学ぶだけでなく、身につけなければならないタンマ

 

                                         19791118

 タンマにご関心がある善男善女のみなさん。今日の法話は、「学ぶだけでなく、身につけなければならないタンマ」と題してお話します。今私たちがタンマを学び、タンマを知っても、社会にも個人にもタンマがないので世界の平和がない、という問題があります。今私たちは、町中、国中、世界中、そして現代社会のすべての宗教がこういう状態で、人はタンマを身につけるというより、知っているだけです。

 どうぞ良く聞いてください。私たちはタンマをたくさん知っていますが、身についているのは少しです。あるいは、たくさん知っているのに、まったく身についていない人もいます。まずこの問題を理解してください。

 タンマを知るだけで身についていないのは、どうしてそうなるのか、問題を、本物を見てください。世界はタンマを知り、宗教を知り、道徳、道徳の哲学を知り、頭からこぼれるほどですが、本当のタンマ、本当の道徳、あるいは宗教の本当の実践は見たことがありません。

そして、最も懸念すべきは、若者、あるいは子供たちがそうなっていることです。そしてどんどんそうなっています。彼らは学問として、あるいは必修科目の一つとしてタンマを学んで知っていますが、学んだとおりにタンマを身につける訓練を受けていません。

 若者は、タンマは教えと捉え、教えの言葉を憶えます。タンマはただの教えで、身につけて実践しなければならないものと知らないからです。だから私たちの若者は、タンマを知っていても罪を恐れず、罪とは何かを知っていても、罪を恐れません。勉強するだけで十分だからです。

 子供たちは、親を自分の地獄に巻き込み、親を苦しめ、涙を流させます。そして子供たちにタンマが少ないので、親に自分の望みを妨害されれば、新しい時代の発展によって親を殺すこともできます。聞いても信じられません。子供たちはタンマを知っていますが、身についていないからです。

 どうぞみなさん、子供たちのあるべき姿を強く願ってください。私は、子供たちは、次の七つの徳を身につけるべきだと思います。

1.親への愛。正直。恩を知ること。親のために命を犠牲にすることもできます。

2.先生からブッダや僧まで敬うこと。

3.身勝手でなく、友達を生老病死の友としての愛で愛すこと。

4.勇敢に徳を積み、罪を恐れ、罪を嫌い、悪事に吐き気を感じること。

5.煩悩である低劣な気持ちを抑え、気高い気持ちを完璧に維持する。

6.人間の義務を正しく行なうことを、彼らが興味を持ち始めたタンマの実践と捉えること。

7.国、宗教、国王と呼ばれるものの要点を理解し、魂に刻み込むこと。

 この七項目は理想、あるいは子供たちに望むべきことです。これらのタンマは、タンマを勉強するだけでは身につかないので、私たちはこれを、現代の重大な問題と捉えなければなりません。

 次に、「タンマを知っている」という言葉と、「タンマがある」という言葉は、どう違うのかについてお話します。本当はまったく別の話です。

 「知っている」というのは、勉強ができる、弁が立つ、試験に受かることですが、見ても、タンマは身についていません。タンマがあると言っても、記憶しているタンマがあることで、学んで知り、理論でほんの一時だけ考える。こういうのを「知っている」と言います。

 もう一方の「タンマがある」は、身についていることで、心に、言葉に、行動に、生活に、タンマがなければなりません。学校でするような勉強をしなくても、タンマが身についていることもあります。つまり良い環境によってタンマが生じます。

タンマがある家柄で高い文化がある良い家に生まれた人は、その家の誰もが習性としてタンマのある正しい振る舞いをするので、そういう環境で育った子供は、言葉や本で教えたり学んだりしなくても、少しずつ身につきます。性質、性分に刻み込まれた基礎であるタンマで、非常に価値があるもの、非常に求められるものと見なします。

 次に完璧なタンマがあるという言葉についてお話したいと思います。タンマがあるとは、お話したように、心や言葉や行動や生活にタンマがあることで、完璧にあるとは、タンマを実践するのが楽しくて仕方がないというように、満足してタンマの実践をすることです。

 あるいは今実践の結果を味わっている、あるいは他の人がタンマを持てるように誘い、支援する、あるいはタンマの面の勇気と明るさがあり、人類にタンマを持たせるために戦っています。これらを完璧なタンマと言います。

 次に、どうしてタンマを知っているのに身につかないか、という項目を熟慮します。それは重要なこと、つまり自分を律すことに欠け、罪を恥じること(慙)に欠け、罪を恐れること(愧)に欠けるからです。パーリ語でタマに欠けるとは、自分を抑えられないこと、ヒリに欠けるとは罪を恥じないこと、オータッパに欠けるとは、罪を恐れないことです。こうです。私たちはたくさんタンマを知っていますが、タマ(自律心)、ヒリ(慙)、オータッパ(愧)を知らなければタンマがないということです。

