どんな方法でタンマを

 

                             1978年7月16

 タンマにご関心のある善男善女のみなさん。今日の法話は「どんな方法でタンマを」と題してお話します。ラジオをお聞きのみなさん、「なぜタンマなのか」という題目の、前回のお話を思い出していただかなければなりません。タンマとは何か、そしてタンマにはどんな利益があるのかを述べて、「なぜタンマなのか」という問題の答としました。

 今回は、「どんな方法でタンマを」という切り口の話です。これは当然、タンマを身につけるには、あるいは初回で述べたような結果を得るには、という説明です。今日は、どんな方法でタンマの利益が得られるのかをお話します。「なぜ」で、どんな利益があるのかを話しました。今度はどんな方法で、そしてその利益を得るには何をしなければならないかお話します。

 みなさん、たとえば「どんな方法を使い合ってタンマを」というように、私が「合う」という言葉を使っているのを観察して見てください。(註:タイ語は、複数の人が一緒に行動する語形になっている)。なぜ「合う」という言葉を使うのでしょうか。それは、助け合わなければならないから、一緒に行動しなければならないので、必ず一緒にするからです。一人では上手くいかないので、「どんな方法を使い合って」と言わなければなりません。みなさんお分かりのように、みんなで助け合って成功させなければならないので、「合う」という言葉を加えます。

 もし「どんな方法で」と言えば、誰がしてもいいし、みんな別々にしても構いませんが、「どんな方歩を使い合って」と言えば、しなければならない、世界全体で一緒に助け合うという意味になります。

この世界を平和に、あるいは安楽にしたいなら、世界全体で協力しなければなりません。世界は一人一人の人間でできているので、一人一人が揃って何かをすれば、世界はそのようになります。だから私たちは、みんなで世界を築いているようなものなので、「合う」という言葉を使わなければなりません。

 どんな方法で行動し合うのかは、必ず一緒に行動して、一緒に利益を受け取らなければなりません。これは、「私がこの世界にいるのも、私のタンマヴィナヤがこの世界にあるのも、タンマヴィナヤをこの世界に維持継承させるのも、すべて人間と天人の大衆の利益のため」とブッダが言った、仏教の目的と一致させるためです。

 「人間と天人の大衆のため」というのを、特に理解していただきたいです。仏教は天人と人間のどちらの利益にもなります。ブッダはどこででもこのように主張しています。いつでも天人と人間のどちらも、です。

 ここで、特別な利益のために、「天人と人間」とはどういうものか、特に見ていただきたいと思います。私は、天人とは汗を知らない人、人間とは汗を知っている人、汗を飲み、汗を浴びなければならない人と定義したいと思います。天人たちは汗を知りません。天人に汗があれば、すぐに死んでしまうと、経典にあります。

 現在私たちは、この世界の汗を知らないと知っている階級の人々と、汗を浴び、汗を飲まなければならない階層の人を見ることができます。汗を知らないとは重労働をする必要がないという意味で、汗を知るとはきつい仕事をするという意味で、直接汗そのものを意味するのではありません。

私は、汗を知る人も、汗を知らない人も、タンマ、あるいは仏教から利益を得なければならない、という特別な意味にしたいと思います。タンマは汗を知らない人たちのためだけ、あるいは汗を知らない人たちのためにあると理解しないでください。

 タンマは一つだけ、一種類だけ、共通なので、汗を知る人にも、汗を知らない人にも利益になるように使わなければなりません。率直に言えば、お金持ちも貧しい人も、共通の同じタンマに頼らなければなりません。天人になるほど汗を知らない人もこのタンマを使い、滝のような汗を浴びる人もこのタンマを使います。

 今話しているタンマは、「タンマとは人間の進歩のどの段階にも、必要かつ正しい実践体系」と、私は初回で、はっきりと定義しています。世界のどの時代で言っても、一人の人の生涯で言っても、個人的にも社会全体でも、物質的にも精神的にも。このようなタンマは、天人も人間も、どちらも必要です。

