本当の徳を生じさせるタンマ

 

                                          19791216

 タンマにご関心がある善男善女のみなさん。今日の法話は、「本当の徳を生じさせるタンマ」と題してお話します。題を聞いただけで、何を話すのかと怪訝に思われる方がいるかもしれません。現代は、昔と違って徳という言葉に価値がなく、意味もないからです。

 特に核の時代、宇宙の時代には、徳という言葉が世界にあった昔と違って、世界に徳という言葉の居場所はほとんどありません。徳という言葉は非常に古くて、ブッダの時代より古いと決めつけられています。

 ブッダが世界に生まれる前から、その地域の人間は、人間が非常に望む最高のものである、徳という言葉の使い方を知っていました。それ以来ずっとそうでしたが、物質主義の時代になると、徳という言葉は、みなさんが知っているような意味に変わりました。だから徳という言葉に興味を持って、物質主義の時代に、徳は必要かどうかを見てください。

 徳と呼ぶものは、原因で言えば幸福にする行動であり、結果で言えば、受け取る幸福で、はるか昔からある意味では、罪を洗い流すことができるもの、あるいは罪を洗うためにありました。現代人に罪があれば、現代でも、徳と呼ばれるものを欲しがらなければなりません。

 どうぞみなさん、「罪」と「罪を洗う」と、「罪を洗うことから生じる幸福」という言葉に、特別な関心を持ってください。

 初めに、結果である徳、幸福の呼び名の一つである徳にも、特別な意味があるということを理解してください。なぜなら幸福には二つの意味があるからです。つまり目、耳、鼻、舌、体、心の奴隷、煩悩の奴隷である幸福が一つで、煩悩を越えた、煩悩より威力が上の幸福がもう一つです。

 本当の徳は、煩悩の威力より上にある幸福の呼び名です。つまり私たちには、「現代は発展と呼ばれるものを越えた威力がなければならない」と言うような、煩悩より上の威力があります。私たちが発展、あるいは発展の基盤である物質の奴隷になり下がれば、幸福にも徳にもならず、煩悩の威力を越えた幸福、つまり正しい幸福になれば、その時徳は、現代の世界が望むべき幸福の名前になります。

 要するに徳は罪を洗うものであり、それは幸福を生じさせる原因でもあり、罪がないこと、罪を作らないこと、あるいは罪を少なくしていくことから生じる幸福も含めます。何が徳を生じさせる原因かと言えば、タンマです。だから私たちはタンマと呼ばれるものに関心を持たなければなりません。

 次に、タンマから生じる本当の徳について理解していただきたいと思います。本当の徳とは何かを話せばいろいろあり、パーリ(ブッダの言葉である経)を引用すると、説明が非常に長くなって目眩がするので、庶民の言葉で話す方がいいです。

 本当の徳は酔いません。酔うことはできません。「本当の徳でなければならない。本当の徳は酔わない。酔えない」と、良く観察して見てください。もし酔えば、徳に酔うことに関わる問題を生じさせるので、その徳は本当の徳ではありません。私たちは酔う類の徳の問題を片づける方がいいです。

 徳は罪を洗います。つまり陶酔を洗い落します。罪は酔うことであり、酔うことは罪なので、徳は罪を洗わなければなりません。あるいは陶酔を洗い落とせれば、本当の徳になります。

 本当の徳にはお金は掛かりません。「涅槃はただで与えるもの、お金は取らない」と言われるほど、お金を使いません。本当の徳はたくさんお金を使いません。お金を使えば使うほど徳でなくなります。あるいは、本当の徳には、まったくお金を使わないというくらいです。

低級な徳は、もしかしたら多少お金を使うかもしれませんが、酔うというほどではありません。あるいは、たくさん使わなければならないかもしれません。

 本当の徳は、国の経済を悪くしません。今、国の経済、あるいはこの世界全体の人の経済が、徳に酔うことでどれほど損なわれているか、考えて見てください。徳の問題のある国、非常に徳に酔う国は、どの国も経済が悪くなり、国力を失い、どれだけ国の資金を失っているか、自分で考えて見てください。しかし本当の徳は、そうではありません。

 国の経済を損ねると、徳を責めないでください。「誰の徳でも、経済を損ねるものは徳ではない」を原則にしてください。徳は問題にならず、国の経済を悪くする問題を生じさせません。

