21.経済問題を解決する物であるタンマ





1980年3月16日

 タンマにご関心がある善男善女のみなさん。今日の法話は「経済問題を解決する物であるタンマ」と題してお話します。話す時はいつも、タンマが戻れば世界は破滅しないという思いが心にあります。タンマが戻らなければ世界は破滅します。タンマが戻らなければ、経済と呼ぶものが世界を消滅させ、破滅させます。だからこの題でお話します。

 経済の問題は、個人と国と世界全体の平和に関わりがあり、世界の人に道徳がないことから生じます。経済は道徳の一種ですが、深く見なければなりません。深く見なければ別の話に見え、深く見れば経済は道徳の一種に見えます。

 道徳とは権力を行使せずに人間が平和に暮らせるようにすることで、経済も正しく行なえば、権力を行使せずに人間が平和に暮らせるようなります。

 この経済という言葉を、理解できるよう熟慮します。経済(セッタキット)という言葉を、文字あるいは綴りで言えば、タイ語では最高に良くする、最高に素晴らしくする行動を意味します。セッタという言葉は、パーリ語でもサンスクリット語でも「最高に素晴らしい」という意味なので、セッタキット(経済)は人間が平和に暮らせるようにする最高に素晴らしい仕事です。これを「文字で」と言います。

 タンマでは、つまり要旨では、深い意味では、経済とは「価値のない物を価値のある物にする」、あるいは「価値の少ない物を価値の高い物にする」という意味です。観察して見てください。

 仏教にも価値のない物を価値があるように、価値の少ない物を、価値の高い物にする、時にはまったくお金を使わない、経済である体があります。

 たとえば何の価値もない腐った体を、涅槃と呼ぶ段階の幸福が生じる場所、維持する場所にします。涅槃はお金を払わないで貰う物、あるいはただで与えると言われます。これはどれくらい経済か、考えて見てください。

 経済は道徳です、国民に道徳があれば平和に暮らせ、国民全員に道徳がなければ、どんな政府も平和で幸福に治めることはできません。十の政府でしても、国民を幸福にすることはできません。しかし道徳があれば、一つも政府がなくても平和に暮らすことができます。これが経済という言葉の要旨、あるいは意味で、このように高いです。つまり価値のない物に価値をつけ、価値が少ない物の価値を高めます。

 次に結果、あるいは功徳を見ると、私たちがあってほしいと望んでいる物、あるいは人間の平和のために最高に良く使われる物です。この言葉の最高の意味にふさわしくできれば、それが経済と呼ぶ物の結果です。

 しかし現実、人間世界で実際に使っている経済と呼ぶ物は、有利になるため、攻撃し合うためです。彼らは経済をこういう形の道具として使い、経済という言葉の意味と一致しないので、問題が起きます。

 次に何を使って問題解決をすれば良いかは、私が「タンマが経済の問題を解決する」と提案しているように、タンマと呼ぶ物を知らなければなりません。あるいはこのタンマを、誰もが明らかに理解している物にしなければなりません。

 タンマという言葉には幾つもの意味があります。自然という意味も、自然の法則という意味も、自然の法則に従った義務という意味もあり、その義務から生じる結果という意味もあり、全部タンマです。どのタンマが良い経済にするか、あるいは経済問題を解決できるか、熟慮して見なければなりません。

 自然の法則であるタンマには、世界の創造主と同じ価値があります。世界は自然の法則で生まれ、自然の法則で存在し、自然の法則で変化し、そして消滅するので、世界を創った神様と同じです。

 神様は無から世界のすべてを創ったと言うことができます。それ以前は何もありません。神様は無をすべての物にしました。神様の経済、あるいは自然の法則であるタンマの経済以外に、誰の経済がこれほど巧みにできるでしょうか。これも一つの意味のタンマで、これも人間の経済の問題に関連があると、良く見なければなりません。人間は自然の法則で経過しなければなりません。そうすれば望み通りに成功します。

 次に自然の法則に則った義務である、タンマという言葉になりました。私たちは何をするにも規則に従って、自然の法則に従って、特に科学的にしなければならないと、毎日いつでも、明らかに見ます。そうすれば世界中どこにでもあるように、あれを創りこれを作り、これを発明し、それを発明することができます。

 自然の法則の義務を行えれば、自然の法則の結果が得られ、簡単に人間が望んだとおりの製品を作ることができます。

 これです。タンマと呼ぶ物で経済的問題を調整します。

 タンマは直接、素晴らしい、最高の経済のための威力です。タンマ自体に直接、そして素晴らしい、そして最高の経済の意味があり、価値のない物に価値を持たせ、価値の少ない物の価値を高めます。タンマがあれば人間は、どんな小さな混乱困難もなく暮らすことができます。

 現代社会の当面の問題である、経済の問題はタンマで解決できます。タンマがあれば、経済の問題が生じることはありません。これは引き続き熟慮しなければならない問題です。要するにタンマは経済問題を解決でき、防ぐことができます。

