な意味は、二番目の自然の法則で、それが神様、あるいは神様に匹敵するタンマの神様です。

 この種の神様はすべてを作り、ブッダも作った、すべての物を作った根源です。すべての物を作り、すべてを支配し、破壊するべき時はすべてを破壊し、すべての物より上にあり、至る所にあり、一つ一つの原子の中にもあります。そして神様という一語には、すべての物が含まれます。

 次に、神様は人間にすべてを与える立場として、神様が作れる最高の世界を作りました。世界に何もない時から、世界がないことから世界ができ、それから世界に何でも豊富に揃い、生き物が生まれられるまでになり、そして生き物が生まれ、それから段々に進化して、この地上に、生きるために必要なものが豊富にある、快適便利な生き物になりました。

 みなさん、人間が破壊する前は、植物や樹木があり、各種の動物がいて、どれほど種類が豊富だったか、地下にどれほどの資源があったか、私たちの世界について考えて見てください。神様は豊富に、あるいは豊富と言う以上に作りました。

 それから人間が破壊し始め、破壊する一方で、神様が最高の利益のために作ったことを考えずに、煩悩のために破壊し尽くしました。神様は卵だけ食べるように作ったのに、人間は親を食べてしましました。それで、どれだけ食べられるでしょうか。

こうです。森林も、すべての生き物も、カニや魚も、自然資源はどんな利益のためにあるのか、考えて見てください。私たちは消滅させてしまいました。たとえば大地を潤す森林は、農業を援けますが、私たちは森林を破壊してしまいました。これを、私たちは恩を知り神様に恩返しをする、と言うでしょうか。あるいは私たちは恩知らずな生き物で、神様の恩を仇で返すと言うでしょうか。卵を食べるために作ったのに、親を食べてしまいました。

 ここでちょっと、シカと猟師の話をさせていただきます。一頭のシカが、遠くから猟師が歩いて来るのを見て、木の茂みに身を隠しました。猟師に見えなかったので、猟師は通り過ぎました。その後シカは、その繁みの木をすっかり食べ尽くしてしまいました。シカは戻って来た猟師に見つかって、恩知らずな生き物にふさわしく、撃たれて死にました。

 人間は今このようではないでしょうか。神様が危機を逃れるために、繁栄するために、支配するために作ってくれたもの何もかもを、今消滅させてしまっていないでしょうか。それらに依存して静かに快適に生きてきたのに。

 今私たちはいろんな物を要求し、いろんなことについて話します。たとえば政府は、国民と公務員に、正直と誠実を要求しています。なぜ私たちはタンマについて話し、タンマが戻るよう要求しないのでしょうか。タンマが戻らなければ、国民と公務員の忠実と誠実は、何から生まれのでしょう。

 私たちは、タンマについて言及することなく団結を求めています。私たちは法律で社会を管理するのか、それともタンマで社会を管理するのでしょうか。法律や権力で社会を治めるなら、タンマについて話す必要はありません。しかしタンマで社会を治めるなら、何よりも多く、法律よりも多く、利益があると見なされているどんな権力より多く、タンマについて話さなければなりません。

 私たちは麻薬撲滅も、まだ成功していません。国民の浪費の管理にも成功していません。タンマに興味がないので、タンマがないので、悪事を監督できずません。タンマを別の呼び方で呼んで担ぎます。

 たとえば人権の話を、これはタンマだと言わず、反対に、国をまとめる時に使う政治の方便として話します。礼儀があり、道徳があったので、私たちはご婦人のいる部屋で煙草を吸ったことはありません。これを「大昔から人権を尊重した」と言います。

 今は政治的理念と言います。私たちは、たとえば国境付近の困窮した人を救済するのは道徳の話でしたが、政治的理念と呼ぶものになりました。これはタンマを踏みつけにした、タンマに対する反逆で、タンマの呼び方を変え、神様の財産を盗んで政治の道具にします。大きな罰を、これでもかと言うほど受ける覚悟をしておいてください。

 私たちは恩を知る生き物になれるでしょうか。タイ民族の道徳、文明、文化を振り返って見ると、非常に興味深いことが分かります。私たちは親や先生の恩を知っていただけでなく、恩を知ることは深いことでも何でもない、どこにでもある基礎でした。

私たちは、共に生きる人間同朋すべての恩を知り、誠実で、前の時代の人が残してくれたものを、有益に使わなければなりません。いろんな薬やいろんな安全に関して、昔の人は手本を残し、後から生まれた私たちは、それに依存します。人間は世界で一人では生きられないので、世界のすべての人間は、私たちにとって恩人です。

 本当に恩を知ると言うなら、非常に役に立つ動物である牛や水牛など、乗り物である動物を見なければなりません。人間はそれらのお世話になっているのに、逆に恩を知りません。今牛や水牛の姿が消えて、あまり見られません。恩知らずなので、人が殺して食べました。あるいはするべきでないことをし、返さなければならない恩のある動物と考えません。乳を飲んだら、それは母親と同じと見なすべきです。

 次に私たちは森に対して、田んぼに対して、道路や谷川や沼、堀や沼沢に対して恩知らずな生き物で、恩知らずのように森林を破壊しました。道路や谷川や沼や沼沢も、自分の利益しか考えない人に侵入され破壊されました。それらはどんどん大変に、困難になっています。

 昔は人々が協力して道を作ることができましたが、現代はしません。税金を使うだけです。自然による道路を、恩があると言える状態で維持するよう手入れする人は誰もいません。私たちは、森や田んぼや道路や谷川や沼や沼沢にも感謝をしません。

