アーナーパーナサティの基本

              (一般人のための簡単な基礎知識)

通常の場合

 上体を真っ直ぐに座り(背骨の関節の一つ一つがすべてぴったりと接合するように)、頭を立て、目は何も見えないくらい視線を鼻先に集中させます。他のものが見えても見えなくても構いませんが、ただ鼻先を注視してください。慣れてくれば目を瞑るより良いし、眠気に襲われにくいです。特にすぐ眠くなる人は、目を瞑らないで目を開けてください。

 続けていくと、目を閉じる段階になると自然に目が閉じるようになります。あるいは初めから目を閉じていても、それは自由です。しかし目を開ける方法には、結果として良い点がいくつもあります。しかしやりにくいと思う人、特に瞑目にこだわる人は、目を開ける方法ではできないでしょう。

 手は力を抜いて膝の上に置きます。脚は組むか、あるいは安定して体重を支えられる、座りやすく倒れにくい方法にします。普通の胡座か、またはやり易い姿勢で座ります。肥っている人はいわゆる結跏趺坐、金剛禅坐のような組み方はできませんし、その必用もありません。

 ただバランスよく体重を支えられ、倒れにくいように脚を組むだけで十分です。本格的で難しいいろんな脚の組み方は、ヨギーのように真剣に取り組むときまでお預けにして置きましょう。

特別な場合

 病人、病弱な人、疲労している人などは、寄り掛かるか椅子に掛けるか、あるいは少し傾斜のある帆布張りの椅子に横たわるか、あるいは病人なら寝たままでもできます。空気のよどんでいない、気持ちよく呼吸できる場所をえらびます。妨害するものがあまりないこと。やかましい騒音がないこと。そして意味がない音であること。

 たとえば波の音や工場の音などは妨害にはなりません(妨害と捉えないかぎり)。人の話し声のような意味のある音は妨害になります。静かな場所を見つけることができなければ、何も音がないということにして、心して始めましょう。だんだん慣れてできるようになります。

 

目はぼんやりと鼻先を見つめていても、同時に感じたり思ったり、お寺の言葉ではサティ(自覚すること。意識すること)ですが、自分が息を吸ったり吐いたりするのを自覚できます。(目を瞑るのが好きな人はこの段階から瞑目します)。目を開けているのが好きな人は、集中が進んで自然に目が閉じるまで、ずっと目を開けています。

 練習の初めの段階で、簡単に呼吸を意識するために、呼吸をできるだけ長く伸ばすよう努めます。吸う息も吐く息も、です。気道を出入りする自分の呼吸が何に触れ、あるいはどのように通過するのか明確に知るため、そしてお腹のどこまで行くのかを意識するために、何度も何度も繰り返します。

 その振動の感覚を基準とします。事実を基準にする必用はありません。内部の末端を決め、外部の末端を決めることで、できるだけ呼吸を意識しやすくすることができます。

 普通の人は鼻先の息が当たるところを、外部の末端とします。鼻が低くへこんで上唇が出ている人は、息が上唇に当たります。こういう場合は上唇を外部の末端とします。鼻先が一つ、臍が一つと決めることで外部と内部の点が定まります。そして呼吸は常に二つの点の間を行ったり来たりしています。

 ここでは心が呼吸を追いかけて見失なわないようにします。呼吸が上ってくるときも下がっていくときも、つねに集中します。これが訓練の一つの段階で、分かりやすく「常に追いかける」段階と言います。

 これまでお話してきたことは、初めには呼吸の両端と中間を探すために、息を出来るだけ長く、強く、荒く、繰り返し繰り返し練習します。心(またはサティ)が息の出入りを意識することができるようになったら、息がどちらか末端まで届いて引き返し、引き返しするのを自覚できるようになったら、呼吸を少しずつ自然な普通の状態にもどします。

 しかしサティ(自覚。意識すること)は常に息に固定して追いかけ続けます。わざと息を長く荒く強くしていた時と同じです。内部の臍(あるいは下腹部)から外部の鼻先(状況によっては上唇)まで、息の通り道すべてを意識します。呼吸がどのように静かなのか、あるいは滑らかなのかを、サティはつねに木目細かに意識します。

 もし呼吸が滑らかすぎて意識できないようなら、もう一度息を荒く、強くしてやり直します。初めほどではなくても、ハッキリ意識できる程度で良いでしょう。意識が呼吸と共にあって、一時も離れないようになるまで意識します。

 つまり無理に作った呼吸ではなく、普段の呼吸を常に意識できるようになるまで。どんなに長くても短くても分かり、どんなに重くても軽くても分かるようにします。サティが呼吸を待ち伏せして拘束し、後を付けまわしているからです。これが出来るようになれば、「呼吸を追いかける」段階に成功した、と言います。

 うまくできないのはサティ(または考え)が常に呼吸になく、気がつくとぼんやりしていて、いつから意識が離れたのかも分からないからです。このような状態でも、気がつく度に意識を呼吸に連れ戻し、この段階を終了するまで練習します。最低一回に二十分以上つづくようになったら、次の段階の練習に進みます。

 次は二番目のどこかで待ち伏せする」段階といいますが、初めの段階を終了しているに越したことはありません。(初めの段階を飛び越えてこの段階へきても構いません)。この段階ではサティ(または考え)が呼吸を追いかけるのを止め、どこか一点で待ち伏せします。

