第十七章 ブッダの言葉





 国王の息子だったブッダは、王宮の様々な作法が身についていたので、王や大王から出家、高い学問を積んだ学者などの中で、楽々と討論や会話をすることができ、それらの自由人は、ブッダから深遠で明らかなダンマの知識と満足を貰って帰りました。そればかりか、同じように深遠なダンマに理解と満足を感じている一般の人々とも、上手に討論し付き合うことができました。

 ブッダは、あちこちの田舎を歩いて旅する時、出会う人誰とでも会話し、その人を喜ばせる準備がありました。米や果樹を作る百姓でも、鍛冶屋や馬車職人や床屋でも、ブッダと会話する気持のある人なら誰とでも。(363)

 この例としては、ブッダがあちこちの田んぼで百姓が農作業をしている集落に行った時のことです。足を止めて彼らの仕事について話し掛けました。「私もあなたと同じ百姓だと知りなさい。稲作に使う物は何でも、種籾までそろっています」。その百姓は信じられない様子で叫びました。「お前様、何が百姓だね。本当に百姓ならお前様の牛はどこにいるんです? 鋤はどこにあるんです? 他のいろんな道具はどこにあるんです?」。(364)

 ブッダは穏やかに答えました。

 「私はそれらの物すべてを身に付けています。これから一つ一つ話しますから、良く聞いてください。私の種籾は、すべての動物を救いたい願いと哀れみ、ブッダになろうとした強い信念と決意、それに菩提樹の木の根元で悟ったことすべてです。

 私の稲を育てる水は、大悟するまで続けた忍耐努力という偉大な善。智慧が頚木と鋤。心が牛を繋ぐ縄。心を罪から遮る罪を恥じることが、私の美しい鋤きの刃。悪を追い出し善にすることができるダンマは掴むための柄。あなたが田を耕す時、害になる草を刈り取って埋めるように、四聖諦を知っている人は、心の中の不善を刈り取って埋めます。(365)

 日が暮れて昼の仕事が終わると、あなたが牛を開放して自由にするように、智者は純潔を確信しているので、純潔でない物は捨ててしまいます。田んぼが種を蒔ける状態になるまで良く耕すために、牛は大地と闘わなければなりませんが、智慧のある人は、涅槃に到達できるよう清潔にするために、全力で自分の本性を清める努力します。百姓は田んぼを稲にとって良い状態にするために辛い仕事をしますが、智者も輪廻の害を取り除くために非常な努力をします。(366)

 しかし稲作をする人は、しょっちゅう収穫が少ないという不満や失望に遭遇しなければならず、腹が立って眠れないこともあります。涅槃に到達するために、智慧の乾いた田んぼを作る人は、そのような不満を受け取ったことは一度もなく、彼らは、自分の仕事の結果を確実に十分に受け取れます。結果である涅槃を見ることができれば、十分に幸福で、十分に満足します。バラモンさん。私もこういう形の百姓で、これが私の米作りです」。(367)

 ブッダの言葉を聞いたバラモンは非常に満足して、ブッダ式の百姓の一人に加えてくださいとお願いし、そして生涯ブッダの弟子になりました。(368)

 一般人が最も素晴らしく最も吉祥である幸福に到達する方法について、ブッダに質問する人がいました。ブッダは次のようにアドバイスしました。

 「愚かな人たちの仲間に加わってはいけません。智慧のある人と親しくなさい。尊敬するべき人には、敬意を表しなさい。自分の習性と能力にふさわしいところで暮らしなさい。善をたくさんしたことがある人になりなさい。未来の明るさのために、絶えず善行をしなさい。必ず知識にすることができる「聞くこと、見ること」に満足しなさい。

 害のないすべての物を学びなさい。良い手本と規律のある人になる訓練をなさい。本当のこと、可愛げのある言葉、利益のあることだけを話しなさい。両親を扶養しなさい。妻子を気に掛け養育しなさい。仕事に関する移り気を避けなさい。施しをしなさい。善いことだけをしなさい。助けるべき時は友達や親戚を助けなさい。

 後で後悔することは控えなさい。道徳的に禁じられていることをしてはいけません。酔う水を飲むことを控えなさい。その時が来たのに善行をためらってはいけません。誰に対しても身を低くしなさい。傲慢で威張ってはいけません。ある物で満足なさい。他人の恩を知りなさい。機会があるごとにダンマを聞きなさい。忍耐我慢をしなさい。微笑んでいる人になりなさい。しばしば聖人を訪ねなさい。