 人間の目を楽しませてくれる花や、美しく飛び回る蝶々、美しい鳴き声を聞かせてくれる小鳥に感謝する人がいるでしょうか。それらを破壊する人、自分の利益だけを考える人ばかりです。非常に残虐に破壊し、みんなガラスの棚の中へ入れてしまったので、生きているのは残っていません。それらは、心や精神にとって恩があると考えて見てください。でも平気で破壊できます。

 本当に恩を知る人なら、敵や仇も、自分にとって恩があると考えます。敵は私たちを進歩させ、仇は私たちの能力を伸ばします。私たちを嫉妬する人は、私たちを非常に強く安定した人にし、誰もなれないような、最高に慈しみのある人にします。私たちを嫉妬する人は、私たちをこのように善くすると捉え、その恩を知ります。

 次に、すべての障害は、問題解決に関して私たちを賢くすると見ます。何も妨害する障害がなければ、人間は今よりずっと愚かです。障害に出遭う度に智慧が生じるので、障害は自分にとって恩があると見なすべきです。病気も賢くします。病気は私たちに無常、苦、無我を見せます。涅槃に到達させることもあり、あるいは涅槃に到達したくさせるので、このように利益があります。良く考えて見てください。

 今言ったようなものにまで恩を感じれば、これ以上の、恩があるものの集合物であるタンマの神様に、恩を感じないはずがありません。私たちに関わり、絶えず私たちを護っているプラタム(ブッダの教え)に対して、恩知らずでいられるはずがありません。

命ある生き物の進歩を、プラタムは休みなく護っているのに、どうしてプラタムの恩を考えないのでしょうか。そしてタンマに恩知らずなことをし、タンマを侮辱し、タンマを最高のものと見なさず、タンマの代わりに、煩悩を最高の物として頭上に持ち上げます。

 どうぞみなさん、プラタムの恩を正しく、つまり十分に公正に知り、プラタムに対して、公正にしてください。タンマの行動をするだけで、たくさんしなくてもいいです。タンマの品行をするだけで、いろいろする必要はありません。それがプラタムの恩に報いることです。プラタムは私たちがタンマの品行をすることを、私たちが幸福になるために、プラタムの望みで品行をすることを願っています。

 これは滑稽です。私たちが幸福に暮らせるよう願っているものの、恩に報いることを知らない人間は、バカでしょうか、善いでしょうか。私たちがタンマの行動をすれば、その結果は私たちに返ってきます。どのプラタムでもない、タンマの行動の教えでするだけです。プラタムの恩に報いれば、人間が平和に暮らせるように護るものとして、世界の至る所にあるプラタムの望みどおり、結果は私たちに返ってきます。

 タンマの神様、あるはタンマ、あるいは自然の法則が私たちにくれた偉大な財産を、煩悩や悪魔のために、煩悩や悪魔を崇拝するために消滅させないでください。発展すればするほど恩を知る生き物になるか、あるいは恩知らずな生き物になるか、良く見てください。

 昔、南部のゴ族の調査をした西洋人のレポートを読んだことがあります。その人がさせたいと思ったこと何でも、録音し撮影し、何でもしています。しかし歌を歌わせ、音楽を奏でさせようとすると、しようとしませんでした。幾らお金を出してもしません。誰かの親が亡くなったばかりで、その日に埋葬するという時だったので、歌を歌う気になれないので音楽を演奏せず、幾らお金を出しても断り、西洋人は困ってしまいました。

 昔の原住民族でも、亡骸の前で歌や音楽をしたがりません。現代の私たちは、タイ式演奏、普通の演奏を、何曲亡骸の前で演奏するでしょう。特に田舎では、踊りのある地方もあります。生き物は発展すればするほど恩を知るでしょうか、あるいは恩を忘れるでしょうか。あるいは恩返しが減るでしょうか。

 私は、口がすっぱくなるほど喧しくみなさんを謗るつもりはありませんが、世界中の人たちは今、タンマに対して、神様に対して恩知らずな生き物になっているので、ものすごい罰を受けていると教えます。

 どうぞみなさん、プラタム(ブッダの教え)について考え、プラタムを知り、そしてふさわしく尊重し、望みどおりに実践すれば、タンマに対して、神様に対して誠実な人と呼ばれ、科学的に言えば、発展させる自然の法則と一致する、と言います。これをプラタムの恩を知ると言います。

 何をするにも、まず神様を、プラタムを考えてからにしてください。妻と離婚するにも、夫と離婚するにも、子を叩くにも、何をするにも、まずプラタムを考えてください。プラタムを考えてからにすれば、プラタムは品行を正しく護ってくれるので、失敗はありません。

 これが死ぬまで、息をしている時はいつでも必ずあるプラタムの利益です。どうかこの意味でタンマの恩を知る生き物、恩を知っている生き物になってください。そうすれば人間は人間と言う名前にふさわしい、つまり高い心をもった人間になります。

 これが、現代の生き物が恩を感じることが少なすぎるタンマ、プラタム、タンマの神様、あるいは神様です。どうぞもう一度考え、そして恩知らずな生き物を止めてください。そうすればこの世界は、タンマの神様、あるいは神様の望み通りの、すべての人の友情がある、新しい世界になります。

時間になりましたので、みなさんの誰もが、恩あるタンマにふさわしい恩返しの気持ちを持たれることを願って、今日の法話を終わらせていただきます。


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