1.なぜタンマなのか





1978年6月18日

 タンマにご関心のある善男善女のみなさん。第一回目のお話は「なぜタンマか」と題してお話します。このような題を聞いただけで、「どんな意味だ。なぜ疑問文なのだ」と訝る方がいると思います。

 一般の方はまだ「タンマにはどんな利益があるか」、あるいは「なぜタンマなのか」と疑問を持たれていると思います。あるいは総理府広報局が、これから定期的に法話を放送するというのを聞いて、なぜそんなことをするのだ、なぜタンマなのだと疑問に感じたと思います。

 以前からタンマにあまり興味がない人、タンマがあまり好きでない人たちは「何だってタンマを大切にしなければならないんだ」と感じます。これは興味がなく、興味を持ちたくない人です。タンマと呼ぶ物の利益を知らないからそのように感じます。私は、これについて理解をしていただく必要があると考えています。

 タンマと呼ぶ物を誤解している人はどこにもいます。自分の楽しみを妨害するもの、あるいは自分に関わりのないものと考えてタンマを嫌います。このような考えは社会に悪い影響を与えます。

 大学で教えている先生のレベルでも「タンマと世界は仲良くできるでしょうか」と、質問する人がいます。私は、大学で教えている先生でもこういう質問をするのかとびっくりしました。これは、先生と呼ばれるレベルの人たちさえ、まったくタンマに対する理解がない証拠ですから、学生たちに理解できるはずがなく、タンマはまだ正しく扱われていない、つまり真実より少ない興味しか持たれていないと感じます。

 タンマには非常に利益があり、そして必要です。このような理由から、初めての話は「なぜタンマか」という題にしました。

 次に、なぜタンマかを知る前に、タンマとは何かを知らなければならないので、最初に「タンマとは何か」をお話しなければなりません。そうすれば「なぜタンマなのか」が理解しやすくなります。あるいは、タンマとは何かが分かれば、それ以上説明しなくても、自然に理解できるかも知れません。

 タンマとは何かと問えば、最高にぴったりした答えは、次のようです。どうかしっかり聞いて、その定義を憶えてください。

 「タンマ」とは、それぞれの時代に分けても、一人の人生でも、個人的にも社会的にも、そして物質面でも心の面でも、人間の発達のどの段階、どの部分にも必要で正しい実践体系です。

 最高に短く言えば、「タンマとは、人間の発達のどの段階、どの部分でも、人間にとって必要な正しい実践体系」です。どうぞ「タンマとは、人間の発達のどの段階、どの部分にも必要で正しい実践体系」と憶えていただけば、簡単に理解できます。

 次にもっと詳細にするために、世界のどんな時代にも、個々の命にも、個人的にも社会的にも、物質的にも、精神的にもと説明します。

 もう一度繰り返えさせていただきます。タンマとは、人間の発達のどの段階どの部分でも、どの時代にも、どの命にも、個人的にも社会的にも、そして物質的にも精神的にも、必要な正しい実践体系です。これらの言葉の一つ一つに説明が必要なので、順に説明させていただきます。

 初めの言葉は「タンマは実践体系」です。体系という言葉について先に話します。体系という言葉は、みなさん良くご存知と思います。いろんな物を系統的に、あるいはシステムとしてまとめた物です。一種類の行動、あるいは一項目だけでは不十分で、幾つもの項目、あるいは何種類もがまとまって体系になります。実践体系とは、いろんな種類、幾つもの項目が集まって、人間が実践しなければならない体系になります。

 なぜ体系かと問うなら、視線を投げて見れば、あるいは熟考して見れば、すべての物は体系と分かると答えます。たとえばこの体も体系で、呼吸器系統、循環器系統、筋肉系統、消化器系統、排泄系統などの系統が組み合わさって大きな体系、つまり一人の人の体になります。

 全世界もたくさんの体系があります。一人の人の命もたくさんの体系があり、人間の仕事もたくさんの体系があり、体系ばかりです。だから完璧な結果のための正しい行動にも、体系的な行動があります。だから何か一つの項目と言わず、行動体系と言います。初めの言葉は「実践体系」です。

 次の言葉は「実践」です。実践とは行動という意味です。タンマは行動であり、知識だけ、あるいは勉強するだけでなく、行動しなければタンマになりません。これは仏教の教えで、そう捉えられています。タンマは教えの言葉だけで、書棚にしまっておく物ではありません。

 タンマとは心と言葉と体による実践のことで、実践するためには知識が必要です。実践について話すなら、当然知識を掻き集めなければなりません。つまり実践するための正しい知識がなければなりません。