 仏教の核心であるタンマは、同じ項目を、天人にも人間にも使うことができます。つまり人間の苦を滅すことができ、天人も人間もです。だから私は、特に「合う」という言葉を使わなければなりません。世界を共にし合い、同じ問題を共有し、同じ心があり、そして同じタンマなので同じ方法を使わなければならず、一緒に行動し合わなければなりません。

 ここで「どんな方法で行動すればそのタンマの利益があるか」と問えば、いろんな答え方がありますが、「自然の法則で正しくしなければならない。神様の命令で正しくしなければならない。カンマの規則で正しくしなければならない」と、憶えやすく忘れにくい形で言いたいと思います。

 どうか良く聞いてください。自然の法則で正しく、神様の命令で正しく、カンマの法則で正しくしなければなりません。これには、タンマという言葉の四つの意味を引用しなければなりません。タンマの四つの意味とは、自然という意味が一つ、自然の法則が一つ、自然の法則での義務が一つ、そして自然の法則に則った義務の実践の結果が一つです。

 タンマの二番目の意味を自然の法則と言います。私たちは自然の法則にしたがって正しくしなければなりません。すべての項目、タンマのすべての項目、つまりタンマのすべての話に真実と、真実であるタンマがあるので、学んで知って、特に正しくしなければなりません。

 次に、「神様の命令で」というのは、タイ人の魂には神様が刻み込まれていて、取り除くことができないので、神、あるいは神様、あるいは何でも、神様の命令に従わなければなりません。仏教にも神様はいます。仏教には神様はいないと言う人は、まだ仏教を知りません。神様は自然の法則です。

 自然の法則は、いろんな種類の神様と同じ意味があります。自然の法則は、万物の根源である神様です。万物が自然の法則によって生じたのは、自然の法則が万物を創造したのと同じです。神様は世界の創造者であり、世界の支配者であり、世界の破壊者で、それはつまり、自然の法則です。

 神様は至る所にいて、神様は何よりも偉大で、何でも知っています。これは自然の法則という言葉に含まれます。自然の法則はすべての方向、すべての場所、すべてのものを支配しているので、何もかも自然の法則にしなければなりません。神様という意味と同じですが、人物である必要はありません。人物の視点だけで神様を知るのは、愚かすぎるように見えます。

 神様は人物である必要はありません。神様は神様としましょう。それは何か、誰も説明できない何かです。人物ではなく、人物でないこともない神様で、すべての物を造り、すべてのものを支配する威力があればいいです。だから仏教にも神様はいますが、人物ではないので、Impersonal God と呼ばなければなりません。そうすれば、Impersonal Godである自然の法則がある話と一致します。

 私たちは、「すべてのブッダもタンマを尊重した」とブッダが宣言した最高の意味の、パーリー語でタンマと呼ばなければならない神様に従って、正しくしなければなりません。ブッダはタンマを発見し教えていますが、自分で発見し教えているタンマを尊重しています。だからタンマを尊重することは、ブッダを尊重するのと同じです。

 次に、「カンマの法則で正しく」とは、特に、「これがあれば当然これがある、これが生じれば当然これが生じる、これが消滅すれば当然これも消滅する」という、仏教の核心である因果律です。これを因果律と言い、科学の法則です。科学以上で、因果律を超えられる科学はありません。だからカンマの法則、あるいは因果の法則で正しくしなければなりません。

 要するに、自然の法則にも正しく、神様の命令にも正しく、カンマの法則にも正しくします。それが、タンマを生じさせて成功する方法で、思いどおりの結果を受け取ります。タンマとは、個人的にも所属社会としても、物質的にも、心、精神的にも、人間の発達のどの段階にも、必要かつ正しい実践体系だと、繰り返し説明した結果を受け取ります。誤りは何もなく、あるのは正しさだけ。そして「永遠の平和」と呼べる望ましい結果があります。

 タンマの結果である永遠の平和が欲しかったら、自然の法則、あるいは神様の命令で正しく、あるいはカンマの法則、つまり仏教の本質である因果律で正しく、そして発達のどの段階にも必要な行動方法がなければなりません。それがどのようかは、前回説明しました。