 これをもう少し見ると、本当の徳は、たとえば自動車が裏返しになって死体が散らばるとか、舟が転覆して海や川に浮くなど、不吉な出来事を生じさせません。本当の徳は、分裂させ、お寺の中で、本堂や集会堂の傍で突いたり切ったりさせません。どうぞ本当の徳と本当でない徳を厳密に区別して、そして本当の徳を求めてください。

 本当の徳は、すぐに満足することができ、人が言っているように、来世を待つ必要はありません。水浴をするとすぐに涼しくなり、明日、明後日涼しくなるのを待たないのと同じで、本当の徳はすぐ幸福になり、心が穏やかになります。

本当の徳は、する前、している時、した後に喜びが生じ、心の苦を生じさせるどんな出来事もありません。本当の徳は自分自身を拝ませ、自分自身に満足できる、あるいは尊敬できる理由があります。本当の徳は、善、あるいは幸福な結果を、双方つまり行動した人自身と、世界を共にする人間同朋に生じさせます。

 ブッダは双方、つまり自分自身と他人の利益を非常に強調しています。本当の徳は当然このように、双方の利益になります。

 本当の徳がこのような状態なら、自分自身を振り返って、今生き抜いている人で、徳を欲しがらない人がいるだろうかと、考えて見てください。政治の病気が脳に来て、経済の病気が脳に来て、あるいは何かそういうものが、その人に徳を欲しがらなくさせています。正常な人なら、本当の徳のこういう状態と利益を知れば、私は、誰でも欲しがると信じます。

 次に徳を生じさせるもの、つまりタンマを見ると、タンマと呼ばれるものは、現代人にとって問題があり、ほとんどの人は見向きもしません。違う種類の教育があり、違う種類の教育目的があり、どんどんタンマから離れていきます。

純粋に公正に、本当のことを言えば、タンマとは、人間の発達のすべての段階の行動の正しさ、と言わなければなりません。タンマには他の意味もあり、他の説明もできますが、正しくて完璧なのは、タンマとは自然、タンマとは自然の法則、タンマとは自然の法則に則った正しい義務、タンマとは、自然の法則に則った正しい義務の実践から得られる結果です。

この四つの意味の要点を一つにまとめれば、自然の法則での義務です。自然の法則に則っていれば、つまり生き物の、特に人間の発達のどの段階でも正しいです。

 植物以上の高等な生物は、どの段階にも進化の法則の正しさがなければなりません。そうすれば生まれて育ち、自然の法則に反せば生まれません。あるいは生まれても必ず死に、あるいは満足できない生存です。タンマとは、人間の発達のすべての段階の、品行と行動の正しさです。

 今人間は、何を正しくしているでしょうか。それは人間社会の幸福、あるいは平和と呼ぶもので判断しなければなりません。個人の幸福、社会の部分である社会の平和、平和と幸福の両方があれば、発達のどの段階でも正しいタンマの結果を享受していると言うことができます。だから低レベルの些細なことも正しく、もっと高いことも正しいです。

これがタンマの意味、つまり正しさ、最高に完璧な段階まで、どの段階の部分も、です。だからタンマは、正しさで徳を生じさせます。

 政治家の方のために例を上げると、すべての政治制度にタンマがあれば、世界に問題はありません。ある政治主義はまったくタンマを考慮しませんが、タンマが入れば、どの制度も使い物になります。民主主義でもいいし、独裁主義でも王制でもいいです。タンマがあれば、どの部分にも正しさを生じさせます。

タンマがなければ、使い物になる制度はありません。タンマがあれば、どの制度も使い物になります。違うのは実施する道具だけです。民主主義はまだモタモタしているので、タンマの独裁主義の方がいいです。タンマによる民主主義は、昔のように、人間を救うことができる最高の中道です。

だから、タンマはこういう徳を生じさせると、タンマの功徳や利益を見てください。これを、「タンマはどんな政治制度も使い物になるものにする」と言います。タンマがあれば、どんな制度でも。

タンマは人に人間性を維持させます。人物の部分で、タンマは人に人間性を持たせ、自身の人間性を維持し、人の体内に獣性は潜んでいないようにします。これが、タンマは人を動物と区別させる、というタンマの法則です。

 タンマは非常に高い、本当の生老病死の友である愛と団結を生じさせます。タンマは、基本である愛を生じさせます。自然の法則では、私たちは一人では生きられません。すべての生き物は群れや仲間で生きるので、群れの生活を調和させる道具であるタンマがあります。