 次にもう一度詳しく「経済には曖昧な意味がある」と見ると、文字で言えば、最高に素晴らしいことで、価値の少ない物を価値の高い物にすると見なします。しかしそれを上手く使う時は「益だけの物は何もない。益があれば害があり、害があれば益があり、このように対になっている」と言われるように、対である害が生じます。

 経済の害、あるいは経済の悪を見れば、この世界で明らかに見えるのは、経済的に発展すると我を忘れさせ、我を忘れれば掻き集めること夢中になることです。ある人ある集団は、今、経済の結果を掻き集めて、我を忘れたように他人より優位になろうとしています。私はこれを経済の害と見なします。

 その人は経済を武器として使って他人を破滅させ、経済的に他人を搾取し、経済で世界を破壊し、世界の同朋を破滅させます。これが害です。なぜこれを見ないのでしょうか。

 経済的発展は気付かないうちに人間に過剰な暮らしをさせます。たくさん稼ぐ人、たくさん作る人、たくさん生産する人は、幸福や楽しさに有頂天になって、過剰と言われる暮らしになり、食べることも過剰、着ることも過剰、使う物も過剰、医薬品も過剰、娯楽も過剰になります。これが至る所に過剰を生じさせる経済の害です。

 ロクデナシの連中が真似をして、彼らも過剰にしたがり、愚劣さで過剰な物を求めるので、国中に犯罪が見られます。最も凶悪なのは強姦、強姦殺人で、自分の親を殺すことまでできます。こういう堕落が生じます。

 経済と呼ぶものを管理できなければ「莫大」と言われる経済の問題が生じ、世界全体が、莫大で広大な混乱困苦に陥ります。

 短くまとめると、経済の害は我を忘れさせ、掻き集めることに夢中になり、するべきでない生活である過剰な生活になり、それから何段階も関連した問題が生じ、その結果世界には、個人にも国にも、あるいは所属社会にも、穏やかな幸福あるいは平和がなくなくなります。

 この害、あるいは問題は、本当の仏教教団員にはなくても良いと、良く見てください。本当の仏教教団員は仏教徒の徳行があるので、経済面でどんなに異常な状態になろうと、こういう害や問題はありません。自分にタンマがある仏教教団員は、タンマと呼ぶもので問題を解決し、生きることができます。

 三蔵の第一巻の話を例にします。世尊がある場所で雨季ごもりをしておられました。雨安居に招いた人は、何も配慮せずに招いたので、その時飢饉で、托鉢の食べ物がありませんでした。

 ブッダと弟子たちは、商人が分けてくれる馬の餌にする干し飯を一人掌一杯ずつ、水で湿らせて食べ、汁もおかずもありませんでした。そうやって雨季が終わるまで過ごし、他の土地へ移るよう懇願する弟子もいましたが、ブッダは認めませんでした。非常に強く安定しているので、この種の話を問題と見ないからです。

 見てください。私たちの教祖はこれほど経済の問題を越えていました。現代の僧なら、多分配慮せずに招いた人を非常に呪って罵るでしょう。ブッダの経済は、馬の餌にする干し飯を、一人一日掌一杯ずつで暮らせることから、推測して見ることができます。

 現代は僧をどう養っているでしょうか。それはブッダの経済を消滅させないでしょうか。どうかみなさん、考えて見てください。真実に気づけば、仏教教団員には経済の問題はないと気づきます。

 次に「問題の原因、経済の問題の原因は人にあり、その人に美味さに関わる道徳がないから」について見て行きます。「うまさ」という下品な言葉、この美味さがすべての人の頭上にいる神様です。経済的な問題は、美味さに関わる道徳がないことから生じます。つまり、気づかないうちに根(六処)の奴隷になっています。根の奴隷とは、目、耳、鼻、舌、体、心の六つを六根【六処)と言い、それを通した美味さの奴隷です。

 人々が根の奴隷になっていて、それに気がつかないので益々問題を作ります。これが問題の原因です。彼らは美味さの真実に関して愚かで、「あれこれ味つけして美味さを生じさせなくてもいい。それは過剰なだけ、欺瞞するだけ」と知りません。

 本当の美味しさは空腹から生じます。空腹が美味しさを生じさせるので、空腹の時は美味しいです。だから高価な物である必要はありません。空腹の時は美味しいという真実に関して、公正にしてください。だからちょうど良くしなければなりません。お腹が空いてから食べれば、美味しくなります。

 水を掛けたご飯を試した経験を話したいと思います。特にナムプラー(魚醤)と醤油を少し混ぜ、ピーナッツと香りの良い野菜と一緒に空腹時に食べましたが、非常に美味しかったです。病気でそれ以外に他の物が食べられない時は、ナムプラーとピーナッツをご飯に混ぜると、幾らの価値もありませんが、却って非常に美味しく、快適でした。

 時にはナムプラーを混ぜたご飯をおかずにして、ご飯を食べました。ナムプラーを混ぜたご飯がおかずです。美味しければお腹が空いていて、お腹が空いていれば美味しいです。考えて見てください。美味しさは空腹の時にあると、美味しさについて正しく学んでください。