 次に、間違いについて見ると、今私たちは自然の法則に反し、神様の命令、因果律に反しています。

 自然の法則で間違っているのは良く見られ、私たちは物質的な自然を破壊しています。心の話、心の規則の話を考えず、考えるのは体のことばかりです。物質の奴隷、楽しいことの奴隷、肉体の味の奴隷で、考えるのは物質面のことばかりで、心の面を考えません。

こういうのは間違っています。自然の法則の命令に背き、神様の命令に背いています。平和を求めながら危機の原因を作るのは、因果律に反しています。幸福を願いながら、苦の原因を作るのは間違っています。私たちは今、この項目に反しています。世界は今どんな間違いをしているか、自分自自身で詳しく見てください。

 次に、この正しい行動を簡単にするには、見えなければならないのに見えない、幾つかの真実を見なければなりません。私は、「隠れている真実と真実のタンマが見えなければならない」という言葉を使います。私が真実について言う時は、世界全体、地球全体の真実を意味しています。

しかし真実のタンマという時は、どんな理由であろうと、最高に知らなければならないこと、その場合だけの真実、そしてそのこと、その場合の真実で正しくしなければならない真実を意味します。このように隠れています。私たちはそのことだけの、その場の真実であるタンマの、知識と理解に欠けています。そして別の見方では、いろんなことをもっと簡単にするために、私の見方が必要だと言います。

みなさん、仕事はタンマの実践と見ていただきたいと思います。今みなさんは、仕事は家、タンマの実践はお寺や、仙人や牟尼のいる森や密林としているように見えます。私は、仕事は家、タンマの実践はお寺とするのは正しくないと見ます。

次に仏教の教えで見ると、自然の法則での義務を行なえば、どこで仕事をしても、すべてタンマの実践になると言います。たとえばお百姓で田畑を耕し、田んぼの仕事をしているなら、その仕事をタンマの実践にしてください。つまり、本当の決意があれば、誠意があり、自制心と忍耐努力があり、仕事の妨害になることを犠牲にする気持ちがあると言います。特に十分な智慧、十分なサティ、十分な勇気があれば、田んぼの仕事は成功します。

それに、理想がなければならず、個人的にも社会的にも、理想に対して誠実でなければなりません。そうすれば各人の仕事は上手く行き、上手く連携するので、一生懸命、しっかり義務を行えば、それ自体が、最高のタンマの実践になります。二つの話にして、別の場所でする必要はありません。そうするとすぐに嫌になり、あるいはできなくなります。そして誤解し、二つも三つものことをすることに挫折します。

これは一つです。義務である仕事をすることがタンマの実践であり、それが真実を理解させます。無常、苦、無我も、タンマの実践である義務を一生懸命行なっている時に、感じることができます。

どうぞタンマには二層あることについて考えてください。直接実践しなければならないタンマもあり、他のタンマの実践を助ける縁であるタンマもあります。

他のタンマの実践を簡単にする縁であるタンマは、たとえば「すべての生き物は、生老病死の苦の友」という自然の法則と一致する正しい理解が必要です。動物も植物も生きているので、自然の法則と正しく一致するように、すべて生老病死の苦の友と見なさなければなりません。そうすれば自然にタンマが生じます。

つまり愛と慈しみと団結があり、殺生ができず、他人を攻撃できず、そして森林破壊もできません。それらも生老病死の苦の友だからです。野生動物を殺害して、世界から種を消滅をさせることもしません。それらは、私たちの生老病死の苦の友だからです。そして生きている人間同士で冷酷に殺し合うこともできません。これがタンマを生じさせるタンマです。

多方面の高いタンマを同時に持つには、一つの重要な訓練、つまり感情をコントロールしなければなりません。今世界の人たちは感情をあまりコントロールしないで、気分のままに、煩悩のままにしています。

そしてもう一つ非常に重要なことは、働くことに幸福を求め、軌道内にいるように自分自身を律すこと、つまり人間の義務を行なうことに幸福を求めなければなりません。仕事をして給料が出た時に、幸福を求めてはいけません。食べ歩いたり無駄に遊びまわったりすることに給料を使い、それに幸福があるのは愚かな陶酔の話で、穏やかさをもたらす類の幸福でなく、苦が増すだけです。