 今の若者は、中等教育、あるいは中学五年で修了する子供は年に二十万人くらいで、残りの二十万人は進学し、二十万は道がないので教育が終わります。タンマを知るだけで身についていな教育が問題です。

 彼らはタンマを知っていても身についていないので、支障が生じたらどう出口を探すのかは、タンマのない人のやり方で出口を探します。この数字の人がロクデナシになったら、非常に問題が起きます。彼らは知識はたくさんありますが、タンマがないからです。タンマがないやり方で十年すれば、問題が起きます。毎年二十万人も、一年に二十万で、十年すれば二百万人です。で、どれくらい問題が起こるか考えて見てください。

 さて次は、「学ぶより簡単に身につくタンマ」を提案したいと思います。聞いても信じられません。信じない人もいます。オウムや九官鳥のように勉強するのは難しくありませんが、本当に分かるように勉強するのは難しい、あるいは大変で、たくさん投資しなければなりませんが、タンマを身につけるのは、信じられないくらい簡単です。

 本当に身につけるには、誰でも自分の義務を正しく完璧に行なうことです。自分の義務がどんな義務でも、自分の義務を行ないます。実際の問題で理解してください。世間の人にはどんな義務があるでしょうか。農民、雇用者、動労者、商人、銀行員、公務員、兵士など、あるいは行動で見れば、道路清掃者、郵便配達夫、船の船頭、もっと上の公務員から大臣、総理大臣、大統領まで、それぞれの人にはどんな義務があっても、

どうぞ自分の義務を正しく純潔に、全部行ってください、とお願いするだけです。それがタンマの実践です。あるいは本当にタンマがあることです。私が、タンマを身につけるのは、いろいろあるタンマの勉強より簡単だと言うのは、タンマを身につけるのは、自分の義務を全部完璧に行なうだけだからです。

 もう一度タンマの四つの意味を復習させていただきます。タンマとは、自然現象全般が一つ、すべてのものの中にある自然の法則が一つ、その自然の法則での正しい義務が一つ、そしてその義務を行なった結果が一つで、全部で四つの意味です。

 生き物がしなければならない自然の法則での義務が、タンマという言葉の意味の中で、最も重要で、最も素晴らしいタンマです。誰でも自分の義務を自然の法則と一致させて正しく行なえば、タンマがあると言います。この義務は、自分の部分と所属集団の部分に分けることができます。自分が幸福で人間同朋が幸福なら、その義務は完璧であると言います。

 義務には二種類あります。つまり生き抜くための義務。これは本当の自然で、食べなければならず、体を管理して危険を脱さなければなりません。これは一つのレベルの、一段階目の義務です。そして二段階目の義務は、人間が得るべき最高のものを得て、聖向聖果涅槃に到達するようにします。これも、人間の義務と捉えなければなりません。そうしなければ、人間に生まれ、仏教に出合ったことが無駄になります。

 生きるための義務は職務にあり、人間が得るべき最高のものを得る義務は、心の問題です。しかし、自分の自然の本当の義務を行なうと言ったら、心も危機を脱すこと、つまりいつでも身勝手でない類のタンマがあり、最後には身勝手が消滅するタンマがあり、身勝手が絶滅した心は、当然煩悩の威圧から脱し、広い意味での聖向聖果涅槃に到達します。

今みなさんは、自分の義務を怠っている、仕方なく働いていると言うのをお許しください。みんな働いているように、誰でも働いているように見えますが、なぜ働いているのかを良く見ると、お金が欲しいから、あるいは何らかの利益が欲しいから、仕方なく働いています。本当は仕事を愛してなく、働くことが楽しくありません。

 仕事を見るとうんざりし、愚痴を言い、仕事が来たと喜ぶ人はいません。多い仕事、難しい仕事、大変な仕事を見て喜ぶ人は誰もいません。本当は、誰も仕事をしたくないからです。なぜなら、仕事はタンマの実践というタンマがないからです。

 人間の最高の価値は、人間らしく義務を正しく行なうことです。社会でみなさんにどんな義務があっても、満足して楽しく行ない、多い仕事、難しい仕事と思ったら、美味しい食べ物を貰ったように喉を鳴らします。

 働くことはタンマの実践と知れば、「仕事こそが本当の、そして最高の善。最高に義務を行なうことが、本当の善を行なうこと」と知ります。道路を掃く仕事なら道路を掃き、舟の船頭なら舟を漕ぎ、三輪自転車なら自転車をこぎ、どんな職業も、どんな仕事もこのようにします。社会の中の義務の実践を一つも欠かさないで、義務の実践によって完璧な世界を作れば、それは社会の人全員の便宜を図ることです。

