民主主義の魂としてのタンマ

 

                                     1980217日 

タンマにご関心がある善男善女のみなさん。今まで私は、「タンマが戻らなければ、世界は破滅する」という気持ちでお話してきました。今日は、「民主主義の魂としてのタンマ」と題してお話します。民主主義の魂としてタンマがなければ、その民主主義は、人間にとって利益というより、むしろ危険になります。

民主主義という言葉は曖昧に訳されています。つまりタンマが加われば、この民主主義という言葉は、「人民の利益を重要とする」という意味になりますが、私たちは、「人民を主権者にする」と解釈してしまいます。これは大違いです。人民は主権者になれません。実行できません。自然に反し、そしてタンマに欠けます。全員が主権者になることは不可能だからです。

選挙だけを見ても、権利が一部の人に限定され、ある層の人には代議士を選ぶ権利がありません。たとえば子どもや、求められる資格のない人や出家など、合計四割の人が選挙に参加していません。これで人民が主権者と言えるでしょうか。

選ばれた代議士には、幾らでもお金を注ぎ込む類の人もいるし、これはまだ新しい方法ですが、賭けで選ばれた人もいるし、お金で買われた代議士もいます。全部ひっくるめて民主主義と呼ぶことを、恥ずかしく感じるか感じないか、考えて見てください。

私たちは民主主義という言葉を正しく解釈しなければなりません。つまり人民の利益を重要とします。これなら実行できます。自然に、タンマの自然に、神様の自然に合っているからです。すべての人を主権者にする必要はありません。それは、先ほど言ったように不可能です。しかし人物、あるいは人の集団、あるいはタンマがあるだけで誰でもかまいませんが、その人を、人民の利益になるよう民主主義を実施する人にします。

私は以前に、王者の十正道(布施・持戒・犠牲・公正・温和・努力・不怒・不圧・忍耐・不誤)を具えた国王は、国民の利益を重視する治世を行なう、とお話したことがあります。王者の十正道を具えた国王という言葉は、西洋の本にはありません。私たちの学者、学生、哲学者たちは西洋の本で民主主義を学ぶので、かつては直接この種の国王の利益に与ったにも関わらず、王者の十正道のある国王という言葉を見たことがありません。

ラームカムヘン王は、王制による国王であり、誰一人欠けることなく、国民のすべてが利益を受けられる治世を行なった王であると誰もが認め、ラームカムヘン王を嫌う人は誰もいません。王者の十正道があるという点だけを見るからです。

みなさんもう一人、認められている歴史上の人物を思い出してください。それはインドの一時代を治めたアショーカ大王です。治世の面でも、宗教的にも利益になりました。

宗教的に認められているのは、アショーカ大王は様々な方向、スワンナプーム、つまりタイも含めた各地へ宣教使節を送り、国を治めるには、王者の十正道がある王制で治めました。領地内の山にある石碑には、「すべての領民は私の子である」と刻まれています。すべての人民に対して、自分の孫や子供のように利益になる行動をしたことを意味します。

アショーカ大王の統治で熟慮して見るべきは、道徳警察があったことです。行動した任務を見ると、道徳警官には、領民が王命でマンゴーやジャックフルーツやピクンの木の植える命令を守っているかどうか、隈なく調べる義務があり、領民が植えたかどうか、道徳警官は調べて回らなければなりませんでした。

この話は、自分自身で公務を調べて歩いた省長、プラヤーラッサダーヌプラディットを思い浮かべます。つまり、この家は鶏を十羽飼い、バナナを十株、唐辛子十株、ナス五株、レモングラス十株作るというような合意に従っているかどうか、自分で調査して歩き、まだ作っていなければ褒美として、赤い煙管で頭をコツンと叩きました。事実はどうでしょう。私は聞いたように話しています。

道徳警官は、こういったことを調べなければなりませんでした。何でも、浴室や台所も、正しく道徳が行なわれているか調べました。アショーカ王は、肉を食べる量を減らすよう、領民と交渉しまし、自分の王宮でも、一日に一頭しか殺さないと、こんな調子です。

朝寝坊をしている人がいるか、経を唱える僧を拝まない人がいるかなども、調べる義務があり、どこかに集まっているヤクザな人は、ほとんどすべて名前を記録しておきました。これを道徳の義務と言います。刑法警官は法律でする義務があるので、強制できず、更に深い道徳警官の義務にしました。道徳は刑法の過ちではないからです。たとえばこのような衛生の問題は、誰かがしなくても違法ではありませんが、道徳的な間違いなので、道徳警官が取り締まらなければならない義務でした。

今道徳警官を設置できるかどうか、考えて見てください。刑法警察だけでもてんてこ舞いしているように見えます。

アショーカ王のこのような統治は独裁でしょうか。当然誰でも独裁と見ます。しかし、すべての領民は私の子どもであると刻む、タンマによる独裁です。

アショーカ王の独裁は、何百人、何千人の比丘を捕えて還俗させました。間違ったタンマを知り、間違ったタンマを教え、偽りの出家をした仏教でない族だからです。こんなのもあり、精いっぱい独裁を行ないました。