 タンマは、自然の原則による純粋な福祉を生じさせるので、本当の解決になります。現代社会の福祉は、国のレベル、世界のレベルでも、いい格好をする話であり、満足して楽しむ話です。福祉を「積善」と言いますが、むしろ自分の煩悩に報いるため、つまりいい恰好をするための積善です。だから、どうぞタンマである徳を積み、徳を生じさせるタンマをもってください。

 罪とは自然に反することです。自然は生き物に社会を作らせ、一人では生きられないようにしているので、援け合わないことは自然に反すので罪です。罪とは自然に反すこと、取るに足らない小さなことでも、自然に反せば罪の話です。

 たとえば私たちの体は何もしないのに、突然煙草に火を点けて肺をいぶすのは、自然に合っているでしょうか、反しているでしょうか。何の水を飲んだのか知りませんが、それが肝臓を早く硬化させます。これは、医者が話していたことです。医者が言っていることは、自然に合っているでしょうか、反しているでしょうか。

正常な心は自然になります。何かを愛すのは自然に反すでしょうか、自然と合っているでしょうか。あるいは何かを怒るのは自然に反すでしょうか、自然から見て正しいでしょうか。良く考えてください。徳を生じさせるタンマがあれば、自然の法則で正しくなりますが、自然の法則に反せば、当然罪が生じます。

 次は、今世界にある問題です。世界は今、永続的な危機に瀕しています。つまり、永遠の罰を受けるように、永続的な混乱状態が続いています。永遠の罰は、永遠の幸福ではなく、永続的な危機です。

 人間集団にタンマがなければ、社会的な重荷が生じ、その重荷をみんなで解決しなければならず、撲滅しなければなりません。彼らが貧しいなら援けなければならず、堕落していれば、みんなでそれを撲滅しなければなりません。たとえば麻薬問題などの現在ある社会的な重荷は、社会にタンマがないために生じます。

 お金があればあるほど、目・耳・鼻・舌・体・心・煩悩の奴隷になり、貧しい人が真似をし、非常に金持ちの真似をするので、世界に、金持ちから奪い取る主義が生まれます。それも、六処の奴隷、煩悩の奴隷、目・耳・鼻・舌・体・心の奴隷になるために奪います。彼らは問題の根源に関心がなく、末端の対処をし、いい恰好ができるような仕方をするので、国のレベルの善行も、恰好をつける話です。

 このように道徳が逆さになり、正反対になり、すべきでないことをすべきと見、するべきことをすべきでないと見ます。いろんな規定も変化し、たとえば子は親にとって恩ある人です。昔は親が子にとって恩がありました。今は子が親に恩を売ります。考えて見てください。非常に変わり、正反対に変わったのは問題です。

 考えて見ると非常に奇妙です。昔の社会集団は、私たちが非常に嫌っている雇用者と下僕に分けられますが、良く熟慮して見ると、下僕がいた時代の雇用者には、なぜタンマがあったのでしょうか。

誠実にしても、援け合うことにしても、昔の制度には非常にありました。互いに、非常に正直で誠実で、援け合いはどこにもありました。民主主義体制になると、なぜ正直が消えたのでしょうか。援け合いもいい恰好をする話です。何が欠けてそうなったのか、どうぞ考えて見てください。

 きっと私のことを、下僕制度が好きだとお叱りになる方がいるでしょう。私は下僕制度は好きではありません。しかし、「トゥー魚(グルクマ)は海にいる。キーレー魚(醜いという意味)はイマイチ、その名が値を下げる。そう、キーカー(下僕)魚は上品」と言われた時代には、その時代の下僕制度には、誠実さがあったと指摘します。

罪を恐れたからです。下僕も主人も、どちらも罪を恐れたので、人間同士に誠意があり、本当の徳を求めて援け合いました。今はありません。だから問題が起きます。

 これらの問題の解決法は何でしょうか。私は、タンマが戻らなければならないと主張させていただきます。然るべき状態でタンマが全部戻って来なければなりません。本当の徳が戻って来なければなりません。私たちは、自然の原則のタンマ組合、徳組合と呼ばれる方法を使うべきです。タンマを創る組合に加入すれば、徳を積むタンマがあり、徳があります。今のように、煩悩の縁のために義務をするのではなく、誰でも義務を行なって徳を積みます。