 これを徳と言います。お寺に関わる必要はありません。この言葉は多少下品ですが、どうかみなさん、見直してください。お寺は、お寺にあっても構いませんが、職場や事務所にあってもいいと思います。どうか自分の義務である職務を、正しく、完璧にしてください。そうそれば働く事務所がお寺、つまり本当のタンマの実践をする場所になり、本当の善を生じさせます。これを職場にお寺があると言います。

 もっと良いのは、お寺と呼ばれるものが自分の体、人が言う、背丈およそ二メートル、厚み二十センチばかりの体にあり、心の、言葉の、体の行動に正しさがあると言えれば、体がお寺になります。自分がお寺になり、神様、ブッダ、プラタム、僧がその体に住みます。

 本当のお寺は職場にあります。稲作なら田んぼで、果物作りなら畑で、そこで何かをして自分の義務を本当に実践すれば、これを、本当のお寺があると言います。この種のお寺は、どんな儀式をする必要もなく、舟が沈没して死ぬことも、集会して爆弾を投げ、銃や刀を持ち、酔って攻撃する機会もありません。

 これが本当のお寺で、自分の職務を一生懸命行なっている場所にあり、本当の徳、本当の善が生じます。本当の徳は酔えないので、もし酔うなら、本当の徳ではありません。もう一度繰り返させていただきます。酔うタイプの徳は、本当の徳ではありません。本当の徳には酔えません。今徳に酔っている人は、考えて見てください。徳に酔っていれば国の経済の損失であり、他人に、あるいは他の教義に嘲笑されます。

 本当の徳には酔えません。これは良く憶えておいてください。本当の徳は、社会の職務である自分の義務を欠かさず行なうことです。どんな権利のどんな職業でも、徳にすることができ、道路を掃く仕事、舟の船頭、三輪自転車から大統領まで、自分の義務を良く行なえば、タンマの実践と言います。

 どうかみなさん、誘い合って仕事で徳を積んでください。公務を徳にし、畑仕事を徳にし、村長、区長、郡長、総裁、局長、大臣の職務を、徳のためにしてください。何でも、徳のためにしてください。給料はどこへも行かないので、自分の徳への彼らからの供物と見なします。

 徳のためにする仕事は、当然お金のためにする仕事より善く、すべての人が徳のために働くだけで、つまり自分の義務を純粋に正しく行なうだけで、世界全体が平和になります。それが本当の宗教、つまり私たちが本当に持つことができる、私たちと共にいる、本当の神様です。私たちの本当の心の中は、今のように不毛ではありません。

 世界は所属社会の財産であり、徳共同組合と考えてください。つまり世界中の人全員で一緒に徳を積んで、タンマ共同組合にし、全員一緒にタンマの行動をして、この世界をタンマのある世界にします。

 これが最高の積善で、生活と労働力を、自分の義務で正しい利益にします。最高に強悪な罪は、自分の義務をしないことです。生きている生き物は、自然の法則に則って正しく、自分の義務を行わなければなりません。それが徳を積むことで、人間もそうしなければなりません。

世界になければならないものを揃えて、世界を完璧にするために義務を行うので、人間の職業は何種類でも、何十種類でも、何百種類でも、すべて必要と見なし、誰でも所属社会を豊かにするために、あるべきもので豊かにするために義務を行ないます。

 例を挙げさせていただけば、商売をするなら、自分が金持ちになるためではなく、人間に便宜を提供するためにし、自分は行動にふさわしい利益を得、金融家、銀行家も、自然の法則で正しい自分の義務を行ない、百倍、千倍、万倍、十万倍の儲けのためでなく、適正な商売の儲けにします。その結果、世界に暮らす人間が便利になり、お金を使うこと、持つこと、稼ぐことに関した複雑困難な問題は無くなります。だから人間が営む仕事は何でも、徳になり善になります。

 自分の義務をすることはタンマの実践であり、それ自体が徳であり、非常に強悪な罪、最高に悪で低劣なことは、自分の義務をしないこととまとめさせていただきます。これが、身につけなければならないタンマ、つまり自分の義務を落ち度なく遂行することです。

 タンマはただ学んで知るだけ、だらだらと教えて学ぶだけでなく、身につけなければなりません。どうか急いで、本当にタンマを身につけてください。そうすれば世界には問題がなくなります。個人は幸福になり、社会は平和になり、住みよい世界になり、神様がわざわざ高い心をもった人間のために作った世界にふさわしく、平和に暮らすことができます。

 時間になりました。タンマを知るだけでなく、みなさんがタンマを身につけるような品行をし、そして各自が自分の義務を行なうだけで、世界の問題をなくすことを願って、今日の法話を終わらせていただきます。


ホームページへ                                                                                                   短文目次へ