これが、人民の利益を重要視する民主主義で、タンマが独裁者なので、独裁でも使い物になります。

私は、「民主主義の魂であるタンマ」と題してお話しているので、魂としてのタンマを見なければなりません。タンマは民主主義の魂です。つまり民主主義には、魂であるタンマがあります。

独裁でなければならない場合は、タンマが独裁者の場合で、煩悩が独裁者ではありません。タンマの独裁は西洋のテキストにはなく、あるのはヤクザな人の独裁ばかりです。彼らが知っているのはそういうのだけなので、骨に染み込んでいるように、独裁という言葉を嫌います。こういうのは、タンマというものに対して公正ではありません。

このように四つの意味で正しくすれば、神様がいます。あるいはタンマの神様が民主主義の魂でがあります。

タンマは独裁に最もふさわしく、独裁でなければ、何も結果は生じません。自然の法則はどんなに独裁か、どこでも、誰に対しても、どんなに毅然としているか、自然の法則を見てください。タンマは魂と言うなら、タンマの正しさが魂、という意味です。

どう正しいかは、タンマは神様なので、神様のように純粋公正に正しく、

自然での正しさは、神様の体のようで、

自然の法則での正しさは、神様の心のようで、

自然の法則の義務での正しさは、神様の望みのようで、

自然の法則の義務から生じた結果の正しさは、神様から与えられる結果、つまり正しさなのでタンマと呼びます。これが民主主義の魂です。

この四つの意味で正しくすれば、民主主義の中に神様がいます。あるいは魂であるタンマの神様がいます。

私は、タンマの神様、あるいは神様のタンマという言葉を使いたいと思います。タンマの神様、神様のタンマ。どちらで呼んでも構いません。つまりタンマが神様です。神様とは、何度も繰り返し話しているようなタンマで、自然、自然の法則、自然の法則に従った義務、義務から生じる結果です。自然の話、特に自然の法則はどれほど崇高で、どれほど毅然としているでしょうか。誰も抵抗できません。

自然の法則である神様が、すべての生き物を創りました。畜生である生き物、人である生き物、一人一人を作り、誰もみな正しい自然の、公平な神様の物です。

なぜ神様の威力を引き寄せて、煩悩のある人に与えるのでしょうか。私たちが、神様つまりタンマの威力を煩悩がある人に与え、人の煩悩を威力のあるものにするのは、バカなことでしょうか、良いことでしょうか。乱暴な言葉を使ったことをお許しください。私たちは良い威力である神様を持つのか、権力者である人の煩悩を持つのか、考えて見てください。

私たちは、庶民の利益を生じさせることを重要とする政治を行なう、タンマのある人を選ぶべきです。全員に主権がある、人民に主権があると、寝言を言わないでください。それは自然に反し、自然の法則に反します。神様の威力を人に与えることはできません。だから民主主義という言葉を、新たに「人民の利益を重要とする」と解釈し直します。

そうすれば私たちは独裁の道具である神様のいる人、あるいはタンマがある人によってできるするよう対処できます。善い人を一人だけ探して、統治制度を整えさせる方が簡単です。善い人の集団を探して統治制度を整えさせるには、一人探すのでも容易でないのに、どこを探したらいいでしょう。

だからタンマのある人が治世者なら、自然で、自然の法則で、自然の法則に則っている義務で、そして義務を正しく行なうことから生じる結果にすることができます。

民主主義について見ると、世界は結果に出合っていません。世界の機構は結果に出合っていません。神様を重視せず、自分の利益で党や派閥に分かれた代議士の声を重視して、タンマに欠ける民主主義である党に引き抜くので、成功しません。

神様の民主主義を見てください。煩悩のある人から権力を奪って神様に返し、神様に民主主義を整えてもらうのは非常に難しいです。あるいはこの権力を正義に返却するには、どのネズミが猫の首に鈴をつけるか、という人がいます。そういうことを夢中になって考えてはいけません。もしかしたら、ネズミの利益のために、猫の首に鈴を結んでくれる小さな子供がいるかもしれないからです。そうすれば、それ以後、猫はネズミを食べる機会がありません。

人に神様を教える人、タンマを教える人が、ネズミの代わりに猫の首に鈴を結んでくれる子どもで、神様を知れば、誰でも神様を愛します。今神様を知らないから愛しません。

神様の民主主義に、抵抗派がいるはずがありません。反対派がいれば、民主主義ではありません。なぜなら、必ず反対派を無くす道具を作らせるからです。反対派の道具を調べて見てください。たとえばある新聞には、罵り、揶揄、非難、軽蔑しかなく、政府を嫌いになるように煽る文章しかありません。こういうのが抵抗派の民主主義です。これには民主主義はありません。あるのは、団結を妨害する差別だけです。

神様の民主主義は、民主主義の悪魔に抵抗できます。タンマの神様が行なうなら、どんな制度でも構いません。独裁でもいいし、王制でもいいし、社会主義でもいいし、軍でもいいし、市民でも、混合でもいいです。