 基本の教えとして、人間に生まれたのは徳を積むため、徳を積むための人間、と捉えてください。こう言うと、不満の声を上げる人がいるかもしれませんが、構いません。それは、そう言わなくてはならない真実で、人間でいるのは、徳を積むため、所属する世界を平和にするためです。

 どうかみなさん、すべての人は、徳を積むために生まれたと捉えてください。大皇帝になるのも徳を積むため、大王になるのも徳を積むため、総理大臣、大臣、局長、どの段階、どのレベルになるのも徳を積むため、県知事になるのも徳を積むため、郡長になるのも徳を積むため、区長や村長になるのも徳を積むため、国民でいることも徳を積むためです。みなさんが国民でいることも徳を積むためにしてください。問題は消滅します。

 農民でいるのも徳を積むため、世界を暮らしやすくする便宜のためです。全員が米を作る必要はなく、米を作る義務のある人は米を作り、他の義務のある人は、米を作らなくても食べる米があるので、私たちは世界で安心して暮らすことができます。

だから農民も徳になり、果物を作るのも徳になり、どんな農業も徳になります。商人も必ず徳になります。倍も三倍も儲けを搾取しないで、世間一般を標準に一割か二割で十分です。商人は、生活必需品を流通させ便利にするので、それが徳になります。

 銀行員は人間を助けるためにし、便利にするので、徳になります。しかし搾取する銀行員なら、何になるか考えて見てください。弁護士も徳になります。搾取する弁護士でなく、公正にし、公正にしてください。

 教師は非常に徳になります。精神面の明かりを灯すからです。道路掃除も、三輪自転車を漕ぐ人も、舟の船頭も徳になります。彼らは正常で穏やかな幸福を生じさせるからです。人間一人ひとりに役割である義務があるので、誰でも徳になります。

 誰でも一生懸命タンマを実践し、自分が所属する世界のために義務を行なえば、徳になります。自分がするべき部分である僅かな義務を行なえば、徳があると言われ、集めれば世界の大きな徳になります。世界の義務を行なう人は誰でも、徳を積む人と呼ばれます。

 タンマの実践は義務を行なうことであり、タンマの実践は義務を行なう時にあります。生まれて来ても何も義務をしない、不毛な人にならないでください。義務を行なえば徳が生じます。こう言うのはバカか善いことか、自由に考えてください。そうすればとても良く考えられると思います。私は原則にすべきだと思います。心がタンマならば、生まれたら徳を積み、国民も徳を積むと賛同しますが、心がタンマでなければ、賛同しません。

 どうか私たちの子供がこういう気持ちになるように教えてください。何かを切り落とした教育にしないで、ちぎれた部分が無いようにしてください。シッポのない犬にしてはいけません。先端のない塔にしてはいけません。

二三歳の子供に、幼稚園で初めに教えなければならないのは、「あいうえお」ではありません。彼らに最初に教えなければならないのは、「母親とは何か、父親とは何か、私たちは何によって生きているのか、何が人間にとって最高か」です。

 徳と呼ばれるものを教えて、心の基礎にするのが先です。その後でゆっくり「あいうえお」を教えれば、安全な人間になります。本人にとっても安全であり、そして世界中の人にとって安全です。子供にこのように、「人間は徳を積むために生まれた、普通の国民から最高の人まで、みんな徳を積むためにいる」と教えます。勉強を教え、職業を教え、正しい人になるタンマを教える、正しい教育があれば、そうすればタンマが徳を生じさせ、世界の人間が安楽に暮らせるようになります。

 だから私は、「本当の徳を生じさせるタンマ」と題してお話しました。どうぞ後で考えていただくよう、心からお願いします。もし賛同するなら、今述べたようにしてください。そうすれば、私たちの国は徳で溢れ、イライラしなければならないこと、今のように支援しなければならない重荷、協力して無くさなければならないことは何もなくなります。

 仏教教団員のみなさんが、タンマの品行で徳を呼び戻し、人類の夢を、つまり穏やかな幸福のために生まれたことを実現させてください。タンマを呼び戻し、この世界に徳を行き渡らせてください。そうすれば問題は消滅します。

 時間になりましたので、個人の幸福のため、社会の平和のためにタンマが戻るよう、徳が戻るよう願って、お話を終わらせていただきます。

 


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