不浄念処

浄念処に良いページを見つけました。                       http://www.watphramahajanaka.org/lastpage.html

上記のページの文章の日本語訳を下記に載せます。読んでから見ても、見てから読んでも良いと思います。

涅槃仏の写真の下の括弧の中をクリックすると音楽があります。

 上のページは、管理者によって削除されてしまったようですが、以下の経文(?)は、死を考えるのに良いので残しておきます。

 

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『比丘たちよ。すべてのサンカーラは当然衰える。

私は今、油断をせず全員そろって到達するよう、みなに忠告する』。

これは教祖の最期の言葉

すべての生き物は当然年を取り

当然病気になり

当然死ぬ

すべての生き物は当たり前の変化をしていく

凡人は当然この教えを嫌う

この教えを嫌うなら、

そういう状態が当たり前である生き物に

この項目はふさわしくない

そんな生き方では、煩悩をヤリ玉に挙げる教えを知ることはできない

平安な教えの下で出家することは、若さや健康への陶酔を支配できると見れば

涅槃だけを見ている人に努力がある

今どんな快楽にも溺れているべきではない

実践者になり、ひたすら純潔を行なうべきだ

油断は死への道

油断はいつでも賢者にケチをつけ

油断はタンマの実践者の汚れ

油断する人は死者と同じなので

油断と付き合うべきではない

油断があってはならない。

劣悪な智慧のある人は、当然油断がある

油断のある人は当然、永年の悲しみばかり

愚か者に知識が生じるのは、破滅させるためであり、

その人の脳を歪ませるので、当然その人の無垢の部分を殺す

下賎な知恵の人は心が不安定で、百年生きても素晴らしいものはない

観察する智慧のある人は、たった一日しか生きなくても素晴らしい

油断なく観察する人は、当然満ち足りた幸福に到達する

哲学が最高の財産のように、注意深さを維持する

智慧のある人は、勤勉と注意深さ、専心と自制心なしに、

拠り所を作ることはできない

比丘は油断のないことを喜び、あるいは油断の危害を見て、

大小の焚き木のように、大小の結(心を苦に結びつける煩悩)を焼き滅ぼす

比丘は油断のないことを喜び、あるいは油断の危害を見て、

「涅槃の近くにいる人」いう名を汚すべきではない

比丘たちは油断することなく、サティと美しい戒があり、

善い決意をして自分の心を維持する人でいなさい

善い智慧のある人は、他人が油断して夢中になっている時も、

他人が眠っているときも油断をせず、

足の速い犬が力のない犬を見捨てるように、

油断している人を見捨てる

みな油断しないことを喜び、自分の心を維持しなさい

泥沼に落ちた象が泥沼から抜け出すように、自分を泥沼から抜き出しなさい

このようなタンマがある比丘にはサティがあり、油断がなく、

自分のものを手に入れたという強い信仰を捨てる

智者として生、老、瞋、嘆き、そして世俗の苦を捨てるべきである

生まれて来た時も一人

死んで行く時も一人

生き物は死神に追い付かれ、

走って逃げても間に合わず

死から逃げ切れる人はいない

人生は苦しく、そして短く、

人生は死で終わる

生きている間は助け合うべきである

生き物が死ぬ時、死を防ぐことができる人はいない

おまけに人が死ぬ時は、他にも苦がある

死んだ人を悲しんで泣く人も、必ず死ぬ

哲学者は、命は非常にちっぽけと言う

今朝も、昼前も死を見た

死ぬ人は死んでも仕方がない

悲しむべきではない

すべての哲学者は、命はちっぽけだと言う

世界は死に支配されている

死が自分を訪れるとき、死を防げる人はない

人が死ぬ時、どんな財産も持って行くことはできない

すべての命は、生まれたら最後には崩壊する

すべての命は、この世に体を捨てて行かねばならない

非常に威力のある死を、引き延ばすことができる人は誰もいない

死者がいないと言われる場所は、世界のどこにもない

だれもが自分の義務を行ない、油断をすべきでない

若者も老人も、みな体は消滅する

生き物は死神に攻め込まれ、老いに包囲されている

老いに引き込まれた時、抵抗できる人はいない

大軍を率いている死神に、延命を願うことはできない

日に日に命は死に近づいている

人は誰でも必ず死ぬ

時がくれば寿命は尽きる

公正で死ぬ方が、不正で生きるよりいい

人の寿命は当然尽きる

生まれた人には当然死がある

歳月が流れればその分だけ、寿命の残りは少なくなる

すべての生き物は老いと死に連れ去られる

遅れても、何度か夜明けを見れば死ぬ

不正で生きるのは、素晴らしくない

お金で寿命を延ばすことはできない

すべての生き物はこの世に体を捨てて行く

タンマに立っていれば、来世を恐れることはない

年齢は当然、刻々と衰えていく

死ぬ時持って行ける財産は何もない

正しさのために死ぬ方が素晴らしい

死の時が来れば、子供でも助けることはできない

親や親戚兄弟でも、死から救い出すことはできない

豊かでも死ぬし、貧乏でも死ぬ

財産で老いを買うことはできない

いつかは別れて行かねばならない

歳月は無駄に流れない

死、病、老の三つは、燃え盛っている火のようだ

タンマに立っている人で、死を恐れる人はいない

生まれて来た人で、死なない人はいない

歳月が過ぎれば、当然命の残りは少なくなる

瞬きをする度に、寿命は減っている

百年生き長らえても、死から逃れることはできない

すべての人間は、行く先に死が待っている

私たちの命はちっぽけで

老いと病気が、痛めつけようと待ち伏せている