 機会がある毎にダンマの会話をしなさい。奮闘努力をしなさい。梵行(品行)をしなさい。心に四聖諦を銘記し、常に涅槃を心の目標になさい。様々な物に妨害されても、恐れてはいけません。悲しんではいけません。欲情してはいけません。そして正常でいなさい。このように完璧にできる人を、悪が支配することはできません。その人は最高の安全と吉祥があり、継続して完璧な心の幸福を受け取れます」。(369)

 ブッダが小さな集落に泊まっていたある時、ブッダに拝謁に来て質問する人がいました。

 「世尊。世尊はダンマを公開された教祖で、とても善いことをお弟子たちに教えていらっしゃると聞いています。お弟子たちは家を捨てて梵行をし、あなたの下で勉強なさっています。ですが私らは出家になることはできません。

 私らはまだ庶民で、女房と子供に囲まれ、稲作や牧畜などの仕事をし、庶民としての幸福にありつくために金銀を使い、時に応じて花や高価な装飾品で飾り立てることが好きで、庶民の満足のために、香りの良い物を体に塗ったりしています。スガタ様。あなた様の教えの中に、私たちの誰もが現在も将来も、死んでも幸福でいられるようにする物があったら、お願いです。教えを実践してその結果が得られるように、どうか私たちにその教えを聞かせてください」。(370)

 ブッダは言われました。「みなさん。私のような説教者が、みなさん方のような在家の方が知って実践するために教えるべきダンマは四つあります。みなさん聞いてください。お話しましょう」。

 「一つ目は、仕事であるものは継続して勤勉にし、最善を尽くし、そのことが真の能力になるようにしなさい。稲作なら、勤勉で賢く良い百姓になって、あなたの田んぼから最高の収穫が得られるようにしなければなりません。商人なら、広い耳目を持って一生懸命向上しなければなりません。雇われ人なら、主人から仕事で頼られ、正直と忠誠で信頼される人にならなければなりません。どんな仕事でも、あなたがすることが十分に実を結ぶように、いつも元気で行動的でいなさい。

 このように行動すれば財産を蓄えることができ、その財産を善い事に使う事ができます。つまり自分で使うばかりでなく、助けを必用としている人を助けることができます。真面目に働いて財産を貯えなければ、他人を支援する物が何もないので、善行や他人を支援することはできません」。この教えはパーリ語でウッターナサムパダー(起策具足)と言い、義務に対する勤勉な心得という意味です。(371)

 「二つ目は、自分で集めた財産を維持するために、特に正しく注意を払わなければならず、愚かな浪費をしません。穴の開いている水がめに水を注いでも、疲れるだけで何の利益もありません。財産があるのは良いことですが、あらゆる愚かなことに使い尽くさないように、隅々まで気を配らなければなりません」。この教えはパーリ語でアーラッカサムパダー(守護具足)と言い、維持することの心得という意味です。(372)

 「三つ目は、在家は良い人だけを友達、あるいは関わり合う人として選ばなければなりません。通常私たちは付き合う人のようになり、善い人と付き合えば善人になるチャンスですが、悪い人と付き合えば簡単に悪人になります。自分の手を汚さずに汚い物を掴むことはできません。

 在家は善人、善い物を好み、信頼し、寛仁で賢い善人だけと付き合うべきです。そうすればその人も簡単に、寛容で賢く、善い物を好む善人になれます」。この教えはパーリ語でカルヤーナミタッタター(善友交際)と言い、善人と付き合うという意味です。(373)

 「四つ目は、在家の人は中道で平らな生き方をするべきです。有り余る生活、あるいは欠乏しすぎる生活をするべきではありません。自分の収入以上の消費、あるいは収入以上の布施をするべきではありません。そうすれば財産は、流れ込む水より流れ出す水の方が多い池と同じで、早晩池の水は枯れ、何も残りません。

 しかし注意深く財産を使い、自分と家族を養い、正しい布施をし、自分の収入を超えなければ、池の水は残り、つまりその人の財産が枯れることはなく、急に何かが起こった時使うための財産が残っています。しかしこの項目は、財産を十分有効に使わないという意味でも、有効に使わないでこっそり貯めておくという意味でもありません。

 そのようなことをする人は、庭にどっさり実った果樹があっていても、熟した時に食べないで箱に詰めて土に埋めておくようなもので、その人は後になって、果物は全部腐っていて何も利益がないことが分かり、持っている良い物から何の利益も得られません」。この教えはパーリ語で、サマヂーヴィター(等命)と言い、正しい生活という意味です。(374)

 ブッダは最後にまとめて言われました。

 「在家のみなさん。これが、みなさんが実践すればこの世界で安楽に暮らし、成功をもたらす四つの実践項目です。これから、あと四つのダンマを言います。これは将来非常に善い結果を生みます。四項目のダンマとは、