ここで言う幸福とは、人間の義務を正しく行なった、落ち度のない、自分を拝めるくらいの満足感です。自分を拝める人は、非常に幸福な人です。これを、義務を正しく行なうことから生じる幸福、自分の正しい人間性から生じる幸福と言います。

ここで、「過剰な暮らしをしてはいけない」と指摘したいと思います。過剰に食べないでください。過剰に装わないでください。お金を使いすぎないでください。病気などの治療薬も、過剰にならないでください。今の人たちは過剰なことばかりです。お酒を飲むのが、過ぎるか過ぎないか考えてみてください。

煙草を吸いすぎるか吸いすぎないか考えてみてください。間食、いろんな楽しい遊び、オシャレや体を飾ること、踊ったり歌ったりすることが、過剰か過剰でないか、考えてみてください。本当の感覚を基準にして、過剰だと思ったら、急いで止めてしまいます。

ブッダは、すべての人が阿羅漢を見習うことを実践と見なすよう、過剰なものに触れさせない話である菩薩戒(八戒)を規定しました。美味しすぎる料理、高価すぎる食べ物、時間を過ぎた食事は食べません。「非時食(正午すぎの食事)」と言われるものも控え、歌ったり踊ったり楽器を演奏したり芝居を見たりすること、過剰に体を装い飾り立てることも、必要がなければ避け、高くて大きすぎる寝床や座る所は避け、何でも避けなければなりません。

過剰に食べる原因や縁にも注意をし、恐れなければなりません。いろんな種類のタレ、テーブルの上の小さな器は、非常に強敵です。つまりあれが過剰に食べさせます。もしああいったタレがなければ、人は体が求めるだけしか食べません。タレがあるから、食べることに陶酔します。

それが、給料を足りなくさせる強敵です。お酒を止め、煙草を止め、これらの余計な物を止めれば給料は足り、タンマを勉強する時間も、家にいる時間もあります。歓楽街へ遊びに行く必要はありません。過剰な部分にも、過剰な部分を避けることにも利益があります。

菩薩戒で五欲、異性間の行為を厳格に避けるのは、毎日は過剰なので、時には控えるのが適当だからです。

みなさん、どうか喜んで菩薩戒を順守してください。そしてブッダの願いに従って、阿羅漢を見習ってください。これを、「余分なものに手を出さない、世界中を支配する戒を持す」と言います。世界の人が余分なものを崇拝するので、今世界は破滅に向かっています。余分な利益のために、余分が欲しいために、余分を溜めるために、世界中すべての他人に害を与えます。これを、タンマがあるように援けるタンマと言います。

直接実践しなければならないタンマもあり、タンマの実践を成功させるよう援けるタンマもあり、人間に生まれた機会を無駄にしない、最高の理念と言いたい、タンマがあるようにする縁であるタンマと言います。

どうかみなさん、「人間に生まれた機会を無駄にしない」理想を持ってください。私たちは「仏教に出合った」という言葉を加えなければなりません。お爺さんお婆さんたちは「人間に生まれ、仏教に出合った機会を無駄にしてはいけない」と大声で呼びかけていました。こういう理想があれば、タンマから始め、タンマを実践し、タンマに満足する方向へ引っ張って行くので、過去現在未来のすべてのブッダがタンマを尊重したように、タンマを非常に尊重します。

お話してきたことはすべて、一緒に行動してタンマを生じさせ、タンマを身につけ、タンマの結果を受け取る方法を説明しています。ラジオをお聞きのみなさん、「どんな方法でタンマを」と題した今回のお話を、初回の「なぜタンマなのか。タンマとは、発達のどんな段階にも必要かつ正しい実践体系」と繋げてみてください。今私たちは、自然の法則と一致するよう、神様の命令と一致するよう、カンマの法則と一致するようにする、という方法で、成功させることができます。詳しいことは、みなさん良くご存じと思います。

時間になりましたので、今日のお話を終わらせていただきます。

 


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