 ここで実践体系とは、知識を集めるという意味と明言してしまいます。しかし、いつでも知識だけでは十分ではなく、実践しなければならないと理解してください。実践すれば、実践の結果が当然自然に生じるので、実践の結果について語る必要はなく、実践について話すだけで十分です。

 次は「正しい」と「必要」という、とても重要な言葉です。タンマは人間にとって必要で正しい実践体系として、関心を持たなければいけません。どういうのを正しいと言い、どういうのを必要と言うでしょうか。これにはいろいろあります。

 この短い時間に、大切な意味を知っていただきたいと思います。ここで言うタンマとは、偏ってはならない厳格な自然の法則に則った正しい実践を意味します。正しさとは、自然の法則に対する正しさです。

 必要というのは、自然の法則が厳しく強制するので、しないではいられないからです。だからタンマとは、人間にとって必要な、自然の法則に則った正しい実践体系です。

 この「自然」はタンマという言葉の根源で、タンマと呼ぶ物を良く知り、良く理解するには、自然に関心を持たなければなりません。正真正銘の自然はタンマです。ここで言う自然を、四つの意味に分類することができます。

 自然その物もタンマと言い、自然の中にある自然の法則もタンマと言い、自然の法則に則った実践もタンマと言い、自然の法則に則った実践から得られる結果もタンマと言います。

 だからタンマと呼ぶ物の意味は四種類あります。自然が一つ、自然の法則が一つ、自然の法則に則した義務が一つ、そしてその義務を実践した結果が一つ、合わせて四種類です。

 これらをすべて「タンマ」と呼びます。しかし人間にとって一番必要なのはどの意味のタンマか、観察して見てください。私は、自然の法則に則った実践という意味のタンマであると明言します。

 自然には確定した法則があり、生きるためにすべての物を自然の法則に従わせます。生きるための法則に背けば、死ななければなりません。正しくする法則、正しく実践されなければならない法則とは、四つの意味のタンマと呼ぶ「人間の義務」です。

 義務としての「タンマ」という言葉は、自然の法則から見た正しさであり、好みで右や左に分けることはできません。しかし、右腕と左腕を正しく連携させるように、右と左を共存させる、真ん中の正しさです。右と左にハッキリと分けてしまえばバカバカしい話で、自然の法則から見て正しくありません。そしてもう一つは、物質だけ、あるいは精神だけの問題でなく、真ん中の正しさ、つまり物質と心の中間の物、こういうのを「正しさ」と言います。

 「必要」とは、お話したように自然の法則なので、しないでは済まされないという意味です。

 次に見るのは「正しさ」と「人間に必要な」です。

 ここで言う「人間」とは、動物という意味ですから、すべての生き物という広い意味を捉えてください。たとえば動物、植物、草木、里芋、みんな生きているので、同じように自然の法則に合った正しい行動をしなければならない義務があります。しかし私は、人間という意味を高い心がある動物とします。

 人間とは高い心がある動物という意味です。どう高いかは、問題がないくらい、混乱させ、苦しめる問題が何もないくらい、自分自身にも、他人にも問題がないくらい高いです。こういうのを問題を越えた高い心と言います。これが人間という言葉の意味です。

 次に「人間であるために必要な正しい実践」の意味は、人間にとって必要な実践項目の正しさがあるので、問題より上にいさせる、問題より上にいるという意味です。

 「どの段階でも」というのは、自然の法則が発展の段階を生じさせるので、どの段階でもと、明確にしなければなりません。すべての動物が段階的に発達するのは理解しやすいです。人間の仕事も段階的で、人間の教育も段階的なので、人間の発達も段階的で、正しさも段階によって違います。

 だから正しい行動のためにすべての段階について知り、理解しなければなりません。タンマはどの段階も正しくなければなりません。そうでなければ述べているタンマではありません。

 次は「彼らの進化の」という言葉です。つまり人間は発達して高くなっていく進化があるという意味です。地球を見ても、言われているように、科学で説明されているように、高くなっていく進化があります。人間を見ても発達があり、母親の胎から生まれた時から、少年期、中年期、老年期に分けられる、あるいはどんな分け方でもいいですが、高くなって行く進化があります。

 次に人間の仕事にも進化があります。子供には子供の仕事があり、若者には若者の仕事があり、大人は大人の仕事があり、老人には老人の仕事があります。人間の仕事にも進化があり、人間の能力にも必ず進化があります。生まれた時から十分能力がある訳ではなく、進化の形で作った能力も必ずあります。人間には段階的な進化があるので、私たちは人間の進化の段階にふさわしい行動をしなければなりません。