 もしクルンテープ(バンコク)の人、五百万人全員が空腹で、そしてこの種の美味しさ、つまりご飯とナムプラーでご飯を食べれば、そうすれば非常に経済的に変化があります。九日も十日も市場へ行く必要がなく、市場は九日も十日も開く必要がありません。どれだけ経済面の変化が生じるでしょうか。

 自分の経済的な問題が解決すれば、座って喧しいほど政府の悪口を言わなくなります。どうぞ五百万人のクルンテープのみなさん、この経済方法を試して見てください。「蓮も傷めず水も濁さない」ような(註:円満な、という意味)解決ができます。

 これが経済問題を生じさせる原因の一つ目で、彼らが美味しさについて何も知らず、美味しさに関して道徳がないことです。

 二番目は過剰な物を崇拝することです。過剰に食べ、過剰に暮らし、過剰に装い、何でも過剰で、過剰な部分の煩悩を崇拝して暮らしています。

 他にもあります。道徳が衰退し、社会に道徳がありません。自分の物を手に入れることが正義であり、自分の手に入れば正義、あるいは公正で、自分の手に入らなければ公正ではありません。社会に道徳がないから経済の問題が生じます。

 次にどう解決するかは、私は一言「道徳が戻ること」と言います。道徳が戻るには二つの形があります。タンマが道徳の形で戻ることと、第一義諦(解脱に関わる教え)の形で戻ることの二通りです。

 タンマが道徳の形で戻れば、美味しさに関わる失敗はありません。社会と世界の両方の経済問題を解決できます。協同組合を作るような、道徳が求められる事業ができます。今は道徳のない人ばかりなので、共謀組合になってしまい、協同組合が作れません。

 道徳があれば食べ過ぎず、過剰な暮らしをしないので、現在のように貿易赤字になりません。製造者、消費者、販売者、中買い人、輸出業者に道徳があれば、製造者、消費者、販売者、中買い人は正しくなると考えて見てください。高価な物で大騒ぎする必要がなく、安い製品を作って外国へ売ることもできます。

 私は以前に、印刷機の代理店の人と話したことがあります。品質は同じなのに、どうして香港製の印刷機はヨーロッパ製の物より大幅に安く売れるのか、質問したことがありました。その中国人は「西洋人はベッドに寝て鶏や豚を食べますが、ワシらは床に寝て大根を食べているので、西洋人と同じ品質の物を非常に安く製造することができます」と言いました。食の道徳がどんなに国の経済を援けるか、考えて見てください。

 ブッダはきっと、私たちの経済が破綻するのを望みません。ブッダの時代に無かったような美しい菩薩堂や精舎の建設は経済を破綻させるか、天国の国のように贅沢なご馳走を僧へ献じるのは経済を破綻させるか、考えて見てください。

 道徳の形でタンマが戻れば、どう経済の問題が解決するでしょうか。これが一つです。

 次に第一義諦の形でタンマが戻れば、精神面の経済であり、この世界の精神的な経済問題を無くすことができます。状況がどう変化しても苦がなく、掌一杯だけの馬の餌にする干し飯を、水で湿らせて食べるしかなくても、おかずや汁がなくても生活できます。そして幸福で、幸福に微笑んで、タンマの枠を逸れたことは何もしません。

 これが物質面と精神面、両方の経済問題の解決です。道徳の形でも、第一義諦の形でも、タンマを呼び戻すことで必ず解決できます。

 みなさん、特別に関心を持っていただくようお願いします。ただ座って政府を罵り、あの人この人を罵り、生産者を罵り、消費者を罵り、販売者を罵り、輸出者を罵らないでください。内面を改革して人間に道徳があるようにすれば、良い生産者、良い消費者、良い販売者、良い中買い人、良い輸業者になるので問題は何もなくなります。

 セッタとは非常に素晴らしいという意味なので、最後に経済と呼ぶ物の恩、あるいは最高の素晴らしさを見て、本当に素晴らしい物にしてください。これからは他人より有利になる道具、他人を破滅させる道具、あるいは世界を破壊する物にしないでください。

 すべての問題はタンマと呼ぶ物だけで解決できます。経済の問題だけでなく、世界のすべての種類のすべての問題は、タンマ一つで解決できます。タンマがあれば身勝手ではありません。身勝手になれません。他人を愛さないことに耐えられず、他人を愛します。

 義務を行なう楽しさと幸福と満足で義務を行ない、義務を行なう自分を尊敬するので、汗を流しても幸福です。すべては生老病死の友という立場で、自分と他人のために義務を行います。

 タンマは「すべての人は生老病死の友」という気持ちにさせるので、自分だけ得はできず、危害を加えることもできません。タンマと呼ぶ物があるので問題が起きることはあり得ず、経済の問題だけでなく、世界のすべての問題、何百種類、何十種類の問題は、タンマと呼ばれる行動ですべて片付きます。

 時間もなくなりました。みなさんが、経済と呼ぶ物を、この言葉の本来の意味で正しく熟慮し、そして利益だけになるように使っていただくよう、どんなわずかな害も生じさせないよう懇願して、今日のお話を終わらせていただきます。




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