時は当然、自分も含めたすべての生き物を呑みこむ

死人を悲しんで泣いて愚痴を言う人も、

泣いているその人も必ず死ぬ

生まれる時、生まれたいと懇願した人はいない

死んでこの世を去る時、別れを許可する人もいない

歳月が過ぎれば、人の命が作り出す利益は減る

生き物の命は陶器のように、すべて最後には砕ける

富める人も貧しい人も、すべて最後には死ぬ

すべての生き物は罰を恐れ、そして死を恐れる

自分の身に引き比べて殺すべきではない

他人を使って殺させるべきでもない

だから残っている命で義務を行なうべきであり、

そして油断をすべきではない

この身体はそれほど長くない

体から識(意識)が失われれば親戚たちも怖がって嫌い、

そのうち丸太のように墓に捨てる

訓練した心のある比丘は、たいてい死を予知して

命を愛すことを止め、遠ざかる

時が流れ、歳月が去り、だんだんに寿命は減って行く

人の寿命はちっぽけで、この世を去らなければならないのだから

善を行ない、そして純潔な振る舞いをするべきである

岸に溢れる水が川上に戻らないように

人の年齢も、二度と子どもに戻ることはない

人生は窮屈でちっぽけで、苦で成り立っている

誰がこの人生で他人に罪を作ろうとするのか

この命はちっぽけで、百年もたたずに死んで行く

長く居すぎれば、老いによって必ず死ぬ

歳月が過ぎ去れば、当然命も終わる

小さな川の水のように、生き物の寿命も当然尽きる

人の寿命はちっぽけなので、善人は寿命を正しく見て

髪に火がついている人のように急いで行動すべきだ

死神が訪れない人はいない

子供も大人も、愚かでも賢くても

すべて死の威力で、行く手には死が待っている

死は、満足することなく花を摘む(快楽を貪る)人を

その威力で支配する

熟していない実も、そのうち必ず落ちるから危険なように、

必ず死ななければならないので、生まれた生き物には当然危険がある

陶器が最後には必ず砕けるように

すべての生き物の命も必ず終わる

水牛を飼う人が、こん棒で水牛を小屋へ追い込むように、

死や老いは生き物の齢を追いこむ

泣くこと、悲しむこと、嘆き悲しむことは、

亡くなった人にとって利益を生まない

亡くなった人は何も変らない

閻魔大王に捕まったら、

子供や親や親戚兄弟に、抵抗して守ってもらうことはできない

親戚の中に安全な場所を探すこともできない

私たちはどこにも作っておいた悪がないので、

訪れる死を恐れない

嘆き悲しむことは、心を鎮めて快適になる役に立たず

ますます苦が増えて、体は衰弱する

夢から覚めた人が、再び夢の中のものを見られないように

愛する人が亡くなったら

二度と会うことはできない

死ぬ時は一人、生まれるのも一人

すべての生き物の関係は、出会ってただ関わるだけ

悲しみを捨てることができない人は、去った人について嘆いてばかり

悲しみの威力下に落ちているので、当然更に重い苦に遭遇する

朝たくさんの人に会って、夕方になると見えない人がいる

夕方たくさんの人に会って、翌朝には見えない人もいる

人が自分にとって(死者のような)失われたものを悲しむなら、

常に閻魔の威力の下にいる自分を悲しむべきである

岸に溢れる水が、川上へ向かって流れないように、

すべての人の齢は、二度と子供には戻らない

子供も大人も、無知も学者も、富める人も貧しい人も

すべて死に向かって歩いている

熟した果物が落ちて駄目になるのを恐れるように、

すべての生き物は、生まれたらいつでも死を恐れている

人の命はちっぽけなので、善人は寿命を忘れるべきではない

髪に火がついている人のように急いで、年齢を考えるべきである

死が訪れないということはないのだから

死んだ人を悲しむなら、

いつでも死の威力の下にいる自分も悲しむべきである

入江に溢れる水が、岸辺に生えている木に打ち寄せるように

すべての生き物には、当然老いと死が吹き寄せている

だからブッダの教えに耳を傾ける善人は、

繰り返し嘆くのを止めるべきである

亡くなった人を見たら、

「その人にもっと居てほしいと望むことは、当然できない。

見てごらん。他の人たちも、運命に従って生きる覚悟がある。

すべての生き物は閻魔大王の威力の下で、転げ回っている」

と自分に言い聞かせるべきである

このように齢が衰えたら、別れは疑うまでもない

まだ残っている生き物の群れは、互いに慈しみ合い可愛がり合い、

死人を悲しむべきではない

歳月が流れれば、命は欠けるばかり

死の時がすべての立ち居振る舞いに隠れているので、

いつでも油断をするべきではない

空にいても、大洋の真ん中にいても、山奥に行っても、

死神から逃れることはできない

国とは死神に侵略されない人がいない土地のこと

当然時が過ぎて、年齢の坂は階段を捨てて行く

死の危険が見える人は、幸福をもたらす徳を積むべきだ

悲しんでいる時は、自分を傷つけているのと同じ

体は痩せ衰え、肌は蒼白に濁る

悲しむことで、死んでしまった人を助けることはできない

繰り返し嘆くことに利益はない

死んだ人を悲しんでいる人は、駄々をこねて泣いている子供のよう

空にあるお月様を欲しがって泣く子供のよう

死んで焼かれる人は、親戚が嘆き悲しんでいることも知らない

だから私たちは悲しまない

その人が逝ったのは、その人の道

『すべてのサンカーラ(心身)は不変ではない

生じたものは当然衰える

生じれば当然消滅する

これらすべてのサンカーラ(心身)が鎮まることが幸福』

『この身体が大地で眠るのは、そう先のことではない

識が無くなれば、役に立たない丸太や薪のように捨てられる』

 


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