 次に個人の部分と社会の部分である進化を見ます。一人の人間にも進化があります。進化して進化の頂点を目指します。人間が進化する時、本当の人生の伴侶はタンマだけです。配偶者は人生の伴侶と言いますが、配偶者はタンマより離れていて、タンマの方が密接な伴侶です。

 私たちの体も自然という意味のタンマで、体は自然の法則になり、自然の法則に支配されています。私たちの体は休まず義務の実践をしています。それを自然の規則で実践する物であるタンマと言います。この命も休まず実践行動から利益を受け取っているので、体であるタンマと呼びます。

 だからタンマは、人が人生の伴侶と呼ぶどんな物よりも、欠かすことのできない人生の伴侶です。日常生活も、全人生もタンマがあります。そうでなければ破滅しなければなりません。だから人生には伴侶であるタンマがあると言います。タンマは世界であるローギヤから、ローグッタラである涅槃まで、段階的な進化のための、人間の本当の人生の伴侶です。個人もこのような形のタンマを求め、社会も善いタンマを求めています。

 社会は基本であるタンマ、「すべての動物は、生老病死の苦を共にする友」という、自然の法則であるタンマを必要とします。自然はこのように規定しました。そうでなければ破滅します。私たちはあまりこのことを考えないで、敵同士のようになっています。

 しかし社会のタンマは、個人のタンマと同じで中道でなければなりません。統治制度は、中道でなければなりません。どちらに傾いてもいけません。一方的に資本家のための統治制度ではならず、必ず真ん中の、資本家と労働者が共存できる制度でなければなりません。

 私たちには、貧乏人と金持ちが共に暮らせる、愚かな人と賢い人が共に暮らせる、丈夫な人と病弱な人が共に暮らせる、違う者同士が仲良くできる方法が必要です。

 この自然に逆らって一方だけに執着し、もう一方を消滅させようとする人は、それは自然の法則に反します。その人は権力と力を探求して、締め付け押さえつけようと待ち伏せし、相手が疲れて手を緩めれば、その時立ち上って危険や混乱を引き起こします。

 だから権力が必要な制度、武器で威圧する制度は自然の法則で正しくありません。そして「すべての動物は、生老病死の苦を共にする友」として慈愛で生きるよう教える仏教の教えでも正しくありません。

 権力で抑圧したり拘束したりすることは、自然の法則に反します。だから私は社会にとって正しいタンマと見なしません。今はここが間違っているので、政府と国民が敵対し合うような、あるべきでない問題が起きています。ある時のある新聞を読むと、誰の責任かも知らずに政府と国民が敵対していると、はっきりと書いてありました。責任を追及して際限もなく言い争うのは、敵対するのと同じです。

 タンマがあれば、自然の法則と一致していれば、このような情況はありません。政府と国民は水と乳のように仲良くできます。政府と国民、あるいは国会と市民団体の間に分裂はなく、決して敵対し合うことはありません。

 今は自然の法則と一致した正しさがないので、世界の人は「永続的な危機」と呼ぶ状態です。「永遠の平和」でなく「永続的な危機」になりました。

 「タンマとは何か」をもう一度復習してください。タンマとは、個人的にも社会的にも、心の部分も、精神の部分も、人々の進歩のどの部分にも必要、且つ正しい実践体系です。抽象的にも物質的にも正しい行動という意味です。そうなら、「どうしてタンマが必要なのだろう。タンマとは、すべての動物にとって、彼らの進化に従って進化して行くために、人間の進化にとって必要且つ正しい義務」と、自分自身で見ることができます。

 問題はきっとなくなります。「何だってタンマなの?」と聞かなくなり、問題は無くなります。「タンマとは、人間が彼らの進化に従って正しくよじ登っていくための実践体系であり、義務である」と言います。

 タンマは義務という意味です。何通りの意味があっても、「タンマ」という言葉の一番重要な意味は「義務」です。なぜタンマなのかは、「タンマとはしなければならない義務、発達に従って歩いて行くとき、自然の法則にで正しく実践しなければならない義務」です。

 初回のお話はこれだけです。なぜタンマなのか、みなさんに知っていただくためには十分だと思います。タンマとは、個人的にも社会的にも、物質面でも心の面でも、人間の進化のどの段階でも、人間にとって必要且つ正しい実践体系です。

 どうかこの真実が、みなさん一人一人の耳に響いていますように。そうすれば善い結果があります。いつでも確実にタンマから善い結果を受け取ります。

 これで今日のお話を終わらせていただきます。




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