 息が体内の一番奥(臍)に届いたとき意識し、そこで一旦放すか無視して、一番外の出口(鼻先)に当たるときもう一度意識します。そして再び体の一番奥(臍)に届くまでは、呼吸から離れるか、あるいは無視します。

 このようにしてずっと続けます。できるようになると、意識が呼吸から離れているとき、あるいは無視しているときも、心は家や田畑やその他の場所へ逃げて行きません。サティ(意識又は自覚)が体内の一番奥と一番外で意識しているということです。その二点の間は放っておきます。このようにできるようになったら体内で意識するのを止め、外部、つまり鼻先だけで意識してもいいでしょう。

 息を吸うときも吐くときも意識します。「戸口だけで見張る」と言います。息が通るときだけ意識して、その他は暇あるいは静かです。暇あるいは静かな中間にも、心は家やどこかへ逃げて行くことはありません。これができるようになれば、「どこかで待ち伏せする」段階に成功したと言います。

 うまく行かないのは心がいつ逃げ出したのか分からなかったり、入り口に戻って来ても、中に入っても、どこかへ擦り抜けてしまうこともあり、それは暇で静かな中間がうまくできないのと、この段階の最初から出来ていないからです。だから初めの段階から、つまり「つねに追いかける」段階から、しっかり正確に練習するべきなのです。

 最初の段階、あるいは「つねに追いかける」段階といっても、誰にでも簡単にできるというわけではありません。そして出来るようになれば、肉体的にも精神的にも、思った以上の成果が得られます。

 ですから是非ともやってください。体操のように遊びになるくらいまでしょっちゅうします。二分でも時間があればします。強く息をして背骨が音をたてればなおいいです。ハアハア息の音がしても構いません。だんだん軽くなって、普通のレベルになります。

 人の普段の呼吸は、普通のレベルではありません。自覚はなくても、普通より低すぎたり少なすぎたりします。特にいろんな仕事をしたり緊張した動作をしているとき、本人は自覚していなくても、呼吸は通常あるべき状態より低いのです。だから初めは強い息から始め、しばらくしてから通常の状態に戻すべきなのです。

このようにすると、呼吸を真ん中のちょうど良い状態にし、同時に体も正常な状態にすることができます。アーナーパーナサティの初歩のニミッタ(徴。相)を意識するのにふさわしい状態です。繰り返しますが、最初の段階はどんな機会にも、誰にとっても正しい遊びになるくらいまで習熟してください。心身の健康にとって非常に良い効果があります。そして第2段階へ続く階段でもあります。

 実際には、「常に追いかける」段階と「どこかで待ち伏せする」段階の違いはそれほど大きなものではありません。緊張を緩めて緻密にすること、つまり意識するサティを少なくしても心が逃げていかない状態を維持することです。

  分かりやすく譬えれば、揺りかごのそばにいる子守りのようです。最初に子供を揺りかごに入れますが、子供はまだ眠くありませんから、揺りかごの中で寝返ったり立ちあがろうとします。この段階では、子守りは揺りかごから目が離せません。子供が籠から落ちないように、揺りかごが右に揺れたり左に揺れたりするのを、絶えず目で追っていなければなりません。

 子供に少し眠気が兆してくればあまり動き回らなくなるので、子守りは揺りかごの動きに合わせて目で追う必用はなくなります。籠が自分の前を通るとき見るだけで十分です。自分の前を通過する時々に定期的に見るだけでも、子供が籠から落ちる心配はありません。子供はもう眠ろうとしているのですから。

 ですから初歩、「常に追いかける」段階の呼吸を意識することは、揺りかごの動きに合わせて見張らなければならない子守りに譬えられます。鼻先だけで呼吸を意識する、あるいは「どこかで待ち伏せする」段階である第2段階は、子供が眠くなり始め、子守りは自分の前を通過するときだけ揺りかごを見守ればよい段階です。

 第2段階まで十分に習熟したら、一般人のための簡単で初歩のサマーディ(三昧)を抜け出し、より意識するサティを緩めて緻密にし、禅定のレベルの堅固なサマーディを生じさせる、いずれかの段階の練習に入ることができます。しかしここで一緒にお話することはできません。複雑な原則があって、細かくて緻密なので、その段階に興味のある人だけが勉強することです。

この段階では基本的な段階だけに興味をもって、当たり前な普通のことになるまで習熟してください。それらを後になって一つに集めると、順次高い段階になるかもしれません。在家のみなさん、戒、瞑想、智慧の三つを備えた人になるため、あるいは八正道の各項目と共に生きる人になるために、どうぞ先ずは初歩の段階である、体と心に良い影響のあるタイプの瞑想をする機会を持たれますよう。

 たとえ初歩でも何もないよりましです。ただ普通に生きていた時より、ずっと体が静まってきます。順次高いレベルに向けて瞑想の練習をするだけで、「人間が出合うべきもう一つのもの」に出合えます。それでこそ生まれてきた甲斐があります。 

                           「プッタタート比丘小品集」より

 

アーナーパーナサティに関する、より高度な講義

http://buddhadasa.hahaue.com/houwa1.html


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