1) 善いことをすれば善い結果があり、そして悪いことをすれば悪い結果があります。

2) 殺すこと、盗むこと、他人が愛しているものを犯すこと、真実でないことを言うこと、酔う水を飲むことなどの悪い行ないを避け、善いことだけを行ないなさい。

3) 世俗的な財産に強く執着しすぎない明るく澄んだ心になれるまで、他人を支援できる寛容な人になる練習をしなさい。

4) 涅槃に続く道を知り、実践する智慧を生じさせなさい」。この四項目は、順に、信・戒・施・慧と言います。(375)

 これらはすべてブッダが、まだ在家であり、出家して修行者になることはできないけれど、現在や未来に善いものに到達するために実践したい庶民に説いた教えです。その時ブッダが説いた明確な教えに、誰も非常に満足しました。(376)

 ブッダが説いた非常に長い説法の中に、マガタ地方のアジャータシャトル王に説いた説法があります。一般庶民や比丘に対して説いたものばかりではありません。このアジャータシャトル王は悪人で、親を殺した悪人です。人に命じて自分の父親であるピンピサラ王を無残に餓死させ、不正義で王位につきました。(377)

 ある満月の夜、アジャータシャトル王はバルコニーに座っていましたが、何をして楽しんで良いか分かりませんでした。その時ブッダが、アチヴァカ医者がブッダと比丘たちの住まいにと寄進したマンゴー園に滞在していたので、ブッダを訪ねる決意をしました。アジャータシャトル王がブッダの居所に到着すると、集会堂で比丘たちに囲まれて、ブッダが静かに座しておられるのが見えました。ブッダと適当に挨拶を交して馴染んでから、出家して比丘になる利益と功徳について尋ねました。(378)

 王は尋ねました。「世尊。出家として生きる人は、どんな利益があるのですか。私はいろんな教義の出家者たちにこの問題を質問したのですが、誰からも満足のいく解答が得られません。彼らは、ジャックフルーツのことを聞いたのにマンゴーのことを答えるように、私が尋ねたことではない答えをします。世尊からこの問題の答えが得られれば、私は非常に満足できます」。(379)

 ブッダはアジャータシャトル王と親しむためにふさわしい言葉を交わし、それから出家として生きる偉大な利益について長々と話されました。ブッダが明解に話したので、聞き終わったアジャータシャトル王は「真実正しい答えであり、そして出家して善い比丘になること、世尊のような善い教祖の教えを実践することは、この世界のすべての善より上の善であると信じられる」と非常に満足し、生涯ブッダの弟子になることを願い出ました。アジャータシャトル王が帰った後、ブッダは居合わせた比丘たちに言われました。

 「比丘のみなさん。王は私が話した内容に深い信仰を感じました。もし王が悪いカンマを作っていなければ、つまり自分の父を死なせていなければ、この王は、私が明らかに話したダンマをここで見ることができ、王位を捨てて出家して、ダンマヴィナヤ(法と律)の下の比丘になり、阿羅漢の一人になりました」。(380)

 ブッダが話された最も長い経は、経蔵のディーカニカーヤ(長部。長阿含経)の中に見られ沙門果経と言います。出家として生きることの利益について、非常に奇妙に語られています。詳しく知りたい人はその経で読むことができます。(381)

 ブッダが語られた最も短い経の見本は、次のようです。ある時ブッダに次のように尋ねる人がいました。

 「何を与えるのが一番良い物を与えることですか。何の味が一番味の良い物ですか。何の喜びが一番の喜びですか。何が煩悩と苦をすっかり抑える物ですか」。ブッダはこの四つの質問に、「ダンマ」という一言で答えました。(382)

 質問者がもう少し詳しく説明してくださいとお願いしました。「物を与えることは良いことには違いないが、貰った人が涅槃の道を歩くようにさせることはできません。ダンマだけが涅槃の道を歩かせることができます。だから教える人は多少大変かも知れませんが、ダンマを教えること、それこそが、ここで言うダンマを与えることは、他の何を与えるよりも善いことです」と説明なさいました。(383)

 「ダンマを知れば、その時心は明るく爽やかになり、そのダンマの最高の味に満足し、そのダンマはその人を苦しめるいろんな煩悩をすべて消滅させるので、最後には涅槃と呼ばれる苦のない状態に出合います。だからダンマは他のどんな味よりも素晴らしい味です。

 そして他の何よりも深い喜びをもたらし、煩悩を消滅させる、世界でもっとも素晴らしいものを、みなさん、他の多くの人に知らせなさい。そうすれば、この世と天国のすべての人に与えるより、素晴らしい物を与える人と呼ばれます」。(384)




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