タンマがあれば、官位制度、王語制度、僧の階位制度など、廃止しようと考えているいろんなものを廃止する必要はありません。廃止しようと考えるのは、「上下があることは、尊敬と信頼を生じさせる」という真実が見えないからです。タンマの言葉で、「トゥッコーサマーナサムワーソー= 平等に暮らすのは苦」とあるように、平等に暮らすことは、非常に悪です。高低がなければなりません。そうすれば快適に統治して暮らすことができます。

私は、官位制度、王語制度、僧の階位制度、あるいは何かの名誉などは、廃止する必要はないと思います。どうかそれらを、純潔で公正なものにしてください。信頼して従う体制が生まれ、簡単に一致団結できます。

次は国王が君主としている民主主義はどうあるべきでしょうか。現在王様は、何かをタンマでタンマによって行なう権力があるでしょうか。王様は、民主主義の魂であるタンマを持たせるよう実施できるでしょうか。民主主義を行なうことに魂としてのタンマがある国王がいたら、いつまでもモタモタしないで、どんなに快適でしょうか。

チャイヤーのあるお寺は、タンマのある民主主義の見本です。つまりある完璧なお寺は、バンコクのお寺のように大きく完璧な様式ですが、三か月で建立しました。ラーマ三世時代にチャイヤーの偉い人が、三か月で建立しました。最高に完全な様式のお寺で、植物園でもあり、教育にも最高に良いです。

こういうのは、ぐずぐずモタモタした民主主義では、十年掛かっても完成しません。あるいは何十年たっても完成しません。見たい人は行って見ることもできます。そこには、タンマのある民主主義の記念碑があります。

どうぞ急いでタンマ、つまり神様を呼び戻してください。神様がいてタンマがあれば、搾取する資本家は世界に生まれず、大金持ちは全員、慈悲深い富豪になり、搾取する資本家がいなければ、コミュニストが生まれることはありません。あるいは生まれても自然に死滅します。そうなれば問題はありません。

誰も神様を教えてやる人がいないから、問題があります。いるのはみんなして煩悩を生じさせる人ばかりなので、世界中に煩悩がいっぱいで、民主主義の魂であるタンマがありません。

   二十回も回を重ねてきた法話も、たった一つの利益のため、つまり世界が破滅する前に、タンマを呼び戻すためです。だから世界を創った人、世界を支配している人、世界を越えた威力がある神様であるタンマと呼ぶものについて、考えなければなりません。私たちは神様を、つまりタンマを呼び戻さなければなりません。

 タンマの四つの意味、自然、自然の法則、自然の法則に則った義務、自然の法則に従った義務から生じる結果を重要として民主主義を行なえば、どんな結果が出るでしょうか。少なくとも、民主主義という言葉の意味を良く考えない「人民が主権者」という解釈から、「人民の利益が最重要」という意味に、解釈し直さなければなりません。「人民の利益を重要」とするなら、誰が治めても構いません。それが本当の民主主義です。

 私たちには、アショーカ大王の時代のような道徳警官がいるべきだという希望を表明して、今日の法話を終わらせていただきたいと思います。できるかどうか、考えて見てください。できないなら、タンマへの関心が少なすぎるからです。

 利益への関心と同じくらい、台所や浴室まで入りこんで清潔かどうか調べ、人間の衛生の規則に反した人に忠告して改善させることができた、アショーカ王式の道徳警官を配置できるくらいタンマに関心があれば、タンマを呼び戻すのは難しくありません。タンマ警官がいれば、タンマが早く戻り、タンマが戻れば、私たちにもタンマが身につき、確実にタイの、そして世界全体の民主主義の魂です。

 今世界にはタンマがなく、まだ十分でなく、おまけにタンマを嫌い、神様が死んだと仮定するほど神様を嫌うので、タンマは死んだのと同じです。それで何が生き物を護るでしょうか。世界を創った人が世界を支配するのを認めないで、神様の威力を引き寄せて煩悩のある人間に権力として与えるのは、正義でしょうか。だから神様は、世界の永続的な危機という褒美で頬を叩きます。この世界を、永続的な危機で溢れさせます。

 それで、民主主義の魂である神様を知らない、タンマを知らない自分たちの愚かさ以外に誰を責められるでしょうか。

 どうかみなさん、命があり、考えや気持ちがある人から動物、そして植物も含めて、人民の利益を重視する類の民主主義にしてください。

 国の森林が消滅するのは、それが神様の財産、ブッダのお気に入りと考える人がいないからで、タンマがなければ何でも消滅し、民主主義も、タンマがないので主人を騙す猿の話になります。

 どうか、人民の利益を重要とする民主主義に関心を持ってください。全員を主権者にすることはできません。一人の善人を探すのも難しいのに、善人のグループを探すなど不可能です。

 どうかみなさん、プラタム、あるいは神様の方を向いて、民主主義の魂を引き寄せてください。そうすれば誰もが危機を脱し、いつでも幸福になります。これで今日の法話を終わらせていただきます。


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